2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その11)

「私の性愛の対象は少年だ。
 特に制服を着た中学生、高校生を見ると、毎年歳の差が離れていくにもかかわらず、むしろ離れれば離れるほど、彼らは不可侵の神聖な存在として、私の背徳の扉をノックする。
 彼らは本質的には聖なる者ではなく、日々の不愉快と闘い、将来に不安を抱く未熟な大人に過ぎないのだろう。
 彼らを神にしているのは私の中の後悔だ。自らの性的欲求を封じ、自己憐憫の中毒のようになって、恋愛だけでなく友情にまで背を向けた頑愚な私。
 やわらかな少年であるうちに、傷付くことなど怖れずに、私は誰かを愛するべきだったのだ。たとえ叶わぬ恋であっても、そのあたたかみがもしあれば、心がこんな形で固まってしまうことも避けられたかもしれない。
 私は幻想の中で少年と交わる。
 その時私も少年になっている。
 少年時代を生き直すことが、不可能な試みであることを知りながら」

 回りくどい言い方してるけど「制服の男子を思い浮かべて一人エッチをしています」ってことだよね。僕はいつも適当に翻訳しながら光一のブログを読んだ。
 僕がこんな危ない(そしてけっこう痛々しい)おじさんと知り合ってしまったのは、高二の時の夏休みの宿題のせいだ。「中勘助の『銀の匙』を読んで千字以上の感想文を書け」というもの。僕は進路を私立理系と決めていたから、受験に使わない科目の宿題というだけでうんざりしていた。さらに悪いことに、僕はこの本の面白さがちっとも分からなくて、十ページも進まないうちに文字を追うのが苦痛になった。
 ネットで検索して誰かの感想を切り貼りしよう。そうやってたどり着いたのが光一のブログだった。光一は「銀の匙」に思い入れがあるらしく、ダラダラと長い意見を書いていた。この話に対してそんなに言うことがあるのかと、感心するよりあきれてしまった。
 さて、どこを使おう。読みにくい文章を拾い読みしているうちに「銀の匙」の次の記事が「少年」というタイトルであることに気付いた。開けてみると「私の性愛の対象は少年だ」で始まっている。当然、退屈な本の話より興味を引かれた。
 制服の男子が好きということは、僕を見ても興奮するのかな。不思議と気持ち悪いとは思わなかった。直接会ってからかってみたい。「こーいち」の文章から弱い大人を想像し、何があっても勝てる気がした。
 僕は「銀の匙」の記事にコメントを残した。

 高校の夏休みの宿題で「銀の匙」の感想を書かなくてはいけなくて、すごく困っていました。こーいちさんの論文を使わせてもらおうと思います。ありがとうございました。

 何も言わずに借用することも出来たけれど、こうすればこーいちが喜ぶと思ったのだ。
 その日は文章を上手くまとめられず、次の日に再び記事を見てみると、こーいちの返事があった。

 読書感想文が苦手な人は多いみたいだね。私は頼まれてもいないのにこんな文章を書き続けている人間だから、作文の宿題で困ったことはないけれど。
 ところで君は「銀の匙」を読んだのかな?

 僕は素直に答えた。

 読んでないです。全然面白くなかったから。

 それに対してこーいちは長いコメントをくれた。

 面白くなかった、というのは立派な感想だと思うよ! 人生は短く、学生の日々は宝石よりも貴重なのだから、面白くない本を読んで時間を無駄にする必要はない。君の判断は賢明だ。
 けれども「面白くなかったです」とだけ書いて提出したら、先生は宿題をやったとは認めてくれないのだろうね(何故だろう? これ以上正しい感想はないのに!)
 何か良い案はないかと考えてみた。
「銀の匙は面白くなかったので、別の本を読んでみました」
 と、自分の好きな小説の感想を書いてしまうのはどうかな? 先生は苦笑はしても怒りはしないと思う。これで君の国語の成績が悪くなってしまったら申し訳ないけれど。

 好きな小説。何かあったかな。漫画なら数え切れないくらいあるのに…… あ。僕はトイレで読んだ本を思い出した。
 うちのトイレにはいつも必ず古い文庫本が一冊置いてある。「トニオ・クレエゲル」「車輪の下」「若きウェルテルの悩み」等々。父親が若い頃に読んでいた本だ。ドイツ語が使えるようになって日本語版はいらなくなり、トイレに長居する時に雑誌みたいにパラパラめくっているのだと思う。
 どの本もタイトルと一ページ目しか読まなかったけど、カフカの「変身」という小説だけは最後まで読んだ。主人公の虫が可愛かったから。
 僕は虫になっていると同時に、外側からも虫を見ている。虫がドアの鍵を口にくわえてケガをして体液をポタポタ落とした時、僕の口も痛くなったし、
「鍵は僕が開けてあげるよ」
 と言って虫の背中をぎゅーっと抱きしめてあげたくもなった。虫の可愛さを中からも外からも満喫出来るのが楽しい。読み終えた後、体に「虫っぽさ」が残るのも得した感じがする。
 そんな内容で書いていったら簡単に千字を超えた。これで一つ宿題が終わったとホッとした。
posted by 柳屋文芸堂 at 10:42| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする

翼交わして濡るる夜は(その12)

 言われた通りのやり方で感想を書いたと伝えると、こーいちは読みたいと言ってメールアドレスを教えてくれた。文書ファイルを送信すると、こーいちから情熱的な返事が届いた。

 君には文才がある!

 文才なんてある訳ない。こーいちに文才が無さ過ぎるだけだよ。そうため息をついた後で、僕は褒め言葉の本当の意味に気付いた。
 光一(メールの署名は本名の坂倉光一だった)は僕に気に入られたいんだ。何しろ僕は「憧れの男子高校生」だから。実物の僕を見せてあげたいな。

 九州に来る予定はありますか?

 と聞いてみた。すると、

 来るも何も、住んでいるよ。福岡です。

 福岡と言うから「福岡市」かと思ったら大牟田だった。僕のいる街から車で一時間ほどの場所だ。僕は熊本に住んでいることを伝え、

 光一さんに直接会って、お話したいです。

 と言った。光一は快諾し、週末に熊本市内まで来てくれることになった。
 制服で行った方が良いかな。登校日でもないのに不自然だ。僕はバックベアードがプリントされた黒いTシャツとジーンズで、光一が指定した観光客向けの高級焼肉店に向かった。入り口で僕は何も言わなかったのに、個室に通された。
「翼くん?」
「はい」
 淡いピンクのワイシャツを着て、眼鏡をかけたおじさんがテーブルの奥に座っている。光一は想像していたより体が大きく、特に肩幅が広かった。座高からいって背も割と高そうだ。
「サッカー部?」
「いえ」
「君の歳だと『キャプテン翼』は知らないか……」
「名前は知ってますけど、読んだことはないです」
「僕が学生だった頃にちょうど流行っていてね。野球よりサッカーをやる子が多かったよ」
 光一が「私」ではなく「僕」を使ったので、あれ? と思った。
「翼くんは、球技では何が好き?」
「球技は家で禁止されているんです」
 光一は驚いたらしく、そのまま固まってしまった。
「ピアノを弾くから。母が嫌がるんです。直接ボールを触らなくても、飛んできて手にぶつかったらと思うと、心配で貧血起こすって」
「じゃあきっと君は、ピアノがすごく上手いんだろうね」
 僕は首を振った。
「お姉ちゃんの方がずっと上手いです。僕はただ楽しく弾いているだけで、そんなに努力しないから」
 光一は微笑んだ。これまでの交流で抱いていた「弱そうな人」という印象は、この時に「優しそうな人」へと変化した。
「楽しんで弾いているなら何よりだ。やりたいことを我慢してピアノの練習をさせられているんじゃなくて良かった」
「やりたいことは我慢しないです。絶対に」
「読みたくない本は読まない」
「会いたい人には会う」
 僕は光一の目をじっと見つめ、意味ありげに笑ってみせた。光一は視線をそらし、この店のメニューを説明し始めた。
「これで良いかな?」
 光一は一番高いコースを指差す。
「これだと肉ばっかりですね」
「ここは焼肉屋だから」
「もっと野菜を食べたいです」
「ごめんね、肉嫌いだった?」
「野菜と肉を一緒に食べるのが好きなんです。うちでいつもそうしているから」
 光一は少し考えて、コースをやめて単品でキムチとサラダと野菜の盛り合わせを頼んでくれた。もちろんカルビやハラミやタンも。
「熊本は肉も野菜も米も美味しくて素晴らしい場所だ」
 光一は熱々の脂のしみ出た焼肉をタレにつけて頬張り、左手に持った大盛りのご飯をかっ込んだ。僕は肉よりカボチャを食べた。遠慮したのではなく、焼いたカボチャはお菓子みたいで美味しいから。
「高校生は肉が好きだろうと思ってこの店を選んだのだけど、僕の方がいっぱい食べてるね」
「肉より甘いものが好きです。でも肉も嫌いじゃないですよ」
 知らないおじさんと二人きりで焼肉を食べている。自分が置かれた奇妙な状況にまだ慣れない。この個室だけが現実世界を離れ、空中に浮かんでいるようだ。
「ああ、美味しかった」
 光一は食事を終えると、膨らんだお腹を満足そうにさすった。僕はデザートに、エスプレッソコーヒーがかかったバニラアイスを食べた。
 食後は大牟田の方に向かってドライブすることになった。光一の車は軽自動車みたいに小さくて、真っ赤だった。女の子が好みそうなデザインだと思った。
 僕は助手席に座ってすぐに寝てしまった。車が動いてないのに気付いて目を覚ますと、フロントガラスの前に広がっているのは道路ではなく、海だった。
「おはよう」
「僕、どれくらい寝てました?」
「だいたい一時間かな。この少し先が福岡との県境だよ」
 車から降りて砂浜に立つと、湿って重たい海風が全身に当たる。
「人、いないですね」
「このあたりは浅くて泳げないから。今日は天気もあまり良くないし」
 光一が波打ち際の方に歩いていったので、僕もついていく。
「晴れた日に見せたかったな。僕は曇りの日のこの風景も好きだけど」
 小さな波が寄せて返すだけの、何の変哲もない海だ。そんな風景より光一に興味があった。遠くを見つめて立ち尽くす光一の背中に、僕は抱きついた。まるで僕の体がはまるのを待っていたかのように、ちょうど良い形でくぼんでいる。腰をぎゅっと押し付けると、冷房で冷えた体が温まった。
 光一は僕の腕をほどいてこちらを向いた。僕たちは何も言わずに見つめ合った。
「ごめん」
「嫌でしたか?」
「そんなことない。人に触れられることがあまりないから……」
 足元まで来た波をよけようとして、光一は転びそうになった。腕をつかんで助ける。
「上手く歩けない」
「大丈夫ですか?」
「動揺してる。ものすごく」
 光一はその場でしゃがみ込み、頭を抱えてつぶやいた。
「不純な気持ちになってしまったんだ。君は僕を軽蔑していい」
「不純な気持ちって?」
「胸がドキドキした」
 光一の深刻な声が可笑しくて、笑ってしまった。
「ドキドキするのは不純ですか?」
「僕はゲイなんだ」
「僕もですよ?」
 光一は僕を見上げる。眼鏡の奥の目が潤んでいた。
「分かっていてやったの?」
「光一さんが喜ぶかと思って」
 光一は立ち上がり、眼鏡を外してハンカチで拭いた。崩れた前髪がおでこにかかり、別人みたいに子供っぽく見える。その時に僕は「この子を守りたい」と思った。光一は僕よりずっと年上なのに。色んな価値観がひっくり返ってゆく。
「ブログ、銀の匙の感想以外も読んだんだ」
「全部読みました」
「全部?」
 光一は眼鏡をかけ直して目を丸くする。
「同性愛を嫌う文章が多くて悲しかった。僕まで否定された気分になりました」
 光一は首を振る。
「否定しているのは同性愛ではなく、僕自身だ」
「同じことですよ」
 光一の黒目をにらむ。おびえて泣きそうになっている。やっぱりこの人は弱い大人、大人のふりをしている子供なんだ。
「そんなに悪いことですか?」
「自然に反してる」
 僕は大笑いして、目じりの涙をぬぐいながら言った。
「じゃあこれから僕は、自然に則したことをしますね」
 背伸びして光一の唇に自分の口を押し付け、歯を開かせて舌を入れた。同時にズボンの中に右手を突っ込む。そんなことをするのは初めてだったけれど、光一が無抵抗だったから割と上手くいった。
 光一のを触りながら口だけ離す。
「これが僕のしたいことです。したいことをするのは自然なことだと思いませんか?」
「とりあえず、ここじゃまずいよ」
 背中にしがみつき、ほとんどぶら下がるようにして耳にキスをし、そのままささやいた。
「二人きりになれる場所に行きましょう」
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翼交わして濡るる夜は(その13)

 光一はラブホテルではなく、旅行客が泊まる大きなホテルに連れていってくれた。叔父と甥だということにしようと口裏を合わせて(でも別に、ホテルの受付の人は僕たちの関係を尋ねたりしなかった)部屋に入ると僕はすぐに光一を裸にした。鍛えてない、全然良い体ではなかったけれど、僕は満足だった。触りたいだけ触って口でいかせた。光一はその間、体をこわばらせて寝ているだけだった。最後にお返しをするように僕のも舐めた。
 出し終わると、夢から醒めたように冷静になって、自分が異常なことをしたのだとようやく気付いた。今日初めて会った、恋い焦がれている訳でもないおじさんと、性的な関係を持ってしまったのだ。しかも向こうから誘ってきたのではなく、こちらが一方的に犯したようなものだった。光一は嫌がりも喜びもせず、されるがままになっていた。二人とも汗をかいて髪が濡れている。
「すみません。夢中になってしまって」
「そうだったねぇ」
 光一は腕を伸ばして僕を抱きしめた。
「すみません」
「ううん」
 光一の匂いがして、僕のがもう一度反応した。光一の抱き方はあまりにも優しく、自分が正しいことをしたのか、間違ったことをしたのか、うまく判断出来なかった。

 軽くシャワーを浴びて(光一が髪を丁寧に乾かしてくれた)家の近くまで送ってもらい、夜になる前に別れた。家族と食卓を囲んで夕飯を食べていると、いつも通りの光景がいつもと全く違うものに感じられて落ち着かない。変わったのは家族ではなく、僕だ。もちろんお父さんとお母さんに光一の話をすることはなかった。
 次の日の夜、光一のブログが更新された。「罪」というタイトルだった。

 罪を犯した。
 いくつの罪を犯したのか、恐ろしくて数えることも出来ない。
 けれどもその中で最も重く、何をしようと決して贖うことが出来ないと分かっているのは、自分に対する罪だ。

 これまで私は自分の臆病さを憎んできた。
 この醜い性質が、本来なら味わえるはずだった美しいものを遠ざけてきたのだと。
 しかし今、この臆病さがどれだけ自分を守ってくれていたのか、自分が何故臆病であったか、ようやく理解した。

 私の心は途轍もなく弱い。
 この苦しみの中で正気を保てるだろうか。
 考えようとするだけで気が狂いそうになる。

 罰はすでに始まっている。
 天使に会えなくなったら。
 これほど大きな痛みを私は知らない。

 罪というのはたぶん、僕としたエッチなことを指すのだろう。予想外の一日ではあったけれど、僕は楽しかったし、光一も笑って見送ってくれた。それなのに、こんな風に書くなんて。
 天使に会えない? キリスト教は確か同性愛を禁止していたはずだ。光一がもしクリスチャンだとしたら、天国に行けなくなるとか地獄に落ちるとか、信仰に関することで悩んでいるのかもしれない。僕は特定の宗教を持たないから「神の教えに背く」というのがどんな感覚のものなのか、全然分からなかった。
 僕は光一にメールを送った。

 今日更新された「罪」の話、どういう意味?
 僕のことだよね?

 すぐに返事が来た。

 ごめん。削除した。どうしてもどこかに気持ちを吐き出さないと耐えられなくて、軽率なことをした。本当にごめん。

 光一のブログを見てみると、さっきの記事は無くなっていた。僕は削除して欲しかったのではなく、意味を教えてもらいたかっただけなのに。遠く離れた場所で勝手なことをする光一にイライラした。

 光一はクリスチャンなの?

 違う。どうしてそんなことを聞くのだろう。ああ、罪と罰について書いたせいか。もしクリスチャンだったら、僕はもっと苦しむことになったのか、それとも救われたのか……

 メールのやり取りではらちが明かないと思い、週末に再び会う約束をした。

 心が乱れていて事故を起こしそうだから、話しかけないで欲しい。そう光一が言うので、僕はあの海に着くまで助手席でおとなしくしていた。
 砂浜に車を停め、僕たちは冷房の効いた車内で話すことにした。外には家族連れが遊びに来ており、小さな姉妹がおもちゃのスコップで濡れた砂を掘り返している。
 もう車は動いていないのに、光一はハンドルを握りしめ、前を向いたまま言った。
「僕と、友達になってもらえないだろうか」
「セックスフレンドのこと?」
「そうじゃない。普通の友達だ。雑談したり、笑い合ったりするだけの……」
「え〜っ」
 光一とは歳が離れているし、趣味も合いそうにないし、友達になりたいとは思えなかった。友達はダメでセックスフレンドなら良い、というのも変な感じがするけど、正直に言ってそうだった。
「もし友達になれないなら」
 光一はハンドルを強く握り、手の甲の血管がぐっと浮き上がった。
「もう会うのはやめよう」
 声も体も震えている。
「この間僕がしたこと、そんなにイヤだったの?」
「イヤじゃなかった」
 光一は頭を大きく振った。
「でもするべきではなかった」
「光一がしたんじゃなく、僕がしたんじゃん」
「僕には止める義務があった。それなのに…… 君に体を触ってもらいたいという欲望を、抑えられなかった」
 光一の耳がみるみる赤くなる。
「今も触って欲しいんじゃないの」
 僕は外から見えないように光一の太ももを撫でた。
「ダメだよ」
 そう言いつつ、僕の手を振り払いはしない。
「あの日の夜、君のお母さんのことを考えて眠れなくなった」
「うちの親?」
「サッカーもやらせないで大切に育てたのに、二十も年上の男にわいせつな行為をされたと知ったら、ショックで倒れてしまうんじゃないだろうか」
 球技禁止の話のせいで、光一は僕の親を過保護だと勘違いしたようだ。ピアノの練習さえサボらなければ、あとは放任なんだけどな。
「わいせつな行為をしたのは僕じゃん」
「世間はそう考えない。中年の男と未成年者が性行為をしたとなれば、自動的に未成年者の方が被害者だと見なされる。細かい事実なんて誰も見てくれない。大人には未成年者を保護する義務があるんだ」
 いつも夢見がちなことばかり言っているくせに、急に普通の大人みたいなことを言い出して。
「君のお父さんかお母さんが警察に相談すれば、僕は逮捕されるかもしれない」
「じゃあ僕は『親に言いつけるよ』って光一を脅せるんだね?」
 ガバッとこちらを向いた光一の顔は引きつり、瞳は叩かれる直前の子供のようだった。
 太ももを撫でていた指を足の間に移動させ、布越しに膨らみを確認する。
「早くちゃんと二人きりになろうよ。我慢出来ない」
posted by 柳屋文芸堂 at 10:40| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする

翼交わして濡るる夜は(その14)

 光一との性的な関係は高校を卒業するまで続いた。受け身でいても罪の重さは変わらないと観念したのか、途中からは積極的に僕を気持ち良くしてくれるようになった。どれだけ快楽を共有しても、僕たちは全く対等ではなかった。光一は常に僕の言いなりで、それに腹を立てて僕はさらにわがままを言った。いい加減にしろ、と光一は怒るべきだったと思うし、それを望んでいたからこそ、わざと酷いことも言ったのに、最後まで光一は本心を隠し続けた。そして時々、僕の体をきつく抱き締めて、
「逮捕されたら、面会に来て欲しい」
 と懇願した。光一は逮捕なんてされない、親に言いつけたりしないし、たとえバレたとしても光一が思うほどうちの両親は過保護じゃないし同性愛にも理解がある、といくら言葉を尽くしても無駄だった。
「実際に面会に来られなかったら、魂だけでも良いから会いにきて欲しい」
 なんて訳の分からないことを言い出す。
「君が来てくれると信じられたら、実際には来てもらえなくても、この恐怖に耐えられるかもしれない」
 光一はまるで僕につかまっていないと深い穴に落ちてしまうかのように、必死に僕にしがみついた。
 結局僕たちの関係は誰にも知られず、光一が逮捕されることもなかったけれど、光一が恐れていた事態を今なら想像出来る。光一は少年に性的暴行をした犯罪者として、実名や顔写真がニュースで流される。親や周囲の人たちに最悪の形でゲイバレして、会社もクビになる。一方で僕は未成年の被害者として、名前も顔も表に出ないのだ。
 僕に抱きつかれてドキドキしたことにさえ罪悪感を抱いた、気の小さな光一。ただ一度だけ性欲を我慢出来なかったがために、社会的に破滅させられることをどれだけ深く苦悩したのか、僕の測れる範囲を超えている。
 罪を犯したのは僕だ。高校生であることを利用して、安全な場所に立ったまま、光一の体で性欲を解消した。正確に言うと性欲は解消しなかった。すればするほど自分が本当に欲しいものがそこにないことがはっきりした。光一は完全に心を閉ざしていた。当たり前だ。
 光一が言ったように「友達」になっていれば、僕たちはもっと気分良く付き合えたのかもしれない。物語を恐れるようになった司の話も興味深く聞いてくれたはずだし、司の苦痛を和らげる方法を一緒に考えてくれただろう。
 あんなに苦しめておきながら、あんなに疎ましく思っていながら、僕は光一が与えてくれた愛情を頼りに生きていた。光一。僕はいまだに誰ともつながれないまま暮らしているよ。光一はきっと僕を許してくれないから、僕の罰は一生終わらないのかもしれないね。
posted by 柳屋文芸堂 at 10:39| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする

翼交わして濡るる夜は(その15)

 春休みに一緒にスキーに行こうと司に誘われた。二つ返事でOKしそうになって、すぐにハッと気付いた。
「やったことないから、お荷物になっちゃうよ。いっぱいすべりたいんでしょ?」
 司は首を振った。
「スキーがしたいっていうより、翼と旅行に行きたいだけだから」
 僕と旅行したいってどういう意味? 夜のお楽しみ〜? と頭の中だけで叫ぶ。そういう展開はないだろうなと最初から諦めている。司は時々思わせぶりなことをしたり言ったりするけれど、相変わらずビクビクと神経をとがらせて生きており、恋愛やセックスなんてまだまだ全然無理だと分かっている。
 司を元気にしたい。でも元気になったら僕ではない誰かを好きになってしまう気がする。僕は司が好む男のタイプとずいぶん違うから。アキラに似ているなんて言われたらムカつくし。
 車酔いしやすいと司が言うので、僕たちは高速バスではなく新幹線で新潟に向かった。駅からタクシーに乗ってたどり着いた「ホテル・ビアンカ」は合宿所のような雑な宿だった。受付の横に黒っぽく薄汚れた鹿が立っている。
「あっ、鹿のくん製!」
 僕が指差して大声で言うと、司はじーっと僕を見た。
「もしかして、はく製って言いたかった?」
「あれっ?」
 司は目を細めて微笑んだ。
「翼は何でも食べ物にしちゃうんだね」
 司は板とかウェアとか、スキー用品一式を自前で持っていて、それらは全部宅急便で無事に届いていた。僕は何も持ってないから、全て宿で借りることになっていた。
「ダサい……」
 選べるのはサイズだけで、ポリバケツ色の全然格好良くないウェアを渡されて絶望した。古くてちょっと破れているところもあるし。
「雪の中でも目立つから、遭難した時にも安心、とか」
「良いよ、無理に慰めてくれなくても」
 司は目尻にしわを寄せてクスクス笑い、そんな表情を見られたからこのウェアで良かった……とまでは思えなかった。
 外は雪が溶けてしまうんじゃないかと不安になるほどの快晴で、遭難する心配はなさそうだった。
「えっ、リフトに乗るの?」
「乗らなかったらすべれないよ」
「でも僕まだ、板付けて三歩歩いただけだよ? それもけっこう重くて大変だなぁって」
「すべれば重くないよ」
 リフトは二人乗りで、想像したほど怖くはなかった。落ちても下は雪だから平気な気がするけど、どうなんだろう。ケガをしたらお母さん怒るだろうな。
 リフトから降りる時にちょっとコケて、でもどうにか僕は初心者用コースのてっぺんに立った。
「スケートやったことある?」
「ない」
「ローラースケートは?」
「ないよ」
「そういう人にどうやってすべり方を教えれば良いんだろ?」
 司は手袋をはめた手をあごに当てて思案した後、ついっとすべり始めて十五メートルくらい下で止まってくるりと振り向いた。
「こうやってみて」
「いや、無理だから!」
 すべり方は分からなかったけど、司に教える才能が全くないことだけはよく分かった。仕方ないので他の人のすべる姿を観察し、見よう見まねで体を動かした。僕とスキー板は摩擦の少ない斜面をするする落下する。うん、これ、重力加速度……
「どうやって止まれば良いの〜っ?」
「止まるぞ、って思えば」
「ギャーッ」
 司にぶつかるのを避けようとして派手に倒れた。
「大丈夫?」
「たぶん……」
 腕と手に変な痛みがないか触って確認する。お母さんが怒ったり泣いたりする姿が頭に浮かんで、僕も泣きそうになる。
「初めてやる人にとっては、スキーって難しいんだね」
 司は当たり前のことを不思議そうに言う。
「司は苦労しなかったの?」
「子供の頃に親に教わったから、すべれないのがどんな感じか覚えてない。でも他のスポーツに比べたらスキーは簡単だよ。俺も一年振りだけどすぐ思い出したし。他のは練習しないと鈍るじゃん?」
 もうこの人はいないものと考えよう。司は銀色のアクセントが入った黒いウェアで、すべる姿も動きに無駄がなくて格好良くてドキドキしたのだけど、先生として頼ろうとしたらひたすら腹が立つ。
 ちょうど良くお父さんにすべり方を教わっている小さな男の子が近くにいたので、僕は耳をそばだててそのレッスンを勝手に受講した。板をハの字にして、蛇行。ふむ。男の子と同じようにしたらそれほど加速しなくて済み、転ばずに司のそばまで行けた。
「ね? 簡単でしょ?」
「うーん……」
 司は嬉しそうに笑い、板を並行にそろえるプロっぽいすべり方で、シャーッ、シャーッと雪面を降りていった。
posted by 柳屋文芸堂 at 10:38| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする