2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その18)

 戸籍の性別を変更するための法律が施行され、世間でも性同一性障害への理解が進んだ。水商売を辞めて手堅い会社に転職する人も、少しずつではあるが増えている。気付けば俺はあの店で、古株オカマの一人になっていた。
「イヤよっ 絶対にイヤッ!」
「ちょっとなら私用に使ったって構わないから。便利よ〜 一度持ったら手放せなくなるって」
「電磁波でお肌が社長みたいにシワシワになったら、あたし、生きていけない……!」
「肌なんて本気で心配してないくせにっ 失礼なことを言ってやろうという意気込みだけは本物なんだから」
「そりゃそうですよ」
 社長は俺に店の携帯電話を持たせようとしていた。
「いつでも呼び出しがかかるようになったらたまりませんよ。今の時給を三百六十五日二十四時間払い続けてくれるのでなければ、ケータイなんてイ〜ヤ〜な〜のぉ〜っ」
 タン! と大きな音を響かせてハイヒールで床を踏む。
「子どもじみたごね方しないでよ…… 用がある時は断って良いし、臨時で入った時は時給を三割増しにするから」
 お金の問題じゃない。断って心苦しくなるのがイヤなんじゃないか。やりたいことがあっても無理して店に来てしまうに決まっている。
「五割増し!」
「分かったわよ。その代わり、ナナに電話するのは一番最後にする」
 余計断れないじゃないかと思ったが、五割増しというのはなかなかおいしい。やむなく俺は信念を曲げ、携帯電話を持つことを了承してしまった。

 オカマと研究者の二足の草鞋を履いて忙しく日々を送るうち、俺は三十代に突入した。
「女装するの、初めてなんです」
 性的少数者への差別撤廃が理念として語られるようになっても、社会全体が一斉に寛容になるはずがない。男らしく振る舞えず職場で孤立し、ここならばとオカマバーに流れて来る者が一定数いる。寿司屋で三年、板前修行をしていたというメグも、そんな一人だった。
 メグには近所の坊さんが付けたという抹香臭い本名があり、ゆめこさんが適当に決めた甘ったるい源氏名もあった。けれども後になって名乗ることになった「メグ」という呼び方を、最初から使おうと思う。それはあいつがこの世界の生きづらさと格闘した末に手に入れた「本当の名前」だから。
「可愛いわよ、とっても」
 お世辞ではなかった。メグは白く美しい肌をしており、顔の輪郭がやわらかい。細いつり目だがキツい印象はなく、東洋的な愛らしさがあった。
「もう少しほっぺた赤くして純情さをアピールしようか」
 これは売れるな。服と化粧のおかげもあるが、元が上玉なのだ。調理希望で来たのを無理やりフロアに回した社長の気持ちもよく分かる。仕草は完璧に女だった。艶のある下唇や、不安げに潤む瞳にもそそられる。男の体で生まれてきたのは明らかに何かの間違いだ。
 こんなのと一緒に働いていた板前たちはさぞや苦しかったろう。うっかり本気になって、
「俺はおかしくなってしまったのだろうか」
 と悩んだ奴が一人や二人ではなかったに違いない。俺はこれまでにメグと関わった全ての男たちに同情した。性的に意識されてしまうせいで、決して男と友達になれなかったメグ本人にも。
「大変美味しゅうございました」
 女装に慣れていないオカマが大好物、という女の常連客に、とびきりの新物が入荷しましたと連絡すると、その日のうちにやってきた。ヘマをするとかえって喜ぶので、新人研修にちょうど良い。
「自分の姿に対する恥じらいがたまらないよね〜 恥じらいほど失われやすく、貴重なものは世の中にない」
「世の中っていうか、自分に無いからオカマで補給するんだよな」
 不思議なことに、この客は必ず男連れで来る。おそらく恋人だと思うのだが、常にほどほどのツッコミを入れて、まるで太鼓持ちのようだ。
「でもあの子、接客初めてじゃないでしょ」
「鋭いわねぇ。おうちが日本料理のお店で、子どもの頃からお手伝いしてたんですって」
「そこがマイナスかなー 次は『歯科技工士からオカマに転身』希望」
「職業限定し過ぎだろ」
 女はニヤニヤしながら俺を見る。
「あんな美人が入ったら、トップの座が危ういね、ナナ姉さん」
「負けそうになったら毒りんご食べさせるわ」
「女王様のコスプレで?」
「何か違くね?」
「その時もまた呼んでね〜」
 毎度訳の分からないカップルだが、まあ喜んでくれたようで何よりだった。
 最近は彼らに限らず、
「若い子に嫉妬する年増女」
 であることを要求される場面が多いのだが、どうにも演技が難しい。店の後輩を憎く思ったことなんて一度もないのだ。
 俺はどこかで挫折したり傷ついたりして店に来た子たちに、自信を取り戻してもらいたかった。自分が本当にやりたい仕事に就くために。世間のあらかたの職業は、男か女か男女かに関係なく勤まるはずだ。周囲が完全に理解してくれるのを待っていたら命が尽きてしまう。他人など構うものかと思える程度には強くなる必要があるし、オカマバーでの経験はきっとそのために役に立つ。
 もちろん社長やゆめこさんのように、化け物になるまで居続けたって良いのだけれど。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:49| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛(その19)

 案の定、メグはおっさんにモテモテだった。特に団体客が来ると、必ずその中で一番の醜男にがっちりマークされる。
「君は本当に男の子なの?」
「そうです」
 男はスーツを脱いでメグの肩を乱暴に抱き、キスせんばかりに顔を近付けて話しかける。男に好かれるタイプじゃなくて良かったと俺はしみじみ思いながら、割って入るタイミングを見計らう。
「確かめてみないと」
「え?」
 太ももに置かれていた手が素早く移動したのをメグははっしと押し留め、大声を出した。
「そこは! 好きな人にしか触られたくないんで!」
 それ、嫌いって言ってるだろ。俺と同じようにメグを気にかけていたその場のオカマ全員が吹き出した。さてどう助けようかと考えているうちに、メグは何故かぱあっと満面笑みになり、
「そうだ、おっぱいにしましょう! おっぱい最高!」
 と言って男の手を自分の胸に押し当てた。
「ああ〜ん、感じるぅ」
 棒読みだったが男は気にしない。シリコン製のニセおっぱいが揉み過ぎでお腹までずり落ちた頃、男は深い眠りの中にいた。俺はそいつを抱きかかえ、他の客と一緒にタクシーに放り込む。
「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ」
「何ですか、それ」
「昔読んだエロ小説の一節。それにしてもよく頑張ったわねぇ。あの人、あなたを気に入って通い詰めちゃうかもよ」
「うえぇ〜 でも、おっぱいで満足するならキャバクラに行った方が良いんじゃないですかね?」
「本物を触る勇気はないのよ、きっと」
 板前ちゃんが面倒な客をみんな引き受けてくれるから仕事が楽になったと、オカマたちの間での評判も上々だった。
「雑魚殺し」
「板前だけに」
 七月には浴衣祭りをした。店じゅうに紅白のちょうちんを吊るし、ツルツルのピンクの造花を飾った。オカマたちは全員浴衣で接客する。お客様も浴衣でのご来店でドリンクサービス、と宣伝したら応じてくれた常連も多く、夏の夜らしい高揚感が店に満ちた。
 着付けの出来る奴は俺以外にも数人いたが、中でもメグは飛び抜けて手際が良かった。
「実家にいる頃、母親の着付けを手伝わされたんです。帯を締めるのが上手いって、よく褒められたんですよ」
 と笑うが、それだけじゃない。メグは自分の着替えを終えると部屋全体をさっと見回し、どんな順番で手伝えば全員の着付けが一番早く終わるか、一瞬で判断する。
 着物を着た経験の無い奴がいたら袖に腕を通すところからそばに付いてやり、ある程度出来る奴を見つけたら修正とチェック程度で手をかけない。考えてやっているのではなく体が勝手に動いていることが、移動の素早さで分かる。
 メグはそれぞれの器用さに合わせて少しずつやり方を教えてゆき、一週間しないうちにみんな一人で帯を結べるようになった。
 俺は店が用意した安っぽい浴衣を着るのが嫌で、自前のものを用意した。
「ナナさんだけずるーい!」
 メグが袖をつかんで抗議する。
「お客さんに作ってもらったんですか?」
「あら、みんなと違うの分かる?」
「値段が二桁上でしょう」
 その日着ていたのは藍染めの滝絞りで、およそオカマらしくない地味な柄だが、周りが派手なのでかえって目立った。
「無理に可愛くしなくても女に見えるのがすごいですよね…… あたしも着てみたいけど、自信ないなぁ」
 メグの浴衣はひまわりやハイビスカスが散っている浮かれたプリント柄だった。帯は真っ赤な兵児帯。
「そういう金魚みたいな尾っぽを垂らして許されるのは若いうちだけだから、存分に楽しみなさい」
 メグはくるっと後ろを向き、帯を揺らしてみせた。
「これ、自腹切って買っちゃったんです!」
「似合ってるわよ」
「一緒に写真を撮っても良いですか?」
 メグは通りがかった店の子に携帯電話を渡し、俺の腕にぶら下がった。
「美女二人〜」
 携帯のカメラも馬鹿に出来ないもので、なかなか綺麗に写っている。
「高く売ってよ」
「自分だけの宝物にします」

「最近、後輩に懐かれててな」
 俺はメグから送られてきた写真を周平に見せた。
「へえ、君とは違うタイプの美人だね」
「入ったばかりの頃はしょぼくれてて心配したんだが、元気に働けるようになってホッとしてるよ」
 周平はその写真からしばらく目を離さなかった。
「前の職場でずいぶんいじめられたらしくてな」
「可愛いから妬まれたのかな」
「違う違う。前は男だったんだ」
「前も何も、今だって男でしょ、オカマなんだから」
「板前として働いてたんだ。寿司屋で」
 周平は顔を上げ、五秒ほど無言で俺を見た。
「この子、僕に紹介してくれないかな?」
 今度は俺が固まる番だった。
「お前、こんなに女っぽい奴でもいけるのか!」
「いややや。……どこから話そうかなぁ」
 周平はコーヒーの水面を見ながらカップを軽く揺らし、皿に戻した。
「実を言うとね、会社を辞めようと思ってるんだ」
「とうとうクビか」
「似たようなものだよ」
 冗談のつもりだった。周平が勤めているような大企業では、クビなんてあり得ないと思っていたのだ。
「そんな泣きそうな顔しなくても良い。路頭に迷うのは七瀬じゃなく僕なんだから」
 周平は笑ってみせた。
「お前、営業向きじゃないもんな……」
「僕の売上げはそれほど悪くない。素晴らしいと言っても良いくらいだ。信じてもらえないと思うけど」
「じゃあ何で」
 声を低くして周平は言った。
「来年、僕の会社のことがたびたびニュースで流れると思う」
 つられて俺の声も小さくなった。
「悪事でも働いてるのか」
「いや、単に火の車なだけ」
「なんだ」
 俺はアイスティをちるちるすする。
「そんな風に見えないけどな。テレビでしょっちゅうコマーシャルもやってるし」
 電化製品に興味はないが、周平の会社だと思うと多少、意識した。
「お金が無くても広告を出すのは止められないよ。でもこの数年ヒット商品は全く出ていない。儲からないと商品開発にお金を回せない。冴えない物を無理に売ろうとするから、消費者はどんどん離れていく」
 客ではなく消費者か。周平の仕事が別世界のものに感じられる。
「しっかりサラリーマンしてたんだなぁ。俺が狂乱の夜を繰り返す間に」
 十年前には同じ大学の同じ学科で学んでいたのに。二人が歩んできた道の隔たり。
「会社はまず希望退職を募る。その一回目で辞めようと思ってるんだ。回を重ねるごとに条件が悪くなるからね」
「せっかく大企業に入ったのに、もったいない気もするな」
「看板は立派でも中はボロボロだよ。精神をやられて休職してる同僚が何人もいる」
「そうか」
 明らかに俺より過酷な毎日を送っている周平に、言えることなど何もない。
「で、それがうちの板前とどう関係するんだ?」
「貯金と退職金を元手にして、二丁目か三丁目に店を出したい」
 危うくアイスティを吹きそうになった。
「やぁだぁ! ついにお仲間になっちゃうわけ?」
「女装の店じゃない。ゲイバーだ」
「周平くんのエッチぃ〜」
「そんないやらしい店にはしないつもりだよ」
「じゃあどんな店だ」
 周平は何も答えず、冷えたコーヒーを飲み干す。
「何しろ飲食店はバイトでしか知らない。詳しい人に話を聞いてみたいんだ」
「それならこいつは適任だろうな。実家も料理屋だから裏も表も知り尽くしているはずだ」
「ありがとう」
 周平は、にっこりと微笑んだ。

**********
「たちの悪いいたずらはなさらないで下さいませよ、眠っている女の子の口に指を入れようとなさったりすることもいけませんよ」
 は川端康成「眠れる美女」からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:47| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛(その20)

「周平さんとナナさんって、どんな関係なんですか?」
 店の近くのヴェローチェで周平と会ってきたメグは、俺の顔をじーっと覗き込んだ。
「お友達よ」
「どんな?」
 友達にどんなもこんなもあるかよ、と訝りつつ、周平が信用出来る奴だということを証明するのが、紹介した者の責任なのかもしれない、と思い直した。
「そうね、あたしがわがまま言っても怒らずに聞いてくれるから、長続きしてるんでしょうね」
「長続き」
 メグは再びじーっと俺を見上げる。
「聞いたでしょ、大学時代からの付き合いなのよ」
「真面目な人ですよね?」
「それは見た目通り。授業をサボったことなんて一度もなかったし、会社でもけっこう頑張っているみたい」
「優しいですか?」
「そうね、親切だし」
 メグは腕組みして考え込んだ。人形のような顔とは不釣り合いに、メグの手の甲には骨と筋がくっきりと浮いており、そこだけあからさまに職人の男だった。
「なら安心して一緒に働けますね」
「えっ?」
 俺は慌てて周平に電話した。
「話を聞くだけって言ったじゃないの!」
「他には何もしてないけど?」
「あんたの店で料理する気になってるわよ」
「うん、スカウトした」
 最初から引き抜くつもりだったのか、このタヌキ野郎。
「調理師の免許も持っているんだし、料理の仕事をした方があの子も幸せなんじゃないかな」
 それは俺も考えていた。いつかはそっちの世界に戻るべきだと。しかしこれじゃあ……
「友人を使って二番人気を消すなんて」
 今後自分がやらされるであろうアホらしい芝居を思い、全身の力が抜ける。
「お役に立てて嬉しいよ」
 周平は腹黒い声でクスクス笑った。
「それにしてもあの板前さん、本当に可愛いね」
「嫁を紹介したわけじゃねーからな」
「九つも下だもの。手なんて出せないよ」
 悪い予感がした。良い予感なのかもしれない。
「あの子が店に恋人を連れて来たらショックだろうな。お父さんみたいな気持ちでいないとね」
 オカマバーでの俺の立場なんてどうなっても構わない。ただ、克巳のことが気がかりで、周平の言葉は針のように胸に刺さった。

 メグの変化はさらに激しく、心の中に台風が発生したのが誰の目にも明らかだった。
「ゲイの人はやっぱり、男らしい、筋肉ムキムキの人が好きなんですよね?」
「みんながそうとは限らないんじゃない?」
 社長の部屋に行くと、メグが相談を持ちかけているところだった。
「もし筋肉ムキムキが好きだったとしても、全員に筋肉ムキムキが配られるわけじゃないですよね?」
「そーね、日本は共産主義じゃないもの」
 社長は帳簿を広げて書き込みながら、適当に受け答えしている。
「だったらあたしみたいな女っぽい男にも、チャンスはありますよね?」
「相手の男次第でしょ。何べん同じこと言わせるの」
「社長に恋愛相談……?」
 メグは俺に気付くと顔を真っ赤にして飛びのいた。
「人選間違ってるだろ」
「『その話飽きた!』って誰も聞いてくれなくなっちゃって」
 どれだけ騒いでるんだ。
「ナナには相談したの?」
 社長は俺とメグにミルキーを配り、自分でも一つ口に入れながらニヤリとした。メグは少しためらった後、うつむいて小さな声で言った。
「周平さんはどんなタイプの人が好きなんですか?」
 周平のタイプ。世の中にこれほど俺と関係ない、どうでも良い情報があるだろうか。克巳を好きだったのは知っている。しかしタイプだったのかは不明だ。しかも十年も昔の話。
 メグは瞳をうるうる潤ませ、祈るように手を合わせている。
「あたしみたいな男が好きなのよ」
「や、やっぱり」
 整形手術して、目の大きさを三倍にしなければ。背丈も…… メグはブツブツつぶやく。
「あんたたち、いい加減にしないと給料から相談料引くわよ」
「俺は相談してません!」

 お互いに憎からず思っていることは明白なのに、本人たちにはそれが分からない。生きるの死ぬのと深刻ぶったって、恋愛というのは他人が見れば、全くの茶番だ。
「板前ちゃん、恋をしてますます可愛くなったわね〜」
 赤い頭を振って踊りながらゆめこさんは言う。
「見てるとあたしまで若返っちゃいそう」
「全然変化してませんよ。……痛ぁーっ!」
 俺の尻を力まかせにつねって、ゆめこさんはしれっと続けた。
「今のあの子、サッちゃんが来ていた頃のナナみたい」
「佐知子さんのこと、覚えてるんですか」
 彼女が店に通っていたのはほんの短い期間だ。俺以外はみな忘れたものと思っていた。
「覚えてるわよ。一度でも店に来てくれた人の顔は、全員頭に入ってる」
「すごいですね…… 観光で来たおばちゃんなんていちいち記憶してませんよ」
「ナナは美貌に頼り過ぎ。たった一度ツアーで寄っただけなのに『群馬からまた来てくれたの。三年ぶりねぇ』なんて言われたら嬉しいでしょ。あたしたちはお客さんを喜ばせるのが仕事なの。脳みそは使えば使うだけ性能が良くなるんだから、もう少し仕事にも振り分けなさい」
 ゆめこさんは笑顔だったが、本気で怒っているのが分かった。
「すみません」
「まあそれはともかく。サッちゃんは特別な人だったじゃない。ナナにとって」
 佐知子さんに対する気持ちは、恋愛感情だったのだろうか。恋した、愛した、というより「必要とされているような気がした」のだ。でもそれは勝手な思い込みでしかなかった。もし俺を本当に必要としていたなら、新幹線で長野から通うことだって出来たはずだ。仕事か帰省で東京に来た時に、店に立ち寄ることだって。しかしサッちゃんはその後、はがき一枚くれない。
「佐知子さん、今どうしてますかね」
「出世してるわよ、お医者さんの世界で」
 ゆめこさんが言うからには、きっとそうなのだろう。彼女は強くて優秀で、俺が入り込む隙間なんてなかったのだ。そんな風に全く見えなかったのは、こちらがおかしなフィルタ付きで彼女を見ていたというだけのこと。
 勘違いだということが明らかになった勘違いを、何と呼んだら良いのだろう。そんなものを恋と呼ぶのは、あまりにもあわれじゃないか。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:46| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛(その21)

 メグは恋の鱗粉を周囲に振りまけるだけ振りまいて、店のみんなにからかわれたり呆れられたりしていたが、周平からはメグの料理を絶賛するメールと、例年通りの年賀状が来たきりで、愛の話は特になかった。されたって困る。
 俺はなるたけ関わり合いにならず、二人でどうにかして欲しい。そう思っていたのに、一月終わりの雪でも降りそうな寒い夜、周平から電話がかかって来た。
「脱サラしてすぐに人を雇うのは無責任だろうか」
「は?」
 聞いたことのないような暗い声。深刻過ぎてかえって可笑しい。
「まずは一人で商売を軌道に乗せて、それから……」
「今さら何言ってんだ。あいつは『もうじき周平さんのお店で料理が出来る〜』って毎日クルクル回ってんだぞ」
「もう気持ちが変わってしまったかもしれない」
 克巳とメグだけでなく、こいつの恋愛の面倒まで見なきゃならんのか、俺は。
「何かあったのぉ〜?」
「汚れた大人なのがバレて嫌われた……」
 深夜だというのにこらえ切れず、ギャハハと爆笑してしまった。
「無理やり押し倒して、またがっちゃったわけぇ〜?」
「そんなことしてないっ! 嫌われないように…… すごく気をつけていた…… つもりだった」
 声が震えている。周平も本気なのが分かって、俺は安堵した。
「混ぜ返して悪かったよ。いったい何があったんだ」
「店舗を借りるために、二人で不動産屋へ行ってね、その時に値下げ交渉したんだ。向こうもプロだし、丸め込まれたらたまらないから、褒めたり焦らしたり色々して」
「そんなことが出来るのか。まあ、あのあたりは家賃も高いだろうしな」
「実際借りることになったら不動産屋さんにもお世話になるんだし、関係が悪くなるほど厚かましい真似はしてないよ。会社ではもっと酷い取引をしてた」
「ほー それが汚れた大人か」
 周平は無言になった。
「『あたしのことも利用するために褒めたんですか』って怒り出したんだろう」
「よく分かるね」
 周平さんは褒めてくれるんです。あたしは今まで家族以外に褒められたことがなかったから、もうそれだけで胸がドキドキしちゃって。周平さんが優しいだけなのに、こんな風に勘違いしちゃうなんて、幼稚ですよね。メグは耳まで真っ赤にして、何度も同じ話をした。
 俺だって「可愛い」「接客が上手」などと言ってメグを褒めたはずなのに、それは勘定に入らないようだった。周平はおそらくメグにとって一番大切な何かを褒めたのだ。そういうものを即座に見抜く力があるのは、付き合いが長いからよく分かる。その能力を営業にも使って、これまで食ってきたことも。
「周平、オカマが持っている最も美しい性質は何か分かるか」
「え…… 美意識とか?」
「確かに綺麗なものを好む奴は多いが、もっと本質的なことだ。オカマはな、嘘がつけないんだ」
「君が言っても信憑性ないけど」
「俺みたいなニセモノじゃなく、本物のオカマの話だよ。もし嘘がつけるなら、わざわざ苦労して女の姿になったりしないだろう。男の体で生まれてきたのに、女である自分を貫いてしまうから、自分も周りもだませないんだ」
「男らしくすることは、自分に嘘をつくことになるんだね」
「そうだ」
「七瀬の言う通り、あの子の心はまっすぐだ。見ていると苦しくなるくらいに」
 周平は大きく息をついた。
「人間性を失ってしまった僕に、人を愛する資格はあるだろうか」
「人間性を失った奴はそんなこと考えないだろう。ゴチャゴチャ言ってないで幸せにしてやってくれ」
「ありがとう」

 おあつらえ向きに世間がベタベタの甘々に包まれるバレンタインの直前、
「周平さんとお付き合いすることになりました」
 とメグから報告を受けた。
「めでたい」
「えへへ〜 ありがとうございます」
「もう愚にも付かない恋愛相談されずに済むのね。店の子全員がホッとするわ」
「これからはのろけます!」
 好きにしろ、と思って自分のメイクを続けたが、鏡の中のメグはまだ話を聞いて欲しそうな顔でこちらを見ている。
「あの、ナナさんって、本当に周平さんの恋人じゃなかったんですか」
「聞かなかったのー?」
 あんまりしつこく疑うので、本人に直接尋ねるよう言ったのだ。
「ナナさんと周平さんは大学の同級生だったんですよね」
「そうよー」
「周平さんが『十代の終わりから二十代の初めに、五年間付き合っていた人がいた』って教えてくれたんです」
 紅筆を動かしていた手が止まった。
「それって大学時代じゃないですか? ナナさんと一緒にいた時期と重なりますよね」
 ため息が出る。自分がこれまでに巻き込まれてきた他人の恋愛に、俺は改めてうんざりした。
「周平くんは今でもグンゼのパンツをはいてるの?」
「どうしてそんなこと知ってるんですか! 怪しいっ やっぱり怪しいっ!」
 三人で歌舞伎を見に行ったあの日、周平と克巳はおそろいの白いブリーフをはいていて、部屋がまるで、身体測定の時の保健室みたいになったのを思い出す。
「またがってもらえて良かったわねー」
「あっ」
 顔を赤くしているメグを見ながら、克巳に会って謝らないといけないな、と思った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:44| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛(その22)

 克巳に電話すると、
「ちょうどおれも話したいことがあるんだ」
 と明るい声で言う。仕事の予定を尋ね、克巳の家の最寄り駅にある喫茶店で待ち合わせた。
「七瀬くんの用事は何?」
 克巳はだらしなく頬杖ついてケーキを崩し、とがった欠片をぱくりと口に入れる。
「申し訳ない」
 俺は頭を下げた。
「何が?」
「俺は意図せず、お見合いおばさんになってしまった」
 克巳は大笑いした。
「出し抜けに、真面目くさって、七瀬くん、ほんと変。あはは……」
 人差し指で目尻をぬぐい、克巳は続ける。
「周平に恋人が出来たんだね」
「そうだ」
「どんな人?」
「オカマだ。俺の後輩の」
 克巳は両手をテーブルの下に置き、目を丸くして俺を見た。
「色んな種類のオカマが走馬灯のように浮かんでは消えてゆくんだけど。ゴツいのとか、ケバいのとか、やたらうるさいのとか」
「普通の可愛い女の子を思い浮かべろ。お前が女装したらきっとあんな感じだ」
 言った後で、自分の発言に自分で驚いた。目や鼻の形はもちろん違うが、受ける印象が似ているのだ。色白の、さっぱりした愛らしい顔立ち。
 克巳の目がうっすら潤む。
「じゃあさ、周平、俺のこと忘れてないんだね?」
「忘れる訳ないだろ!」
 俺が怒ることじゃない、と気付いたのは怒鳴った後だった。
「すまん」
「ううん。ありがとう」
 克巳はケーキを一口分フォークに刺し、俺の顔の前に差し出した。
「あーん」
「何の真似だ」
「周平なら口を開けるよ」
「俺は周平じゃない」
「伝染しちゃおうと思ったのに」
「風邪か」
「HIVに感染しちゃった」
 その意味するところを理解し、頭が真っ白になった。克巳は黒いくまのある目を細めて微笑む。いつか見た、女の幽霊。
「ようやく死ねるんだって思ったら、体がすーっと軽くなってさ、よっぽど嫌だったんだね、生きるのが」
 克巳は満足そうに紅茶のカップを傾けた。
「今は発症を抑える薬があるんだろ」
「よく知ってるね。でもさ、生きたくないのに治療するなんてもったいなくない? 医療費が。国は借金まみれだし」
「国なんぞどうでも良い! お前の命だろう」
「死にたいんだ、心の底から」
 俺は今まで何をしていたんだ。俺は克巳を救ったような気でいた。いつも気にかけて、時々会って話を聞いて。
「周平と付き合ってた五年間に、人生の一番美味しい部分を食べ尽くしちゃったんだよ。もう何も残ってない」
「まだ分からない。現に周平は幸せになった」
「七瀬くんは?」
 克巳の挑発的な視線が、俺の空っぽな心を貫く。
「すてはてんとおもうさえこそかなしけれ」
 克巳は伝票をつかんで立ち上がり、俺の髪をグシャグシャと撫でた。
「理系だからって何も知らないと思わないでよね」
 その声は激しく俺を責め立てていた。大学の頃と同じように。

 混乱していた。俺は何をしたら良いんだ。一刻も早くあのバカを病院に連れてゆくべきだろう。しかし薬を出されても飲まないに決まっている。まず第一に必要なのは、生きる意志だ。
 この世界は生きるに値する場所か? 生きる苦労と死ぬ恐怖を天秤にかけて、死ぬ方が辛いと断言出来るか?
 克巳がつぶやいたのは和泉式部の歌だ。「捨てはてんと思ふさへこそ悲しけれ」その後はこう続く「君に馴れにしわが身と思へば」
 捨てるというのは出家する(世を捨てる)という意味だが、今この状況で克巳が言うとしたら「命を捨てる」ということだろう。君に馴れにし。馴れるというのは性的な関係を結ぶことだと思っていた。君って誰だ。周平なら話は簡単だが、克巳は俺に向かって言ったのだ。
 克巳を抱き締めた時の感触がよみがえる。温かくて、心もとなく、叫びを我慢しているかのようにのどの奥がちりちりし、自分の動作に確信が持てなかった。周平のやり方こそが正しくて、俺の抱き方はぶざまな模倣でしかなかった。
 あなたに抱かれたこの体を、捨ててしまおうと思うのは悲しい。死にたければ勝手に死ねば良いじゃねぇか。何でわざわざ俺にそんなことを言ってくるんだ。
 失恋した克巳そっくりに涙がボタボタこぼれて、この問題は一人で抱え切れるものではないと悟る。俺はカバンから携帯電話を取り出した。

**********
HIVは、食器を共用しても感染しません。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:43| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする