塚沢冷機工業が倒産した。仕方がないので川口駅からそごうに向かって伸びる橋の上で占いを始めた。
街灯と花壇にはさまれた薄明るい空間に店とも言えない店を広げ、冷たくなり始めた風に吹かれてお客を待ち続けるのは辛かったが、この夏、塚沢冷機の社員全員に降りかかった災難に比べれば、秋風なんて大した事ではなかった。
「四月いっぱいで全員解雇」
合併でも吸収でもなく綺麗さっぱりつぶされる、と確定した三月初旬、経営者から社員に向けて、こんな発表があった。
おかしい。倒産決定から解雇まで二ヶ月弱。そんなに早く残務処理を終えられる訳がない。私はぴんと来た。
これは長引く。
何てったって私の場合、企業の倒産に付き合うのは三度目なのだ。でもまあ多分経営者は経営の知識はあっても、倒産の経験は少ないのだろうから(何度も倒産すればすっかり懲り懲りし、会社経営なんて危ない仕事に二度と手を出さないだろう。そうでもない人もいるか。)何が起きても大目に見てやろう。
会社に対してそんな寛大な態度を取ったのは、私だけだった。
当たり前の話だが、社員、特に女房子供を抱えた中年男性社員にとって、「つぶれゆく会社」などより「自分の今後」の方がずっとずっと大切である。その論理で多くの社員が最後の仕事をほっぽらかし、再就職先を探し始めた。そしてさらにその当然の結果として、
「次の仕事は失業保険を全額もらった後考えれば良いや」
というようなのん気な若手社員、及び経営者に個人的な義理や恩のある少数の古株社員が、清算業務に忙殺されるという事態になってしまった。
三度の倒産の度思ったのだけれど、
「倒産でーす! 今日で全員解散!」
と倒産が決まったその日の内に仕事から解放されるなら、どれだけ楽だろう。残務処理くらいやり甲斐のない、馬鹿馬鹿しい仕事もない。債権債務処理。塚沢冷機が設置した設備の保守管理を依頼した会社への引き継ぎ。全て発展のしようのない、単なる後始末に過ぎない。先の見えない、空しいばかりの過密労働のせいで、職場の雰囲気はどんどん悪くなっていった。
「失業したら、みんなで遊ぼうね。」
最初はにこにこしてそんな風に誘い合っていた同僚の女の子達も、日増しに口数が減っていき、仕舞には、不平不満、愚痴、悪口以外の言葉は、口から出なくなってしまった。
みんな不安なのだなあ。私は事務室や倉庫の中を眺めまわし、のんびり思った。穴の開いた船の底に少しずつ水が溜まっていくみたいに、「ぼんやりとした不幸」が床一面に広がり、くるぶし、ひざ、腰の順に、みんなの体を沈めていく。
実を言うと私は、そんな状況が嫌いではなかった。いや、好きと言っても良いくらいだ。「正露丸を飲んでも治らないひどい下痢が三日三晩続く」とか「歯医者さんで歯を沢山削られる」というような「はっきりした不幸」は人並み以上に御免こうむりたいタチなのだが、日没前の暗さに似た、何とも言えないもやもやとした空気の中にいると、ついつい浮き浮きしてしまい、不謹慎な笑みをそっと隠したりしなければならなかった。
私の予想通り、完全な解散日は五月、六月と先延ばしになっていった。その間、再就職先の決まった人は次々と辞めてゆき、行く先が決まらなくても塚沢冷機でやるべき事のなくなった人は、順々に職場を去っていった。私は彼らが職安に持っていく書類を作る係になってしまい、計算機片手に髪振り乱して働いた。
七月に入り、私を含めた若い(今年二十七になるが、この十年新卒を入れていない塚沢冷機においては、まだまだ「小娘」の内である)女性社員に、更なる災いが襲いかかった。
冷房である。夏になれば毎年どの会社でも、室内温度を巡って熱い闘いが繰り広げられるのだろうが、今年はストレスの海に浸かったイライラ人間同士の争いである。当然、激しく醜くなるというものだ。
「そんなに暑いなら、素っ裸で働きゃ良いのよっ!」
その叫び声を皮切りに、女子トイレにたむろしていた事務員達は、一斉に経理部長の陰口を叩き始めた。五十過ぎの経理部長は、仕事の腕が立つ分だけ他人にも厳しく、もともとあまり評判の良い女性ではなかったのだが、この夏は特別憎まれた。何故かと言うと、彼女はこの数ヶ月間の過労のせいで更年期障害を悪化させ、体温調節が出来なくなっていたようなのだ。そのため社内の冷房をことごとくきつくしてしまい、しかも誰かが抗議すると、
「そんな涼しい格好をしているからいけないのよ。短いスカートはやめて、分厚い靴下を履いていらっしゃい。」
と逆に叱り付けるのだ。みんなが怒り狂うのも無理はない。
私はどうしていたかと言うと、陰口に参加する元気もない程、冷え切っていた。席がちょうど「冷房暴風域」に当たっていたせいもあり、骨と皮しかない痩せっぽちの私は、まさに「骨の髄まで」熱を奪われた。経理部長に叱られずとも、厚着、許されるならモモヒキをはいて事務をしたいくらいだったが、行き帰りに暑い思いをするのが嫌で実行せずにいた。
八月。「冷え性」がどんなものなのか、我が身をもって、知った。去年までの夏は、朝、アパートの窓から聞こえるやかましい蝉の声と、暑さによって起こされた。それはなかなか快適な起床方法で、夏の楽しみの一つだったのだが、なんと今年は、毎朝足の冷たさで目が覚めた。寒い寒い寒い寒いとつぶやきながら布団の中で暴れている自分を見つけ、私は起きた。凍える意識が目覚し時計代わり。夏なのに。
痩せこけてから最初に過ごす夏だと、ふと気付いた。去年の私の体には身を守るための肉があり、今より多少、幸福だった。
最終的に全員が解雇されたのは、八月の末だった。「八月無休、九月無給」という救いようのないダジャレを誰かに聞かせる暇もないまま、「失業者沼田きみ子」は会社の外側、世間の荒波の波間、不景気風の吹き荒れる川口の街中に、放り出された。
(もう少しあったかい格好してくれば良かったなあ。)
占い師らしい服装がどんなものなのかよく分からなかったので、近所のリサイクルショップで怪しい服を買い集めた。どん帳よりも厚ぼったくてごわごわした黒いロングスカート。薔薇の柄の入った赤いブラウスに、紫のショール。このショールはマチコ巻きにし、百円ショップで買った黄色いサングラスを上からかけたのだが、これだと風に肩をさらすようになってしまう。
(こんな透け透けブラウス買うんじゃなかったよ。ショールも薄いから肩にかけても意味ないし、もう一枚、カーディガンか何かが必要だなあ。スカートはあまりの重たさに初めは悩んだけど、これで正解だったな。)
折りたたみ式の小さな机と椅子(これもリサイクルショップで買った。ちゃちな作りで、とても安かった)に、私自身。それがこの店の全部だ。水晶玉とか、ラーメン屋の箸立てみたいな棒の束があれば、もっとそれらしくなるのだろうけれど、そういう道具の使い方を全く知らなかった。
机の前には、道行く人にも読めるよう太い大きな字で、
「お代は見てのお帰り」
と書いた紙(カレンダーの裏)を貼ってある。
「料金は占いの後、お客さんが納得のいく額だけ払って下さい。納得いかなければお代は要りません。」
という意思表示をしているつもりなのだが、何となく意味が間違っているような気がしないでもない。でもまあこの紙を見て、お金の心配などせずにここに足を向けてくれる人がいたら嬉しいなあ、と思う。
机にほおづえを突いて、目の前を足早に通り過ぎる人々を眺めていると、頭がぼうっとして来る。夜の駅前にいる人間のほとんどは帰路を急いでいるので、自分の家の方角をキッとにらみ、わき目も振らずただすたすたと行ってしまう。その流れをせき止めるように、数人の男女がたたずんでいる。
「手相の勉強をしているので、見せてもらえませんか?」
彼らはそう言って誰彼構わず呼び止めようとするが、大抵はすげなく無視される。それでもめげずにサラリーマンなりおばあさんなり目標を定めては、相手の歩調に合わせ移動しながら声をかける。見上げた根性だ。
川口駅周辺には数年前まで、
「祈らせて下さい。」
と言って寄って来るお姉さんが沢山いたのだが、最近は見かけない。どこに行ってしまったのだろう。今は別の遠い場所で、祈りを捧げているのだろうか。
そう、「祈り」で思い出したのだけれど、随分前、ちょうど私が今占いをしているこの辺りに、足付きの黒板を立て、その横で聖書を読み上げるお兄さんがいた。
『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。
黒板には白い字で「マタイによる福音書」と書いてあった。お兄さんは緊張しているのか小刻みに震えて、やけっぱちの大声を出していた。
私はその姿から、二番目に付き合った彼氏と一緒に見たアニメ映画を思い出し、感激したのだ。
「二番目の彼氏」は漫画やアニメやテレビゲームに熱狂的な愛を注ぐ、いわゆる「オタク」の男の子だった。それでデートと言えば家の中でそういった作品の鑑賞会ばかりしていたのだが、一つ、とても美しい映画があった。それは宇宙飛行士と宗教家の恋物語で、街角に立ち人類の罪を説くヒロインを見て、主人公は恋に落ちるのだ。そして彼女の無垢さにほだされ、怠惰な生活を捨て宇宙に行こうと決意する。
お互いを全く理解していないにも関わらず共にいようとする主人公とヒロインが、まるで私達みたいだと思い、胸がキュンとした。そして映画を見終わった後その感想を言おうとしたのだけれど、彼氏はロケット発射シーンの映像の緻密さについて得々と語り続けるので、私は何も伝えられなかった。
その後聖書のお兄さんを見かけた事は一度もない。ついでに言うと「二番目の彼氏」ともとっくの昔に別れてしまった。さらに言うと、その次に付き合った「三番目の彼氏」もいたのだが、その人とも別れてしまった。
整理しよう。私には「最初の彼氏」「二番目の彼氏」「三番目の彼氏」がいて、「最初の会社」「二番目の会社」「三番目の会社(塚沢冷機工業)」に勤めていた。それぞれの会社に一人ずつ彼氏がいた訳ではなく、恋愛も仕事もバラバラに始まったり終わったりしたのだ。
私はいつも「ぼんやりとした不幸」の匂いを頼りにして、全ての行いをして来たような気がする。誰かを好きになる時も、
「この人といると幸せになりそうだな。」
と思ったためしが無い。
「この人といると幸せになれないのだろうな。でも仕方がない。」
毎度毎度そんな風に、ずるずる愛していく。
ひどいのは仕事の決め方だ。職安で求人票をめくったり、新聞の求人広告を眺めたりしていると、ふっと紙面に影が差す時がある。
「あ、この会社、もうすぐつぶれちゃうんだ。」
そう思うともういけない。その会社の事業内容や職種に関係なく、ついつい履歴書を持っていってしまうのだ。
おそらく普通の人はそういう影の事を「不吉な予感」と呼ぶのだろう。そしてそんな予感のするものは、なるたけ避けるよう心掛ける。しかし私は駄目だ。磁石にくっつく砂鉄のように、そちらの方に引っ張られていってしまう。
今回、私なりに前向きな決心をして、占いの店を出したのだが、もしかしたらまた単に「不吉な予感」に連れ出されただけなのかもしれない。何故ならこのそごうに向かう橋の上にも、「ぼんやりとした不幸」が満ち満ちているのを感じるのだ。倒産前の塚沢冷機を穴の開いた船にたとえるなら、ここは堤防が決壊してしまった後の川べりの街に似ている。もう雨はやんでいるのに、水はけが悪いせいで、いつまでも黒い泥水が人々の足を濡らし続ける。
川口駅前はバブルの頃の再開発でこそばゆい程綺麗になった。地下街をつぶし、そごうを誘致し、改札を出てそのまま入店出来るよう、駅から入り口に向かう橋までかけた。そしてその長い橋の上には、地元の植木屋さんが木を植えて、花壇は色とりどりの花に飾られた。
よく頑張った川口市!
そうかけ声をかけてやりたいのは山々なのだが、明るくしようと努めれば努めるだけ増えていくこの闇は何なのだろう。ほら、今もこうやって目をつむり耳を澄ませば、道に溜まった不幸の水を跳ね上げて歩く人々の、シャボリ、シャボリという足音がはっきり聞こえて来るようだ。
(悲しい音も聞こえるし、不安の匂いもかげるし、ぼうっとしていても怒られないし、占い師って良い仕事だなあ。)
仕事? ここに店を出すようになってから一週間経つのだけれど、実はまだ一度もお金を稼いでいない。お客は一人来た。顔を真っ赤にした酔っ払いのおっちゃんで、
「まあったく、今の日本はどうなってんだ、え? 政治家も官僚もろくな奴がいねえし、大きな会社の社長は嘘ばっかついちゃ謝って、ほんと、ろくなもんじゃねえ。日本人はすーっかりダメになりやがった。」
とひとしきりからんだ後、笑いながら手を振って帰っていった。政治家や官僚や社長の事はよく知らないけど、おっちゃんだって相当ダメなんじゃないだろうか、と思いつつ、私もにこにこ笑って手を振った。もちろんおっちゃんは一銭もくれなかった。
儲けも出さずにぼんやり座っているだけでは、とても仕事とは呼べない。声をかけながら移動するうち店の近くまで来た「手相の人」が、軽蔑するような目でこちらをちらりと見る。商売敵の私を邪魔に感じているのだろうか。それとも、手相の知識すらないくせに占いで御足を貰おうと企んでいる私の浅はかさを見破って、馬鹿にしているのだろうか。
(やっぱり占いの勉強をした方が良いのかなあ。)
花占いなんてのがあったな、花びらを散らして、好き、嫌い、好き……意味もなくしばしうっとりしていたが、ふと、駅の方が気になり始めた。
(何だろう。誰か知り合いが来るのかな?)
数メートル置きに植えてある木や街灯のせいで、ここから改札口は見えない。それは分かっているのだけれど、むずむずと何かせずにはいられない気持ちになり、座ったまま体を伸ばしたり縮めたりして、駅からこちらに向かっている誰か、を見てやろうとやっきになった。
大分時間が経った後、その娘は現れた。淡いピンクのスカートの上にクリーム色のセーターを着て、早歩きと小走りを交互に繰り返す度、軽くウエーブのかかった栗色の髪がふわふわと優しく揺れた。途中「手相の人」に捕まりそうになり、あからさまにびくっと驚いて、その後は私の店に一直線に走って来た。
彼女は私の前に立つと、餅菓子みたいな頬をほんのり赤くし、とろんとした大きな目をこちらに向けた。
それは、全然知らない人だった。
「あの、占い師さん、ですか?」
「そうです、そうです! はいはい、何でしょう!」
興奮のあまりつい声が裏返る。
「良かった! どこにも占いって書いてないから、声かけようか迷っていたの。」
「えっ……」
私は机の前の紙を見た。確かに「お代は見てのお帰り」と書いてあるだけでは、何が何だか分からない。看板の出し方を間違っていたなんて、ちっとも気が付かなかった。これでは客の来るはずが無い。
「ごめんなさいっ。でもでも、何についてでも占います。お金の事は気にせずに、どうぞ用件をおっしゃってみて下さい。」
お客さんが来てくれた喜びと、看板の失敗で気が動転し、顔が熱くなった。それとは反対にお客さんの顔からは赤みが消え、大きな瞳いっぱいに悲しみの色が広がった。
「いなくなってしまった猫の居場所を、教えて欲しいの。」
彼女の全身から、かぐわしい不幸の香りが立ち上ぼり、私はいつもの癖でそれを思い切り吸い込んだ。
ああ、やっぱり運命なんて変えられない。
私はこれを頼りに生きていくしかないのだ。