2015年12月29日

死神(その5)

「この扉の先で見聞きしたことは、決して口外しないでください。家族や親しい友人であっても」
 ダークスーツの男は表情を変えずに藤木を一瞥する。
「もちろんですよ! 秘密をもらしたことなんてありません」
「ネットで検索すると、あなたの仕事の情報が際限なく出てくるものですから」
「依頼人が勝手に自分の情報を広めているだけです」
 病院の特別室の扉が開かれる。久々の大きなチャンスだ。何が何でも成功させて、商売を再び軌道に乗せなければならない。
 ベッドに横たわる男を見て、藤木は大声を上げた。
「S社長だーっ!」
 世間に疎い藤木も、ネット企業や携帯電話会社を経営して巨万の富を築いたS社長の顔は知っていた。
「この人、自分とこの球団が優勝するとグランドに飛び出てくる人ですよね?」
 ダークスーツの男は口の前に指を立てて藤木をにらみつけた。藤木はS社長の枕元を確認する。ああ、まただ。半透明の死神が、業務開始時刻を待つように、直立不動の姿勢でそこにいた。
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。そんな歳でもなかったと思うんだけどな」
「巨大グループを運営していくのは並大抵のことではありません。一般人の百倍、千倍の心労に耐えて来たのです。世界中から名医をかき集めましたが、みな匙を投げました。あなただけが頼りです」
 男の真剣な視線から、藤木は目をそらす。
「成功したら、三十億円差し上げます」
「さんじゅうおくぅ?」
 桁外れの金額に、藤木の頭は真っ白になった。
「もし社長が死去すれば、我が社の株は大暴落するでしょう。その損失を思えば三十億など、はした金です。さあ! 我々を助けてください!」
 仕事の依頼にしては威圧感たっぷりだった。
「そんなこと言われても……」
 三十億。三十億。三十億。数え切れない一万円札がぐるぐる渦を巻いて天空に昇ってゆく。
 藤木は脳みそを絞りに絞って考えた。惰性と成り行きで生きてきた藤木にとって、それは人生で最初で最後の輝かしいひらめきだった。
「腕っぷしの強い男を四人、集めてください」
「千人でも二千人でも集められますが」
「そんなにいても用はないんで…… いくら筋肉ムキムキでも、どんくさい奴はダメですよ! 力があってすばしこい奴を四人、お願いします!」
 病室にやってきた四人の男を、藤木はベッドの四隅に配置した。
「合図をしたら、ベッドを半周回転させてください」
 一時間、二時間経っても、死神は同じ姿勢を崩さない。四人の男たちはじりじりと合図を待ち続けた。
 日が落ち、夜が更け、空の黒が薄くなってゆく。もうじき夜明けかという時刻、とうとう死神はコクっと首を落として居眠りした。
「今だっ」
 四人の男たちが素早くベッドを動かす。S社長の頭は死神から離れ、代わりに二本の足がそちらに向けられる。足側の死神。これなら俺にも消せる!
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!
 予想外の出来事に死神は怒りの形相になり、全身が白く燃え立った。炎の中でもだえながら、死神は射るように藤木の目を見る。
 仕事中に死神が藤木の方を向いたのは、それが初めてだった。

 死神が消えてS社長は全快し、
「やりましょう!」
 と叫び始めた。
 三十億を受け取るための手続きを終え、藤木は自分の力で金を稼いだ満足感にひたりながら朝焼けの道を歩いた。
「すごかったねぇ!」
 聞いたことのある声に振り向くと、そこには丸眼鏡の、ふくふくとした頬の男が立っていた。
「おお、お前は俺に呪文を教えてくれた死神じゃないか」
「たくさんの死神を見て、僕を忘れてない?」
「忘れっこないさ。命の恩人だからな」
 死神は頬を赤くして藤木の隣を歩く。
「ベッドをひっくり返すの、素晴らしいアイデアだったね」
「見てたのか」
「そりゃあね」
「よく思い付いたなって、自分で自分を褒めてやりたいよ」
「ねえ」
 死神は足を止め、道沿いの東武東上線を指差した。
「朝までやってる美味しいお店があるんだ。お祝いに飲まない?」
「おお、良いな! 俺がおごるよ。何しろ三十億儲かったからな。三十億!」
 店は線路の反対側だからと、死神は地下道の階段を降りていった。藤木も鼻歌を歌いながらついてゆく。
「ずいぶん深い地下道だなぁ」
 降りても、降りても、まだ階段は続いている。死神が何も言わないので、藤木も黙って死神の背中を追った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:25| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その6)

 階段が尽き、死神と藤木は開けた場所に出た。
「何だここ……」
 ほの明るい。足元でろうそくが燃えている。よく見ると、前も、後ろも、右も、左も、燃えるろうそくが無限に並んでいる。
「これは、人の命のろうそくだよ」
「命のろうそく?」
「たとえば」
 死神は炎の弱々しい、長細いろうそくを指差した。
「これは君の友達の、淳二さんのろうそく」
「あいつ、命そのものがジメジメしてんだな」
「でも、低空飛行のまま長生きするんだ」
「細く長くか…… こっちの今にも消えそうなやつは?」
「君のろうそくだよ」
 世界がしんと静かになった。俺の? 俺の命? 藤木は発狂したかのように声を裏返しながら怒鳴った。
「何で消えそうなんだよ! 俺、どこも悪いとこなんて無いのに!」
「だって、S社長のろうそくと取り替えちゃったじゃないか。ベッドをひっくり返した時に」
 全身の血の気が引く。
「そんな話、聞いてない」
「死神が頭の側にいたら手を出しちゃいけないって、ちゃんと言ったよね。君だって分かっていたはず」
「やったら死ぬなんて聞いてない。聞いてねぇよ!」
 殴りかかる藤木の腕を、死神は軽々とつかんで止めた。
「一番大事なことはね、誰も説明なんてしてくれないんだよ?」
 藤木はへなへなとその場にくずおれ泣き出した。
「助けてくれ! 俺のことが好きだって言ったじゃないか、なあ! 裸になって踊っても良いから」
「何だか僕、残虐な王様みたいだねぇ」
 死神はニコニコして言う。
「でも残念ながら、人間の肉体にはあんまり興味ないんだ。その代わり、もう二度と女遊びしないって約束してくれたら、この燃えさしのろうそくをあげる」
 藤木は死神にすがりついた。
「する、するよ! 死んだらお終いだからな」
 藤木は火を移そうと、小さく縮んだ自分の炎に、新たなろうそくを近付けた。
「でもさ」
 死神は優しく目を細める。
「最初にあげたチャンスだって、君は無駄にしちゃったんだ」
「つかねぇ…… つかねぇ!」
「今回のチャンスも、また無駄にしちゃうんじゃないかな?」
「ゴチャゴチャうるせぇっ つ、つかねえ」
「君はそういう男だから」
「クソッ! 芯が、もう……」
「ほら、消えそうだ。消える、消えるよ……」
 ばったり倒れた藤木を見つめ、果てしないろうそくの火の森で、死神は微笑む。
「僕の世界にようこそ」

(終わり)
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:20| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その7)

  あとがき

 落語の中では珍しいのではないかと思うのですが、「死神」のストーリーやオチは落語家さんによってずいぶん違います。演じる人の人生観がにじみ出て、誰のを見ても、何度見ても、飽きない。
 落語と最も大きく変えたのは、時代と、死神の性格です。
 落語「死神」の舞台は江戸時代なのかなぁ。主人公はいきなり医者として働き始めます。医師法みたいなものはなかったんですかね。時代を現代に移し、無免許でも逮捕されなさそうな「スピリチュアル・アドバイザー」にしてみました。
 落語「死神」の死神は、もっといかにもな死神。おじいさんで、汚れた服を着て、化け物のような雰囲気で観客を恐怖に陥れる。
 この作品の死神は「一見良い人風だけど、実は」なタイプ。自作語りになってしまって申し訳ないのですが、私の小説「贋オカマと他人の恋愛」などに出てくる周平という登場人物の「生まれなかった弟」という設定です。周平がさりげなく持っている邪悪な部分を、この作品では前面に押し出せたので楽しかった♪
 落語や能、歌舞伎など、古くから愛され研ぎ澄まされた物語には、人智を超えた力強さがあるように思います。今回のように翻案したり、自作を構成する際に参考にしたりすると、自分一人では辿り着けない場所にふっと連れていかれる感触がある。時々そういう物語の宝に頼りながら、自分の描けるものを広げていきたいです。
 最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

  柳田のり子
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:17| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その1)

 これから話すのは、壊れてゆく恋の話だ。なるべく楽しく語りたいとは思うけれど、何しろ結末が決まっている。それぞれの立場で出来得る限り足掻きもがいたのに、逃れようがなかった。俺も、周平も、克巳も。
 救いがあるとすれば、これが俺の恋愛ではなく、他人の恋愛だったということだ。他人の話にいちいち傷つく必要はない。バカは克巳だけで間に合っている。
 そもそも妙な話なのだ。周平が克巳の携帯に電話をかけると、まず知らない男が出た。その後、
「周平?」
 という克巳の声を聞き、周平は通話を切った。普通に考えて、浮気相手を電話に出すか?
 とにかくそれが二人の関係の終わりで、克巳の破滅の始まりだった。
 周平と克巳がどこで知り合ったのかは知らない。俺と周平は大学の専攻が一緒だった。俺が教室で弁当を食べながら本を読んでいると、隣の席の男が声をかけてきた。
「本、好きなの?」
 振り向くと、丸眼鏡の福々とした男が嬉しそうに微笑んでいる。ここは文学部だ。本が好きなのは当たり前じゃないか。そいつの手元を見ると、俺と同じように左手で文庫を持ち、右側にパンが三種類ほど置いてある。
「何読んでるの?」
「日本永代蔵」
 俺の答えを聞いて、その男は目をぱちぱちさせた。
「い、井原西鶴……?」
「そうだよ」
「古典を読んでる人なんて初めて見た」
「試験でみんな読むじゃん」
「試験だけでお腹いっぱいだよ」
 俺が読書に戻っても、そいつはまだ話したそうにこちらを見ている。しょうがないので質問してやることにした。
「お前は何読んでるの?」
「村上春樹」
 ちゃらちゃらした流行作家の本を読みやがって。俺の気持ちは顔にそのまま出ていたと思う。
「君の好きな作家は?」
「琵琶法師」
 真面目に答えたつもりなのに、腹を抱えてゲラゲラ笑う。
「君は面白い人だねぇ! 最近の作家で好きな人はいないの?」
「うーん、樋口一葉とか?」
「それ全然最近の作家じゃないよ」
「死んで百年以上経った作家じゃないと興味湧かないからな」
 何故か急に笑いを止めて真剣な顔つきになる。
「もしかして君、生きてる作家の本は読まない?」
「読まないね」
「もしかして君、村上春樹ファン?」
「死んだ作家の本しか読まないって、今言ったばかりだろ! 村上春樹は生きてるじゃないか」
「ふぅん……」
 頬杖ついて何やら考えている。
「どうして死んだ作家にしか興味がないの?」
「駄作を読む時間がもったいないからだ。死んで百年も経てば、つまらない作品は忘れ去られて勝手に滅んで、読むべき価値のある作品だけが生き残る。人生は永遠じゃない。無駄なことはなるたけしたくない」
 このおしゃべりも無駄な気がしてイライラする。男は俺の眉間に寄り始めた皺のことなど頓着せずに、ゆったり自己紹介した。
「僕は隅田周平。君の名前は?」
「七瀬耕一」
 無礼で横柄で、俺の第一印象は相当悪かったと思う。しかしどこを気に入られたのか、その日から周平にすっかり懐かれてしまった。授業で会うと、必ず近くの席に座って話しかけてくる。
「七瀬は二年からどのコースに行くつもり?」
「演劇専修」
「僕も同じだ。受かると良いねぇ」
「良いねぇじゃねえ。絶対行く」
「もしかして俳優を目指してるの?」
 まただ。今までの人生で何回言われただろう。耕一ちゃんは歌舞伎役者になるの? それよりジャニーズよ。本当に、女の子みたいに綺麗な顔ね! 華慧先生の所で日舞を習っていたおばさんたちの声が頭に響く。うるさい、うるさい。
「俺がやりたいのは研究だ。周平は演劇行って何するつもりだ」
「実は映画もドラマも全然好きじゃないんだけど、村上春樹が大学時代に演劇を勉強していたっていうから」
 ミーハー過ぎる。俺があからさまに呆れても、周平は一ミリも悪びれずほがらかに微笑む。
「昔テレビに出てた? 子役とかで」
「出てないよ」
「雰囲気が普通の人と違うからさ。何て言うんだろう、後光が差してる」
「観音様か!」
 俺は内面と外見が乖離していた。単なるガリ勉の伝統文化オタクなのに、見た目が無意味に派手だった。服だけでも地味にしたかったが、洋服を決める権利は母親にあった。俺を連れて好みの店に入り、こう言うのだ。
「この子にぴったりの服を選んでちょうだい」
「まあ、可愛らしいお坊ちゃんですねぇ。選び甲斐がありますわ」
 その結果、俺の服装は常にバラエティー番組に出てくる芸能人のように軽薄だった。四角い顔をして黒縁眼鏡でもかけていれば、俺はずいぶん落ち着いて生きられただろう。
 克巳を初めて見かけたのは、大学一年の夏休みが終わった後だ。ぶら下がるように周平の腕をぎゅっとつかんでいて、俺は最初、
「あの周平にも彼女がいるのか」
 と感心した。それにしても、かなりボーイッシュな女だ。いや…… あれは男? ということは友達か。友達にしては、距離の近さが異常だ。具合の悪い人を支えてる? 二人は見つめ合ったまま笑い声を上げた。どちらも元気そうじゃないか……
 周平がゲイで、彼氏とベタベタしている、という状況を飲み込むのにしばらく時間がかかった。それまでゲイというのは、オカマっぽくなよなよしているか、筋肉ムキムキか、世間に背を向けた芸術家か、とにかく普通とは違う人間がなるのだろうと勝手に考えていた。
 平凡が服着て歩いているような周平が、ゲイだなんて。相手の男も、デカい肩かけカバンを持った垢抜けない学生だった。背が小さくて、長めの茶色い髪がさらさらしている。
 教室にやってきた周平に、俺は言った。
「夢を壊すんじゃない」
「何が?」
「ゲイというのはもっとエキセントリックなものだと俺は思っていた」
「見てたのか」
 周平は珍しく困り顔で、頬を赤くした。
「彼、理工学部で、同じ学年なんだよ。文学部のキャンパスにも来るようになっちゃって」
「安珍だな」
「アンチン?」
「安珍清姫。道成寺の話だよ。坊さんの安珍を好きになった清姫が、蛇になって追いかけてきて、釣鐘に隠れた安珍を焼き殺す」
「そんな物騒な話じゃないんだけど。僕、逃げてないし。両思いだし」
「ああそうかい」
「でも確かにちょっとやっかいなこともあってね……」
 周平は俺の顔をちらりと見た。
「今度、三人で会ってくれないかな」
「3Pの誘いか」
「いややや、友達になろうって、ただそれだけだよ」
 何で俺が貴重な時間を割いてゲイカップルの相手をしなければいけないのか。しかしすぐ思い直した。日本は古来、恋愛に対して寛容で、古典文学では時折同性愛の記述が出てくるし、伝統演劇も男色と深い関わりがあるのだ。
「いいよ。後学のために」
 そして俺は、嵐に巻き込まれる羽目になる。
 学食の前にあるテラスへ行くと、周平の彼氏が白い椅子にだらしなく座って、丸テーブルの脚をカンカンと蹴っていた。
「克くん」
 前髪がさらりと横に流れ、物憂く潤んだ瞳が周平を見上げる。
「へー 女の子みたいで可愛いな」
 他人の持ち物を褒める気分で軽く言ったのに、そいつは立ち上がって俺の胸ぐらをつかんだ。明らかに悪意のある目で俺を睨む。
「何だよ、いきなり!」
 そのまま突き飛ばされそうになるが、幸い力が弱く二歩よろけるだけで済んだ。
「おい周平、何なんだよ、こいつは!」
「克くん落ち着いて」
「周平に近付くな!」
「へ?」
 全身の毛を逆立て全力で怒っているのはよく分かる。けれども背が低く、顔も丸くて小さいし、子どもがふくれているみたいで噴き出しそうになる。
「うん、今後一切周平には近付かない。じゃっ!」
「いや、それじゃ困るんだよ」
「周平は何でこんな奴に執着するんだっ 失礼だし、全然良い奴じゃないじゃんか」
「だから友達だって何度も……」
「友達なんてやめちゃえ!」
 修羅場か。俺はニヤニヤするのを我慢出来ない。蛇に焼かれている周平をどう助けてやるか。俺は財布からテレホンカードを出し、怒り狂うチビに見せた。
「悪い。俺はこういう世界の人間なんだ」
 上から見下ろされるのも腹を立てる原因になるだろうと思い、俺だけ椅子に座る。
「綺麗…… ねえ、周平見て」
 二人は態度をコロっと変え、頭を寄せてカードを見た。
「本当だ。これは歌舞伎?」
「日本舞踊。藤娘をやった時の写真だ」
 二人は同時に俺の顔を見る。
「これ、君?」
「そうだよ。高二の時の」
 顔を見合わせ、再びこちらを見る。
「オカマ?」
「お仲間?」
「女形と言ってくれ」
 チビはカードを面子のようにテーブルへ叩きつけた。
「ナルシスト! 女装した自分の写真をテレホンカードにして持ち歩くなんてバカじゃないの」
「いや、母親が作るんだ。しかも計算が雑だから、例えば三百枚で間に合う時でも五百枚くらい頼んじゃって、うちには大量の俺のテレホンカードが余っている。欲しければやるよ」
「いらない!」
「ねえ、何でそんなにテレホンカードを作るの?」
 藤娘を拾って俺に返しながら、周平が首を傾げる。
「発表会で配るんだ。これは高三の冬、京鹿子娘道成寺をやった時に、三味線弾く人とか、衣装の準備をしてくれる人とか、あと見に来てくれた人にも渡した」
「七瀬ってもしかして、金持ち?」
「周平、どこ見てんだよ。こいつの服、上から下まで全部ブランドものじゃん。下品なんだよ」
 さも憎々しげに言って椅子を蹴る。
「このチワワの悋気をどうにかしてくれ。お門違いにも程がある」
「リンキって何?」
「お前は本当に文学部なのかっ」
 まるで役に立たない周平のことは諦めて、俺はチワワの目をまっすぐ見つめた。
「『女の子みたいで可愛い』っていうのは褒め言葉で言ったんだよ。子どもの頃から女みたいだと言われ慣れてて、嫌な気持ちになるって忘れてたんだ。俺も踊ってる時以外は女っぽいなんて言われたくない。ごめん」
 チワワは視線をすっとそらした。
「マザコン」
「マザコンじゃない。母親が俺を大好きなんだ。そうなると、色々しょうがないだろう?」
 それでようやく、チワワの攻撃は収まった。
 周平の最初の恋人、辻堂克巳。とんでもない奴だとは思ったけれど、周平が克巳を好きになった理由は少し理解出来た。克巳は顔が可愛かったし、可愛い女に振り回されるのを喜ぶ男は大勢いる。そのゲイ版だと考えれば分かりやすい。
 それより克巳が周平に夢中になっていることの方が謎だった。わざわざ俺にケンカを売りに来るほどのぼせ上がって、そんなにイイ男か? まあ悪い奴じゃない。優しいのかもしれない。でもそれだけじゃないか。
 勝手にしろ。俺に迷惑をかけるな。俺にはやるべきことがわんさとあるのだから。

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「生きてる作家の本は読まない?」
 は、村上春樹「風の歌を聴け」からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:09| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする

贋オカマと他人の恋愛(その2)

 ずっしりと重たい衣装の裾が、恋と恨みを語り始める。強過ぎる照明に顔を焦がされ、眩しい。けれども決して目を細めたりしない。暗い客席のどこかにいるはずの母親に、俺はとびきりの流し目を送る。
 舞台の光の中にいる自分と、教室で下を向き必死に本を読む自分。本当の人生は、どちら側にあるのだろう。

 俺が生まれる少し前、近所に私鉄の新しい駅が開業した。そのあたり一帯の土地の権利を持っていたのが、俺の母親だった。昔から住んでいた農家という訳ではないらしい。母親の過去は全くの謎だ。父親にも会ったことがない。
 財閥系の不動産屋が周辺を開発することになり、母親は躊躇せず土地を売り払った。自宅用に残した五十坪に質素な平屋を建て、外で働くこともなく、ただただ毎日、湯水のように俺に金を注ぎ込んだ。
「お母さんはどうして着物を着ないの?」
「みんなが着物を着ている時に着物を着たって目立たないじゃないの」
 日本舞踊の発表会。金糸の刺繍を散らした派手な着物のおばさんたちの中で、真っ黒いドレスを着た母親は、結婚披露宴に葬儀の参列者が紛れ込んだように浮いていた。不吉な未亡人のようだった。
 ピアノや水泳ではなく日舞を習わせたのも、みんなと同じでは目立たない、ということだったのかもしれない。実際に華慧先生の弟子の中で、男の子どもは俺だけだった。
「歌舞伎の養成所に入るの?」
 先生以外のおばさん全員に訊かれた気がする。役者との血縁のない人間が歌舞伎の世界で名を上げるには、魔術のような所作の美しさが必要だ。俺は踊りが嫌いではなかったし、生来真面目で稽古も家での練習もサボらなかったが、それだけだ。部屋の中に雪を降らせ、見えない山を見せる、常人にはたどり着けない境地を目指す情熱はなかった。華慧先生はそのことをよく分かっていた。
 師範名取の資格は取っていたから、近所の人に踊りを教えつつ市井の舞踊家として生きる道もある。しかしそうして日舞の狭い世界で実績を積み重ねても、子どもの頃から膨らみ続けている苛立ちは消えない。
 俺はいつも学校の教室で、静かに腹を立てていた。クラスの誰とも話が合わないからだ。ここは日本なのに、何故アメリカ文化の劣化コピーみたいなダンスや歌ばかりテレビで流すのか。みんな疑問も持たずにそれを楽しんでいる。歌舞伎や邦楽を好む俺が、どうして少数派にならなければいけないのか。愛想笑いをせずに済むよう、早々に友達は作らないと決めて、休み時間は読書に充てた。
 俺は世界を変えたかった。全員日舞をやれとは言わないが、古くから日本にあったものをもっと大切にして欲しい。そのために、まずは自分が伝統文化を深く理解しなければいけない。高三の発表会で日舞はやめて、大学に入ったら研究に集中しよう。
 一番気になったのは母親の反応だった。テレホンカードや、俺の写真をイラストにして染め抜いた手ぬぐいを配り歩き、役者のパトロン気取りでいる母親を、悲しませるのは忍びなかった。
「先生にはもう、やめるって言ってあるんだ」
 京鹿子娘道成寺を演じ終えた帰り道、俺はかなり悲壮な声でそう告げた。
「良いんじゃない?」
 母親は拍子抜けするほど明るく言う。
「歌舞伎役者になって欲しいとか、思ってたんじゃないの」
「別に何も考えてないわよ。この子が踊ったら可愛いだろうなぁ、と思ったかな、始めた時は。実際に可愛かったし、綺麗だったし。あんただって嫌がらずにお稽古してたじゃない」
「この発表会にいくらかかった?」
「さあ。ちゃんと計算してないから分からないけど、八百万くらいかしら。銀行から一千万下ろして来て、まだ残ってる。ほら、春には大学の入学金も必要でしょ」
 母親は楽しそうに笑ってこちらを見た。
「何かになるために、日舞をやってたの?」
「そうしなきゃいけないんだと思ってた」
「ケチ臭いわねぇ! お母さん、そういうの大嫌い」
 立ち止まり、冷たく光る冬の星空を見上げ、目を瞑る。
「今日のあんたの踊り、夢みたいだった。私の息子なんですって、みんなに言って回りたかった。今日、幸せになれたんだから、それで良いじゃないの。明日が必ず来るなんて保証、どこにもないのよ」
 お母さんはもう何かになる必要がないから、そんな風に刹那的になれるんだ。俺はこれから身を削って努力して、何かにならなければいけない。人に大きな影響を与えるような、偉大な何かに。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:08| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする