2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その3)

「成績表見せてみろ」
「あっ」
 二年になり、俺も周平も希望通り演劇専修へ進んだ。二人とも一年の授業はほぼ皆勤で、落とされる心配はほとんどなかった。
「英語と第二外国語が全部Aだ…… 周平のくせに生意気だぞ」
「でも体育はCだよ。まさか大学に入ってサッカーをやらされるとは思わなかった。君は英語でBを取ったのか。意外だな」
「横文字は苦手なんだ」
「僕は英語の読解が好きでね。英語の長文を訳してると、熱中して時間を忘れちゃうよ」
 なら英文学に行け、と思うが言わない。周平の村上春樹への傾倒は度を越していて、同じ道を歩むことに深い満足と快感を得ているようだった。誰かの真似をして喜ぶという感覚がまるで分からない。
「古い作品にしか価値がないなんて頭の固いこと言ってないで、君もたまには今の小説を読んでみたら」
「俺は絶対、村上春樹は読まないからな」
「えーっ」
 布教したくてうずうずしているのだ。七面倒臭い。
「『ノルウェイの森』が流行った時は酷かったじゃないか。どこに行ってもクリスマスみたいな赤と緑の本を広げてる奴ばっかりで。俺は『みんな一緒』だと背筋が寒くなる。全体主義社会か!」
 周平は眉を下げてしょぼーん、とした。飼い主に叩かれた犬のようで、さすがに言い過ぎたと反省する。
「他に誰かいないのかよ。村上春樹だけが現代作家って訳じゃないだろ」
「おすすめ読んでくれるの?」
 周平の目がらんらんと輝く。
「あんまり有名じゃない奴が良い」
「そうだなぁ…… 江國香織は知ってる?」
「知らない」
「『きらきらひかる』って小説は映画化もされててね」
「何だよ人気があるんじゃねえか」
「そうか、君に紹介する場合は逆効果なんだ。うん、映画化されてないよ」
「アホか!」
「へそ曲がりに小説を読ませるのは大変だなぁ……」
 結局周平は、江國香織の「ホリー・ガーデン」という本を貸してくれた。失恋してボーッと暮らす果歩と、果歩の生き方に腹を据えかねている幼馴染みの静枝と、果歩に片思いする中野の物語。当たり前だが全編口語で、どこにも引っかからずスラスラ進むのが心許ない。こんな本ばかり読んでいたら、そりゃ古典が苦痛になるはずだ。文句を言いつつ二度読んだ。ふーん、なるほど。
「どうだった?」
「果歩は何で出家しないのだろうか」
「……」
 周平は五秒間、無言で固まった。
「普通はしないよねぇ、出家」
「中途半端に俗世間に残っているから、虚しい暮らしをする羽目になるんじゃないか」
「彼女の暮らしは虚しい?」
「適当な相手とセックスしたり、一人でピクニックに行ったり、俺だったらそんな生活嫌だね」
「果歩さんは自分のルールがあって素敵だと思うけどなぁ」
「お前は男の趣味だけでなく女の趣味も悪いのか。断言してもいい。果歩はやめておけ」
「じゃあ静枝の方が良いの」
「あれもお節介で関わり合いになりたくない。嫁にするなら中野だな」
「中野くんは男じゃん!」
「男か女かなんてどうでもいい。中野は気立てが良いだろ」
「気立て、ねぇ……」
 周平は明らかに不満そうだった。どんな感想を期待していたのやら。いくら本を貸してもらったといっても、俺はおべっか使えるほど器用じゃない。
「どうせお前は『僕もどんぶりで紅茶が飲みたい』とか憧れるんだろ」
「うっ…… ラーメン用のどんぶりで飲んでみたら量が多くて」
「あれはカフェオレボウルだ。そんなデカい訳なかろう、バカ者」
 考えてみると、こんな風に友達と小説の話をするのは初めてかもしれない。なかなか面白いじゃないか。周平は打ちひしがれているが。
「趣味に合わない本を読ませて悪かったよ……」
「いや、そんなこともない。果歩がお菓子の缶を開けて、別れた恋人に撮ってもらった自分の写真を見る場面は美しいと思った。能の『井筒』にそっくりだ」
「能?」
「『日本演劇史』の授業で見ただろ。井筒! 筒井筒! 覚えてないのか」
「能って演劇という形に高められた催眠術だよねー どんなに頭が冴えてる日でも、見始めて三分後にはよだれを垂らしてる」
「世阿弥に謝れぇ!」
 周平だけを責めるのは酷か。能の映像を鑑賞した後は、教室が気だるい雰囲気に包まれる。寝る奴が多い証拠だ。古い能舞台で直接見ると、神事の緊張感があって最高なんだが。
「在原業平は分かるな?」
「伊勢物語の光源氏」
「まあそうだ。『井筒』では業平の恋人だった女が、業平の形見の着物を着て井戸をのぞき込む。井戸の水には自分と、愛した男の姿が重なり合って映っている」
「それのどこがホリー・ガーデンなの」
「果歩も井筒の女も、見ているのは過去の自分なんだ。恋の狂気を描いているのに、相手はもうどこにもいない」
 そこまで早口で言い切って、自分がやけに熱くなっているのに気付く。周平は腕組みしてしばらく黙っていたが、
「克くんのいる理工学部には、美少女アニメの話をし出すと止まらない人がいっぱいいるんだって」
「何だよ急に」
「七瀬は対象が伝統芸能というだけで、そういうオタクの人と変わらないよね」
「うるせぇ! 知ってるよ!」
 俺はたぶん真っ赤になっていたと思う。誰にも見せずにいたものを、油断してさらけ出してしまったような。周平はニコニコしている。俺の負けか。克巳もこうやって負けたのか。
 カバンから「ホリー・ガーデン」を引っぱり出し、周平に返した。
「ハードカバーを買うなんて珍しいな」
「文庫になるまで待てなかったんだ」
「繰り返し読んだ跡もある。大事な本を貸してくれてありがとう」
 周平はちょっと驚いた顔をして、すぐに微笑んだ。
「どういたしまして」
 周平と克巳は相変わらず仲が良く、腕をからませたり手をつないだりして学内を歩いているのをよく見かけた。これが高校だったら一大スキャンダルになっていたと思うが、大学生の反応はクールだ。しかし女たちは確実に二人を、というより克巳を、目で追っていた。
「隅田くんってゲイなの? ってたまに訊かれるんだけど、みんな必ず目がキラキラしてるんだよねー」
「お前にときめいてるんじゃなく、克巳に注目してるんだから勘違いするなよ」
「どっちでもいいけど。ただ、同性愛を嫌う人が克くんに暴力を振るったりしないか心配で」
「たぶん女たちが犯人をボコボコにするから安心しろ……」
 当時の克巳は本当に綺麗だった。いつも周平の方を一心に見つめて、まるでそちら側に光源があるかのように笑顔が輝いていた。その姿はいじらしく、見る者の胸を苦しくさせる。
「克くん、他人の視線を全然気にしないんだ。嫌悪も好奇心も憧れも」
「お前しか見てないからな。全くどこをそんなに気に入ったんだか」
「ひどいなぁ」
 中学・高校と男子校で過ごし、女の少ない理工学部にいるゲイの克巳にとって、女は書き割りの一部程度のものなんだろう。克巳に無償の愛を向ける女たちを、少しあわれに思った。
 
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贋オカマと他人の恋愛(その4)

「今度一緒に能を見にいかないか」
「えっ……」
 周平は何故か怯えた様子で一歩下がる。
「二人で会うと克巳がギャンギャン言うだろうから、三人で」
「絶対寝ちゃうよ。僕も克くんも」
「映像で見るのと全然違うって。狂言もやるし面白いぞ」
「うっかり眠り込んでイビキかいたりしたら周りの人に悪いじゃないか」
「その場合、つねって起こす」
「叫び声上げちゃったらどうするの…… それに能のチケットは高いでしょ? 僕たちとても払えない」
「それは気にするな。俺がおごる」
 正確には「俺の母親が」だな。
「えー うー」
 注射を受ける犬のように俺から離れたがっているのがよく分かった。そんなに嫌か、能が。
「睨まないでよ〜」
 俺はそっぽを向き、自分が傷ついているのに気付く。
「ねえ、歌舞伎はどう?」
「歌舞伎なんてつまらないだろ」
「僕、歌舞伎を見たことないんだよ」
 俺は驚いてひっくり返りそうになった。
「そんな奴いるのか! 学校の鑑賞教室で連れていかれたりするじゃん」
「僕の学校にはなかったなー あったとしても覚えてない」
 俺は毎週のように歌舞伎座や国立劇場に通っていたから、周平も飽きていると勝手に思っていたのだ。
「正直言って僕は歌舞伎に全然興味ないんだけど、克くんが喜ぶんじゃないかと思って。藤娘のカードもうっとり見てたし」
「正体が俺だと分かるまでだがな……」
「ね。三人で歌舞伎を見に行こうよ。コーヒー飲んで寝ないよう頑張るからさ」

 デートの約束というのはこんな風にワクワクするのだろうかと想像する。相手がゲイカップルというのが侘しいが。同年代の友人が一人もいなかった高校時代に比べれば、俺の周辺もずいぶん華やいだじゃないか。
「貸衣装で着物を借りて着せてやって、歌舞伎に連れていこうと思うんだ」
 夕食の時、母親に計画を話してみた。
「貸衣装なんてケチ臭いこと言わないで、着物も作ってあげたらいいじゃない」
「え?」
 それは幾分やり過ぎなんじゃないか。
「採寸して体にぴったり合ったものを着た方が気持ち良いでしょ」
 確かに母親の言うことももっともだ。この機会に、周平と克巳が着物を好きになってくれたら俺も嬉しい。
「という訳で、着物を作りに行くぞ」
「本当に良いの?」
 俺を先頭に三人で、日本橋の馴染みの店に向かう。
「ママに請求書送ったりしたら許さないからな」
 ママ? と思うが突っ込むとまたうるさくなるので追及しない。
「俺の顔を見たら自動的にうちの母親に請求が行くようになってる。悪徳商法じゃないから心置きなく好きなの選べ」
 十九、二十という年齢のせいか、若草色や、空色に見える細い藍の縦縞など、明るい色の反物が次々と二人の前に広げられた。
「何がなんだか分からないよ〜」
 周平が目を回し始めたので、店員の説明を断り、自分たちでケースを見て行くことにした。
「僕はこれが良いなぁ」
 周平が指差したのは、亀甲柄の泥大島だった。鉄瓶に似た渋い黒で、柄が細かいため遠くからだと濃い鼠色に見える。
「良いんじゃねえか。お前はおっさん顔だからこういうの似合うと思うぞ」
「君は失礼なことを言わないと気が済まないんだねぇ」
 問題は克巳だった。周平と同じ布にすると言って聞かないのだ。
「克くんはもっと若々しい着物の方が似合うと思うよ」
「やだっ 周平とペアルックにするっ」
 よくもまあ恥ずかしげもなく『ペアルック』なんておぞましい単語を口に出せるもんだ。俺もお店の人も見えなくなっているのだから仕方ない。
「大島は長持ちするから、じいさんになるまで着続けたらいい。お前百までわしゃ九十九まで」
 それを聞いた克巳は、あのぱあっと光る笑顔になって、
「二人とも長生きして、ずっとこの着物を一緒に着よう。周平が死んじゃったら、おれもすぐ死んじゃうから」
「そう考えると、若い頃しか着られない着物は損だね」
「年食って明るい色の着物を着たら、落語家と勘違いされる」
「笑点!」
 採寸してもらい、二人は同じ柄の泥大島で着物と羽織を仕立てることになった。帯や草履もサイズだけ違う同じ物。足袋に長襦袢、肌襦袢、腰ひもと、着物を着るのに必要な小物は全てそろえた。
 着物が仕上がるのを待って、三人の予定を合わせ、歌舞伎のチケットを取る。予想より壮大な計画になってきた。
 見に行く演目は俺の独断で「二人椀久」にした。「勧進帳」「東海道四谷怪談」あたりが初心者向きかと考えたが、ちょうど行きたい時期にやってなかったのだ。歌舞伎を見たことのない人間が何を面白がり、何をつまらなく思うのか、この世界に馴染み過ぎている俺にはもはや想像出来ない。
 二年後期の試験が終わって、三月。夕方の開演までに着付けと食事が済むよう、午前中のうちに二人を俺の家に呼んだ。
「お城みたいな所に住んでるのかと思ってた」
「割と普通だね」
「でも柱が太くて立派だ」
 そう言って克巳は壁をコンコン叩く。
「点検してないでとっとと服を脱げ」
「えーっ 七瀬くん、こっち見ちゃダメだよ」
 克巳は赤くなっている。
「はぁっ? 何でだよ」
「裸は周平にしか見られたくないっ」
「くだらねぇ……」
「そう言えば、ふんどし買わなかったけど、パンツのままで良いのかな」
「周平のふんどし姿見たいなぁ」
 克巳は周平を見つめて目を細める。
「周平もおれのふんどし姿見たいよね?」
「まぁ……」
 周平は克巳と視線を合わせて顔を赤らめる。
「えーい変態どもっ ちゃっちゃと足袋とステテコをはけっ」
 着せてみると、予想以上に周平は着物が似合った。渋い色と柄のおかげでふっくらしたほっぺたは落ち着いた印象になり、小太り体型は威厳を感じさせる。
「周平、格好いい〜 押し倒したいっ」
「俺が着せたものをすぐ脱がす奴があるか」
 一方、克巳は予想通り大島が似合わなかった。子どもっぽい女顔で痩せている上、背が低い。小学生の女の子が父親の背広を着たようなちぐはぐさ。
 こいつに似合うのは京鹿の子絞りの振袖だ、と思い付く。もちろん自宅を血の池地獄にしたくないので口には出さない。
「俺も着るからちょっと待ってろ」
 トランクスだけになると、ペアルックの二人が口を半開きにしてこちらを見ている。
「見世物じゃねーぞっ」
 俺はドン! と大きな音を立てて床を踏んだ。二人は慌てて後ろを向く。
「周平、いやらしい目で七瀬くんのこと見てた!」
「克くんも見てたじゃないか」
「だって、貧弱なのかと思ったら全然違うんだもん……」
「日舞をなめるな」
「やめたんじゃなかったの?」
「習いに行ってないだけだ。練習は続けてる」
 帯を締め、羽織紐を結び整え、
「もういいぞ」
 こっちを向いた周平が呆れたように言った。
「派手だなぁ……」
 俺がその日着ていたのは、丹後ちりめんの真っ赤な着物と、本塩沢の白い羽織だった。
「こと着物に関して、俺は派手じゃないと落ち着かない」
「洋服だって派手じゃん」
 母親は何故か赤飯を炊き、鶏の唐揚げと、カリフラワーとグリンピースの入っているサラダを出した。
「遠慮しないでどんどん食べてね」
「こ、この度は……着物を作っていただきありがとうございます」
「ありがとうございます」
 まず周平が、続いて克巳がぺこりと頭を下げた。
「いいのよ。うちはお金が余ってるの」
 母親はそれだけ言うと台所の方に消えた。
「唐揚げ美味しいね」
「あったかいお赤飯も美味しいよ」
「ごま塩! ごま塩!」
「僕、たまにスーパーでお赤飯買って食べるんだけど、冷えてて」
「周平、そんなにお赤飯好きなんだー っていうかチンしなよ」
「面倒でそのまま食べちゃうなぁ。あっ、本当だ、唐揚げ美味しい!」
「食べ過ぎて気持ち悪いとか言い出すなよ。帯締めて、いつもと違うんだから。あと肉ばっかじゃなく野菜も食え!」
 母親に見送られ、電車と地下鉄で歌舞伎座に向かう。途中、すれ違う人たちがチラチラこちらを見ていた。同じ着物を着て手をつなぎ歩くゲイカップル、ではなく、その前を偉そうに歩く紅白の俺が目立ったのだろう。成人式でもない平日の昼間に、着物の若者が三人というのも物珍しい。
 克巳は終始ごきげんで、甘ったるい声で周平に話しかけ続けた。
「周平と一緒に出掛けられるの、嬉しい!」
「いつも部屋の中にばかりいるもんね」
「いつか旅行にも行きたいっ」
「お金持ちになったら」
「お金持ちになったら!」
 周平はウェイターのバイトをしていたが、一人暮らしをしているせいもあってかつかつで、克巳は学校の課題が多くて働けないと言っていた。
「早く着き過ぎたな」
 歌舞伎座はまだ開場しておらず、東銀座駅の出口周辺におばさんたちがあふれ返っていた。空いている場所を見つけ、三人でしばし佇む。
「お前、ほんっと似合わねぇな、泥染め」
「うるさいなー 好きなの選んで良いって言ったじゃん!」
 克巳がシャーッと毛を逆立て始める。
「ちょっと俺の羽織と交換してみろ」
「やだっ」
「白の方が絶対似合うって。周平が惚れ直すかもしれないぞ」
 周平は直す余地もないくらいおれに惚れてるんだから惚れ直したりしない、と訳の分からないことをブツブツつぶやきながら、克巳は白い羽織を着てみせた。周平がどう反応するか知りたくなったのだろう。
「痛々しいな」
「うん、痛々しいねぇ」
「こっち着ても貶すのかよっ」
「いや、そうじゃない。俺が言うと怒るから周平言え」
「どこかのお姫様が、事情があって男装してるみたいに見える。似合ってるよ、とっても」
 克巳は小さくため息をつき、羽織を脱いだ。
「似合うのが嫌だから、明るい色を避けるんじゃないか。洋服も」
「そう言えばお前、深緑とか焦げ茶とか、パッとしない服ばっか着るよな」
「ボクだって本当は……」
「あっ、開いたみたいだよ」
 慌てて合切袋からチケットを出し、二人に渡した。おばさんたち(おじさんも多少混じっている)の流れに加わって扉をくぐる。
「ここで待ってろ」
 筋書きを二冊買って戻り、二人を席に連れてゆく。前から五列目、ほぼ真ん中。
「これ読んで予習しろ!」
「パンフレット?」
「そうだ」
「映画のより分厚いんだね」
 周平はあらすじを読み始め、克巳は役者のカラー写真をじっと眺める。
「ねえ、周平見てよ。この人とっても綺麗だねぇ」
「克くんは女形が好きなんだね」
「綺麗なものは何でも好きだよ」
 克巳は周平の肩にそっと頭を載せ、目を瞑った。
「俺、売店行ってくる」
 モナカアイス、は開演前に急いで食べると寒いな。弁当、だとさっき食事したばかりだから多過ぎる。
「サンドイッチ買ってきた。食え。お手拭きもある」
 周平が肩を震わせて笑い、克巳も目を開けた。
「君はアイドルみたいな顔してるくせに、中身はおばちゃんだよねぇ」
「おれ、前からそう思ってたよ」
 仕方ないじゃないか。これまでの人生、おばちゃんに囲まれて暮らしてきたんだから。
「ん? 何で俺の隣が克巳なんだ」
「周平の隣になんて座らせないっ! 危険だもん。暗い中でこっそり手をつないだりしたら」
「周平と手なんぞつなぐかバカッ」
「小学生じゃないんだから、席順でケンカしないでよ……」
 幕の内側から三味線の音合わせが小さく聞こえ、拍子木がキン、キン、と高い音で鳴り、開幕を待つ高揚感が劇場に満ちる。
 ガサガサガサッ
 ちーるー ちるー
「おいっ」
 音の元を見ると、克巳の向こうの周平がレジ袋から紙パックの飲み物を出し、ストローを挿して吸い上げている。
「もうじき始まるぞ。静かにしろよ」
「うん、大丈夫」
 ペコペコと紙パックを潰してガサガサとレジ袋に戻す。音が響いてヒヤヒヤする。
「コーヒー牛乳飲んだんだ。眠くならないように」
「コーヒー牛乳で眠気飛ぶか……?」
 幕が開き、客席の照明がゆっくり落ちてゆく。
 実を言うと、前半の演目はそれほど好きな話ではない。出演者を変えてしょっちゅう上演されるので、うんざりしてもいた。周平と克巳は観劇マナーを知っているのだろうか、途中で何かやらかすのではと不安だったが、おとなしく最後まで見ていた。
「どうだった?」
「面白かった!」
 反応が良いのは克巳だった。
「ポーズ決めるんだね。戦隊ものみたいに」
「見得切るところだな。セリフは理解出来たか?」
「半分くらい」
「……僕、トイレ行って来るね」
 周平がお腹を押さえて立ち上がる。
「痛いの?」
「うん」
「コーヒー牛乳を一気飲みしたりするからだ」
「おれも一緒に行こうか?」
「克くんが来ると気になっちゃうから一人で……」
 心ここにあらずの態で周平はロビーに出ていった。
「今生の別れみたいな顔で見送るなよ」
「大丈夫かな」
「腹壊しただけだろ」
 周りの客は一斉に弁当を食べ始めた。おしゃべりと食事の音で劇場全体がさんざめく。
「お前も弁当いるか? 欲しければ買ってくる」
「いいよ。お腹空いてない。七瀬くんのお母さんの料理、美味しかった」
「そりゃ良かった」
 克巳はこちらを向き、小さな声で言った。
「七瀬くんって本当にゲイじゃないの?」
「違うよ」
「じゃあ女の子と付き合ったことある?」
「ない」
「エッチしたことは?」
「ないよ」
「童貞なの?」
「そこだけ大声で言うな」
「それじゃあ、ゲイかどうか分かんないじゃん」
「自分の性的指向がどっち向いてるか、中学生くらいで気付くだろ」
「そうかもしれないけど……」
 克巳は背もたれに頬をくっつけて女性的なしなを作る。俺がやるとしたら何度も練習しないと難しいような動き。克巳の仕草は自然で愛らしかった。
「周平に告白されても、ちゃんと断ってね」
 こいつは本物のアホだ。本気で心配しているんだ。こんなにはっきり「いじめて欲しい」という顔をされたら、素直にいじめる他ないじゃないか。
「そうねぇ、付き合っちゃおうかしらっ 周平くん、キスがとっても上手だし」
 何故オカマ言葉。と自分にツッコミを入れつつ、人差し指をあごに当てながらブリブリと言ってやった。笑うかと思ったのに、克巳は目に涙をためて俺を睨んだ。
「ただいま〜」
 周平がモナカアイスを食べながら帰ってきた。
「お腹壊してるのにアイス。しかも自分の分だけ」
「壊してなかったんだ。快腸、快腸。アイス、欲しければ買ってくるけど?」
「俺はいい」
 克巳はうつむいて黙っている。
「着物、着崩れなかったか?」
「トイレ出たところで知らないおばあさんに『ちょいと坊ちゃん!』って呼び止められて、その人が帯締め直してくれた」
「そいつは幸いだったな」
 周平が席に座ると、克巳は周平のてのひらをぎゅっと握った。周平の顔が険しくなる。
「七瀬、克くんに何か言ったね?」
 何でそれだけで分かるんだ。
「周平がいない間に浮気しよう、って誘ってきたんだよ。確かに俺の方が美男子で君が発情するのも当然だ。しかし周平を裏切る訳にはいかな…… いってぇーっ!」
 克巳は俺のすねを草履で蹴った。素早く効果的な攻撃だった。
「お前、これ必殺技だろ。弁慶…… 痛ぁ〜」
「克くんが浮気なんてする訳ないじゃないか」
 周平は克巳のてのひらを両手で包み、子どもを相手にするように優しく言った。
「七瀬はひねくれ者だから、反対の言葉でしか愛情を表現出来ないんだよ。もし克くんが酷い言葉を言われたなら、それは七瀬が克くんのことを大好きって証拠だ」
「こんな奴に好かれたくないっ」
「ほら、次の舞台にさっき克くんが見てた、綺麗な女形の人が出るよ。機嫌直して」
 まるで幼稚園だ。でちゅよー バブゥー 全部お見通し、みたいな周平の態度にムカついて、俺は無言になった。
 周平と克巳は筋書きを開き、次の演目である「二人椀久」の解説を生真面目に読んでいる。
「この話にも『井筒』が出てくるんだね」
 周平が何事もなかったように明るい声で言った。
「そうだ。ネタバレになるが……」
「つついつのいづつにかけしまろがたけ」
 突然呪文を唱えるように言い出したのは、克巳だった。
「へー お前理系なのに『伊勢物語』読んでるんだ」
「分かんない。急に出てきた。たぶん高校の古典の先生が仕込んだんじゃないかな。もし『井筒』という単語が入力されたら『つついつのいづつにかけしまろがたけ』と出力しなさいって」
「さすが中高一貫の進学校は違うねぇ」
「その歌の意味は分かるか?」
「幼馴染み」
「短か過ぎる」
「うーん。『つついつのいづつにかけしまろがたけ』と言われたら『幼馴染み』と返しなさい」
「丸暗記というよりほとんど機械だな……」
 また怒り始めるかとびくついたが、機械と言われるのはそれほど嫌ではないようだった。
「子どもの頃、井戸のあたりで遊んでた幼馴染みの話なんだよ。大人になって疎遠になって、でもやっぱりあの人と結ばれたい、と願って贈った歌だ。井戸の囲いより低かった背も、あなたに会わないうちにすっかり伸びて大人になりました。結婚しましょ、そうしましょ」
「背が伸びないとプロポーズ出来ないのか……」
「いや、そこにショックを受けなくてもいい。ざっくり言うと『井筒』は昔馴染みの恋人同士の記号なんだ。だからお前の丸暗記は間違ってないし無駄じゃない。周平よりよっぽど話せるじゃないか」
「すごいねぇ、克くん」
「えへへ」
 少しは悔しがれよ周平。周平と克巳は愛しそうに肩を寄せ合って、頭をこつんとやわらかくぶつけた。
「で、この『二人椀久』は……」
 場内が暗くなってゆく。俺は話すのをやめ、周平と克巳は筋書きをカバンにしまった。

 狂気に浮かされた男が花道を進む。「二人椀久」の主人公、椀屋久兵衛。遊女松山に入れ揚げ、座敷牢に閉じ込められた挙句、そこを抜け出しさまよっているのだ。松山に恋い焦がれる久兵衛は、ふらふらと本舞台にやって来る。歩き疲れてまどろむと、そこに松山が。二人は一緒に踊り始める。
 この話にセリフはない。音楽と体の動きだけでストーリーと情感を表現する。久兵衛が松山の打掛けを羽織るのは、能「井筒」の井戸を覗く場面を踏まえているのだろう。
 久兵衛と松山は幸福に、愛を確かめ合うように踊り続けるが、音楽と感情がクライマックスに達した瞬間、松山は久兵衛の前から消えてしまう。
 じゃらくら じゃらくら
 じゃらくら じゃらくら
 印象的な歌詞が耳に残る。二人は再会を果たした訳ではなく、松山は幻影でしかなかったのだ。一人になった久兵衛は舞台にくずおれ、その寂しくあわれな姿に客席はしんみりした雰囲気になり…… 幕。
 いやー 良かった、良かった。最高、最高。そう思って横を見ると、克巳が顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。膝あたりの布を握り締め、えっ、うっ、としゃくり上げている。
 周りの観客は立ち上がり、出口に向かって動き出した。周平が席を立つと、克巳は周平の羽織の袖にすがりついた。
「どこにも行かないで……」
「行かないよ〜」
 周平は克巳を腕の中に引き寄せ抱き締めた。手慣れた動作だった。周平は俺の顔を見て、困ったように微笑む。
 久兵衛と同じくらいバカな男がここにいることを、他の客は誰も知らない。幕の裏で大道具を片付けるバタバタした音だけが、劇場に響いていた。
 
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贋オカマと他人の恋愛(その5)

「あの女形の人はどうしていなくなっちゃうの?」
「幻っていう設定なんだよ。夢の中に偶然出て来たようなもんで、目が覚めたら終わりだ」
「男の人と女形の人はどうして一緒にいられないの?」
「松山は遊女…… まあ簡単に言えば売春婦だから、金がないと会えない」
「あの人だけ無料にしてあげたらいいじゃん!」
「いや廓っていうのはだな……」
 克巳は「二人椀久」の結末に本気で腹を立てていた。まるで久兵衛を不幸にしたのはお前だ、とでも言うように、激しく俺を責め立てる。
「夕ごはんどうしよう」
 周平は食べることしか考えてないみたいだった。
「おごるから安心しろ」
 母親とよく行くフランス料理屋へ連れていくつもりだったのに、周平が客引きに引っかかった。やたら流暢な日本語を話すインド人で、気が付くと俺たちはカレーのセットを注文させられていた。それほど美味いとも思わなかったが、周平と克巳はカレーが好きなようで、ガツガツとかっ込んだ。
「『じゃらくら』ってどういう意味?」
「でれでれ。お前たちみたいのをじゃらくらって言うんだろうな」
「ふうん?」
 克巳は口の端にカレーを付けたまま首を傾げる。周平は自分のハンカチを出してその汚れを拭いてやった。
「克くんは歌舞伎を満喫してたね」
「楽しかったけど、悲しかった」
「克くんは感受性が豊かだから」
 周平は克巳の頭を撫でる。俺はマンゴーラッシをじるーとすすった。
 支払いを済ませて店を出ると、克巳が周平の羽織をくいっと引っぱった。
「ごめん、僕たち有楽町から乗ろうと思って」
「克巳も?」
「今晩は僕のうちに泊まるんだ」
「ほー じゃあ帯をくるくるほどいて『あ〜れ〜』ってやるんだな。お互いに」
 俺はバレリーナみたいに回ってみせた。
「童貞のくせにうるさいっ」
 克巳は俺の弱味を握った気でいる。
「童貞で結構。俺は清い体で生きてくよ。そうだ、脱いだ着物は早めに呉服屋へ持っていって手入れしてもらえ。場所覚えてるか?」
 二人はそろってこくんとうなずく。
「どうせ今晩は床にほっぽっとくんだろうけどな。思う存分おしげりなんし」
 遊女っぽく裏声で言ってみる。二人は首を傾げる。意味分かるだろ、バーカ。
「職人さんたちが手間暇かけて糸染めて織った布だ。大事にしろ」
「もしかしてこれ、手織り?」
「そうだよ。大島について語り始めると長くなる。興味があったら自分で調べてくれ。じゃあな」
 手をつないだ着物のペアルックが、銀座の雑踏に消えてゆく。あいつらあんなにべったりで、別れる時どうするのかな。一生一緒にいればいいだけか。
 亀甲柄の羽織が二枚、はらりと床に落ちる。その上で二本の帯が蛇のようにからまりあい、体温と同じ熱さの着物が二枚重なって……
 地下鉄の階段を降りていた足が止まった。
 一生一緒なんて、本当に可能なのだろうか?

 家に帰ると、昼食の残りとイチゴがテーブルに並んでいた。
「育ち盛りの子が二人来るって言うから沢山作ったのに、いっぱい余っちゃった」
「もう三人とも育ち切ってるよ……」
 イチゴに練乳をかけてぱくりと口に入れる。
「あの子たち、可愛いわね〜 仲が良くて、子犬がじゃれてるみたい」
「恋人どうしだからな」
「えっ」
 母親はとっさに意味を理解出来なかったらしく、俺を見つめたまま固まった。
「ゲイなんだよ、ゲイ。衆道。男色。ホモ。分かる?」
「もちろん言葉の意味は分かるけど…… もしかして、耕一もゲイなの?」
「俺は違う」
「三人の中で一番ゲイっぽいじゃない」
「たぶん、学校の奴らもそう思ってるんだろうなぁ」
「今からなっちゃえば?」
 母親は目を輝かせる。
「なろうと思ってなるもんじゃないだろ」
「お母さん、そういうちょっと変わった子が良かったのに」
「今でも十分変わってるから安心しろ……」
 誰のせいでこんなに生きづらくなったと思ってるんだ、全く。
 数日後、周平が電話をかけて来た。
「この間は色々ありがとう。お母さんにもよろしくお伝えください」
 躾が良いんだな、と感心する。
「お前、退屈だったんじゃないか?」
「そんなことないよ。貴重な体験させてもらったと思ってる」
「どこが面白かった?」
「筋書きだね。映画のパンフレットは高い割に薄くて写真ばっかりでつまらないけどさ、歌舞伎の筋書きは読みでがあって好感が持てた」
「お前はほんと文章を読むことにしか興味ないんだな」
 まあ、俺も活字中毒だから気持ちは分かる。
「『二人椀久』の解説を読んで、入れ揚げることの怖さを考えた。僕も克くんに入れ揚げてるから」
「バイト代貢いでるのか」
「好きな人に捧げるのはお金だけじゃないよ。時間とか、未来とか」
 周平の声があまり幸福そうに聞こえなくて、心配になった。
「克巳とケンカでもしたのか」
「ううん。ラブラブだよ」
「なんだ」
「ラブラブだから困るんじゃないか」
 その頃の俺はまだ、ラブラブであることの危険性を知らなかった。
「とにかくありがとう。それじゃ、新学期にね」
 
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贋オカマと他人の恋愛(その6)

 三年生になると、学年全体が将来に向かって動き出すような感覚があった。マスコミを目指す連中は政治・経済の勉強をし始め、教員や公務員になるために予備校に通い出す奴もいた。周平は英語、克巳は情報処理の資格を取ったと言う。
「少しでも履歴書に書けることを増やしたいからね」
「情報処理の試験は会社に入っても受けさせられるんだ」
「僕も?」
「周平が行くような所のことは知らないよ。技術者は、って話。どうせやるなら学生のうちに取れるだけ取っておこうと思って」
「ご苦労だな」
 俺は読んでいた文庫にしおりをはさみながら二人を見た。
「完全に他人事だね」
「俺は就職しない。博士課程まで行ってその後も大学に残る」
「学者として生きるのって大変なんだよ」
 克巳の伯父は別の大学で教授をしているという話だった。
「承知の上だ」
「色仕掛けでどうにかする? 文学部は女の先生多いしさ」
 あごを上げて笑い、克巳は全力で俺を蔑もうとする。
「こう見えても七瀬は頭が良いんだよ」
「こう見えても、って何だ!」
「文学部の勉強なんて遊びみたいなもんじゃん」
「お前、周平には絶対そんなこと言わないだろ」
「まあ確かに会社に入ったら全く役に立たないだろうね」
「自ら文学を否定するな、周平……」
 不安なのはみな同じだった。もし学問の世界で職を得られなかったら。ネクタイ締めて満員電車に揺られる自分なんてうまく想像出来ない。周平は特に疑問もなく、大学を出たらサラリーマンになるつもりでいるらしい。三年の秋には気の早い企業が会社説明会を始め、そのたび授業を休む周平のために俺はノートをコピーしてやった。
 後期試験の後、所属するゼミが決まった。担当教授は歌舞伎の入門書も何冊か出している気さくな先生で、俺が提出したレポートを気に入ってくれていた。
 周平は映画のシナリオを読み込むゼミに入った。最初の顔合わせで、
「映画は年に一度くらいしか見ません。分からないことばかりですがよろしくお願いします」
 とにっこり自己紹介し、他のゼミ生をあぜんとさせた。周平以外は全員「年に数百本見るのは当然」の映画マニアなのだ。
「みんな親切にあれこれ教えてくれるよ」
 と嬉しそうにしている。そういう状況がどうして平気なのか。無知であることへの羞恥心の無さが羨ましく、少々恐ろしくもあった。

 俺の人生が唐突に狂ったのは、四年の六月。一週間続いた雨がやみ、色の濃い青空と濡れた草木が美しい朝だった。
「貯金が二百万円になっちゃった」
 ご飯にちりめん山椒をかけながら、母親は何気なく言った。
「俺用の通帳?」
「ううん。うちの全財産」
 透明な蝶のように言葉が脳を通過していく。二百万。全財産。……全財産?
「この間まで五百万くらいあったはずなんだけど、夏物買ったりしたら無くなっちゃって」
「ちょっと待てよ」
 母親はご飯を咀嚼し緑茶を飲んで、いつも通りの笑顔をこちらに向けた。
「今日から我が家は貧乏になります」
「貧乏って……」
 俺は貧乏なんて知らない。思考のスイッチを切られ頭が真っ白になり、目が勝手に見開く。
「明日から何食べるんだ」
 母親は声を立てて大笑いした。
「大丈夫よう。そんなすぐに飢えないから」
「でも、どこからもお金が入る当てなんか無いし」
「そう、その話がしたかったの! お母さん、来月から駅前の薬局で働き始めることになってね」
 グレープフルーツをスプーンでほじくり返しながら、明るい早口で言った。ウキウキしているんだ、お母さんは。
「パート?」
「ううん。正社員。いきなり管理薬剤師だって。二十年以上ブランクあるのにやれるのかしら」
「薬剤師?」
「薬剤師の資格持ってるって、言ってなかったっけ?」
 お母さん優等生だったのよー あんたの成績が良いのは遺伝子のおかげなんだから威張っちゃだめよー と母親は歌うように続ける。そんな歌、聞きたくない。
「大学の学費も払い終わってるし、贅沢をやめれば普通に暮らせるわよ」
「俺、大学院に行くつもりなんだけど」
「何それ、知らない。就職するんじゃないの?」
「博士課程まで……」
 声が震えてる。
「それはけっこう苦しいなぁ。耕一が大学卒業したら子育て終了だと思ってたのに」
 まっとうな意見だ。二十二歳まで育ててくれたことにだって感謝すべきなのだろう。しかし人生には計画というものがある。突然「今日から貧乏」はないだろうよ。
 どんな手立ても浮かばず教室でうつむいていると、周平が声をかけてきた。
「頭抱えてどうしたの?」
「我が家は没落した」
 周平は爆発するようにギャハハハ、と笑った。
「君は何をやるにしても時代がかっているよねぇ!『姉さん。僕は、貴族です』」
「太宰治ごっこをする余裕はないんだ、マジで」
 俺は今朝の母親との会話を全て話した。
「二百万もあるなら不安になることないよ。僕の通帳には二十万しかない」
「お前は実家からの仕送りがあるじゃないか」
「七瀬のお母さんも働き始めるんでしょ?」
「あの人のことだ。『やっぱりお母さんには無理だったわ〜』なんて言って三日で辞めてくるかもしれない」
「もう少ししっかりした人に見えたけどね」
 周平は腕組みしてしばらく考えていた。
「七瀬が就職しちゃえば何の問題もない」
「嫌だっ」
 まだ全然足りないのだ。知識が。考える力が。
「大学院には行く。何がなんでも行く」
「そうなるとお金が必要だね。学費と生活費」
「奨学金をもらうのはどうだろうか」
 即座に賛成してくれると思ったのに、周平は渋い顔で首を振った。
「奨学金というと聞こえは良いけど、あれは借金だもの。修士課程までならともかく、博士課程が終わる頃にはとんでもない債務が君の肩にのしかかることになる」
「のんきにオーバードクターなんぞ出来ない」
「もちろん」
「服を売るか」
「いくらブランド品でも、中古の服はそう高く売れないと思うな。それより今あるものを大切に着て、新品を買わずに節約した方が良い」
「テレホンカード、は売れないだろうなぁ」
 携帯電話が普及したせいだ。この数年で瞬く間に必需品になった。俺は流行に乗りたくなくて意地でも買わないつもりでいるが、周平は就職活動が始まる前に自宅の電話を解約し、携帯だけを利用していた。
「作ってもらった着物、返そうか?」
「人にやったものを頼みにするほど俺は落ちぶれてないっ」
「その性格じゃ苦労しそうだね。でもそれでこそ七瀬だ」
 周平が何故か誇らしげに微笑んで、俺は泣きたくなるような、安心するような、不思議な心持ちになった。
「とりあえずバイトを始めたら」
「何もしない訳にはいかないだろうな」
 勉強や読書に使える時間が減ると思うと悔しくてならなかった。
「ホストクラブとか?」
「何でだよ!」
 周平はクスクス笑いながら言う。
「昼間は学校に来たいだろうから夜の仕事で。無駄な美貌がようやく活かせる」
「給料は良さそうだなぁ……」
 ホストとして働く自分を想像してみる。
「おばさんたちにモテる自信はあるが、他のホストと話が合わない」
「わがまま言っちゃいけないよ」
「でもなぁ……」
 孤独にはもう耐えられそうにない。周平や克巳と親しくなってしまったから。
「オカマバーは? 藤娘の写真、綺麗だったじゃないか。君は確かに二丁目で働けそうな女顔だ」
 あれは冗談だった、とのちのち周平は繰り返すことになる。しかし俺は本気で良い案だと感じてしまったのだ。
「それだ!」
「……え?」
「オカマは話が面白そうじゃないか。俺が伝統文化について熱く語っても、真面目に聞いてくれそうな気がする」
「どうだろう……」
「オカマの知り合いはいないのか」
「オカマを『男性同性愛者』の意味で使うなら僕もオカマのうちだろうけど」
「いや、もっと女っぽい奴」
 周平は首を振る。
「オカマバーで働くような人たちについての知識は、君とほとんど変わらないよ。テレビに出てるのを見るくらいで」
「オカマとゲイは隣接領域だろ? 電気工学と電子工学みたいに」
「研究してる訳じゃないもの。克くんだけで間に合ってる」
「最後はのろけで締めるんだな」
 周平と話したことで、気持ちが上向きになった。金が無くなっても、自分の中にある記憶や思考能力は俺のものだ。たとえ借金まみれになったって、これだけは誰にも盗めない。
 もともと俺が欲しいと願っているものは、手に入れるのが難しいのだ。道はさらに険しく困難になった。しかし諦めたりするものか。進め。進むことに意味がある。
 次の日、周平がレポート用紙を一枚、俺の前に置いた。
「人を募集してるオカマバーをいくつか見つけたよ」
 紙には店名と住所、一番下には簡単な地図が書いてある。
「ネット?」
 パソコンを使うのは俺より周平の方が上手い。克巳に習ったと言っていた。
「ううん。昨日、新宿の紀伊國屋へ行く用事があったから、ついでにオカマバーも回ってきた」
「求人広告でも貼ってあったのか」
「一軒一軒店に入っていって尋ねたんだよ。『フロアの求人はありますか』って」
 俺は本気で感動した。
「お前、いい奴だなぁ!」
「気付くのが遅いよね」
 周平はシャーペンの先で店名をつついた。
「この店がおすすめかな。赤鬼みたいなおじさんが出て来て丁寧に受け答えしてくれた。『あなたは金運は良いけど恋愛運はイマイチねっ でもきっといつか素敵な出会いがあるわ!』だって」
「完全に恋人いないと思われてるな」
「占いは大はずれだけど、ああいう世話好きな人がいると職場の雰囲気が悪くならないんじゃないかな」
「ああん、どうしよう。あたし、履歴書上手に書けな〜い! そもそも履歴書を買うお金がな〜い!」
「余ってるの分けてあげるから、急におネエにならないで…… 心臓に悪いよ」
 周平の指導のもと、俺は生まれて初めて履歴書を書いた。働くのだって初めてだ。プレッシャーで胃の調子がおかしかった。
「失敗したって良いんだからさ、肝試しだと思って行っておいでよ」
「お化け屋敷か」
「そうそう。イベントとして楽しんじゃうんだ」
 周平はとうの昔に大手電機企業への就職が決まっていた。知り合った当時はうすらぼんやりしていた周平が、いつの間にか俺より大人になっている。尊大に振る舞っていた自分が情けなかった。
 オカマバーではどんな人材が求められているのだろう。お客を喜ばせ、人気者になれる人。お客は何を喜ぶのか。何はともあれ、客はまずオカマが見たいのだ。ニセモノだとバレたら「金返せ」と怒り出すかもしれない。
 俺は…… あたしは本物のオカマだ。どう頑張っても男らしくなれず、注意してないと言葉や動作がつい女性的になってしまう。男として生きることを強要してくる世間に嫌気が差して、オカマバーで働こうと決めたのだ。
 世間に嫌気が差してるのだけは本当だな。

**********
「姉さん。僕は、貴族です」
 は、太宰治「斜陽」からの引用です。
 
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贋オカマと他人の恋愛(その7)

 母親のタンスからブラウスを無断借用する。袖や首回りがゆったりしているデザインで、着てみると、試着して買ったみたいに体に馴染んだ。耳の後ろに香水をかける。母親の匂いがして心が休まる。いや、休んでる場合じゃない。
 化粧をしていった方が良いだろうか。……いや、やめておこう。洋服用の化粧は経験がない。女装に慣れたオカマを演じたらボロが出る。男にも女にもなれず戸惑っている、という演技の方が嘘が少ない。男の格好をしながら、はしばしからにじみ出る女っぽさ。それはそれでかなり高度だ。けれども難しい踊りに挑戦するような心地好い興奮があった。詰まるところ俺は、俺ではない何かになるのが大好きなのだ。
 目の細かい櫛で髪を整え、眉とまつげの乱れをチェックする。ヒゲはかみそりで怪我をしないギリギリまで深剃りした。鏡台の引き出しにチューブ入りのリップクリームがあったので、小指に出して塗ってみる。天ぷらを食った後ようなツヤが出た。
 これが今の俺の精一杯だ。
 周平くん、あたし頑張る。

 面接のために通された部屋は、表のケバケバしいネオンとはかけ離れて、無個性かつ殺風景だった。灰色の棚。灰色の事務机。乱雑に積み重なった書類。机の向こうに座っている人は「社長」と呼ばれていた。顔を真っ白に塗っており、能面の白式尉と姥(じいさんとばあさん)を足して二で割ったよう。人間存在を超越したオーラがあった。
「あなた日舞やってんの」
 社長は履歴書の特技の欄を見て言う。
「下手っぴなんですけどっ 踊っている間はお姫様になれるのが嬉しくって。『男の子だなんて思わなかった』とか『女の子より可愛い』とかとか、いっぱい褒めてもらってぇ……」
 全部嘘じゃねえぞ。襟あしやブラウスの袖口を指でいじり、上目遣いで社長にちらりと視線をやった。
「踊ってみてよ」
「ええ〜っ ほんっと、好きなだけで全然上手じゃなくてぇ〜」
 頬を両手ではさんで二、三度首を振り、困り顏でパイプ椅子から立ち上がる。予想通りだ。そう言われるだろうと思い「京鹿子娘道成寺」を練習し直しておいた。自分が最も可憐に見える場面を、唄いながら踊る。
「どうでもおなごは悪性者〜」
 ブラウスとズボンという姿だと、かなり間抜けな感じがする。しかし「現代のオカマ」より「昔の女」を演じる方が慣れていて気が楽だ。
「都育ちは蓮葉なものじゃえ〜」
 俺は床に体を横たえ、ねちっこく流し目を送った。無垢な娘から遊女の顔へ。あたしを、買ってください。
「ふうん、お金に困ってるんだ」
 つい素に返って息を呑んだ。
「どうして分かったんですか?」
「何年この仕事してると思ってるの」
 本当に何年なんだろう。数百年?
「弁天小僧にならないでよね」
「ゆすり、かたりなんてしません! お店のお金に手を付けるとか、そういう心配は……」
「そっちじゃないわよ。お客の前で正体を明かすなってこと。にせオカマ!」
 社長は般若の顔になり、両目をビカッと光らせた。本当に光った! 恐怖で全身に撃たれたような衝撃が走り、それが落ち着くと、悲しい気持ちになった。失敗か。どんな職場なら俺を受け入れてくれるのだろう。時給の安いバイトでは学費が出せない。サラリーマンになったら勉強の時間が作れない。
 社長はホッホッホ、と高い声で笑った。
「傷つくと、憎たらしいほど可愛くなるのねぇ。ずーっといじめてようかしら」
「いえ、帰ります。お時間取らせて申し訳ありませんでした」
 椅子を引いて立ち上がろうとすると、
「あら、ぶりっ子はもうやめたの?」
「才能が無いようなので諦めます」
「諦めが良いのは美点じゃないわよ」
 俺は社長の顔を見た。普通の、優しげなおっさんの顔だった。色が白いだけで。
「働きたいなら働けば良いじゃない。その花のかんばせも十年経てばギトギト、二十年経てばシワシワになって、二度と元に戻らないんだから」
「花の色は移りにけりないたづらに」
「その通り。花が散るまで、飲んで歌って騒がなくちゃ。頭にネクタイ巻いてね」
 よく分からないが、俺は採用されたらしい。大学の授業のことなどを尋ねられ、とりあえず来週から週三回来るように言われた。
 社長のいる部屋を出ると、赤鬼そっくりのおじさんが目をキラキラさせて近付いてきた。これが周平を占った奴か。
「どうだった? 合格でしょ?」
「そうみたいです」
「キャーッ! じゃあ今日からお仲間ねっ あたしたち、とっても仲良しになれる気がする」
 どうだろう。俺がテンションについていけてないことなどお構いなしに、赤鬼は両手で俺の右手をつかんで激しく振った。
「いたらない点も多いと思いますが……」
「堅苦しいあいさつは無しよ! ここは夢の国なの。浦安にディズニー、新宿にオカマバー。世知辛い世の中を生きる人々には、夢と希望が必要なの」
「はぁ……」
 赤鬼は一歩下がって、俺の顔や体を上から下までジロジロ眺めた。
「白雪姫も裸足で逃げ出すような美しさねっ あなたはきっと沢山の人を楽しませて幸せに出来る!」
 また当たらない占いか。先輩だと思うと邪険にする訳にもいかず、俺は再びぶりっ子になろうと決めた。
「自信ないんですぅ〜 お仕事するのも初めてだしぃ〜 女の子の格好も〜 日舞の時しかしたことないしぃ〜」
「大丈夫!」
 赤鬼は俺の耳にすっと口を近付け囁いた。
「あたしもね、妻と子どもがいるの」
 え? 何も答えられずにいると、赤鬼はチェシャ猫の笑みを浮かべて、
「世界はあなたが考えるより滅茶苦茶で支離滅裂だから安心しなさい。学生は同じ年代の、似たような境遇の人とばかり一緒にいるから、知る機会がなかなかないと思うけど」
 安心? こいつもにせオカマ? ゲイじゃないだけ? 偽装結婚?
 一番の問題は、俺がにせオカマだってバレてることだ!
「俺の女の演技、そんなに下手ですかね」
「お仕事始まったら、特訓してあ・げ・る」
 赤鬼はフフフと笑う。変な奴だが、性根は悪くなさそうだった。
「あたしの名前は『ゆめこ』よ。あなたは?」
「七瀬耕一です」
「じゃあ『ナナちゃん』ね。この間お店に来た可愛い坊ちゃんはお友達? 丸眼鏡の」
 ゆめこさんはそう言って人差し指と親指で丸を作り、目に当てる。前に母親も周平を可愛いと言っていた。意外とおばちゃん受けが良いんだな。
「そうです」
「あの子、自分をウブに見せるのが上手ね。油断しちゃダメよ」

 家に帰るとどっと疲れが出た。今日一日で十年くらい経ってしまった気がする。明日になったら髪が真っ白になっているんじゃないか。
 幸い鏡の中の寝起きの俺は、二十二歳の見た目のままだった。あの店は竜宮城ではなかったらしい。どんよりした顔を冷たい水で洗って目を覚まし、学校へ向かう。
「オカマバーへの就職が決まった」
 俺が神妙に報告すると、周平は目を見開いて固まった。
「本当に?」
「そうだよ」
「本当の本当に?」
「そうだよ」
「本当に本当の本当に?」
「しつこい!」
 一瞬の間の後、周平はぎゃっはっは、ぎゃっはっはと泣きながら大笑いした。
「まさか本当に面接に行くとは思わなかった〜」
「お前が見つけて来たんじゃないか!」
「全部冗談のつもりだったんだよ。履歴書まで書いちゃって、ノリが良いなぁ、って感心してた」
「冗談であそこまでやるか?」
「だって、七瀬がオカマになるなんて絶対無理だと思ってたから。おネエでもゲイでもないってすぐバレたろう」
「よく分かるな」
「君には自分がどう見えるかという意識がまるでないじゃないか。ゲイはこの社会で少数派だから、目立って攻撃されないために何かしら工夫してるはずだよ。僕だってゲイじゃなかったら『普通』になるために努力したりしなかった」
 俺は驚いて周平の顔を見た。
「お前はただ平凡なんじゃなく、意図的に平凡なのか」
「どうだろうね。どこまでが作った自分で、どこまでが本当の自分かなんて分からないよ。ただ、ゲイだったことは人格形成に影響を与えたと思う。あの人目を気にしない克くんだって、彼なりに色々苦労してるみたいだし」
「あいつは妙にピリピリしてるよな」
 周平は左右を見て、克巳がいないことを確認した。教室まで入ってくることは滅多にないのだが。
「克くんには絶対に言っちゃダメだよ」
「何だ、秘密の暴露か」
「たぶん彼は、もっと女の子みたいになりたいんだと思う」
「今だって十分女の子じゃないか」
「あれで男らしくしてるつもりなんだよ」
「お前の前だと女っぽくなったりするのか」
「逆。僕の前だともっと男っぽくなろうとする。でも時々、左利きの人が右利きに矯正してるような歪みを感じる。僕としては、もっと楽に生きて欲しいんだけど」
 周平は誰もいない空間をじっと見つめた。
「ゲイっていうのは外から差別されるだけじゃなく、自分の中の気持ちの整理も大変なんだな」
「そういう繊細な人たちのサンクチュアリに土足で踏み込もうとしていることは忘れない方が良い」
 周平はいつも通り、穏やかな微笑みを浮かべている。しかしその内側に、熱い怒りがあるのは明らかだった。
「なあ。俺は酷いことをしようとしてるのか?」
「君を責めてるんじゃない。ただちょっと気をつけて欲しいと思っただけだよ」
 周平は俺の顔を見て、目を細めた。
「本格的に女装したら、さぞや美しくなるだろうね。お店としては不細工な本物のオカマより、綺麗なニセモノのオカマの方がありがたいはずだ。何よりお客を喜ばせるのが大事だもの」
「残酷だな」
「商売というのは徹頭徹尾、残酷だよ。……七瀬は僕だけのものだったのに、みんなのものになっちゃうんだね」
「なあに、それ。愛の告白? 克くんに言いつけちゃおうかしらっ」
「いややや、本気でマズいからやめて」

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「花の色は移りにけりないたづらに」
 は小倉百人一首(小野小町)からの引用です。
 
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