2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その8)

 オカマバーでは最初のうち、とにかくおとなしくしていなさい、と言われた。ドレスを着て先輩に化粧をしてもらうと、
「こんな美女と現実で出会うことはないだろうな」
 と思う程度には綺麗になった。ナルシストだったら二度と鏡から離れなかっただろう。俺は美人にも自分にも興味がないので、夢の中でも出会えないレベルになるために、他人の技を盗もう、と誓った。
 案の定、俺はおばちゃんにモテモテだった。特に地方から観光で来るおばちゃん軍団は、競い合って俺と記念撮影したがった。
「この子、男の子なのよ。タマタマはまだ付いてるって!」
 と留守番の旦那に写真を見せるのだろう。楽しい東京の夜の思い出。自分が金閣寺、銀閣寺みたいな存在になれるのは素直に嬉しかった。
 観光客の中には歌舞伎座へ行ったと言う人もおり、演目を聞くとつい名場面を再現してしまう。
「『女郎は客をだますものと、知ってはいれど色香に迷い、度重なったその挙句、身請けをしよう、なろうと言う、相談さえもまとまって、我が花とせぬそのおりに、手折りし主の栄之丞ゆえ、満座の中で悪口され、恩を仇にて次郎左衛門に、よくも恥辱を与えたな』
『そんなら解けたとおっしゃったは、誠のことではなかったか』
『積もる思いも人目をいとい、今日まで胸にこらえていたも、辺りをはばかりこの二階で、われに遺恨を返さんためだ』
『そのお腹立ちはもっともながら、これには深い訳のあること、お気を鎮めてくださりませ』
『今さらとなり言い訳聞かぬ、八ツ橋、われが命はもらったぞ!』
『アレーッ』」
 女形はともかく立役が男らし過ぎて先輩はハラハラしたと思うが、おばちゃんたちからやんややんやの大喝采を浴びたので文句は言われなかった。言わせるものか。
 一方、男性客には面白いくらいモテない。俺が見えてないんじゃないかと疑いたくなるほど無視された。彼ら、特に酔っ払ったサラリーマンは、本物のオカマをしっかりと嗅ぎ分ける。彼女たちの多くは肉体と精神の性の不一致により普通の職場に馴染めず、選択の余地なくオカマバーに勤めていた。人あしらいの下手さにつけ込み、サラリーマンは胸や腹のあたりをベタベタ触る。男の体に女の心。これ以上気安いおもちゃが他にあるだろうか。
 あんまりおイタが過ぎる時には、妬いている振りをして割って入った。彼女たちに触れたがるサラリーマンも、守りたいと願う俺も、男なのだなぁ、と感じ入る。オスとメス。猿の集団を観察しているようだ。
 接客を重ねるうち、この店における自分の立ち位置が見えてきた。楽な仕事ではないが、これならしばらく続けられそうだ。

「今日、おじいさんを殺しそうになっちゃった〜」
 心配していた母親も、三日で辞めることなく薬局の仕事を続けていた。
「大丈夫なのかよ」
「お母さんが悪いんじゃないのよ。医者の書いた処方箋がいい加減で、薄めなきゃいけない薬をそのまま出しそうになって」
「薬剤師というのは薬の正しい濃度を知ってるんじゃないのか」
「お母さん、元・薬剤師だもーん。というよりニセ薬剤師?」
 お前もニセモノかよ。
「資格持ってるんだろ」
「薬剤師の免許が更新制じゃなくて助かったわ〜 大学で習ったことなんて綺麗さっぱり忘れちゃってる」
「恐ろしいな」
 五十を越えて仕事を再開するのは相当キツかったらしく、母親は家事、特に掃除を全くしてくれなくなった。家中が荒れ果ててゆくのを見かねて、俺が掃除機をかけ、トイレや洗面台を磨くようになった。ふた月前には毎日勉強のことだけ考えて過ごせば良かったのに。風呂場でカビキラーを流すためにズボンの裾をビシャビシャにしながら、平家物語の冒頭をつぶやいた。
 八月には大学院の入試があった。学内推薦で入れることは決まっていたので、形だけの口頭試問だ。卒業に必要な単位は取り終えていたから、後は無事に卒論を出せれば…… いや、大学院の学費がまだ用意出来ていない。周平には反対されたが、いざとなったら学資ローンでも何でも組んでやる。
 卒論の準備は順調だった。必要な資料はあらかた家にそろっている。仕事と掃除で時間がなくなった分、優先順位をつけて早め早めに行動した。三年まで遊びほうけていたら大学院どころか卒業も難しかったかもしれない。脇目も振らずガリ勉を続けた自分に感謝した。

 佐知子さんが最初に店に来たのは、蒸し暑い夏が終わり、大気が生まれ変わる秋の始まりだった。
 ゆめこさんに呼ばれて個室へ行くと、ソファーに女の客が座っていた。おばさんとは呼びにくい、しかしお姉さんと呼ぶにはとうが立っている。そんな肌質だ。こちらを向き、間違いが無いか確認するような目で俺を見た後、ニコッと微笑んだ。
「お金はいくらでも出すから、この店一番の美人をお願い、って頼んだの。そうしたら入口の赤鬼さん『この店には美人しかいないのよ。あたしを見れば分かるでしょ!』だって」
「きっと鬼の世界ではあの人も美人なのよ」
 女は手で口元を隠して笑う。
「どんな人が来るんだろうってドキドキしながら待ってたんだけど。良かった。ちゃんと一番綺麗な子にしてくれたんだ」
 俺はウーロン茶をテーブルに置き、五十センチほど距離を取って女の隣に座った。
「名前を教えて」
「ナナ。ナナちゃんって呼んで。あなたは?」
「佐知子」
「じゃあ『サッちゃん』ね」
「あはは。子どもの頃みたいでくすぐったいな」
「いや?」
「ううん、それで良い」
 サッちゃんは夢見るようにうっとりと俺を見つめ続けた。
「お金はいくらでも出すなんて豪儀ねぇ」
「豪儀!」
 そんなに変な言い方だろうか。俺は自分の意図と関係なく笑われることがたびたびあった。
「おかしい?」
「ごめんごめん。若いのに、ずいぶん古風な言葉を使うと思って。じゃあ私も合わせて昔っぽい歳の訊き方をしよう。ナナちゃんの干支は?」
「辰」
 眠そうなタレ目がパッと丸く開いた。
「ちょうど一回り違うんだ。私も辰年。十二支の中で唯一の架空の動物」
 ということは三十三か三十四。サッちゃんは両手を開いて言った。
「カルテが無いと不便だね。全部聞き出さないといけない」
「まぁ、お医者さんなの?」
「産科医」
 つい生つばを飲み込みそうになって自分に呆れる。中学生か、俺は。
「興奮する? ……そんな訳ないね。男の子が好きなんだから」
 俺は何も答えず曖昧に笑った。
「私、不良になるためにこの店に来たんだ。灰皿ある?」
 サッちゃんは黒い大きなカバンから白い箱を出し、その中の茶色い棒をつまんだ。タバコにしては太く長い。
「葉巻?」
「院長のをくすねて来た」
「大丈夫なの……?」
「裁判したら絶対勝てる、ってくらい超過勤務させられてるんだから、葉巻一本なんてどうってことないって」
 二人で葉巻をじっと眺める。
「吸い方は?」
「知らない」
「あたしも知らないわよ」
「ハサミある? 確か、火をつける前に端を切るんだ」
「ちょっと待ってて。千年前から生きてるオカマに訊いてくる」
 ノックしてドアを開けると、社長は分厚い帳簿に何やら書き付けているところだった。
「あの、葉巻を吸う人の接客はどうやれば良いんでしょうか」
「吉田茂でも来てるの?」
「とっくに死んでますよ」
 俺はシガーカッターを借り、葉巻は置いたままにしておくと火が消えてしまうことなどを教わった。
「乱暴されそうになったら逃げてね」
「はっ? 何でですか」
「今どき葉巻を吸うなんて、威張りくさったジジイじゃないの」
「女性です。可愛らしい」
 社長は無表情で俺の目をまっすぐ見た。
「なお危ない」
 サッちゃんのいる部屋へ戻って、言われた通り端を切り、反対の端にマッチで火をつけた。甘く妖しい香りが部屋に満ちる。
「素敵ねぇ。タバコは嫌いだけど、これなら歓迎だわ」
「でしょ、でしょ!」
 サッちゃんは楽しそうに葉巻をくわえ、すぐにゲホゲホ咳き込んだ。
「うえええ」
「吸うと不味いの?」
「私はダメだ」
「香りは良いのにね」
 それは阿片の匂いに似ていた。と言ってももちろん実物を嗅いだ経験はないから「想像の中の阿片」だ。頭の芯が麻痺し、現実なんてどうでもよくなる重怠い空気。
「あたしも吸ってみて良い?」
「どうぞ。私はもういいや」
 深く吸うと体に悪そうなので、口に含んだ煙を誰もいない方向へ吹いた。
「舞台女優みたいに決まってる。でも若い女の子がタバコ的なものを吸っていると止めたくなるわねぇ、職業柄」
「平気よ、ニセモノの女の子だもん」
 サッちゃんは本物の女じゃないか。心配になって左手の薬指を見ると、指輪はなかった。マニキュアは塗っておらず深爪で、子どもっぽい手だ。
「結婚してるかチェックしてるの?」
「ご、ごめんなさい。不躾に」
「大丈夫。妊娠する可能性は一ミリもない。おそらく永遠に」
 病気か何かかな。俺は言うべき言葉を見つけられず、黙り込んだ。
「そんな悲しそうな顔しないで。私、男の人が苦手なんだ。だから一生誰とも付き合わないだろうなって、ただそれだけ」
「あたしも男よ、一応」
「ナナちゃんは怖くない。美人をお願いしたのは、なるべく女らしい人に来てもらいたかったの。別に面食いな訳じゃないんだよ。……葉巻の火、消えちゃったね」
「もう一度つける?」
 サッちゃんは首を振った。
「お香みたいに焚いておけたら便利なのに」
 これからまた病院に戻ると言って、お酒は一滴も飲まなかった。それでもサッちゃんは酔った人のように饒舌になって、満足そうに帰っていった。

**********
「女郎は客をだますものと……」
 は歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」からの引用です。
 
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2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その9)

「卒論は進んでる?」
「どうにかな」
 四年の後期は授業を入れずゼミだけにしたので、周平に会う機会は格段に減った。その日はたまたま図書館で出くわし、一緒に昼食を取ることにした。
「お前は?」
「興味のない映画を立て続けに見るのはけっこう苦痛だね」
「そりゃそうだろうよ」
「まあ、能よりはマシだ」
「不眠症になったら見に行け」
 周平の笑顔を久々に見て、俺もホッとする。
「克巳は元気か」
「うん。卒業研究で忙しそうだけど」
「あいつは就職決まってるのか?」
「克くんも大学院だよ」
「学費出せるのか」
 周平は生姜焼きをモグモグ噛みながらうなずく。
「お小遣いが少ないのは家の教育方針で、彼は本当のお坊ちゃんだもの」
「悪かったな、ニセモノのお坊ちゃんで」
「もはやお坊ちゃんですらない」
「全くだ」
 金が無くなったことを話題にすると、周平は嬉しそうな顔をする。我が家の没落を喜んでいるように見えるのは気のせいか。
「働き始めてから、たくましくなったよね」
「だと良いんだがな」
「大きくなれよ〜」
「お前に言われるとムカつく」

 銀杏の葉が散って道が黄色く染まる頃、サッちゃんが再び店にやって来た。あいさつをするより前に、俺の胸元にすっと何かを挿し入れる。引っ張って取り出す時に、ことりと床に物が落ちる音がした。
「プレゼント?」
 それは藤色のスカーフだった。
「あげたかったのはこっち」
 サッちゃんは床に落ちた物を拾ってテーブルに置いた。
「え……?」
 丸められた一万円札が輪ゴムで留めてある。広げてみると十枚あった。
「スカーフはご祝儀袋の代わり。使ってくれたら嬉しいけど」
 有名ブランドのマークが入っている。大尽客の寵を得た遊女。芝居や物語では馴染みのある場面だが、いざ自分がその立場になってみると、どうしたら良いのか分からない。
「いやだった?」
「そ、そんなことない。ちょうどお金に困ってて……」
 しまった。そんな話、客にするつもりないんだ。
「そうなの? 一億二億じゃ無理だけど、額によっては出してあげるよ」
「ううん、これで十分!」
「借金?」
 事実を話し始めたら、俺の正体まで全部さらしてしまいそうで怖かった。
「借金はないの。ただね、えーっと…… パパが商売でしくじって、夜逃げしちゃったの」
「パパって、パトロンのこと?」
「ううん、実の父親。それで突如、あたしの細腕で年老いたママを養わなきゃいけなくなったわけ」
 年老いてないし、あんたに養われた覚えもなーい! と怒る母親が見えるようだった。迷惑かけられたのは確かなのだから、ネタにするのは許して欲しい。
「それまでは裕福でね、可愛い服も好きなだけ買ってもらえて、でもパパがいなくなってから一枚も買ってないの」
 買う必要もないくらい、タンスは服でパンパンなのだが。
「だからこのスカーフをもらえて、とっても嬉しい! 宝物にする!」
 これでうまくつながったんじゃないか? どうだろう。
「お父さんはどんな仕事をしていたの?」
「不動産」
「ああ、バブル崩壊で酷い目に遭った人がいっぱいいたらしいね……」
 父親の人柄は訊かないでくれ。俺も知らない。
「サッちゃんのパパは何してるの?」
「医者だよ。商店街の真ん中で開業医してる」
「すごーい」
 サッちゃんは困ったような、誇るような、不思議な笑みを浮かべた。
「父も、伯父も、兄たちも、みんな医者なの。他の生き方を知らないのね」
「立派なことよ。サッちゃんの一族は世界を守ってる。みんなの健康を取り戻して」
「それなら良いんだけど」
 温かいレモンティーを一口飲み、サッちゃんは続けた。
「実家は個人でやってる診療所だから大した検査も出来ないし、重い病気が疑われる患者さんには紹介状を出して、大きな病院へ行ってもらう。でもね」
 寝ているような目が、さらにとろんと溶ける。
「みんな戻って来ちゃうの。『東京まで通うのは面倒だから最期まで先生診てくれよ』って言って。それで死んじゃうの。父の前で」
「ねえ、もしかしてお父さん、サッちゃんと顔が似てるんじゃない?」
 不意を打たれたような表情でこちらを向く。
「そうだよ。瓜二つ」
「絶対そうだと思った! サッちゃんを最初に見た時にね、なんて優しそうな人だろう、仏様みたい、って感じたの。みんなきっと安心しきって天国へ行ったわよ」
「それって良い医者なのかな。励まして闘病させて、長生きさせるべきじゃなかったのかな」
「別に無理して生き続けるほど良い世の中でもないじゃない」
「……それもそうね」
「尊敬出来るお父さんがいて羨ましいわぁ」
「往診も進んでするし、昔気質な人よ。父は患者さんたちの干支を全部覚えてるの。性格が分かって診察の役に立つんだって」
「今で言う血液型占いみたいなものかしら」
 サッちゃんはうなずく。
「佐知子は辰年で本当に良かった。もう少し遅く生まれて巳年になっていたら大変だった。巳年の人は執念深くて、ちょっとのへまも一生忘れない。巳年の患者を診る時にはいつもの何倍も緊張する…… なんて言うの」
 サッちゃんは笑うが、俺はゾッとして笑えなかった。早生まれの克巳は巳年なのだ。
「これって差別よね」
「かつて干支の迷信には無視出来ないほどの影響力があった。丙午みたいに」
「次の丙午には私もヒマになるかな。それともその頃には、血液型しか気にしなくなってるかな」
「何も気にせずのんきに暮らしたいわ」
「本当にね」

 サッちゃんが帰った後、大慌てで社長の部屋へ行った。
「お客さんから十万円もらいました」
「良かったじゃない」
「巻き上げないんですか?」
 社長は机の上のアメを投げた。
「痛っ」
「『マージン取らないんですか』とか、言いようがあるでしょう」
「ああ…… とにかくこのお金はどうすれば」
「帰りにATMへ寄って貯金したら。最近は物騒だし」
「全額自分のものにして良いんですか」
「あなたが受け取ったチップじゃない」
「チップにしては高過ぎます」
 社長は帳簿から顔を上げ、俺を見た。
「まずはアメを舐めて落ち着きなさい」
 ぶつけられたアメを拾うと、ミルキーだった。
「昔働いてたお店がね、チップを半分納めるルールで、それがとっても嫌だったの。やられて嫌なことは人にしないのがあたしの信条」
「でも」
「巻き上げて欲しいの?」
 社長は目を細め、唇だけで笑う。
「十万円分働いたとは…… とても思えなくて」
「葉巻の女でしょ。来店した時には死んだような顔してたのに、生き返ってニコニコして帰ったって、ゆめこが言ってた。立派なもんじゃない」
「一緒に葉巻を吸って、たわいない話をしただけです」
「歳を重ねると、その『たわいない話』をするのが難しくなるの。忙しくなってケチになって、人の話を聞くために時間を割くのが惜しくなる。それでも自分の話は聞いて欲しい。そのジレンマをお金で解決する人たちが、うちみたいなお店の最高のお客になってくれるわけ」
「佐知子さんはケチなんじゃなくて…… 疲れてるんです。朝から晩まで患者の話を聞いて、夜勤もしょっちゅうで、ヘトヘトなんです」
「そしてここに来て元気になって、十万円置いていった。ねえ、あなたが何を気に病んでいるのか、あたしにはちっとも分からないんだけど」
「十万円もらったからには、もっと何かしなきゃいけないんじゃないでしょうか」
「何するの。体でも売るつもり?」
「いえ……」
 佐知子さんが望んでいるのはそんなことじゃない。
「お客は気まぐれに好き勝手なことするんだからさ、いちいち思い詰めていたら身が持たないわよ」
「はい」
「せいぜいがっかりさせないよう頑張ったら。ほんと、顔に似合わずクソ真面目なんだから」
「顔は関係ないです」
 頑張る、というのはずいぶん抽象的な言葉だ。結局どうしたら良いのだろう。
 サッちゃんはその後、ひと月に一度くらいのペースで店に来た。俺を指名し続け、十万円のご祝儀も欠かさなかった。そのおかげもあって、大学院の最初の年の学費はどうにかなりそうだった。
「昨日、卒論提出してきた。これで卒業出来ると思う」
「あらそう。良かったわね」
 母親は俺の勉強の話にほとんど興味を示さない。昔からそうだ。いくら良い成績を取っても褒められたためしがない。母親が俺に求めているのは、もっと別の何かなのだろう。
「そう言えば、大学院の話はどうなったの?」
「行くよ。試験にも合格してる」
「学費出せるわよ」
 俺は母親の顔を見た。
「修士でも博士でも、どこまででも行ったら良いわ。おばあさんになってばったり倒れるまで働くから。悪い男にだまされたと思って、耕一に貢いじゃう」
「ひでぇな……」
 母親にそんな覚悟をさせるとは、落語に出て来るダメな若旦那みたいだ。まあ、似たようなものか。
「一年目の学費は用意してある。二年目以降はどうなるか定かじゃない。もしかしたら借りることになるかもしれない。でも、基本的には自分で出そうって決めてるんだ」
 母親は思わぬものを見つけたような顔で、俺を見上げた。
「遠慮しなくても良いのよ?」
「本来なら就職すべき状況なんだ」
「バッグを五十個売ってお金を作ったのに」
「五十個?」
「あんまり気に入らなくて使ってないものを手放したの。女なら誰でも、三百個はバッグを持っているものよ」
「腕は二本しかないだろ……」
「耕一は男だから分からないでしょうね」
 男か女かの問題か?
「家に生活費を入れる余裕はないと思う。ごめん」
「生活に困ったら、またバッグを売りましょう」
 没落貴族の優雅な微笑みを浮かべて、母は玉露をゆっくり飲み干した。
 卒業式には黒紋付の羽織袴で出席した。女子学生は和装も多かったが、男はスーツか普段着だったのでひどく目立った。すれ違う人がみなこちらを見る。
「女の袴にすれば良かったのに」
 久々に会った克巳が薄笑いで言った。本人は深緑のジャンパー、つまりいつも通りの格好をしている。
「少し考えた。しかしうちは貧乏になったからな、レンタル料が惜しくてやめた」
「女装したらもっと注目されてたかもね」
 周平は新品の、体に馴染んでいないスーツを着ていた。
「ここにいるどんな女より綺麗になる自信があるぞ。不慣れな安っぽい着物を着た女たちは何であんなに醜いんだ」
「そうかなぁ。キャーキャー騒いで楽しそうじゃん。ちょっと羨ましい……」
 克巳は周平と手をつないだまま、袴姿の女子学生の集団を見つめていた。お前こそ女装すれば、という言葉がのど元まで出かかり、ぐっと飲み込んだ。それは克巳にとって、軽く冗談に出来るような話題ではないのだ。
「周平はスーツを着ると大人っぽくなるよね」
「大人というより『おっさん』だろ」
 克巳は俺の茶々を完全に無視し、周平を見上げ、ポタポタ涙を流し始めた。
「一人だけ…… 遠くに行っちゃう…… 周平、周平……」
「別に卒業したって何も変わらないよ〜」
 二人の世界になってしまい、俺は観客になる。俺がいなくなってからやれよ。というより、俺が早くいなくなるべきなのか。
「邪魔者みたいだから俺は帰るぞ」
「えっ、そうなの? もうちょっと話そうよ」
 周平は名残惜しそうにする。克巳の髪が怒りで逆立つのを感じる。ああバカ周平。
「いいじゃん、こんな奴! おれが大事な話をしてるのに! 周平はいっつも七瀬、七瀬って、ムカつくんだよ!」
 卒業式くらい罵倒されずに済ませたかったのに……
「もう会うこともないだろうから腹立てるなよ」
「せっかく仲良くなったんだから、また三人で会おうよ」
「嫌だ! 会いたくないっ」
 俺は羽織の袖でそっと口元を隠し、周平に流し目を送る。
「じゃあ二人っきりでお会いしましょう、周平くん………」
 克巳が目をギラギラさせて俺を睨む。
「いーやーだっ! 絶対ダメッ!」
「な? どうやったって俺はお前たちに会えないんだよ」
「寂しいなぁ」
 克巳は周平を憎しみの目で見る。
「お金持ちになったらうちのお店に来てちょうだい」
「行くもんかっ」
「克巳は大学院なんだから、これまで通り文学部の方へ遊びに来てくれたって良いのよ?」
「行くもんかーっ 周平のいない文学部になんて何の意味もない!」
「ねえ七瀬。克くんも落ち着いたら考えが変わるかもしれないし、また三人で会おうよ。せっかく友達になったんだ」
 周平の声には真心がこもっていて、胸が熱くなったのを、俺はすぐに隠した。
「チワワを説得出来たらな。じゃ、二人とも元気で」
 結局その後、三人で会うことは、二度となかった。
 
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贋オカマと他人の恋愛(その10)

 大学院での研究は自分一人でやって来たことの延長線上にある。お仕着せばかりの中学・高校の学習。それよりマシとはいえ自由の少ない大学の授業と試験。俺の歩む道とは離れ平行に進んでいた学問の道が、ようやくこちらに近付いて来た。
 ゼミの輪講などとは別に、高校時代から記録し続けている観劇ノートをパソコンで打ち直す作業もした。歌舞伎ファンのためのホームページを作るのが目的だ。俺は専門家だけでなく、一般の人たちがどのように歌舞伎を楽しんでいるのかに興味があった。アンケートを取り、ゆくゆくは研究にも活かしたい。人を集めるのにインターネットは金もかからず便利だった。
 オカマバーでも業者に頼んでホームページを作成してもらうことになり、トップ画面に俺の写真を使っても良いかと社長に尋ねられた。
「構いませんよ」
「ここで働いていることが家族や友達にバレて困ったりしない?」
「母親には内緒にしてますけど……」
 オカマとして働いていると知ったら、母親が狂喜乱舞するのは目に見えている。近所の人を集めてツアーを組んで店に来てしまうかもしれない。人と違う、美しい息子を自慢するのが母の最大の喜びなのだ。親孝行も悪くないが、巻き込まれるご近所さんたちに申し訳ない。
「母はパソコンを使えないので、大丈夫だと思います。たとえバレても、田舎から逃げるように出て来た他の子みたいな被害はありません」
「それなら良いんだけど」
 社長は心底心配していたらしく、ホーッと大きく息を吐いた。
「ただし下手な写真だったら撮り直しさせますから」
「は?」
「腕の良いカメラマンにしか撮られたことがないんです」
 日本舞踊の発表会で俺の撮影を担当していた人の名前を告げると、社長は目を剥いた。
「何でそんな有名な写真家なのよ!」
 あごをツンと前に出し、高慢な笑みを作ってみせる。
「あたしを誰だと思ってるの?」
「本当に何者なのよ……」
 俺が子どもの頃、その写真家はまだ駆け出しで、気軽に素人の撮影もしてくれたのだ。有名になった後も呼び続けるために、母親が大枚はたいていたのは想像に難くない。
「没落した成金です、単なる」
「うちはそんなお金かけられない。ゆめこに撮らせようと思ってた」
「せめてプロにお願いしましょうよ。売り上げに響きます」
「すでに予算オーバーで泣いてるのにぃ〜」
 社長が電卓とにらめっこし、営業マンと大ゲンカを繰り返した末に完成したホームページは好評で、明らかに客が増えた。
「ネットに出てるあの子に会いたい!」
 と俺を指名してくれる人も多く、にわかに忙しくなった。研究と仕事。余分なことを一切しない生活は飛ぶように過ぎてゆく。内省の時間が少ないのは気になったが、充実感があり楽しかった。
 予約客のパーティーが終わり部屋を出ると、ゆめこさんが手招きしている。
「何ですか」
「さっき佐知子さんが店に来たの」
 決定的な失敗をとがめられたような感触で、血の気が引いた。
「事情を説明したらすぐ帰っちゃった。挨拶だけさせましょうかって言ったんだけど」
 その日の客は俺を直接指名した上で予約を取っていた。たとえ上客の佐知子さんが来たとしても、長時間部屋を離れる訳にはいかない。
「あの人も予約してくれないかしら」
「予定の立たない仕事なんで、無理だと思います」
「そうよね……」
「もしまた今日みたいなことがあったら、引き止めて俺を呼んでください」
「あんまり意地悪は言いたくないんだけど」
 ゆめこさんは耳元に顔を寄せて囁いた。
「今のあなた、すごーく男っぽくなってるから気をつけてね」
 火が出るほど顔が熱くなった。真っ赤になっているのが自分でも分かる。
「い、いつも通りです……」
 ゆめこさんはニヤリとし、その後何故か寂しげに微笑んだ。
「サッちゃんはナナちゃんの大切なお客様だもの」
 釘を刺されているのだ。分かっている。
 一体の文楽人形が脳内を横切った。あれは……「心中天網島」の小春か。ダメ男の紙屋治兵衛と一緒に死んだ律儀な遊女。俺は小春だろうか、治兵衛だろうか。心中しようと誘ったら、サッちゃんは断るはずだ。自分のためではなく、待合室にずらりと並ぶ腹の中の赤ん坊のために、あの人は生きている。たとえその列の終わりが見えなくても。

 ひと月ほど後、佐知子さんは再び店に来た。俺は他の客の席にいたため、ゆめこさんが気を利かせて交代してくれた。
「あたしナナちゃん。急に二十年経って太っちゃった」
「えー」
 無茶な会話を背中で聞き、足早に佐知子さんのいる部屋へ向かう。
「久しぶり。会えて良かった」
 今までで一番具合の悪そうな顔をして、それでも嬉しそうに俺を見上げる。
「この間はごめんなさい」
「いいの。それよりホームページ見たよ。私のスカーフ、使ってくれてるんだね」
 撮影の時、最初にもらった藤色のスカーフを首に巻いた。この遊女は佐知子さんのものです、という印として。そのことを伝えたかった。でもどうしても上手く口に出せなかった。
「……似合ってた?」
「とっても! 私もナナちゃんみたいに美人だったら、おしゃれを楽しめるのに」
「お洋服を選ぶのは嫌い?」
「無難な服ばかり買っちゃう」
「サッちゃんのように淑やかな人は、洋服より着物が似合うわよ」
「淑やかなんて言われたことない。タレ目だから?」
 そのタレ目をいよいよ細くして、サッちゃんは笑う。
「そうね、ききょうの花を散らした友禅はどうかしら。サッちゃんの優しさと聡明さが引き立つわ。綺麗よ、きっと」
 サッちゃんは表情を失くし、顔を背けた。
「着物は嫌い?」
「そんなことない。素敵だと思う。成人式にしか着たことないけど」
「……ねえ、やっぱりこの間会えなかったこと怒ってる?」
「そんなことない。仕方ないことじゃない。仕事ってそういうものでしょう。ただ」
 その続きをなかなか言ってくれなかった。息苦しい無言の時間が続く。
「サッちゃん?」
「お金で誰かの時間を買うなんて恥ずかしいね」
 音もさせずに、サッちゃんの瞳から涙の粒がこぼれた。
「ごめん。今日の私、おかしい」
「働き過ぎて疲れてるのよ。オカマバーはお客さんが元気になるための場所なんだから、そのために泣いたって笑ったって良いのよ」
「仕事は辛くないんだ。緊張するし忙しいけど、赤ちゃんが産まれてくれば全部報われる。そういう現場に立てることを誇りに思ってる」
 サッちゃんの目から、たぶんさっきとは違う意味の涙が二粒ばかり落ちて、唇に微笑みが戻る。
「原因は私にあるの。最近ね、妊婦さんやお母さんになったばかりの人たちと話していると『上辺は素直に私の話を聞いているけど、心の中で私を軽蔑しているんじゃないか』という気持ちが膨らんで、時々耐え切れなくなる」
「被害妄想」
「分かってる」
「ねえ、働いている病院に精神科もあるんでしょう? 時間見つけて診てもらったら?」
「これは病気じゃない。だから治せない」
 医者にそう断言されてしまうと、素人の俺にはどうしようもない。
「『医者の不養生』とか『紺屋の白袴』とか『坊主の不信心』とか、その手のことわざがいっぱいあるじゃない。よく起こることなのよ」
「坊主の不信心」
 サッちゃんは笑いながら俺の首筋を撫でて、すぐに手を引っ込めた。
「私は医学を信じてないのかもしれないね」
 
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贋オカマと他人の恋愛(その11)

 ゆめこさんはこの店の隠れた有名人だ。よく当たる占い師、どんな重たい内容の相談でも受け付ける市井のカウンセラーとして、口コミで評判が広まった。客が客を呼んでくる。店のホームページにはゆめこさんの情報をあえて出していない。悩み事を抱えた客が殺到して、ゆめこさんの負担が増えるのを社長は心配していた。何しろゆめこさんは、社長を含めた社員全員の相談役でもあったのだから。
「精神病のお客をどうするか?」
「まだ確定じゃないんです。精神科へ行くよう勧めても、病気じゃないって言い張って」
「サッちゃんでしょ? あの人、病気じゃないわよ」
 ゆめこさんは「お医者様でも草津の湯でも」と適当なメロディーで歌って腰を振る。
「からかわないでください。妄想の症状が出てるんです。悪化すると『智恵子抄』の智恵子みたいになってしまうんじゃないですか」
「高村光太郎。美しいわねぇ…… 悪いけど、本当の精神病はあんなにロマンティックじゃないから」
「見たことあるんですか」
「常連客の九割が精神安定剤を飲んでる」
「ほとんど精神科医じゃないですか」
 噂にたがわぬ深刻さに、度肝を抜かれる。
「あたしが説得して病院に通わせてる人もいるもの。医者もたまには紹介料払って欲しいわー」
「説得はどうやって」
「さっきも言ったように、サッちゃんは病気じゃないから説得しても無駄よ。あの人の心は人一倍強靱。自分が今どんな状況にあって、問題を解決するために何をしたら良いか、ちゃんと自分で考えて実行出来る」
「そんな風に見えないです」
 ゆめこさんは慈悲深い顔になり、背伸びして俺の頭を撫でた。
「うわっ カツラ取れますから!」
「だってぇ〜 可愛いんだものー」
 他の客の前で馬鹿騒ぎしている時も、学校の図書館に籠もり資料を漁っている時も、佐知子さんのことが頭から離れなかった。俺は佐知子さんに何をしてあげられるのだろう。一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、佐知子さんは店に現れなかった。俺が思えば思うほど、二人の距離は遠くなるようだった。
 学校も仕事も休みのある日、自室で短いレポートをまとめている最中に、母親が俺を呼んだ。
「辻堂くんから電話よ」
「辻堂?」
 ゼミにそんな名前の奴はいない。オカマバーで働いている誰かの本名だろうか。十秒ほど悩んだ末、それが克巳の苗字であることを思い出した。周平ならともかく、克巳? 訝しみながら受話器を耳に当てると、聞こえて来たのは泣き声だった。
「七瀬くん? 周平が……周平が……」
「何だ! 周平死んだのか!」
「違う、死んでない。生きてるけど……浮気……」
「周平が浮気したのか」
 アホらしい。犬も食わない痴話げんかか。俺は克巳が勝手にやきもちを焼いているのだろうと解釈した。
「違う。おれが……浮気して……」
「はぁぁぁぁ?」
 叫び声のような大声を出してしまって、母親ががらりと戸を開ける。
「何ごと?」
「すまん、何でもない」
 受話器の向こうの訳の分からない男は、ずっとしゃくり上げている。
「何で浮気なんかしたんだよ!」
 泣き声が激しくなるばかりで、答えない。
「切るぞ」
「切らないで! 会って、話して……お願い……」
 女みたいなか細い声で繰り返し懇願され、俺は大学近くのファミリーレストランを待ち合わせ場所に指定した。机の上に広げた資料をカバンに突っ込み、家を出る。浮気? 克巳が? はたで見ていて異様なほど、一途だったのに。気が付けば大学卒業から一年近く経っている。電車の中でレポートの続きを書きながら、幸せそうに体を寄せ合う克巳と周平を思い出していた。
 レストランの入り口に立つ克巳は、卒業式と同じジャンパーを着てうつむいていた。茶色い髪がにわか雨に濡れてぐしゃぐしゃになっている。
「克巳」
 俺を見るなり克巳は、その場でへたり込んで泣き出した。
「こんな所で座るな! とりあえず店に入れ!」
 克巳の腕を引っ張り、不審がる店員の視線を気にしないようにして、コーヒーを二つ頼んだ。席に座ってしばらくの間、克巳は何も言わずに泣き続けた。鼻水が垂れて困っている様子だったから、ポケットティッシュを渡した。
「あ……りがどう」
「俺に何の用だ。忙しいんだよ。泣いてるお前を眺め続けるヒマはない」
 傷ついている人間に対して、もっと別の言い方もあるだろうに。改めて自分が嫌いになった。
「ごめん。……周平に電話をかけて欲しい」
「俺が?」
 克巳はこくんとうなずく。
「何でだよ」
「おれが浮気して……周平怒って……電話に出てくれなくなった」
「そりゃそうだろう」
 克巳の目から絶え間なく涙が流れ出る。優しくしたいと思うのに、キツい言葉でいじめ抜きたいという気持ちが抑えられない。ああ、俺はこいつに腹を立てているんだ。冷静になろう。何か事情があるのかもしれない。
「落ち着いて最初から話せ。黙って聞いてるから」
「ホテルで男とセックスしている時に、周平から電話がかかってきた」
 いきなり生々しいな、とツッコミたいのを我慢する。
「携帯を、そいつが、取って…… おれが代わったら、すぐ切れた。その後いくら電話をかけても出てくれない」
 他人の携帯に簡単に出たりするものだろうか。ゼミの学生も職場のオカマたちも、財布と同じかそれ以上に、携帯電話を大事にしている。他人の財布は勝手に開けない。携帯も、自分以外の人間にはむやみにいじらせない印象がある。浮気の理由も言わないし、克巳の話はちぐはぐだった。
「おれがかけてももうダメだから。七瀬くんなら大丈夫でしょう?」
「電話で周平に何て言えば良いんだ」
「ごめんなさいって。許して欲しいって」
 許すか? という感想も飲み込む。周平は克巳を信じていた。どこを叩いても壊れないくらい完璧に信じていた。俺まで一緒に克巳を信じてしまうほどに。信用ならない奴だったんだ、最初から。
 それにしても、何故こいつはこんなにぎゃんぎゃん泣いているのだろう。周平が浮気したならともかく、自分で浮気しておいて。俺は克巳の痩せた小さな体を見つめ、ハッとした。
「まさかお前、無理やりやられたんじゃないだろうな」
 克巳は大きく首を振った。
「おれが『やろう』って言って誘った」
 頼もしく感じるくらい、きっぱり言い切る。いや、そんなところで頼もしくなられても。
「周平ってさ、セックスがワンパターンなんだ」
「俺にそんな話するな」
 周平はセックスの内容なんて俺に聞かれたくないだろう。逆の立場だったら絶対に嫌だ。克巳は制止など無かったように話し続けようとする。言葉で殴るつもりで言ってやった。
「じゃああれか、周平のセックスに飽きて浮気したのか」
「違う……違う!」
 克巳は両手で顔を覆い、再び泣き始めた。
「おれたち、一度もセックスなんてしなかったのかもしれない」

 何なんだ。何なんだよ。周平と克巳がケンカしようがセックスしようがちんちんかもかもだろうがどうでもいいんだ。俺には何の関係もない。せっかくの休日が台無しじゃないか。頭の中で暴れる雑念を振り払い、帰りの電車でレポートを書き上げる。バカ克巳。セックス、セックスって破廉恥なのよ!
 公衆電話からかけると拒否されるというので、自宅の電話から周平に連絡を取ることになっていた。克巳に頼まれた伝言よりも、いったい何があったのか周平に説明してもらいたかった。
 母親と食事をした後、電話の前に立って周平の携帯の番号を回す。呼び出し音が数回鳴った。
「七瀬?」
「おお、よく分かったな」
「番号登録してあるから…… どうしたの?」
「実は克巳がな」
 何の断りも前触れもなく、通話は切れた。それから何度かけてもつながらない。これが着信拒否というものかと、しんと静かな心で思った。
「すまん。俺もつながらなくなった」
「えっ……」
 携帯電話の雑音を挟み、俺と克巳は沈黙する。
「どうして?」
「お前の名前を出した途端に切られた」
 克巳の呼吸は荒く、震えていた。
「巻き込んじゃってごめん。ありがとう」
 俺が返事をする前に、克巳は通話を切った。不安か不満か、モヤモヤした気持ちが胸に湧き、克巳の携帯にかけ直した。
「何?」
「お前は着信拒否するなよ」
「しないよ。する理由無いし」
「すげえムカつくな、着信拒否。だんだん腹立ってきた。俺は問答無用というのが一番嫌いなんだ」
「周平のこと怒らないであげて。おれが全部悪いんだ。周平は七瀬くんのこと大好きだよ。尊敬してるっていつも言ってた」
「これが尊敬する相手にやる仕打ちかよ」
「周平のこと許してあげて。お願い……」
「分かった」
「本当に、本当に、ごめんね」
 電話を切る時、また克巳は泣いていた。
 寝床に入って目を閉じても、脳は頑として休もうとしない。全く意味不明の一日だった。疲れた。ほんの十秒ほどの電話で、友達を……親友を失ったのだ。俺はどうすれば良かったのだろう。
 周平とは大学を卒業してから一度も連絡を取らなかったし、そのまま音信不通になってもおかしくなかった。四年限りの縁だったと思えば、拒絶の痛みも多少和らぐのではないか。俺は薄情者だ。俺は薄情者だ。俺は薄情者だ。祈りの言葉のように繰り返し唱える。
「お前、いい奴だなぁ!」
「気付くのが遅いよね」
 あんな風に遠慮なく話せる奴は他にいない。俺のマニアックで長ったらしい話を、興味深そうに聞いてくれる奴も他にいない。
 克巳はどうして浮気なんかしたんだ。その挙句、失恋女みたいに泣きわめいて。自業自得だ。克巳を軽蔑すれば済む話なのに、俺にはそれが出来なかった。
 釈然としない思いを抱えたまま、忙しい日々に戻る。俺は桜のつぼみを毎日見上げた。冷たい空気にさらされながら、ゆっくりと確実に丸みを帯びてゆく。大学受験を控えた冬にも、よくこうして桜が咲くのを待っていた。不可解な世界を憎み、それでも何かを期待して。
 あの頃、学び続ければ何かをつかめる気がしていた。けれども実際は、学べば学ぶほど、本を読めば読むほど、人と会えば会うほど、分からないことが増えてゆく。答えのページの無い問題集を心にたんまり溜めて死ぬのかと思うと、やるせなかった。
「悩みでもあるの?」
「さすがお医者さんは鋭いわね」
 長いこと御無沙汰だったサッちゃんが店に来てくれたというのに、明るく振る舞えない。他の客の前では隠せる本心が、サッちゃんを前にするとあえなく漏れてしまう。絶対に知られてはいけないものを慎重により分けて、本当の話をしようと決めた。
「友達にね、着信拒否されたの」
「ケンカ?」
「違うのよ! その子もオカマなんだけど! オカマとオカマの争いに巻き込まれて!」
「何だか大変そうねぇ」
「オカマAが泣いてるから、ついあたしはその子の味方をしちゃって、そうしたらオカマBが機嫌損ねて、あたしとの連絡も絶っちゃったわけ」
「ナナちゃんは何も悪いことしてないんだ」
「そうよっ!」
「ただちょっとお節介だった」
 俺はサッちゃんの顔を見た。患者の相談を聞く医者の表情だった。
「ごめんなさい。お客さんの話を聞くのがあたしの仕事なのに、愚痴をこぼしたりして」
「ううん、ナナちゃんのプライベートな話が聞けて嬉しい。オカマのAさんとBさんが羨ましいな」
「えっ…… 何で?」
「ナナちゃんに愛されてるから」
 サッちゃんは下を向き、ストローの袋を結びながら言った。
「そんなことないわよ! あんな恩知らずよりサッちゃんの方がずっと大事!」
「どうかな」
 声に責めるような響きがあった。しかしすぐ、いつものとろける微笑みを浮かべてこちらを向く。
「ごめん。私も愚痴っぽくなっちゃった。これでおあいこ」
「……ねえ、近松門左衛門は知ってる?」
 サッちゃんは目をまん丸にした。これまで見た中で最も大きい。
「急に何?」
「知らないならいいんだけど……」
「ううん、高校の時に暗記した覚えがある。文学史だな。……江戸時代の小説家?」
「脚本家の方が近いわね。近松は遊女とお客が心中する話をよく書いたの。『曾根崎心中』『冥途の飛脚』『心中天網島』」
「曾根崎心中は聞いたことあるかも」
「あたし、この仕事を始めるまで、遊女がどうして心中に応じるのか理解出来なかったの。だって、お客とはお金でつながっているだけでしょう?」
 お金という単語に反応してサッちゃんは涙ぐむ。その手を両手で強く握った。
「実際はそうじゃないのよ。お客さんに選んでもらうと、遊女も幸せになるの。もちろん心に染まない相手じゃ嫌だろうけど、素敵だなと思う人がわざわざお金を払って自分の所に通ってくれたら、情が湧くわ」
 サッちゃんは顔をそらして言う。
「ナナちゃんも私に選ばれて幸せだった?」
「幸せよ。どんな言葉で表現したらいいか分からないくらいに」
 二人の視線が合う。怖がらせたくなくて、でも真剣に見つめることしか出来なかった。
「遊ぶのって難しいね」
 一番大切な客にこんなことを言わせる俺は最低だと思った。社長がもし見ていたら何をぶつけられるか知れたものじゃない。いや、クビにされる。
 落ち目のお笑い芸人のように悲壮な気持ちで、別の話題を探した。
「ねえ、サッちゃんはバッグをいくつ持ってる?」
「バッグ? こういうの?」
 サッちゃんはわきに置いてある黒い大きなカバンを軽く叩いた。
「知り合いの女が『女なら誰でも、三百個はバッグを持っている』って言うの。本当かしらと思って」
 サッちゃんはようやく少し笑った。
「私はこれ一個しか持ってない。中身を移すのが面倒でしょ? 学会誌とか専門書でいつもパンパンだから」
「あたしと一緒!」
「……え?」
 学会誌を持ち歩くオカマは可愛くないな。えーと。
「雑誌とか恋愛小説がいっぱい入ってるの。出先で読むものが無くなったらと思うと心配で、つい何冊も詰め込んじゃう」
「分かる〜」
 二人で手を取り合って喜んだ。
「私たち、似ているのかもしれないね」
 見送りの時に、小さな声で甘えた。
「次は間を空けないで来てね」
 サッちゃんはこちらを見ずに早口で言った。
「私、四月から長野の病院で働くことになってるんだ。だからもう来られない」
 そして新宿の街に駆け出し、消えた。

**********
「お医者様でも草津の湯でも」
 は「草津節」からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:57| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛(その12)

 俺の顔は母親に全く似ていない。高級ブティックで流行りの服を選ぶように、いつかどこかで見目麗しい男とセックスしたのだろう。俺には関係のない話だ。
 もし醜く生まれていたら、おばちゃん以外に全くモテない、つまり誰にも恋愛対象にされないことを、顔のせいに出来たはずだ。外見を褒められるたび、中身に何の価値も無いことを思い知らされたりせずに。
 サッちゃんは本当に長野へ行くのだろうか。俺がただの男だということに気付いて、気持ち悪くなったのかもしれない。馴れ馴れしく手を握ったりして。触れたくてたまらなかった。指先に、まだサッちゃんの感触が残っている。
 いくら疑っても、サッちゃんが二度と店に来ないことには変わりがない。彼女の言葉をそのまま信じよう。都会の喧噪と汚れた空気を逃れて、今よりずっと健康的に仕事をするのだ。待合室の窓からは深い緑の木々と、山桜が眺められる。サッちゃんは幸せになる。幸せになる。
 長野にもオカマバーはあるのだろうか。りんごのほっぺをした純情なオカマに、またスカーフを贈るのだろうか。
 俺はそいつの細い首を力いっぱい絞めた。十人殺しても二十人殺しても足りなかった。
 俺はサッちゃんの幸せを願っている。
 俺以外の前で幸せにならないで欲しい。
 サッちゃんは勘の良い人だ。俺の中身の汚さを、とうに見抜いていただろう。離れていって当然だ。
 自分の不手際で上客を失ったことを社長に謝りに行った。消しゴムかボールペンでも投げつけられるかと思ったのに、それを望んでいたのに、社長はただ一言、
「そう」
 と言った。責めも慰めもしなかった。ゆめこさんの反応もだいたい同じだった。
「桜も咲いていることだし、たまには美味しいものでも食べに行きましょう」
 社長は俺とゆめこさんを、八丁堀のうなぎ屋へ連れていってくれた。何故わざわざ新宿から遠いビジネス街に飯を食いに行かねばならないのかと不審に思ったが、確かにその店のうな重は極上だった。
「こんなに美味しいのを食べたら、近所のうなぎ屋なんて入れなくなるでしょう」
 社長は優しく笑って、小指を立てた手で口元を隠し、楊枝を使った。客のほとんどが仕立ての良い背広を着た白髪の紳士で、俺たち三人は男装(?)していても浮いていた。
 今年の桜は色が薄く、散る花びらが雪に見えて混乱する。春の明るい日差しの中で踊る鷺娘。地獄の責め苦。
 春休みが終わり、大学に学生たちが戻ってきて、やっと俺は自分の本業を思い出した。金を稼ぐことだけが本業ではない。自分に価値が無いことなんて大昔に気付いていたんだ。だからこそ努力で知識やものの見方を身に付ける研究者の道を選んだ。俺自身は空疎でも構わない。自分の外側にある素晴らしいものを見つけ、見つめ、解析し、言葉にするのが俺の仕事だ。
 サッちゃん。

 克巳から連絡があったのは、桜の季節とゴールデンウイークが終わり、梅雨入りのニュースが流れてしばらく経った後だった。湿気を含んだ空気が重く鬱陶しい。
 前と同じファミリーレストランの入り口に立つ克巳を見て、背中から首筋に寒気が走った。もともと痩せていた体がさらに痩せ、骨に皮をかぶせたようだ。骸骨が透けて見える。
「七瀬くん」
 落ちくぼんだ目の下には黒いくま。光を失ってどこを向いているか分からない瞳。顔も体も別人だった。しかし今日は泣いてはいない。
「あの後、周平の家へ行ったんだ」
 席に案内され、克巳は話し始めた。
「周平が会社から帰って来るまで、近くで待ち伏せしてた。九時か十時か、すごく遅くに周平は来て……おれ追いすがったんだ」
 ストーカーだな、と思うが言わない。アイスコーヒーを飲みながら黙って聞く。
「『ごめんなさい、許して』って言っても、周平はこっちを見ないで、おれなんていないみたいに真っ直ぐ歩いて行っちゃうんだ。『周平、周平』って何度呼びかけても振り向きもしない」
「それは酷いな」
 無視される辛さは着信拒否で十分味わった。浮気に怒っているなら、その旨をきちんと伝えるべきではないか。つい俺は克巳の味方をしてしまう。
「そのままアパートの部屋に入っちゃって…… おれドアをドンドン叩いて泣き叫んだ。『もう迷惑かけないから出て来て』って」
「迷惑だな」
 克巳は今日初めて笑った。ガリガリで全然綺麗じゃなくなったのに、周平と仲良くしていた頃より女っぽく見える。交通事故か何かで突然命を奪われ、自分が死んだことに気付いてない女の幽霊みたいだ。
「矛盾してるよね。夜中にさ、大声で『迷惑かけない』って…… こんな奴、無視されて当然だなと思って、急に醒めたんだ。今まで見えなかった色んなことが見えてきて…… おれがいない方が、周平は幸せになるって、分かった」
 死んだ瞳から無感動に涙が流れ落ちる。
「周平はね、翻訳家になりたかったんだよ」
 初耳だった。夢の話なんて一度もしなかったが、確かに周平は外国語が好きだったし得意だった。
「そのために留学しようとしてたんだけど……おれがやめさせたんだ。行っちゃダメだって言って泣きわめいてパンフレットをびりびりに破いて手が血まみれになって……『僕はどこにも行かない』って周平……」
 克巳は顔に手を当てて本格的に泣き始める。
「おれは周平の人生を滅茶苦茶にしたんだ」
「滅茶苦茶ってほどでもないだろう」
 文学部では就職先が決まらないまま卒業する奴も多かった。周平は大企業の正社員になり、堅実に勤め続けている。オカマに身をやつして学者を目指す俺より、世間的に見ればよほど成功者だ。
「留学のことだけじゃない。他にも色々……」
 克巳はしゃくり上げ、当分泣きやみそうになかった。
「お前、ずいぶん痩せたけど…… 飯食ってるのか?」
「食べてない」
「少し食べた方が良い」
 メニューを渡そうとしても、克巳は首を振る。
「食べたくない」
「でもそのままじゃ……」
 死ぬぞ。
 俺の危機感が伝わったらしく、克巳は釈明し始めた。
「母親がおかゆを作ってくれる」
「ここの店の料理じゃ胃にもたれそうだもんな」
 こいつは今、普通じゃないんだ。病人みたいなものなんだ。
「周平に無視された日から、食べられなくなって、眠れなくなった。生きていくためにやらなきゃいけない当たり前のことが、全部出来なくなっちゃって……」
 克巳はどことも知れない一点に視線を固定したまま、動かなくなった。
「おい!」
 何故七瀬くんが目の前にいるのだろう? と不思議がるような顔で俺を見る。
「ああ、ごめん」
「大丈夫か?」
「おれ、心配してあれこれ言ってくる母親を…… 殴りそうになった」
 克巳の親を見たことはないが、何となく想像はついた。真面目で教育熱心で、ちょっと過保護な普通の母親。うちの親みたいな変人じゃないのは確かだ。
「殴りそうになっただけで、実際には殴らなかったんだな?」
「うん。手の甲に爪を立てて我慢した」
「じゃあ良かったじゃないか」
「……うん」
 克巳はまたぼんやりする。壊れた人間と話すのはなかなかやっかいだ。
「七瀬くん」
「ん?」
「着物を作ってくれてありがとう」
「は?」
「みんなで歌舞伎を見に行った時の」
「分かるよ。亀甲柄の泥大島だろ」
「眠れないし、起きても頭は寝てるみたいだし、どうしたら良いか分からなくて引き出しの鉛筆を折ったりしてたんだけど、あっ、て思い出したんだ。周平とおそろいの着物」
 克巳は骸骨の微笑みをこちらに向ける。
「周平の着物を体にかけて目を瞑ったら、ようやく眠れたんだ。おれを無視する周平じゃなくて、優しい周平を思い出せた」
「周平の着物?」
「クリーニングの後に交換したんだ。別れるなんて思わなかったから、着たい時にまた持ち寄るつもりで」
「二人ともサイズ違いを持ってるのか!」
「そう」
「着られないじゃん。もったいないなー 郵送で交換し直せば?」
「いやだっ!」
 克巳は店内中に響く大声で叫んだ。怯えて、顔をぶるぶる震わせている。
「周平の匂いが残ってるわけでもあるまいし」
「あの着物は命綱なんだよ。布団代わりに使うようなものじゃないのは分かってる」
 克巳はすまなそうに俺を見上げて言った。
「許して」
「許すも何も、あの着物はやった物だ。周平がどう思ってるかは知らんが、俺に何か言う権利はない」
「あの日、幸せだったね」
 克巳は目を細め、頬を赤くした。
「頭の中で千回くらい再生したよ」
 店を出ても、克巳は帰ろうとしなかった。俺の服の袖をつかんですすり泣く。
「寂しい。七瀬くん、寂しい」
 どうしたものかと迷ったが、俺は仕方なく克巳を抱き締めた。小さく細く、あわれな体だった。俺の胸に顔をうずめて嗚咽する、その揺れが、肌に直接伝わってくる。こんな風に他人の体に触れたのは初めてだった。
 周平ならもっと上手くやるだろう。
「気持ち悪かったでしょ。ごめんなさい」
「気持ち悪くなんてない!」
 俺の言葉を聞いたのか、聞かなかったのか。克巳は駅の方向に走り去った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:56| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする