2009年12月13日

ど素人「狂言」談義(その1)

※2004年の梅雨頃に書いた文章なので、情報としては古くなっている部分があります。ご注意&お許しを。

・はじめに

 ある時、友人と能を見に行きました。
 能の公演では、狂言も上演されます。狂言を初めて見た友人は、
「ずいぶん面白いしゃべり方をするんだね。」
とびっくりした様子。それを見て、私は軽いショックを受けました。

 私もそれほど狂言に詳しい訳ではありません。
 けれども何度か狂言鑑賞を繰り返すうちに、狂言独特のセリフ回しにすっかりなじんでしまって、不思議とは思わなくなっていました。

 まだまだ初心者のつもりでいたけれど、もしかしたらすでに、新鮮な発見が出来なくなっているのではないか。

 私は狂言の評論家になりたい訳ではありません。
 単純にゲラゲラ笑ったり、めでたさあふれる幸福感を味わったり、つまりは心を優しく突っついてもらいたいだけなのです。
 それなのに、このままでは狂言を見ても何も感じなくなる日が来てしまうかもしれない!

 研究や鑑賞を積み重ね、「玄人」になれば、また違った狂言の楽しみ方を出来るようになるのでしょう。
 けれど私はいつまでも「ど素人」の視点で狂言を見ていたいのです。
 もしそれが無理なら、「ど素人」の力が残っている今のうちに、狂言に対して思っている色々な事を書き留めておきたい。
 そう考えました。

 これは「ど素人」を「玄人」にするための教科書ではありません。
 「ど素人」が「ど素人」である事を忘れないために書いた、覚え書のようなものです。

 これを読んで、狂言の世界に飛び込む「ど素人」が増えてくれたら嬉しいな、と思いつつ。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:58| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その2)

・狂言との出会い

 狂言を生まれて初めて見たのは、高校生の時でした。
 学校の行事で、義務的に。

 実を言うと、この時はそんなに興味を引かれなかったんですよね。
「落語の方がずっと面白いじゃん!」
 なんて思っていました。

 数年後、能に詳しい友人が出来まして、彼女が、
「能は難しいけど、狂言は面白いからすぐ分かるよ。」
 と言うのです。
 私は見知らぬ世界の話に「へ〜、そうなんだ」と妙に感心しました。

 けれどもその時はまだ、
「ではぜひ見に行こう!」
 とまでは思いませんでした。

 ある時、彼女のホームページで、狂言に関する面白い番組が放映される事を知りました。
 茂山家(「狂言と『家』」の章参照)のみなさんが、数回にわたって狂言と京都の町を紹介するという内容です。

 私はまた、
「へ〜、そうなんだ」
 と思いましたが、自分の好きな番組と時間帯が重なっていた事もあり、全部きっちり見る事は出来ませんでした。

(今思うと、何故ビデオで録画しておかなかったんだ、私〜! と悔しくて仕方ないのですが……)

 自分の好きな番組がCMに入った間だけ、ちらり、ちらりと見ただけ。
 それなのに、すごくインパクトがあったんですね。

 まず、私と同い年か年下くらいの若い狂言師が、腹の底から響かせる、ゆったりとした、全然リアルじゃない声の出し方(狂言の舞台でセリフを言う時と同じやり方)で話していました。
 記憶があいまいで申し訳ないのですが、確か京都の普通の道端で、普段着のまま、自己紹介をしていたと思います。

 私はその、日常と非日常の入り混じった違和感に、
「どうしちゃったの?」
 と目が点になりました。

 そして、茂山千作さんの「狂言の演技講座」がありました。
 その時はまだ名前も知らず、
「きっと名のあるじいさんなんだろうなァ」
 と思いながら見ていたのですが(後で人間国宝だという事が分かりました)、まあ、このおじいさんの可愛らしい事ったら!

(人間国宝をおじいさんと呼ぶなんて、失礼なのは十分承知しています。
 けれど実を言うと、私は心の中で茂山千作さんを「千作じーちゃん」と呼び、自分の本当のおじいさんのように親しく思っているのです。)

 一番印象的だったのは、笑いの演技です。
 笑いには小・中・大と種類があると言い、それぞれをやって見せてくれました。
 その「大の笑い」が圧巻。

「はあーーーーっ。はあーーーーっ。はあーーーーっ。はあーーーーっ。」

 そんな笑い方があるかよ! とツッコミを入れたくなるような大袈裟さ。
 けれど、福の神が地に降り立ったような、現実を超える何かがありました。

 狂言は、何だか面白そうだ。
 何より、可愛い。

 その思いはどんどん膨らんでゆき、ついに私は、狂言の世界への扉を自ら開く事になったのでした。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:57| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その3)

・妖怪狂言

 狂言に興味を持ちつつも、仕事の都合でなかなか劇場に足を運べず、放送大学の演劇に関する授業や、NHKの伝統芸能に関する番組の中でしか、狂言を見る事が出来ませんでした。

「狂言を生で見たい!」

 その思いは、ひょんな事からかなう事になりました。

 友人の結婚式の帰り、京極夏彦作の新作狂言を上演する会、その名も「妖怪狂言」のポスターが目に入りました。
「へ〜 見てみたいなあ」
 と思いつつ、公演日は平日。
 普通だったら仕事で行かれません。

 しかし、その時幸運(?)にも、職場が傾きかけていたんですね。
 詳しくは書けませんが、いつ職を失ってもおかしくない状況でした。

「じきに無くなってしまう職場」
 と、
「妖怪狂言」
 を天秤にかけた結果、
 カターン!
 と音を立てて、
「妖怪狂言」
 の載った皿が下に下がった訳です。

「この日、狂言を見に行きたいのですが……」

 万年人手不足の職場で、普段なら許されない私のわがままが、この時は軽〜く通りました。

「そうねえ、その頃はもう閉店してるでしょ!」

 実を言うと、閉店に関する話がもつれにもつれ、公演日当日、まだお店は営業していました。
 職場の仲間も本人も、苦笑いするより他ありません。

「えへへへ、申し訳ない〜」

 と中途半端な詫びを入れつつ、私は色々な意味でゴタゴタした職場を抜け出し、「妖怪狂言」の会場へと向かったのでした。

 演目は古典の『梟(ふくろう)』と、新作『狐狗狸噺』『豆腐小僧』の三本立てです。
 どれも、これから狂言を見始めよう、とする入門者には最適の作品でした。
 新作はどちらも面白く分かりやすく、それでいて、
「現代演劇では出せない狂言の魅力」
 が初心者にもよく伝わって来ました。

 今になって考えてみると、狂言特有のカラッとした人間描写がよく生かされていたように思います。
 あらゆる分野で立派な仕事を成し遂げてしまう京極夏彦さんの才能には、驚かされるばかりです。

 もし「妖怪狂言」が新作のみの公演だったら、大きな会場が何度も爆笑の渦に包まれた事も、
「京極夏彦が、現代向けに台本を書いたから出来たのね。」
 と思ってしまったかもしれません。
 けれども古典狂言『梟』が、新作に負けず劣らず面白かったんですね。

 『梟』のあらすじは簡単です。
 登場人物は親と子と山伏。
 親の様子が変なので、子は山伏に祈祷を頼みます。
 祈りとともに鳴き声を上げる親の様子を見て、山伏は梟が憑いたものと判断し、さらに祈りを強くします。
 しかしその努力も虚しく、親の鳴き声は止まず、さらには子まで鳴き始め、最後には山伏も梟にとり憑かれ、ポーポー言いながら退場する……

 な、なんてナンセンスなんだ!
 私は中学校の頃に初めて吉田戦車を読んだ時に感じた衝撃を思い出しました。
 いや、それ以上かもしれません。
 吉田戦車は現代のギャグ漫画、いくら話の流れがムチャクチャでも少しは納得出来ます。
 けれど狂言は古典芸能。
 何代にもわたってセリフを伝え、稽古を繰り返したに違いないのです。

「こんなバカバカしい話を、数百年もやり続けて来た……の?」

 す、すごいぞ狂言!
 私は大昔にナンセンスを愛した人たちがいて、さらにはそれを守った人たちもいたという事に感動しました。

 吉田戦車やしりあがり寿が中世にもいたのだ!

(この二人の漫画は、明るい不条理さが狂言に共通するような気がします。
 まあ、単純に私が好きだから出したというのもあるのですが。)

 私は「ナマ狂言」にすっかり満足し、さらには茂山家の若手狂言師のサインまでもらって、
「絶対また見に来るぞ!」
 と心に誓いつつ帰路についたのでした。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:55| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その4)

・狂言を見るには?

 新しい趣味を始める時、みなさんはどうしますか?
 今はインターネット上に情報があふれていますから、
「Yahoo!やGoogleで検索してみる」
 という人が一番多いかもしれません。

 確かに手軽さではこれに勝るものはないと思います。
 ただ、関連サイトが多過ぎて、自分の本当に欲しい情報が得られない可能性があるのが難点ですね。

 関連書籍を読む、という方法もあります。
 本屋も良いですが、私は図書館をおすすめします。
 一つの棚に役に立ちそうな本がずらっと並んでいて、しかも借りるのはタダ!
 系統立った知識を得られるのが、本の良い所ですね。
 難点は……本屋や図書館に行くのがめんどう、近所に図書館がない、本代が惜しい、あたりでしょうか。

 その道に詳しい友達を頼る、というのもあります。
 実はこれ、私がよく使う手でして、パソコンの使い方は全面的にこの方法で覚えました。
 趣味を同じくする友人というのは一緒にいてとても楽しいですし、社交好きな人にはぜひともおすすめしたいのですが、いかんせん、そうそう都合のよい友達が見つかるとは限らない、というのが難点ですね。

 方法は色々あります。
 でも何より大切なのは、
「常に心に留めておく」
 という事ではないでしょうか。

 そうすると、
「つかむべきしっぽ」
 が不思議と向こうから飛び込んで来るものです。

 これだ!
 と思ったら、経済的・時間的に許す限り、しっかりつかんで本体を引き寄せる!

 ……話が何だか抽象的になってしまいましたね。ごめんなさい。

 私が、
「狂言をもっと見たい。より深く味わいたい。」
 と思った後に何をしたかを話さなければ。

 具体的には、図書館で入門書を借りたり、そこに出ていた狂言関連サイトに行ってみたり、まあ手当たり次第にやりました。
 その中で最も私を狂言に近付けたものは何か?

 答えは「歩く」

 は?
 と思う人も多いでしょう。
 けれども、狂言が見たい、という気持ちを、「常に心に留めて」歩くと、意外にも沢山の公演告知ポスターが目に入るのです。

 前章の「妖怪狂言」も、そうやって知った公演でした。
 その数ヵ月後、地元のホールで再び茂山家の狂言(古典のみ)を見る事が出来たのも、駅構内のポスターのおかげでした。

 都会から離れた場所では難しい方法でしょうし、この高度情報化社会で、
「情報は足で集めろ!」
 なんて馬鹿らしいと思いますから、無理におすすめはしません。

 公演日を調べたり、知識を増やしたりするために、もっと要領の良いやり方はいくらでもあります。
 ただ、「常に心に留めておく」というのはどんな時でも大切ですから、常に心に留めておいてくださいね。
 ……あれ? くどい?

 一度勇気を出して公演に行ってしまえば、関係する公演のチラシをもらえますし、あとは芋づる式です。ポスターにしてもチラシにしても、見るだけでけっこう楽しめます。

 狂言公演のチケット代は、もうそれこそピンキリですが、だいたい平均すると四千円くらいでしょうか。
 若手中心だと安い傾向があります。
 高ければ面白いという訳ではないので(高いと玄人好みの演者・演目だったりします)自分のお財布と相談しながら行く公演を決めましょう。

 失敗(期待はずれ・がっかり)を恐れてはいけません。
 勉強代だと思えば安い、安い。(そうでもないか)

 大学の狂言研究会等の公演になると、もっと安くてなかなか楽しいらしいのですが、残念ながら一度も行った事がありません。
 情報不足でごめんなさい。

 狂言を知るきっかけになりそうなものを、終わり近くの「情報コーナー」の章にまとめましたので、ぜひ参考にしてみてください。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:54| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その5)

・狂言と「家」

 ここでちょっと基礎知識の解説を。
 狂言には「大蔵流」と「和泉流」という二つの流派があります。
 しかし自分で狂言を習おうとするのでなければ、それほど気にしなくても良いと思います。

 狂言を単純に演劇として見る時には、流派よりも「家」が重要です。

 「家」というのは血縁関係・師弟関係でつながっている演劇集団、とでも言えば良いでしょうか。
 狂言公演のほとんどは、この家単位で行われます。

 私は「狂言との出会い」の章で簡単に「茂山家」と書きましたが、正確には「茂山千五郎家」といいます。
 京都を本拠地とし、東京公演も数多く手がけていて、狂言の「家」の中では最も活動的と言って良いのではないでしょうか。

 芸風は、とにかく親しみやすい。
 楽しく面白く、見る者を幸せな気持ちにしてくれる。

 可愛らしい若手狂言師が沢山いるのも心憎い。
 初心者向けの企画も多いですし、狂言に興味を持ったなら、まず最初に茂山家の狂言を見て欲しいなあ、と思います。

 陰陽師で有名な野村萬斎さんが所属しているのは「野村万作家」です。
 万作さんは萬斎さんのお父さん。
 だから所属という言い方も変な感じですね。

 こちらの芸風は、茂山家と全く違います。
 舞台上が常にピンと張りつめたような感じで、心地よい緊張感がある。
 そして一つ一つの動作がとにかく美しい!

 もちろん狂言なのでちゃんと笑えますが、狂言の持つ「美」の要素も味わいたい、という人には、野村万作家がおすすめです。
 また、萬斎ファンでまだ萬斎さんの狂言を見た事がない、という人がもしいるならば、もう何が何でも行ってちょうだい! という感じです。

 この二つの家はチケットぴあ等に公演情報が載っていますので、普通の劇団の劇と同じような感覚でチケットが買えると思います。
 ただし、野村萬斎さんが出る公演のチケットは、あっという間に完売してしまうので、発売日を忘れないよう気を付けましょう。
 茂山家は割と余裕があると思います。

 どちらの家もホームページがありますし、なんとファンクラブまであります。
(そして私は両方に入っています!)

 他にも狂言の「家」はいくつもあります。
 私は残念ながらそんなに色々な家の狂言を見てはいないのですが、山本東次郎家の狂言は心に深く残っています。

 山本東次郎家は、おそらく公演の告知をそれほど大々的にしていないのだと思います。
 私は放送大学の先生にチラシをもらったので、その日にちを知る事が出来ました。

 公演の会場である杉並能楽堂は、中野富士見町駅という地味な駅から、少し歩いた所にあります。
 宣伝だけでなく、会場の位置まで慎み深い感じです。

 着いてみると、なんと入り口に、
「山本東次郎」
 という表札が。
 つまり山本さんの家の敷地に、能楽堂がある訳です。

 私は狂言が始まる前に、まずこの能楽堂のたたずまいに感動しました。

 少々くすんだ色合いの古い木造建築で、窓が多く、電気の光なしで十分な明るさが保たれています。
 古典芸能である狂言には、自然光がよく合うと思いませんか?
 移築されたという能舞台は風格があり、それでいて親しみやすさもあります。
 人間にたとえるなら、謙虚だけれども誉れ高い過去を持つおじいちゃん、といった所でしょうか。

 客席は畳敷きで、一人一人座布団の上に座ります。
 ちゃんと段々になっているので、舞台が見えにくいという事はありません。

 簡単な解説の後、まず若手狂言師が『文蔵』と『縄綯』を演じました。
 どちらも演者の意気込みと緊張が伝わって来て、ついこちらまで手に汗にぎってしまいました。

「頑張っているんだなあ! 若さって良いなあ!」

 と言えば言えるし、客席までハラハラさせるのはいかがなものか、とも少し思いました。

 別に動きがぎこちないとか、セリフ回しが危なっかしいとか、そういう訳ではないのです。
 たぶん彼らにとってこの舞台があまりに重要で、その切実さが表に表れ過ぎたのでしょう。

 その後で山本東次郎さんの『木六駄』が始まりました。
 さすがに家の当主の演技には余裕があって、ゆったりと安心して見られます。
 若手との対比があったせいで、余計にそれが強く感じられました。

 『木六駄』は冬の狂言です。
 詳しいあらすじは省略しますが、牛を追いながら雪道を進んでゆく場面がとても有名です。
 牛も、雪も、実際には舞台に出て来ません。
 演者の身振りだけで、見えないそれらを見せてしまうのが、この狂言の一番の見どころです。

 折りしも、その日は極寒の曇り空。
 東次郎さんが笠をちょこっと持ち上げて雪の降り具合を確かめる所で、思わず私は、

「あれっ、雪が降り始めたのかな?」

 と窓の外を確認してしまいました。

 場所良し、内容良し、天候良し。
 入場料が非常に安価(大人二千円・学生千円)であったにも関わらず、大満足の公演でした。

 地味だけれども味わい深い。
 それが私の山本東次郎家の印象です。
 能のポスターで名前を見る事も多いので、観劇のチャンスは意外と沢山あるかもしれません。

 話は少しずれますが、私はこの山本家の公演に友人を連れてゆきました。
 この本の「はじめに」に出て来た人とは違いますが、やはり狂言を見るのはほぼ初めて、という人です。
 自分の趣味に誰かを付き合わせるというのは、けっこう緊張しませんか?
 特に狂言は、笑えるとは言ってもテレビのお笑い芸人のように、爆笑を連発させる訳ではないですし、独特なセリフ回しや古風な言葉のせいで、登場人物どうしのやり取りが理解しづらい時もあります。

 彼女は公演の後で、

「『文蔵』はちょっと眠くなったけど、『縄綯』と『木六駄』は面白かった。」

 と言ってくれました。

 そして何より、杉並能楽堂の雰囲気を気に入ったようでした。
 彼女は大学で建築を専攻していたので、私より深く思う所があったのでしょう。

 友人を趣味に誘うのは、不安が大きい分、成功した時の喜びも大きいです。
 これからも迷惑にならない程度に、試みていきたいと思います。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:52| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その6)

・初心者向けの演目

 狂言の演目には明らかに、初心者向けと上級者向けがあるように思います。
 ……なんて書くと、狂言を見慣れている方から、

「そんな事はない。どの演目も面白いじゃないか!」

 という反論が来るかもしれませんね。
 実際私も今となってはそう思いますし。

 けれどもやっぱり初心者の人には、狂言の良さがストレートに伝わる、分かりやすい演目を見てもらいたいなあ、と思うのです。

 初心者向けの代表は何と言っても『附子(ぶす)』と『棒縛(ぼうしばり)』でしょう!

 『附子』はとんち話ですからストーリーが理解しやすいですし、『棒縛』は体の動きで笑わせるので、言葉で悩む必要がありません。
 ちょっとのんびりしてはいますが、お笑いのコントとして十分見られるでしょう。

 こう書くと何だか軽薄に感じるかもしれませんが、狂言独特の擬音語や、舞や謡(うたい)など、笑い以外の要素もたっぷり入っています。

 この演目のある公演を見つけたら、迷わず行って「美味しい」狂言体験をしてください。

 あとは『寝音曲』『萩大名』が上演回数も多く、面白いです。

 『寝音曲』は、
「ひざ枕でないと謡えない」
 と嘘をついた太郎冠者の話。

 寝たり起きたり、無理な姿勢で謡を謡うのが見どころです。
 かなり苦しそうなので、話の内容は初心者向けでも、演じる方は上級者でないと難しいのかもしれません。

 私は幸運にも、茂山千作さんが太郎冠者、というのを見られたのですが、千作さんの年齢(その時八十三歳!)を考えると少々ハラハラしました。
 当然ながら、そんな心配なんて軽く吹き飛ばす、力強い演技でしたけどね。

 『萩大名』は田舎大名の失敗談。
 太郎冠者の素養と機転に驚かされます。
 太郎冠者というのは、狂言の中での従者の呼び名です。
 そして大名は、江戸時代の豪奢なそれではなく、もっとこぢんまりとした地主さんです。
 大名を中小企業の社長、太郎冠者をその社員と考えると理解しやすいですね。

 『萩大名』はまさに、社交下手な社長を優秀な社員が助けようとしたけれど…… という話。
 見終わった後、狂言を身近に感じるに違いありません。

 『寝音曲』『萩大名』と来れば次は『鎌腹』、と考えて、一体何故だろうと調べてみたら、単に地元ホールで開かれた茂山千五郎家狂言会の演目でした。
 よっぽど印象に残ったのだろうな。

 まあでも、狂言普及に努める茂山家が、能楽堂以外で行った公演ですから、どれも初心者向けとして紹介するのに相応しいはずです。

 さて『鎌腹』の見どころは、何と言っても烈火のごとく怒り狂うおかみさん!
 戦後に強くなったのは女と靴下、などと言いますが(一体いくつなんだ、私。)
 庶民の暮らしだけ見れば、戦前も戦後も関係なく、女はずっと強かったのではないでしょうか。

 中世に成立したとされる狂言に登場する女たちを見ていると、余計にそう思えます。
 彼女たちはたいていダンナに腹を立てており、ギャンギャンと激しく責め立てるのです。

 その姿は、
「わわしい(やかましい)女」
 という言葉に集約され、淑やかさなどかけらも見られません。

 これって、ダンナを尻に敷いている現代女性と少しも変わらないと思いませんか?
 『鎌腹』のおかみさんはその代表。
 始まり方にもどっきりです。

 そうそう、『神鳴(かみなり)』も可愛かったですねえ〜
 その名の通り、カミナリ様が主人公。

 彼は落雷とともに地上へ落っこちて、腰を痛めてしまうのです。
 ヤブ医者がその腰痛を針で治します。
 なかなかメルヘンチックでしょ?
 治療中のカミナリ様の痛がりようと、めでたい終わり方が見どころです。

 ナンセンス好きな方には「妖怪狂言」の章で書いた『梟(ふくろう)』に加えて、『蚊相撲』をおすすめします。
 人間の血を沢山吸うために相撲取りになろうと企んでいる蚊の精、という設定からして、かなりのものだと思うのですがどうでしょう。

 大名と太郎冠者は、刺されたり、扇であおいで追い払ったり、蚊の精と真剣に戦うんですね。
 あまりのバカバカしさに見終わった後呆然とする事請け合いです。

 これを初心者向けと言って良いのかどうか判断出来ませんが、『宗論』を取り上げてみましょうか。
 法華僧と浄土僧が、
「自分の宗派がいかに素晴らしいか」
 を言い合ってケンカする話です。

 笑いどころに難しい単語が出て来たりするんですよね〜
 それでも現代人は、
「宗教的対立」
 というもののくだらなさと恐ろしさをよく知っているはずですから、社会風刺の劇として十分楽しめるでしょう。

 大声を張り上げて念仏と題目を唱える場面は単純に笑えるかな。
 最後はハッピーエンドです。
 全ての宗教的な争いが、こういう風に終わってくれると良いのですが……

 うっわ〜! 私が社会について語っちゃったよ! めっずらしい〜
posted by 柳屋文芸堂 at 21:51| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その7)

・初心者向けでない演目

 さて。
 初心者向け狂言紹介は終わりにして、この先は上級者向け、と言うか、初心者は避けた方が良いように思う狂言について書いてみたいと思います。

 上演回数が多いにも関わらず、初心者向けでない演目の代表は、何と言っても『釣狐』でしょう。
 ……こんな事書いたら怒られるかな?
 でもそう思っちゃったものは仕方ない。

 狂言師にとって、『釣狐』は特別な意味を持つ狂言なんですね。
「修業時代の卒業試験」
 であると言われ、これを演じて初めて一人前と認められます。

 話の内容は、「初心者向けの演目」の章で取り上げた狂言にくらべると、かなりシリアス。

 大事な演目ですから、めったやたらにやるものではありません。
 しかし狂言師一人一人が必ず一生に一度は演じると考えると、けっこうな回数になりますよね。
 野村万作さんのように、何度も繰り返し挑戦している狂言師もいますし。

 そういう事を全く知らないど素人が、その一回にばったり当たってしまったとしたら?

 ごめんなさい。
 楽しめませんでした〜っ

 まあ、ばったりといっても図書館のビデオだったんですけど。
 まだ、
「狂言=コント」
 と思い込んでいた頃、お笑いのビデオを見るような気持ちで『釣狐』を借りてしまったのです。

 はい。
 間違っているのは私です。
 でも知らなかったんだもの〜!

 テーマが重いから楽しめない、という訳ではありません。
 単純に、内容が理解出来なかったのです。
 この原因は「謡」と「語り」の場面の長さにあるように思います。
 ま、ずっと後で気付いたのですが。

 通常、狂言の謡はそれほど難しくありません。
 例えば、同じ釣りでも『釣針』の謡は、

「釣ーろうよ、釣ろうよ♪」

 と明るく可愛いものです。
(余談。この話で釣るのはなんと、妻!)

 現代語と変わらない歌詞と、会場のお客さんがその場で合唱出来るくらいの単純なメロディー。
 もちろん本格的に習ったら、大変なんでしょうけど。
(上演前のレクチャートークで野村萬斎さんが指導してくれたんですよ〜!
 サービス良いなあ。)

 言葉の意味が理解出来ない謡でも、ストーリーに直接関係がなければ気になりません。
 狂言の公演に行けば必ず一度は聞く事になる、
「酔っ払って謡う謡」
 はまさにこれですね。

 『釣狐』の謡は古風な言い回しである上に、状況説明の役割まで担っているのです。
 初心者が、
「???」
 となっても無理はないでしょう。

 そして、語り。

「狐っていうのは怖いもんだからさぁ、もう釣るのはよしなよ。ね?」

 と言ってくれれば簡単なのに、妖狐「玉藻前(たまものまえ)」の物語を引き合いに出したりするものだから、元になっている話を知らなければチンプンカンプン。

 私はこの経験がけっこうショックで、放送大学の先生に、

「難しい演目を理解するにはどうすれば良いのでしょうか?」

 と質問しました。すると、

「図書館に狂言の台本がありますから、公演を見に行く前に読んでおくとずいぶん違います。
 これを繰り返すうちにコツをつかんで、台本を読んでいなくても理解出来るようになりますよ。」

 と丁寧に答えてくださいました。

 さっそく探してみたら、うちの近所の小さな図書館でも、能や狂言の台本がそろっていて驚きました。
 その後は難しい演目を見る機会がなくて、勉強せずにぽわぽわと出かけちゃってますけどね。

 「語り」と言えば、「狂言と『家』」の章でちょこっと触れた『文蔵』の中の語りもかなり長いです。
 一つの単語を思い出すために石橋山の合戦(源氏と平氏の戦いの一つ)を語って聞かせる、というもので、私は何故か三ヶ月空けずに二回も見ちゃいました。
 (山本東次郎家の後、野村万作家で。)

 合戦の語りは詳しい事が分からなくても勢いを楽しめますし、語り以外の笑える部分もけっこうあるので、私は割と好きです。
 (二回見たのは単なる偶然なのだが。)
 けれど友達は眠くなったと言っていたから、やっぱり初心者向きではないのかもしれません。

 シリアスさで言うと『武悪』の前半が印象に残っています。
 後半がドリフ大爆笑なみなので、特に。

「笑えるまでに時間がかかったな〜 初心者はあの時間を耐えられるかな〜」

 と考えてしまうんですね。

 色々好き勝手に書きましたが、

「私は楽しい物語より重たい物語が好きだ!」

「古典的言葉づかいならまかしとけ!」

 という人なら、これらの演目を最初に見たとしても狂言嫌いになったりはしないでしょう。
 私も『釣狐』ショックにめげずに、狂言大好き人間になっちゃいましたしね。

 狂言のチラシには上演する演目のあらすじが書いてある事が多いので、チケットを申し込む前に手に入れて、自分好みの話かどうか確かめると一番安心です。
 必ず出来るとは限りませんが。
 あとは終わり近くの「情報コーナー」の章で紹介する、
『狂言ハンドブック』
 のような本を一冊持っておくと、すぐにあらすじが確認出来て便利ですね。

 ケチらず買って本当に良かった。

(狂言と何の関係もありませんが、柳田はどケチです。
 特に本やCDなど「形のあるもの」に関しては、徹底的にしぶちんです。
 でも「形のないもの」である演劇やコンサートとなると、高いチケットでもぱっぱか買っちゃうのよね〜
 自分が怖い……
 そして本を買い渋るのは文章書きとしてどうなんだ。)
posted by 柳屋文芸堂 at 21:49| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その8)

・いつか見てみたい演目

 ここまでは、私のそれほど多いとは言えない狂言鑑賞経験の中から、思い出深い演目について語って来ました。
 ここからは、まだ見ていない、憧れの演目について書いてみようと思います。

 まず最初に『菓争(このみあらそい)』

 一つの狂言に出て来る登場人物は、二〜三人である事がほとんどです。
 しかし主役とその相手の他に、同じ格好をした「立衆」と呼ばれる人々がわらわらと出て来る演目も少なくありません。
 当然の事ながら、そういった演目は大がかりになる分、舞台上が華やかになります。

 『菓争』はその中でも、一、二を争うほど派手でにぎやかな演目……らしい。
(想像含む。見ていないので、本当のところは分からないのが悔しい!)

 花見にやって来た「橘(たちばな。要はミカン)の精」の一族が、山の大将である「栗の精」に因縁をつけられた事から始まる、橘軍と栗軍の壮大な戦いの物語。
 「菓」は古語で「木の実・くだもの」という意味ですから、題名そのまんまの内容ですね。
 ロード・オブ・ザ・リングなみ、とまではいきませんが、なかなかファンタジックでしょ?

 先に「一、二を争うほどにぎやか」と書きましたが、たぶん一位は『唐相撲(とうずもう)』です。
 こちらは、茂山千五郎家が一門総出演で上演したものを見ました。

(ビデオで、だけど。
 しかもNHKでやっていたのを自分で録画したものだけど。
 もちろん私の宝物。)

 この雰囲気が非常に魅力的だったんですね。

 私は『唐相撲』を見て、『オネアミスの翼』というアニメの「何でもない街のシーン」を思い出しました。
(おそらくアニメファンにとっては「ロケット発射シーン」が最も有名だと思うのですが、ここでは全然関係ない……)

「狂言でアニメを? 何ゆえ?」

 と驚かれるかもしれませんが、確かにこの二つの物語には共通点があるのです。

 『オネアミスの翼』は、地球によく似た、地球ではない星にある、一つの国が舞台となっています。
 主人公がブラブラする街も、高度成長期の日本の都市ようであり、けれど絶対に日本ではない、異世界です。

 日常とはっきり違う「剣と魔法の」異世界ならば、それはそれなりに入り込めるでしょう。
 しかし『オネアミスの翼』の街の、
「ココのようで、ココでない」
 微妙なズレは、浮遊感と不安感を生み出します。
 その何とも言えない感じがとっても良くて、私は大好きなのですよ。

 で、話を戻して『唐相撲』
 この狂言はその名の通り、唐、つまり中国で相撲を取る、という話です。

 けれども、この「中国」は、
「本当の中国」
 ではなくて、
「昔の日本人が想像していた中国」
 なんですね。

 狂言の中で中国人は、中国風のきらびやかな衣装を着ており、ちゃんと中国語を使います。
 それも「唐音(とういん)」という想像上のでたらめな中国語で、発音は明らかに日本語です。

「わんすい、わんすい、ちんぷるぱあ〜」

 などと、かなりバカバカしいのですが、これのおかげで中国でも日本でもない「異世界」が舞台上に現れるのも確かです。
 私の大好きな、
「ココのようで、ココでない」
 微妙なズレが生じる訳ですね。

 特に全員が退場する時の大合唱は、会場全体が唐音の不思議な響きに包まれて、恍惚としてしまいます。

 さてさて、最初に私が話そうとしていたのは『オネアミスの翼』でも『唐相撲』でもなく、『菓争』についてでした。
(遠回りし過ぎ! 読みにくいったらないよ)

 何故私が『菓争』に興味を持ったのか?

 それは茂山千五郎家が『唐相撲』の次の年に一門総出演で上演したのが『菓争』だったからです。
 見に行きたかったのだけど、京都公演と名古屋公演しかなかったんだよね……
 東京でも私の知らないうちにやっていたのかしら?

 とにかく見られなくて残念です。
 かなりの稀曲なので、次のチャンスがあるのかどうかも分かりません。
 ……暗くなっても仕方ないですね。

 さて、次にいきましょう。
 『菓争』と同じく「立衆」の出て来る狂言『菌(くさびら)』です。
 家に生えてきた大きなキノコが、いくら取ってもなくならないので、山伏に祈祷を頼みます。
 しかし山伏が祈れば祈るほどキノコはますます増殖し…… というお話。

 事件解決のために呼ばれた山伏が、事態をより悪化させる、という所が『梟』とそっくりですね。

 この狂言で「立衆」が演じるのは、何とキノコ。
 面を着けた人間が、笠をかぶってキノコのカサを表現します。

 野村万作さんのお話で知ったのですが、『菌』はアメリカ公演で、ベトナム戦争の風刺と受け取られた事があったそうです。
 どんどん増えてゆくキノコたちが、攻撃を繰り返してもどこからともなく再び現れて来るベトナム兵、に見えたんですね。

 キノコのカサのつもりの笠が、ベトナム人の象徴に。
 観客側の思想によって、劇の見方が変わって来る面白い例だと思いました。

 それでは私も、政治的な深読みがしたくて『菌』に興味を持ったのか?

 実は全く違います。
 単純に、菌類が好きなんですよ。
 キノコとか、カビとか。
 正確には菌類ではありませんが、「粘菌」という不思議な生物に夢中になった時期もありましたし。

 毒があったり有用だったり、色が鮮やかだったり形が気持ち悪かったりする生き物が、湿った暗闇でひっそりと育ってゆく。

「ああっ もう考えただけでゾクゾクしちゃう!」

 ……たぶん、この「ゾクゾク」、私と読者で意味が違う気もするのですが、どうでしょう。
 まあとにかく、その得体の知れない感じが、ナンセンスな狂言にぴったりだと思うのです。

 急に思い出しましたが、小学生の頃、私のあだ名は「きのこ」でした。
(マッシュルームカットだったためと思われる)

 「クサビラちゃん」と呼ばれるよりずっと可愛いですね。

 狂言から話題がずれる前に、次の演目にいきましょう。

 狂言師が初舞台を踏む事で有名な『靱猿(うつぼざる)』です。
 狂言の修業時代を表す決まり文句に、

「猿(靱猿)に始まり狐(釣狐)に終わる」

 というものがあります。
 実際は『以呂波』が初舞台、という狂言師も多いのですが、狂言の家に生まれると、三〜五歳くらいで『靱猿』の猿の役をやる事になるのは確かのようです。

 あらすじを簡単に紹介すると、ある時、狩りに出かけた大名は、猿引き(猿回し)に出会います。
 大名は、猿の皮を靱(武士などが背負う、太い筒状の矢を入れる容器。)にかけたいから、猿をよこせと言います。

 猿引きが断ると、
「猿引きもろともに射殺す」
 と弓矢を向けて来るので、猿引きは仕方なく、猿を杖で打ち殺そうとします。
 しかし何も分からない猿は、その杖を取って舟をこぐ芸をしてみせたので、猿引きはたまらず泣き出します。

 大名もそれを見てあわれに思い、殺すのをやめたので、猿引きはお礼に猿歌を謡い、猿を舞わせます。
 大名は喜び、褒美に扇や着物を与え、猿のしぐさのまねまでしてみせ、大団円、となる訳です。

 この「芸をする猿を見て泣く」場面、「かわいそうなぞう」の話を思い出すのは私だけ?
 かわいそうなトンキー!
 お前も戦時中なんかじゃなくて、中世に生まれさえすれば、殺されずに済んだかもしれないのに!

 私はダイジェスト版の『靱猿』をテレビで見たのですが、「かわいそうなぞう」なみにウルウルしました。
 猿引きの泣き方が、

「えーん、えんえんえん……」

 と子供みたいで(狂言では、泣きも笑いもリアルではないです)、それが不思議と胸に迫るんですね。
 トンキーのように悲劇で終わらず、後半は明るい展開になるのも感動的。
 大名とちっちゃな猿が一緒に月を見るしぐさをするのもメチャクチャ可愛いですし。

 ぜひともナマで見たい!
 とずいぶん前から思っていて、昨年、素晴らしいチャンスがあったんですね。
 野村萬斎さんの息子さんの裕基くんが『靱猿』で初舞台を踏んだのですよ。
 私も当然ファンクラブ会員先行予約をしたのですが……
 応募が多くて落選してしまったのです。

 そりゃそうだよなあ。
 『靱猿』はただでさえ人気のある演目である上に、狂言界のサラブレッドの初舞台だもの。

 それでも一般発売日にも頑張って電話をかけたりすれば取れたかもしれないのですが、ちょうど放送大学の卒論準備で忙しく、そのままにしてしまいました。

 もう裕基くんの『靱猿』は見られないのかなあ、と寂しく思っていたら、この間、ファンクラブから来たチラシに『靱猿』の文字が。
 ええーっ、と思い読んでみると、

「嚴島神社 宮島狂言」

 瀬戸内海まで行けってか!
 まあCoccoを見に北海道へ行った事もありますから、まるっきり無理という訳でもないですけどねえ。

 『靱猿』の猿はセリフなし(キャアキャアキャア、と鳴くだけ)で、重点が、
「猿らしいしぐさ」
 や、
「猿引きの猿の芸」
 にあります。

 『靱猿』を「動き」のデビュー演目とすれば、「セリフ」のデビュー演目は『以呂波』です。

 裕基くんの『伊呂波』(流派によってイの字が変わる)は見て来ました。
 短い話であるとはいえ、笑い要素のしっかり入ったセリフ劇です。
 小さな子供(裕基くんはたぶん四歳)には負担が大き過ぎるように思ってしまう長ゼリフ。
 急に次の言葉が出て来なくなったりしないか、ハラハラドキドキして、観客全員が裕基くんの母のような気持ちになっていたのではないでしょうか。

 目立ったトチリもなく舞台は無事終了し、観客席ではハンカチを目に当てている人がちらほら。
 私の目にも思わず涙が。
 子供のけなげな様子はやっぱり泣けるものです。

 おそらく数年後に、今の若手狂言師たちの子供たちが、続々と初舞台を踏む事になるのだと思います。
 彼らが大人になり、さらに茂山千作さんや野村万作さんのような名人になるまで、狂言を応援し続けられたら良いなあ、と強く願います。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:48| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その9)

・狂言って何だろう?

 ここまでさんざん好き勝手に色々書いて来ましたが、結局狂言って何なんでしょうか?
 ただのコントでもないし、ただのセリフ劇でもない。

 ちょっと儀式的な所もある。
 でもちゃんと楽しい。

 私には難しい事は分かりません。
(この本と同時発売した『にわか玄人狂言談義』では、無理やり学術的な方向でその答えを出そうとしましたが、あまり上手くいきませんでした。
 そんなの売るなよな……)

 ただ、狂言がこの長い年月、廃れずに伝えられて来たのは、その中に人々が必要としている、
「何か」
 があったからでしょう。

 狂言の公演会場は、いつも若い女性でいっぱいです。
 古くからのファンから見たら、
「ミーハー」
 と映るであろうお客も少なくありません。
(もちろん私は「ミーハー」側の人間です。)

 けれども狂言にとって彼女たちは、思いのほか価値ある存在なのではないでしょうか。

 私も含めて彼女たちは、「狂言」を、
「文化的に重要だから」
 ではなく、
「心が求めているから」
 見ています。

 忙しさから逃れて公演会場に向かい、日常の中で心に沢山ついてしまった小さな傷の痛みを鎮めてもらう。
 「癒し系」という言葉はあまり好きではありませんが、やはり、
「狂言に癒されている」
 事実は否定出来ません。

 狂言の笑いの一番の特徴は、

「祝いの要素がある」

 という点でしょう。

 人間の闇の部分に注目するブラックユーモアではなく、
「笑う門には福来たる」
 の、おおらかな笑い。

 私は、
「毒がなくても笑えるのだ」
 という事を、狂言を見て初めて知りました。

 そしてそれが、笑うその人を幸福にする素晴らしい行為である事も。

 狂言に命を吹き込むのはもちろん狂言師たちです。
 しかし、その「命」をより生き生きしたものに発展させるのは、彼らの活躍を心の底から願い、応援している、「ミーハー」な女の子たちなのではないでしょうか。

 強く必要とされ、上演する。
 観客たちは単純に楽しみ、満足して帰ってゆく。
 狂言にとってその関係は、古典芸能として祭り上げられるより、ずっと大切であると、私は思います。

 狂言は、人を喜ばせるもの。

 簡単過ぎる答えを出した所で、このど素人の狂言談義を終わりにします。
 モダンな印象を受ける装束や、狂言独特の面白い擬音語についてなど、語り残した点もありますが、気になる人は実際に見て聞いて確認してください……
 って、無責任過ぎ。

 本としての「談義」はここまででも、私は「柳屋文芸堂」ホームページの掲示板で、狂言談義をしてくれる相手をいつでもお待ちしています。
 狂言本を二冊書いたからといって、狂言から卒業するつもりはさらさらありません。
 むしろ「ますます盛ん」になる予定です。

 未知なる狂言ファンの皆様、この永遠なるど素人を、これからもよろしくお願いします。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:46| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その10)

※2004年の梅雨頃に書いた文章なので、情報としては古くなっている部分があります。ご注意&お許しを。

・情報コーナー

 ここでは、狂言を見に行くために役立ちそうな情報を集めてみました。

【チケットぴあ】

 『ぴあ』は言わずと知れた情報誌。
 『Weeklyぴあ』は毎週月曜、『ぴあ関西版』『ぴあ中部版』は隔週月曜に発売されるそうです。
 本屋・コンビニはもちろん、図書館にもけっこうありますよね。
 これに掲載されている情報を見て、電話申込をしたり、チケットぴあのお店やコンビニ(ファミリーマート・セブンイレブン・サンクス)でチケットを直接購入したりするのは、まさに「王道」 狂言の公演も当然この方法が使えます。

 でも、私が普段使っているのは雑誌ではなく、ネット上の、
「電子チケットぴあ」

http://t.pia.jp/

 です。
 ジャンル別キーワード検索で「演劇」ジャンルに設定し、「狂言」と入力すれば、公演情報がダダーッと出て来ます。

 会員登録してネット上でチケット購入すると楽ちんですが、サービス利用料や郵送料がけっこうかかってしまいます。
 お目当て公演の日時やPコードを書き留め、チケットぴあのお店やコンビニに行き、直接購入した方が安上がりになるはずです。

【e+(イープラス)】

 チケット販売サイトである、
「e+」

http://eplus.jp/sys/main.jsp

 でも、「狂言」と検索すれば情報がダダーッと出て来ます。
 チケットを購入する場合は、事前に会員登録しなければいけません。
 一般発売前の一定期間内に申し込みし、抽選でチケットが取れる「プレオーダー」が便利です。

 でも手数料や郵送料が高いんだよね……(申し込みは無料)
 一般発売だと入手出来ない可能性のある人気公演以外には使う必要がない気もします。
 狂言でこれに当てはまるのは、野村萬斎さんの公演くらいでしょう。

 他は発売日の後でものんびり取れますから、他の方法で安く上げましょう。
(金の事ばかりか、私の考えは。)

【お豆腐狂言 茂山家】

 これは茂山千五郎家のホームページです。

http://www.soja.gr.jp/

 Googleで「お豆腐狂言 茂山家」と入力すると出て来ます。
 茂山家の公演情報が分かるので便利です。

【クラブSOJA】

 これは茂山千五郎家のファンクラブです。
 ホームページに入会方法が載っています。
 入会費は千円、年会費は二千円。特典は、

☆指定公演チケットの先行予約
☆指定公演チケットの特別割引
☆会員限定の公演や親睦会への参加
☆指定公演・その他の公演の案内(月に一〜二通来るかな?)
☆会報誌「お豆腐通信」の郵送(年二回)

 しっかり利用すれば、かなりお得です。
 私は「公演の案内」が一番ありがたいかな。
 こちらから調べなくても詳しい公演内容が分かるので。
 大好きなチラシも手に入るし。

【万作の会】

 これは野村万作家のホームページです。

http://www.mansaku.co.jp/

 Googleで「万作の会」と入力すると出て来ます。

 野村家の公演情報が分かるので便利です。
 野村萬斎ファン必見!

【YOIYA2】

 これは野村万作家のファンクラブです。
 「2」は本当は小さく右肩に乗るような感じに書き、YOIYAの二乗で、
「よいやよいや」
 と読みます。
 ホームページに入会方法が載っています。
 入会費は三千円、年会費は二千円。

 特典は、

☆指定公演チケットの先行予約
☆会員限定イベントや親睦会への参加
☆指定公演・その他の公演の案内(月に一〜二通来るかな?)
☆会報誌の郵送(年二回)

 この先行予約は、専用ハガキやFAXで出来るので、とっても便利。
 ついつい、電話予約しなくて済む指定公演ばかりに行ってしまいます。

【狂言ハンドブック】

 この『ど素人「狂言」談義』を書いている間も、ずっと手元から離せなかった狂言入門書。
 小林責監修、油谷光雄編。
 三省堂から出ています。

「狂言全曲案内」
 は公演前に狂言のあらすじを調べたい時に重宝。
 それ以外にも、狂言の基礎知識がコンパクトにまとまっています。

 この本だけは図書館で借りるのではなく、ちゃんと手に入れて、いつでも本棚の取り出しやすい場所に置いておきたいですね。

【日本の伝統芸能】

 教育テレビの番組です。
 歌舞伎・能・狂言・文楽の鑑賞入門講座。
 テキストもあり、本屋で買えます。
 三ヶ月の放送の中で狂言はたった二回しか取り上げられませんが、番組として好きなので紹介します。
 ホームページは、

http://www.nhk.or.jp/dentou-nyuumon/

 です。

【放送大学】

 私も通っていた通信制の大学。
 狂言を取り上げる授業もあります。
 科目名は変わる事があるので何とも言えませんが、私が取ったのは、
「現代における伝統演劇」
 です。
 大きな本屋ならテキストが買えますし、入学しなくても番組を見ながら勉強出来ます。

 ホームページは、

http://www.u-air.ac.jp/

 です。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:44| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする

ど素人「狂言」談義(その11)

・あとがき

 やれやれ。どうにかここまで来ました。
 いやしかし、狂言本を書く事になるなんて、数年前には夢にも思いませんでした。
 確かに私の「日本の伝統文化」に対する関心は、一般的な若者にくらべると強かったように思います。

 でもそれが狂言で爆発してしまうとは。
 卒論まで書いてしまうとは。
 その上こういう趣味本を出してしまうとは。
 いやはや。

 こんなに自分の好きなように、筆のおもむくままに書いた本は初めてです。
 本業(といってもプロじゃないけど)の小説を書く時は、

「内容を理解してもらえるだろうか。
 言葉づかいが変だったらどうしよう。」

 といつでもビクビクしています。
 けれどこの本を書いている間、そういう不安は一切感じませんでした。

「だから分かりにくいのね。」

 と言われるならともかく、

「どっちにしろ分かりにくいのね。」

 と言われたらどうしよう、と今さらながらビクビクし始めています。

 この本の出来がどうだろうと、狂言は面白いものですので、一度は会場に足を運んでみてください。

 今後しばらくは小説に集中するつもりです。
 次はその本でお会い出来ると良いですね……
 なーんて、小説そっちのけで他の伝統芸能(たとえば講談とか? 神田山陽大好きだー!)の本を出していたりしたら、笑ってやってください。

 それでは、またいつか。

 二〇〇四年 梅雨の午後に
 柳田のり子
posted by 柳屋文芸堂 at 21:39| 【エッセイ】ど素人狂言談義 | 更新情報をチェックする