※2006年の夏ごろに書いた文章なので、情報としては古くなっている部分があります。ご注意&お許しを。
◇はしがき◇
私はこの文章を、行きつけのアジアンカフェで書いている。今日選んだお茶は台湾の凍頂烏龍茶。くちなしの花にたとえられる甘い香りに、自然と微笑みがもれてしまう。至福。
一年前の私がこの様子を見たとしたら、
「何気取ってんだー!」
と後ろからツッコミを入れたに違いない。
そう、それまでの私は、
「茶なんて飲めりゃ良いんだ! ガブガブ(飲む音)」
といういたってシンプルな考えで暮らしていた。ワインやお茶の味をうんぬんするなんてキザったらしくて恥ずかしい、と。
確かに何に関しても、無闇に通ぶるのはいやみだ。しかしお茶は食事と同じように、毎日体に入って来るもの。その味わいや効能について真面目に考えるのは決して悪くないと、最近は思っている。
と言ってもこの本は、うんちく話が中心ではない。
「お茶のど素人がいかにしてお茶に夢中になり、日々どんな風にお茶を楽しむようになったかの記録」
というのが一番近いだろうか。
あ、もしかして。
のろけ話に聞こえたら、ごめん。
2008年10月23日
ど素人お茶談義(その1)
posted by 柳屋文芸堂 at 11:31| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その2)
◇きっかけはいつも「愛」◇
お茶にハマった最初のきっかけは「結婚」だった。もちろん結婚する前にも実家や職場でお茶を淹れる事はあったのだが、自分のお金で茶葉を買っていた訳ではなかったし、何より飲んでくれる人が「愛する男」ではなかった。
いや、実家の家族や職場の人たちも「愛する人」ですよ。でもやっぱり私が情熱をそそぐ対象になるのは「愛する男」に関わるものだけなのだ。他の人たち、すまない(何だかしょっぱなから謝ってばかりだ)
さて、この「愛する男」 前作の『ど素人料理談義』ではダンナとかダーリンとか呼び方が定まらなかったので、今回は初めから「Dちゃん」と呼ぶ事に決める(彼が結婚前から使っているハンドルネーム。ダンナ・ダーリンの頭文字ではない)
このDちゃん、私の数倍繊細な舌を持ち、ちょっと料理を手抜きすれば、
「これも不味くはないけど、前に作った時の方が美味しかったね」
と優しい微笑みを浮かべながらザックリと主婦を断罪する恐ろしい男である。丁寧に作ればそれだけ評価してくれるので、やりがいはあるのだけれど。
その繊細な(神経質とも言える)舌は、当然お茶に対しても効力を発揮する。
「どう淹れても茶は茶」
という粗雑なやり方は通用せず、好みをつかみ切れなかった新婚の頃は、
「これじゃ飲めないよ〜」
という言葉に何度も涙を飲んだ(やや誇大表現)
このままではいけない。料理に気を遣うのと同じように、お茶の淹れ方も工夫せねば!
努力する人間は暴走する。そう、本を一冊書けるくらいに……
お茶にハマった最初のきっかけは「結婚」だった。もちろん結婚する前にも実家や職場でお茶を淹れる事はあったのだが、自分のお金で茶葉を買っていた訳ではなかったし、何より飲んでくれる人が「愛する男」ではなかった。
いや、実家の家族や職場の人たちも「愛する人」ですよ。でもやっぱり私が情熱をそそぐ対象になるのは「愛する男」に関わるものだけなのだ。他の人たち、すまない(何だかしょっぱなから謝ってばかりだ)
さて、この「愛する男」 前作の『ど素人料理談義』ではダンナとかダーリンとか呼び方が定まらなかったので、今回は初めから「Dちゃん」と呼ぶ事に決める(彼が結婚前から使っているハンドルネーム。ダンナ・ダーリンの頭文字ではない)
このDちゃん、私の数倍繊細な舌を持ち、ちょっと料理を手抜きすれば、
「これも不味くはないけど、前に作った時の方が美味しかったね」
と優しい微笑みを浮かべながらザックリと主婦を断罪する恐ろしい男である。丁寧に作ればそれだけ評価してくれるので、やりがいはあるのだけれど。
その繊細な(神経質とも言える)舌は、当然お茶に対しても効力を発揮する。
「どう淹れても茶は茶」
という粗雑なやり方は通用せず、好みをつかみ切れなかった新婚の頃は、
「これじゃ飲めないよ〜」
という言葉に何度も涙を飲んだ(やや誇大表現)
このままではいけない。料理に気を遣うのと同じように、お茶の淹れ方も工夫せねば!
努力する人間は暴走する。そう、本を一冊書けるくらいに……
posted by 柳屋文芸堂 at 11:30| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その3)
◇濃い目が基本、じゃダメらしい◇
私は行く先々で、
「(性格が)濃い、くどい」
と言われる。自分ではいまいち納得いかず、
「こんなに真面目なのに!」
と反論をすると、
「真面目に濃いんだよ!」
などと追い討ちをかけられる。
この性格の反映なのかどうかは分からないが、確かに私は濃い味のものが好きだ。塩辛さや甘さではなく、その食べ物が持っている個性が強く出ていれば出ているほど、美味しく感じる。
当然お茶も「濃い目」で飲みたかったの、だが。
結婚して間もないある朝の事だ。出勤前のDちゃんに飲んでもらおうと、ウェッジウッドの「イングリッシュブレックファスト」という紅茶を淹れた。二人用のティーポットに、封を切ったばかりの茶葉をスプーンで三杯さらさらさら。
「Dちゃん喜んでくれるかしら♪」
お湯を入れてからきっちり三分待ち、カップに注ぐ。
「あれ……?」
茶葉を多く入れたつもりはなかったのに、お茶の水色が妙に濃い。「紅」茶なのに「こげ茶」色。
「ま、これがこの紅茶の色なんだろう!」
特に気にせず嬉々としてDちゃんの前にカップを置いた。
「どう?」
ちょっと口をつけただけで顔をしかめる。
「苦くて飲めない」
「えー!」
「この紅茶、薄く淹れてさっぱり飲むのが好きなのに……」
そういう事は先に言ってくれ、と思いつつ、申し訳なさが先に立つ。
「ごめんねぇ」
朝っぱらから無駄にしょんぼりする二人。だが、落ち込んでいる暇はない。一口分しか減っていない紅茶のカップを残して、Dちゃんは会社に向かった。
後に紅茶に少々詳しくなってから、この日の濃い水色の理由が分かった。「イングリッシュブレックファスト」の茶葉はよった葉っぱの形ではなく、コロコロとした小さい粒だった。これはCTC(Crush,Tear and Curlの略)というつぶし丸めて作る茶葉で、短時間で味がしっかり出るのが特長だ。つまりその名の通り、
「朝食時には濃いお茶を飲んで目を覚まそうぜ」
という事なのだ。もちろんイギリス人たちは、
「苦いっ! 渋いっ!」
と我慢しながら飲むのではなく、ミルクを入れてやわらかい味にする。
Dちゃんがこの紅茶を知ったのは、私が誕生日にプレゼントしたのがきっかけだ。その頃私たちは遠距離恋愛をしていて(私は埼玉、Dは北海道で一人暮らし)
「あたたかいお茶を手軽に飲めたら便利だろう」
とウェッジウッドのティーバッグセットを送った。Dちゃんはこれを紅茶の種類に関係なく独自の方法で薄めに淹れ、さらには何度も何度もお湯を注ぎ、「ティー」の味が消え「バッグ」の味しかしなくなるまで飲んでいたらしい。別に私の愛の証をゴミ箱にポイするのがたえ難かった訳ではなく、それが彼の習い性なのだ。
ちなみに「独自の方法」というのは、
「お湯の上からティーバッグを入れる」
「ティーバッグを早めに引き上げる」
「お湯で割る」
など。その時の気分しだいであれこれやるようだ。
薄めを好むのは紅茶だけではない。Dちゃんの希望で、我が家の夕食時のお茶はほうじ茶に決まった。実家でもよく淹れていたお茶なので苦くなる事もなかろうと、適当な量の茶葉を急須へさらり。蒸らし時間ももちろん適当だ。
香ばしい湯気の立つ湯飲みをDちゃんの前にトン、と置く。
「お店みたいな味がする」
「あらそう」
褒められているのかと微笑んだ、次の瞬間。
「家で飲むには濃過ぎる……」
「ええー!」
お茶を淹れるたび驚く私。
「お店では普通にほうじ茶飲んでるじゃん」
「あれは『お店のお茶だなー』って思いながら飲むんだよ。家で飲むのはもっと薄いの」
「知らないよ、そんなの……」
ああ全く、旦那とは小さな異文化であるよ。どうやら彼の家では「ほうじ茶は薄く淹れるもの」と決まっているらしい。
「ティーバッグをあそこまで使い切るのもお家の習慣なの?」
「いや、あれは僕だけ。母親にもあきれられる」
とにもかくにも、このように「薄味好み」の男と「濃い目が基本」の女が共に暮らすのは難しい。激しくぶつかり合う生活の中で(大袈裟)私は「二人ともが満足出来るお茶の淹れ方」を編み出した。それは、
一、平均的な量の茶葉をティーポットに入れる
二、お湯を注ぎ、ほんの少し蒸らす
三、お茶をDのカップに注ぐ
四、しばらく放置
五、お茶を自分のカップに注ぐ
こうすればティーポットの上澄み部分がDへ、底だまり部分が私に、とそれぞれ違う濃さでお茶を淹れられる。お茶の種類によって二や四の蒸らし時間を調整する事はあるが、三と五を入れ替える事は絶対にない。
このやり方でも失敗した場合、Dの分だけ、クセのない紅茶ならミルク、その他のお茶はお湯で薄める。何だかいい加減だなぁ、と自分でも思うけれど、お茶の淹れ方に正解や間違いはないのだ。それぞれにとって正しいお茶があるだけで。
「ゴールデンルール(イギリスの伝統的な紅茶の淹れ方)至上主義」は我が家にやって来る前に敗北した。しかしこんな私でも、「何もかも適当で良い」と思っている訳ではない。次はその辺のお話を……
私は行く先々で、
「(性格が)濃い、くどい」
と言われる。自分ではいまいち納得いかず、
「こんなに真面目なのに!」
と反論をすると、
「真面目に濃いんだよ!」
などと追い討ちをかけられる。
この性格の反映なのかどうかは分からないが、確かに私は濃い味のものが好きだ。塩辛さや甘さではなく、その食べ物が持っている個性が強く出ていれば出ているほど、美味しく感じる。
当然お茶も「濃い目」で飲みたかったの、だが。
結婚して間もないある朝の事だ。出勤前のDちゃんに飲んでもらおうと、ウェッジウッドの「イングリッシュブレックファスト」という紅茶を淹れた。二人用のティーポットに、封を切ったばかりの茶葉をスプーンで三杯さらさらさら。
「Dちゃん喜んでくれるかしら♪」
お湯を入れてからきっちり三分待ち、カップに注ぐ。
「あれ……?」
茶葉を多く入れたつもりはなかったのに、お茶の水色が妙に濃い。「紅」茶なのに「こげ茶」色。
「ま、これがこの紅茶の色なんだろう!」
特に気にせず嬉々としてDちゃんの前にカップを置いた。
「どう?」
ちょっと口をつけただけで顔をしかめる。
「苦くて飲めない」
「えー!」
「この紅茶、薄く淹れてさっぱり飲むのが好きなのに……」
そういう事は先に言ってくれ、と思いつつ、申し訳なさが先に立つ。
「ごめんねぇ」
朝っぱらから無駄にしょんぼりする二人。だが、落ち込んでいる暇はない。一口分しか減っていない紅茶のカップを残して、Dちゃんは会社に向かった。
後に紅茶に少々詳しくなってから、この日の濃い水色の理由が分かった。「イングリッシュブレックファスト」の茶葉はよった葉っぱの形ではなく、コロコロとした小さい粒だった。これはCTC(Crush,Tear and Curlの略)というつぶし丸めて作る茶葉で、短時間で味がしっかり出るのが特長だ。つまりその名の通り、
「朝食時には濃いお茶を飲んで目を覚まそうぜ」
という事なのだ。もちろんイギリス人たちは、
「苦いっ! 渋いっ!」
と我慢しながら飲むのではなく、ミルクを入れてやわらかい味にする。
Dちゃんがこの紅茶を知ったのは、私が誕生日にプレゼントしたのがきっかけだ。その頃私たちは遠距離恋愛をしていて(私は埼玉、Dは北海道で一人暮らし)
「あたたかいお茶を手軽に飲めたら便利だろう」
とウェッジウッドのティーバッグセットを送った。Dちゃんはこれを紅茶の種類に関係なく独自の方法で薄めに淹れ、さらには何度も何度もお湯を注ぎ、「ティー」の味が消え「バッグ」の味しかしなくなるまで飲んでいたらしい。別に私の愛の証をゴミ箱にポイするのがたえ難かった訳ではなく、それが彼の習い性なのだ。
ちなみに「独自の方法」というのは、
「お湯の上からティーバッグを入れる」
「ティーバッグを早めに引き上げる」
「お湯で割る」
など。その時の気分しだいであれこれやるようだ。
薄めを好むのは紅茶だけではない。Dちゃんの希望で、我が家の夕食時のお茶はほうじ茶に決まった。実家でもよく淹れていたお茶なので苦くなる事もなかろうと、適当な量の茶葉を急須へさらり。蒸らし時間ももちろん適当だ。
香ばしい湯気の立つ湯飲みをDちゃんの前にトン、と置く。
「お店みたいな味がする」
「あらそう」
褒められているのかと微笑んだ、次の瞬間。
「家で飲むには濃過ぎる……」
「ええー!」
お茶を淹れるたび驚く私。
「お店では普通にほうじ茶飲んでるじゃん」
「あれは『お店のお茶だなー』って思いながら飲むんだよ。家で飲むのはもっと薄いの」
「知らないよ、そんなの……」
ああ全く、旦那とは小さな異文化であるよ。どうやら彼の家では「ほうじ茶は薄く淹れるもの」と決まっているらしい。
「ティーバッグをあそこまで使い切るのもお家の習慣なの?」
「いや、あれは僕だけ。母親にもあきれられる」
とにもかくにも、このように「薄味好み」の男と「濃い目が基本」の女が共に暮らすのは難しい。激しくぶつかり合う生活の中で(大袈裟)私は「二人ともが満足出来るお茶の淹れ方」を編み出した。それは、
一、平均的な量の茶葉をティーポットに入れる
二、お湯を注ぎ、ほんの少し蒸らす
三、お茶をDのカップに注ぐ
四、しばらく放置
五、お茶を自分のカップに注ぐ
こうすればティーポットの上澄み部分がDへ、底だまり部分が私に、とそれぞれ違う濃さでお茶を淹れられる。お茶の種類によって二や四の蒸らし時間を調整する事はあるが、三と五を入れ替える事は絶対にない。
このやり方でも失敗した場合、Dの分だけ、クセのない紅茶ならミルク、その他のお茶はお湯で薄める。何だかいい加減だなぁ、と自分でも思うけれど、お茶の淹れ方に正解や間違いはないのだ。それぞれにとって正しいお茶があるだけで。
「ゴールデンルール(イギリスの伝統的な紅茶の淹れ方)至上主義」は我が家にやって来る前に敗北した。しかしこんな私でも、「何もかも適当で良い」と思っている訳ではない。次はその辺のお話を……
posted by 柳屋文芸堂 at 11:29| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その4)
◇お茶の淹れ方で自らを省みる◇
結婚前に勤めていた職場には、「のりこ」という名前の世話好きで几帳面なお姉さんがいた。喫茶店で働いていた経験もあり、
「美味しく紅茶を淹れるには、熱湯でジャンピングさせて、茶葉を綺麗に開かせないと」
「(ドリップ)コーヒーを淹れる時には『蒸らし』が大事なのよ」
とあれこれ丁寧に教えてくれた。けれどその頃の私は素直そうに「はい」と答えながらも、心の中で、
「お湯と茶葉(もしくはコーヒーの粉)が触れさえすれば、どうやっても結果は同じだろう」
と考えていた。
こんな風に書くと、お節介なお局様と生意気な新人の関係みたいに聞こえるかもしれない。だが実際は、彼女を可愛いと思いこそすれ、煙たく感じた事なんて一度もなかった。何しろ大きな目をくりくりさせながら、
「ピカチュウが好きなんでちゅ!」
なんて幼児言葉を使い、なおかつそれがものすごく似合う、というたぐい稀なる三十代だったのだ。しかもその後「柳田」さんの所に嫁にゆき、「二代目柳田のりこ」になってしまった!(「のりこ」が漢字なんだけどね)
話がそれた(っていうかこんな事勝手に書いちゃって良かったのか?)
要するに私は、職場の中で飲み物を用意しなければいけない立場にあり、さらにはそのための知識を優しく教えてくれる人がいたにもかかわらず、
「どんな味になろうと知ったこっちゃない」
とザクザク粗雑にお茶を淹れていた訳だ。それを思い出すと今でも申し訳なく思う。
しかし仕方がなかったのだ。その頃の私は、
「一刻も早くプロの小説家にならなければ。そのためにどうにかして力をつけなければ」
と強い焦燥感にかられていて、仕事をしながら放送大学で勉強をし、読書も欠かさず、小説を書き、文学賞に投稿し、同人誌即売会に参加し、とせわしなく活動していた。もちろん私にとって宗教に等しい恋愛にも情熱を注ぎまくり…… 要領の良い人ならいざ知らず、人一倍不器用な私にとっては、目の回るような毎日だった。そんな余裕のない心と体では、仕事そのもの(医療事務)を間違えずにこなすのが精一杯で、お茶の淹れ方に気を遣うなんてとても出来なかったのだ。
嗜好品であるお茶やコーヒーを深く味わうには、おそらく「ゆとり」が必要なのだろう。だからこそ、幼児言葉を違和感なく使いこなす「のりこ」さんが、お茶やコーヒーへのこだわりを語るのを見ると、
「ああ、この人は私よりずっと大人なんだ」
と十二歳の年の差を思い出した(普段は同い年か年下みたいだった)
この若さゆえの(?)粗雑さを反省する機会が、結婚前に一度あった。NHKの『ためしてガッテン』で「美味しい紅茶の淹れ方」が取り上げられた時だ。見た事がある人なら分かると思うけれど、この番組ではその回のテーマを追究するためにさまざまな実験をする。お湯の温度を変えてみたり、丸、三角、四角(円筒)のティーポットを使ってみたりして、茶葉の動き(浮き沈み)の違いを調べていた。
そうして、「九十五度のお湯」と「丸型のティーポット」の組み合わせが茶葉のジャンピングを起こすのに一番都合が良く、水に溶け出すお茶の成分量も最も多くなる、という結果が出た。
文章で読めば「ふーん」だが、実際に映像で見せられると説得力がある。私はテレビの前で愕然とした。
「お湯と茶葉が触れれば何でも良いって訳じゃなかったんだ!」
その時私が反省したのは、職場で淹れていたお茶の味だけではない。自分の思慮の足りなさ、そこから来る生き方の粗雑さ…… 私は人生の中で、どれだけ細かな部分を省略して来ただろう。不器用さと面倒臭さを言い訳にして。もしかしたら、この性格が小説の完成度にも響いているのかもしれない。たかがお茶の事ながら、自分という存在について真剣に考えてしまった。
こんな私も最近では、お茶を淹れる前にティーポットへお湯を少し注ぎ、温めておいたりする。こうするとジャンピングを生むお湯の対流が長続きするのだ。これも昔だったら「無駄な手間」と決めつけていたに違いない。
私にも一応は「ゆとり」が出来たのだろう。小説書きに対する焦燥感はまだあるけれど、放送大学は卒業したし、「胸焦がす恋愛」が「穏やかな結婚生活」に移行したのが何より大きい。
どうも何を書いてものろけに戻ってしまうな。ま、良いか。
結婚前に勤めていた職場には、「のりこ」という名前の世話好きで几帳面なお姉さんがいた。喫茶店で働いていた経験もあり、
「美味しく紅茶を淹れるには、熱湯でジャンピングさせて、茶葉を綺麗に開かせないと」
「(ドリップ)コーヒーを淹れる時には『蒸らし』が大事なのよ」
とあれこれ丁寧に教えてくれた。けれどその頃の私は素直そうに「はい」と答えながらも、心の中で、
「お湯と茶葉(もしくはコーヒーの粉)が触れさえすれば、どうやっても結果は同じだろう」
と考えていた。
こんな風に書くと、お節介なお局様と生意気な新人の関係みたいに聞こえるかもしれない。だが実際は、彼女を可愛いと思いこそすれ、煙たく感じた事なんて一度もなかった。何しろ大きな目をくりくりさせながら、
「ピカチュウが好きなんでちゅ!」
なんて幼児言葉を使い、なおかつそれがものすごく似合う、というたぐい稀なる三十代だったのだ。しかもその後「柳田」さんの所に嫁にゆき、「二代目柳田のりこ」になってしまった!(「のりこ」が漢字なんだけどね)
話がそれた(っていうかこんな事勝手に書いちゃって良かったのか?)
要するに私は、職場の中で飲み物を用意しなければいけない立場にあり、さらにはそのための知識を優しく教えてくれる人がいたにもかかわらず、
「どんな味になろうと知ったこっちゃない」
とザクザク粗雑にお茶を淹れていた訳だ。それを思い出すと今でも申し訳なく思う。
しかし仕方がなかったのだ。その頃の私は、
「一刻も早くプロの小説家にならなければ。そのためにどうにかして力をつけなければ」
と強い焦燥感にかられていて、仕事をしながら放送大学で勉強をし、読書も欠かさず、小説を書き、文学賞に投稿し、同人誌即売会に参加し、とせわしなく活動していた。もちろん私にとって宗教に等しい恋愛にも情熱を注ぎまくり…… 要領の良い人ならいざ知らず、人一倍不器用な私にとっては、目の回るような毎日だった。そんな余裕のない心と体では、仕事そのもの(医療事務)を間違えずにこなすのが精一杯で、お茶の淹れ方に気を遣うなんてとても出来なかったのだ。
嗜好品であるお茶やコーヒーを深く味わうには、おそらく「ゆとり」が必要なのだろう。だからこそ、幼児言葉を違和感なく使いこなす「のりこ」さんが、お茶やコーヒーへのこだわりを語るのを見ると、
「ああ、この人は私よりずっと大人なんだ」
と十二歳の年の差を思い出した(普段は同い年か年下みたいだった)
この若さゆえの(?)粗雑さを反省する機会が、結婚前に一度あった。NHKの『ためしてガッテン』で「美味しい紅茶の淹れ方」が取り上げられた時だ。見た事がある人なら分かると思うけれど、この番組ではその回のテーマを追究するためにさまざまな実験をする。お湯の温度を変えてみたり、丸、三角、四角(円筒)のティーポットを使ってみたりして、茶葉の動き(浮き沈み)の違いを調べていた。
そうして、「九十五度のお湯」と「丸型のティーポット」の組み合わせが茶葉のジャンピングを起こすのに一番都合が良く、水に溶け出すお茶の成分量も最も多くなる、という結果が出た。
文章で読めば「ふーん」だが、実際に映像で見せられると説得力がある。私はテレビの前で愕然とした。
「お湯と茶葉が触れれば何でも良いって訳じゃなかったんだ!」
その時私が反省したのは、職場で淹れていたお茶の味だけではない。自分の思慮の足りなさ、そこから来る生き方の粗雑さ…… 私は人生の中で、どれだけ細かな部分を省略して来ただろう。不器用さと面倒臭さを言い訳にして。もしかしたら、この性格が小説の完成度にも響いているのかもしれない。たかがお茶の事ながら、自分という存在について真剣に考えてしまった。
こんな私も最近では、お茶を淹れる前にティーポットへお湯を少し注ぎ、温めておいたりする。こうするとジャンピングを生むお湯の対流が長続きするのだ。これも昔だったら「無駄な手間」と決めつけていたに違いない。
私にも一応は「ゆとり」が出来たのだろう。小説書きに対する焦燥感はまだあるけれど、放送大学は卒業したし、「胸焦がす恋愛」が「穏やかな結婚生活」に移行したのが何より大きい。
どうも何を書いてものろけに戻ってしまうな。ま、良いか。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:28| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その5)
◇ティースクールへ!◇
結婚してしばらくは「二代目柳田のりこさんの教え」と『ためしてガッテン』のおぼろな記憶だけを頼りにお茶を淹れていた。しかしすぐに、自他ともに認める努力家(凝り性・オタク体質?)の私の心には、
「もうちょっときちんと勉強したいな。それに紅茶とほうじ茶だけでなく、もっと色々なお茶を試してみたい」
という気持ちがむくむくと膨らんで来た。
そんな頃、ふらりと立ち寄った新宿京王のれん街のルピシア(当時はレピシエ)で、「ティースクール」の存在を知った。基礎コース、本科紅茶・日本茶・中国茶コースがあり、それぞれ五回で一万五千円(注:二〇〇五年いっぱいでこの講座は終了しています)
「一回三千円かぁ。ちと高いのう」
けれどもその時は、ため息と一緒にチラシをしまい込んでしまった。
転機となったのはゴールデンウィーク。それまで仕事が忙しく、まとめて休みを取れなかったDちゃんが、珍しく十日間ほど家にいた。これ幸いと思う存分べったりくっついて暮らしたのがいけなかったらしい。休みが明けた途端、私は重症の「寂しい病」にかかってしまった! それまで別段平気だった「一日中独りで家にいる」専業主婦の生活がつらくて仕方なくなって、
「何でも良いから外に出たい!」
と駅前のスタバか何かに行ってみても、誰と知り合いになれる訳でもない。ならばパートにでも出れば良いじゃないかと思うだろうが(自分でも考えた)家事と仕事と小説書きの三つ全てを器用にこなす自信がない。どうしたものかと悶々と悩んだ末、
「そうだ、習い事をしよう!」
と思いついた。
「今、一番興味のある事……。小説教室は課題の〆切が多くて遅筆の私には厳しそうだからなぁ……。あ、レピシエのティースクール!」
そう決めたものの、いきなり基礎コースを始めるのは不安だったので、一時間千円(注:二〇〇六年から三十分五百円に変更)のミニ講座「ミルクティーの作り方」を受ける事にした。電話で予約し会場である千駄ヶ谷のレピシエ本店に行くと、十人ほどの受講者が集まっていた。
「あれっ?」
紅茶好きは女性に多い、という先入観から、てっきり先生も女に違いないと思っていたのだが、やって来たのは若い、優しげな男の先生だった。
「みなさんは、朝、紅茶を飲んで、胃の調子を悪くする事はありませんか? 実を言うと僕がそうなんです。紅茶の仕事をしているのに悔しくて……」
見た目を裏切らない弱々しさ。気に入った。
「もし僕と同じように困っている人がいたら、朝の紅茶をミルクティーにしてみて下さい。牛乳に含まれる成分が刺激を和らげてくれます」
先生はミルクティーに向くコクと渋みの強い紅茶の産地を紹介した。インドのアッサム地方。ケニア。セイロン(スリランカ)のディンブーラ・ウバ・キャンディ・ルフナ地方など。
「その中でも最も失敗の少ないアッサムティーを使ってテイスティングをします」
用意されたのは同じ農園で作られたフルリーフ(よった葉っぱの形の茶葉)、ブロークン(フルリーフを細かく砕いた茶葉)、CTC(小さい粒の茶葉)の三種類。
「茶葉の形によってミルクティーの印象がどう変わるか、調べてみましょう」
てのひらに載るほどの小ささの、単純な構造のティーポット(テイスティングポット)三つに、それぞれの茶葉を入れる。そして熱湯を注ぎ、きっちり三分待った。
「では、こちらのカップ(テイスティングカップ。小さなおわんのようなもの)の上にポットを横向きにかぶせて下さい。自分で注がなくても、自然にお茶が出て来ます」
私だけが初心者かと思ったらそんな事はなく、ほぼ全員テイスティングは初めての様子。慣れない茶器にどぎまぎしながら作業を進めた。
「それからこのように……」
先生は慣れた手つきでテイスティングポットを逆さにして振り、茶がらをふたの上に取り出した。
「こうして茶葉もチェックします」
せっかくだから私もやってみようと思ったのだが、ひっくり返してアチー! となるのがオチだな、と他の人がやるのをぼんやり眺める。これだけ人が集まると器用な人がいるものだ。つつがなくテイスティング用の紅茶三種類が出来上がった。
「ではスプーン一杯ずつミルクを入れてみましょう。まず水色を見て下さい。フルリーフよりブロークンやCTCの方が茶色が濃いですね。もう少しミルクを入れても良いかな? というくらいの色です。あと、フルリーフが一番澄んでますね。紅茶は味だけでなく『美味しそう』と思える見た目が重要なポイントです」
私はお茶の見た目なんて一度も気にした事がなかったので驚いた。そういうものなのか。
「では一口ずつスプーンで飲んでみましょう。このように……」
先生はズズズーッと派手な音を立てて紅茶を飲んで見せた。
「みそ汁みたいな感じに」
みそ汁だってそんな風に飲まないよ、先生。先生はあくまで品良くニコニコ笑っている。
「甘さや苦さや酸っぱさ等、味覚を感じる場所は舌のあちこちにバラバラにあるんです。その全てを使うためには、舌全体にお茶が当たるようにしなければいけません。音を立てる事にはちゃんと意味があるんですよ」
そう言われても、初対面の人の前でズズズズお茶を飲むのは恥ずかしい。なるたけ舌全体にまんべんなくお茶が行き渡るようにしながら、一口ずつミルクティーを飲んでいった。
「みなさん、どれが一番美味しく感じましたか?」
三種類のうち気に入ったものに手を挙げた。私はCTCに。
「嗜好品の味の感じ方は人それぞれですから、正解というものはありません。でもおそらく、香りを最も強く感じたのはフルリーフだと思います」
香り! 見た目同様香りなんて全く気にしなかった。
「逆にCTCは、香りが弱めで味がしっかり出ますね。ブロークンは香り、味ともにフルリーフとCTCの間くらいです。今後はこのテイスティングを参考にして、自分好みのミルクティーを淹れて下さい」
やはり私は濃い目が好きなんだ、といういつも通りの結論を得て、次は「チャイの淹れ方」 お店でしか飲んだ事のないものを作れるというのでワクワクだ。思えばこんなに「濃い」紅茶の淹れ方は他にない。結婚前、アフタヌーンティー・ティールームに行くたび注文していたのを懐かしく思い出しながら、鍋の水が沸騰するのを待った。
「今日は使いませんが、スパイスを入れる場合はこの段階で入れます」
「えっ、出来上がってからじゃダメなんですか?」
手も挙げずに質問する。実を言うと、自分でミルクティーを淹れた時、チャイ風にしたくて上からシナモンをかけた事があるのだ。
「スパイスは水に、茶葉は熱湯に、です」
なるほど、それなら粉っぽい仕上がりになって無駄にせき込む事もない。
お湯が沸いたら茶葉を入れる。やはりアッサムの、シロニバリという紅茶だった。
「CTCなのでちょっと分かりにくいですが、茶葉が開いたのを確認して、牛乳を入れて下さい」
黒に限りなく近いこげ茶の紅茶に、水の三倍はある牛乳をドバー! 濃い目狂にはたまらない光景だ。
「ぽつぽつ泡が出て来ますね? これが鍋のまわりを一周したら出来上がりです」
茶こしでこしながらカップに注ぐ。
「砂糖を加えるのは邪道、と思う人がいるかもしれませんが、僕はぜひ入れて欲しいです。おすすめします。コクが出ますから。だまされたと思って」
そこまで言われたら、普段はめったに甘い飲み物を飲まない私も入れない訳にはいかない。一さじ、さらり。
「美味しい!」
それまで初対面同士の十人の間に漂っていた緊張感が、一気にほぐれた。私も思わず目の前の女性に微笑みかける。にっこりしてうなずいてくれた。さっきまでは、視線を合わせる事がひどくぶしつけな気がして、お互いうつむきかげんで話を聞いていたのに。
それからは全員なごやかな雰囲気に包まれ、おしゃべりをしたり、先生に質問したりして、ミニ講座は終わった。
帰り道、私はついつい表情がゆるんだ。
「これはもう、基礎コース受講決定だな」
あのチャイを飲んだ瞬間の感じ。あれは絶対「寂しい病」の治療に効き目があるはずだ。
その予想はしっかり的中した。
結婚してしばらくは「二代目柳田のりこさんの教え」と『ためしてガッテン』のおぼろな記憶だけを頼りにお茶を淹れていた。しかしすぐに、自他ともに認める努力家(凝り性・オタク体質?)の私の心には、
「もうちょっときちんと勉強したいな。それに紅茶とほうじ茶だけでなく、もっと色々なお茶を試してみたい」
という気持ちがむくむくと膨らんで来た。
そんな頃、ふらりと立ち寄った新宿京王のれん街のルピシア(当時はレピシエ)で、「ティースクール」の存在を知った。基礎コース、本科紅茶・日本茶・中国茶コースがあり、それぞれ五回で一万五千円(注:二〇〇五年いっぱいでこの講座は終了しています)
「一回三千円かぁ。ちと高いのう」
けれどもその時は、ため息と一緒にチラシをしまい込んでしまった。
転機となったのはゴールデンウィーク。それまで仕事が忙しく、まとめて休みを取れなかったDちゃんが、珍しく十日間ほど家にいた。これ幸いと思う存分べったりくっついて暮らしたのがいけなかったらしい。休みが明けた途端、私は重症の「寂しい病」にかかってしまった! それまで別段平気だった「一日中独りで家にいる」専業主婦の生活がつらくて仕方なくなって、
「何でも良いから外に出たい!」
と駅前のスタバか何かに行ってみても、誰と知り合いになれる訳でもない。ならばパートにでも出れば良いじゃないかと思うだろうが(自分でも考えた)家事と仕事と小説書きの三つ全てを器用にこなす自信がない。どうしたものかと悶々と悩んだ末、
「そうだ、習い事をしよう!」
と思いついた。
「今、一番興味のある事……。小説教室は課題の〆切が多くて遅筆の私には厳しそうだからなぁ……。あ、レピシエのティースクール!」
そう決めたものの、いきなり基礎コースを始めるのは不安だったので、一時間千円(注:二〇〇六年から三十分五百円に変更)のミニ講座「ミルクティーの作り方」を受ける事にした。電話で予約し会場である千駄ヶ谷のレピシエ本店に行くと、十人ほどの受講者が集まっていた。
「あれっ?」
紅茶好きは女性に多い、という先入観から、てっきり先生も女に違いないと思っていたのだが、やって来たのは若い、優しげな男の先生だった。
「みなさんは、朝、紅茶を飲んで、胃の調子を悪くする事はありませんか? 実を言うと僕がそうなんです。紅茶の仕事をしているのに悔しくて……」
見た目を裏切らない弱々しさ。気に入った。
「もし僕と同じように困っている人がいたら、朝の紅茶をミルクティーにしてみて下さい。牛乳に含まれる成分が刺激を和らげてくれます」
先生はミルクティーに向くコクと渋みの強い紅茶の産地を紹介した。インドのアッサム地方。ケニア。セイロン(スリランカ)のディンブーラ・ウバ・キャンディ・ルフナ地方など。
「その中でも最も失敗の少ないアッサムティーを使ってテイスティングをします」
用意されたのは同じ農園で作られたフルリーフ(よった葉っぱの形の茶葉)、ブロークン(フルリーフを細かく砕いた茶葉)、CTC(小さい粒の茶葉)の三種類。
「茶葉の形によってミルクティーの印象がどう変わるか、調べてみましょう」
てのひらに載るほどの小ささの、単純な構造のティーポット(テイスティングポット)三つに、それぞれの茶葉を入れる。そして熱湯を注ぎ、きっちり三分待った。
「では、こちらのカップ(テイスティングカップ。小さなおわんのようなもの)の上にポットを横向きにかぶせて下さい。自分で注がなくても、自然にお茶が出て来ます」
私だけが初心者かと思ったらそんな事はなく、ほぼ全員テイスティングは初めての様子。慣れない茶器にどぎまぎしながら作業を進めた。
「それからこのように……」
先生は慣れた手つきでテイスティングポットを逆さにして振り、茶がらをふたの上に取り出した。
「こうして茶葉もチェックします」
せっかくだから私もやってみようと思ったのだが、ひっくり返してアチー! となるのがオチだな、と他の人がやるのをぼんやり眺める。これだけ人が集まると器用な人がいるものだ。つつがなくテイスティング用の紅茶三種類が出来上がった。
「ではスプーン一杯ずつミルクを入れてみましょう。まず水色を見て下さい。フルリーフよりブロークンやCTCの方が茶色が濃いですね。もう少しミルクを入れても良いかな? というくらいの色です。あと、フルリーフが一番澄んでますね。紅茶は味だけでなく『美味しそう』と思える見た目が重要なポイントです」
私はお茶の見た目なんて一度も気にした事がなかったので驚いた。そういうものなのか。
「では一口ずつスプーンで飲んでみましょう。このように……」
先生はズズズーッと派手な音を立てて紅茶を飲んで見せた。
「みそ汁みたいな感じに」
みそ汁だってそんな風に飲まないよ、先生。先生はあくまで品良くニコニコ笑っている。
「甘さや苦さや酸っぱさ等、味覚を感じる場所は舌のあちこちにバラバラにあるんです。その全てを使うためには、舌全体にお茶が当たるようにしなければいけません。音を立てる事にはちゃんと意味があるんですよ」
そう言われても、初対面の人の前でズズズズお茶を飲むのは恥ずかしい。なるたけ舌全体にまんべんなくお茶が行き渡るようにしながら、一口ずつミルクティーを飲んでいった。
「みなさん、どれが一番美味しく感じましたか?」
三種類のうち気に入ったものに手を挙げた。私はCTCに。
「嗜好品の味の感じ方は人それぞれですから、正解というものはありません。でもおそらく、香りを最も強く感じたのはフルリーフだと思います」
香り! 見た目同様香りなんて全く気にしなかった。
「逆にCTCは、香りが弱めで味がしっかり出ますね。ブロークンは香り、味ともにフルリーフとCTCの間くらいです。今後はこのテイスティングを参考にして、自分好みのミルクティーを淹れて下さい」
やはり私は濃い目が好きなんだ、といういつも通りの結論を得て、次は「チャイの淹れ方」 お店でしか飲んだ事のないものを作れるというのでワクワクだ。思えばこんなに「濃い」紅茶の淹れ方は他にない。結婚前、アフタヌーンティー・ティールームに行くたび注文していたのを懐かしく思い出しながら、鍋の水が沸騰するのを待った。
「今日は使いませんが、スパイスを入れる場合はこの段階で入れます」
「えっ、出来上がってからじゃダメなんですか?」
手も挙げずに質問する。実を言うと、自分でミルクティーを淹れた時、チャイ風にしたくて上からシナモンをかけた事があるのだ。
「スパイスは水に、茶葉は熱湯に、です」
なるほど、それなら粉っぽい仕上がりになって無駄にせき込む事もない。
お湯が沸いたら茶葉を入れる。やはりアッサムの、シロニバリという紅茶だった。
「CTCなのでちょっと分かりにくいですが、茶葉が開いたのを確認して、牛乳を入れて下さい」
黒に限りなく近いこげ茶の紅茶に、水の三倍はある牛乳をドバー! 濃い目狂にはたまらない光景だ。
「ぽつぽつ泡が出て来ますね? これが鍋のまわりを一周したら出来上がりです」
茶こしでこしながらカップに注ぐ。
「砂糖を加えるのは邪道、と思う人がいるかもしれませんが、僕はぜひ入れて欲しいです。おすすめします。コクが出ますから。だまされたと思って」
そこまで言われたら、普段はめったに甘い飲み物を飲まない私も入れない訳にはいかない。一さじ、さらり。
「美味しい!」
それまで初対面同士の十人の間に漂っていた緊張感が、一気にほぐれた。私も思わず目の前の女性に微笑みかける。にっこりしてうなずいてくれた。さっきまでは、視線を合わせる事がひどくぶしつけな気がして、お互いうつむきかげんで話を聞いていたのに。
それからは全員なごやかな雰囲気に包まれ、おしゃべりをしたり、先生に質問したりして、ミニ講座は終わった。
帰り道、私はついつい表情がゆるんだ。
「これはもう、基礎コース受講決定だな」
あのチャイを飲んだ瞬間の感じ。あれは絶対「寂しい病」の治療に効き目があるはずだ。
その予想はしっかり的中した。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:27| 【エッセイ】ど素人お茶談義
|
ど素人お茶談義(その6)
◇お茶友達◇
ミニ講座は一回で終わりなので、いくらなごやかな雰囲気に包まれたといっても、そこで誰かと友達になれたりはしなかった。しかし基礎コースは同じメンバーで五回集まる。講義とテイスティングが終わった後のティータイムで、ケーキを食べながらゆったりとおしゃべりが出来る事もあり、数回通ううちにすっかり親しく話せるようになった。何しろ全員がお茶大好き人間。お茶を飲みながらお茶の話をするといくらでも盛り上がれるのだ。
別にうんちくを傾け合うのではない(そんなだったら嫌な感じだな)たとえばこんなたわいもない話だ。
「食事の時って何を飲む? 緑茶? それとも紅茶? うちは旦那の希望でほうじ茶なんだけど」
「麦茶」
そう答えたのは、イギリス旅行で大量のアールグレイを買って帰った事もある紅茶好きのTさん。いくら紅茶好きでも、食事の時にはあっさりした飲み物の方が良いらしい。
「フレーバーティー(香り付きのお茶)も食事には合わないよね〜 Fさんは?」
「みんな食事中に、お茶飲むの?」
「えっ?」
「食事中に飲むのはみそ汁とか、スープでしょう。お茶は、ごはんを食べ終わった後、そのお茶碗についで飲むの」
Tさんと私は声をそろえて叫んだ。
「古風だねー!」
Fさんはまだ二十歳の、おしゃれで可愛い女の子だ。その意外性に驚いた。
「おばあちゃんっ子だからかなぁ?」
「でもそれ、すごい由緒正しい飲み方だよ」
「カテキンでお茶碗も殺菌出来るし、合理的」
始終こんな調子だ。
話を聞いてみると、ルピシアの前身であるレピシエが紅茶メインのお店だった事もあり、基礎コースに集まった受講者たちも紅茶に一番強い興味を持っているようだった。しかし基礎コースでは紅茶だけでなく、日本茶や中国茶などについてもまんべんなく学ぶ。
ハーブティーや麦茶などを除き、紅茶・緑茶・ほうじ茶・烏龍茶・プーアル茶などは全て、茶の木(つばき科のカメリアシネンシス)が原料になっている。産地や、カメリアシネンシスの中でもどの品種を使うか、などによっても味は変わるが、最も大きな違いは「発酵度」だ。発酵と言っても菌によるものではなく、お茶の葉に傷をつけて酸化させる事を言う。緑茶は「無発酵」で、烏龍茶は「半発酵」、紅茶は「完全発酵」だ。切ってしばらくしたりんごやバナナが変色するのと同じ仕組みで、あれほどのくっきりした色の違いが生まれる。ほうじ茶は緑茶を焙じた(加熱して少々焦がした)もの、プーアル茶は他のお茶とは違って菌を使って発酵させたものだ。
この幅広いお茶全体を見渡す第一歩として、一回目の講座では発酵度の違う三種類のお茶をテイスティングした。セイロンの紅茶と、台湾の烏龍茶である名間金萱(みんちぇんきんせん)、そして日本の緑茶。ミニ講座と同じ茶器に茶葉と熱湯を入れ、三分待つ。
「何これ!」
テイスティングポットのふたを開け、名間金萱のふやけた茶葉を見て驚いた。一切切られていない、枝の先に生えた葉っぱそのままの形で、ポットから飛び出しそうなほどあふれ返っている。お湯を入れる前までは、あずきより小さなつぶつぶだったのに。「ふえるわかめちゃん」を思い浮かべてもらえれば分かりやすい。紅茶と緑茶の茶がらが底の方にちんまり張り付いているのとえらい違いだ。
「すごいですねぇ」
「ねぇ」
顔を見合わせながら、その名間金萱を一口、ごくり。
「美味しい!」
甘い、花のような香りに、緑茶をまろやかにしたような優しい口当たり。全く苦くない。
「これ、烏龍茶ですよね」
「そうです。間違ってないですよ」
思わずテイスティングカップの位置が入れ替わってないか確かめる。
実を言うと私は、缶やペットボトルの烏龍茶があまり好きではない。苦いというか渋いというか、飲んだ時にのどに残るような気がして、それしか飲むものが無い時以外はなるたけ避けるようにしている。それゆえわざわざ烏龍茶の茶葉を買って自分で淹れるなど考えたためしもなかったのだが、この香りと味は一体何なんだ。お茶の水色も茶色ではなく淡い黄緑で、あのペットボトル飲料と同じ名前がついているのが信じられない。
「みなさん、どのお茶が一番美味しかったですか?」
先生の質問に、ほとんどの受講者が名間金萱を選んだ。やはりみな、私と同じような衝撃を受けたのだろう。
「カタログを見てみたけど、別に高いお茶って訳じゃないのね」
その後のおしゃべりでも、この「台湾烏龍茶ショック」の話題が何度も出た。
「私、前にも美味しい烏龍茶を飲んだ事があるの。何ていうのかな…… ミルクを入れてないのにミルクティーみたいで、すごい良い香りで」
フレーバーティー好きのMさんが、困ったような喜んでいるような不思議な調子で言う。
「何てお茶?」
「それが覚えてないの!」
「やっぱりナントカ金萱なんじゃないのかな? 金萱種はミルキーって説明に書いてあるよ」
金萱というのは茶の木の品種だ。ナントカの部分には地名が入る(「名間金萱」は「名間」郷という場所で作られた、「金萱」種を原料とした烏龍茶)台湾烏龍茶の名称はたいていこの構成になっている。
「台湾茶の専門店に行ってみない? 前から気になっている所があって、ここからけっこう近いんだけど」
そう言い出したのは、紅茶だけでなく日本茶にも詳しいSさん。彼女も中国茶に興味を持ち始めたのは最近のよう。
「行くー!」
MさんにSさん、それに前述のTさん、Fさんも一緒に、大江戸線で麻布十番へ。向かったのは竹里館(たけうらかん)という茶藝館だ。茶器や茶葉を売っているだけでなく、喫茶店のようにその場でお茶や料理を楽しめるようになっている(注:二〇〇五年十二月から一年半ほどの間はリニューアルのため予約制のサロンのみ営業)
「わあ、色々な種類があるね」
「蓋杯か工夫茶のどちらかを選べるみたいだよ」
「じゃあ私は蓋杯で」
「せっかくだから工夫茶にしてみよう」
蓋杯は中国の伝統的な茶器で、背の低い、口の開いた湯飲みにふたとお皿がついている。湯飲み部分に直接茶葉を入れてお湯を注ぎ、ふたで茶葉をよけながら飲むのが特徴だ。工夫茶は台湾のお茶の飲み方で、基本は日本の緑茶の淹れ方に似ているのだが、茶壷(日本の急須を一回り小さくした感じのもの)の上にお湯をかけたり、独特の作法があるのが特徴だ。もちろんそのお湯はテーブルの上にダラダラ流すのではなく、茶器の下に最初から水受け用の茶盤という箱を置いておく。
このように飲み方を選べる場合、同じお茶でもたいてい工夫茶の方が高い値段設定になっている。茶器の多さと準備の手間を考えれば当然だろう。しかし「台湾のお茶を飲んだぞ!」と満足感が得られるのは工夫茶の方だ。それに、
「あちっ!」
蓋杯を選んだ私は唇をやけどした。急須からそのまま飲むようなものだから、茶杯(工夫茶で使う小さな湯飲み)のお茶より熱いのだ。のんびり待っていたらお茶が出切ってしまうし、なかなか難しい。工夫茶を選んだ友人たちの前には豪華な茶器が並び、非日常空間が生まれている。滅多にない経験なんだからケチらなきゃ良いのにね、私も。
それぞれお茶を使った料理(私はプーアル茶で炊いたおかゆ)を食べ、やわらかい味と香りの烏龍茶を飲みながら、お茶の話、出身地の話、仕事の話と、大いに盛り上がった。Mさんも、
「これがあの!」
というお茶は見つけられなかった様子だったけれど、
「大阪に引っ越した時、道行く人の話し方が全員明石家さんまみたいでびっくりした」
という話を面白おかしくしてくれたりして、とても楽しそうだった。もしかしたら話に夢中でお茶の味の確認は忘れていたのかもしれない。
知り合って間もない人間同士を、お茶の味を忘れさせるほど盛り上がらせるお茶の力ってすごい。そう改めて思いつつ、充実した気持ちで帰途についた。
その後「寂しい病」はどうなったか? 簡単に想像出来ると思う。寂しくなくなれば寂しい病は静かに去っていくのだ。本人が気付きもしないうちに。
ミニ講座は一回で終わりなので、いくらなごやかな雰囲気に包まれたといっても、そこで誰かと友達になれたりはしなかった。しかし基礎コースは同じメンバーで五回集まる。講義とテイスティングが終わった後のティータイムで、ケーキを食べながらゆったりとおしゃべりが出来る事もあり、数回通ううちにすっかり親しく話せるようになった。何しろ全員がお茶大好き人間。お茶を飲みながらお茶の話をするといくらでも盛り上がれるのだ。
別にうんちくを傾け合うのではない(そんなだったら嫌な感じだな)たとえばこんなたわいもない話だ。
「食事の時って何を飲む? 緑茶? それとも紅茶? うちは旦那の希望でほうじ茶なんだけど」
「麦茶」
そう答えたのは、イギリス旅行で大量のアールグレイを買って帰った事もある紅茶好きのTさん。いくら紅茶好きでも、食事の時にはあっさりした飲み物の方が良いらしい。
「フレーバーティー(香り付きのお茶)も食事には合わないよね〜 Fさんは?」
「みんな食事中に、お茶飲むの?」
「えっ?」
「食事中に飲むのはみそ汁とか、スープでしょう。お茶は、ごはんを食べ終わった後、そのお茶碗についで飲むの」
Tさんと私は声をそろえて叫んだ。
「古風だねー!」
Fさんはまだ二十歳の、おしゃれで可愛い女の子だ。その意外性に驚いた。
「おばあちゃんっ子だからかなぁ?」
「でもそれ、すごい由緒正しい飲み方だよ」
「カテキンでお茶碗も殺菌出来るし、合理的」
始終こんな調子だ。
話を聞いてみると、ルピシアの前身であるレピシエが紅茶メインのお店だった事もあり、基礎コースに集まった受講者たちも紅茶に一番強い興味を持っているようだった。しかし基礎コースでは紅茶だけでなく、日本茶や中国茶などについてもまんべんなく学ぶ。
ハーブティーや麦茶などを除き、紅茶・緑茶・ほうじ茶・烏龍茶・プーアル茶などは全て、茶の木(つばき科のカメリアシネンシス)が原料になっている。産地や、カメリアシネンシスの中でもどの品種を使うか、などによっても味は変わるが、最も大きな違いは「発酵度」だ。発酵と言っても菌によるものではなく、お茶の葉に傷をつけて酸化させる事を言う。緑茶は「無発酵」で、烏龍茶は「半発酵」、紅茶は「完全発酵」だ。切ってしばらくしたりんごやバナナが変色するのと同じ仕組みで、あれほどのくっきりした色の違いが生まれる。ほうじ茶は緑茶を焙じた(加熱して少々焦がした)もの、プーアル茶は他のお茶とは違って菌を使って発酵させたものだ。
この幅広いお茶全体を見渡す第一歩として、一回目の講座では発酵度の違う三種類のお茶をテイスティングした。セイロンの紅茶と、台湾の烏龍茶である名間金萱(みんちぇんきんせん)、そして日本の緑茶。ミニ講座と同じ茶器に茶葉と熱湯を入れ、三分待つ。
「何これ!」
テイスティングポットのふたを開け、名間金萱のふやけた茶葉を見て驚いた。一切切られていない、枝の先に生えた葉っぱそのままの形で、ポットから飛び出しそうなほどあふれ返っている。お湯を入れる前までは、あずきより小さなつぶつぶだったのに。「ふえるわかめちゃん」を思い浮かべてもらえれば分かりやすい。紅茶と緑茶の茶がらが底の方にちんまり張り付いているのとえらい違いだ。
「すごいですねぇ」
「ねぇ」
顔を見合わせながら、その名間金萱を一口、ごくり。
「美味しい!」
甘い、花のような香りに、緑茶をまろやかにしたような優しい口当たり。全く苦くない。
「これ、烏龍茶ですよね」
「そうです。間違ってないですよ」
思わずテイスティングカップの位置が入れ替わってないか確かめる。
実を言うと私は、缶やペットボトルの烏龍茶があまり好きではない。苦いというか渋いというか、飲んだ時にのどに残るような気がして、それしか飲むものが無い時以外はなるたけ避けるようにしている。それゆえわざわざ烏龍茶の茶葉を買って自分で淹れるなど考えたためしもなかったのだが、この香りと味は一体何なんだ。お茶の水色も茶色ではなく淡い黄緑で、あのペットボトル飲料と同じ名前がついているのが信じられない。
「みなさん、どのお茶が一番美味しかったですか?」
先生の質問に、ほとんどの受講者が名間金萱を選んだ。やはりみな、私と同じような衝撃を受けたのだろう。
「カタログを見てみたけど、別に高いお茶って訳じゃないのね」
その後のおしゃべりでも、この「台湾烏龍茶ショック」の話題が何度も出た。
「私、前にも美味しい烏龍茶を飲んだ事があるの。何ていうのかな…… ミルクを入れてないのにミルクティーみたいで、すごい良い香りで」
フレーバーティー好きのMさんが、困ったような喜んでいるような不思議な調子で言う。
「何てお茶?」
「それが覚えてないの!」
「やっぱりナントカ金萱なんじゃないのかな? 金萱種はミルキーって説明に書いてあるよ」
金萱というのは茶の木の品種だ。ナントカの部分には地名が入る(「名間金萱」は「名間」郷という場所で作られた、「金萱」種を原料とした烏龍茶)台湾烏龍茶の名称はたいていこの構成になっている。
「台湾茶の専門店に行ってみない? 前から気になっている所があって、ここからけっこう近いんだけど」
そう言い出したのは、紅茶だけでなく日本茶にも詳しいSさん。彼女も中国茶に興味を持ち始めたのは最近のよう。
「行くー!」
MさんにSさん、それに前述のTさん、Fさんも一緒に、大江戸線で麻布十番へ。向かったのは竹里館(たけうらかん)という茶藝館だ。茶器や茶葉を売っているだけでなく、喫茶店のようにその場でお茶や料理を楽しめるようになっている(注:二〇〇五年十二月から一年半ほどの間はリニューアルのため予約制のサロンのみ営業)
「わあ、色々な種類があるね」
「蓋杯か工夫茶のどちらかを選べるみたいだよ」
「じゃあ私は蓋杯で」
「せっかくだから工夫茶にしてみよう」
蓋杯は中国の伝統的な茶器で、背の低い、口の開いた湯飲みにふたとお皿がついている。湯飲み部分に直接茶葉を入れてお湯を注ぎ、ふたで茶葉をよけながら飲むのが特徴だ。工夫茶は台湾のお茶の飲み方で、基本は日本の緑茶の淹れ方に似ているのだが、茶壷(日本の急須を一回り小さくした感じのもの)の上にお湯をかけたり、独特の作法があるのが特徴だ。もちろんそのお湯はテーブルの上にダラダラ流すのではなく、茶器の下に最初から水受け用の茶盤という箱を置いておく。
このように飲み方を選べる場合、同じお茶でもたいてい工夫茶の方が高い値段設定になっている。茶器の多さと準備の手間を考えれば当然だろう。しかし「台湾のお茶を飲んだぞ!」と満足感が得られるのは工夫茶の方だ。それに、
「あちっ!」
蓋杯を選んだ私は唇をやけどした。急須からそのまま飲むようなものだから、茶杯(工夫茶で使う小さな湯飲み)のお茶より熱いのだ。のんびり待っていたらお茶が出切ってしまうし、なかなか難しい。工夫茶を選んだ友人たちの前には豪華な茶器が並び、非日常空間が生まれている。滅多にない経験なんだからケチらなきゃ良いのにね、私も。
それぞれお茶を使った料理(私はプーアル茶で炊いたおかゆ)を食べ、やわらかい味と香りの烏龍茶を飲みながら、お茶の話、出身地の話、仕事の話と、大いに盛り上がった。Mさんも、
「これがあの!」
というお茶は見つけられなかった様子だったけれど、
「大阪に引っ越した時、道行く人の話し方が全員明石家さんまみたいでびっくりした」
という話を面白おかしくしてくれたりして、とても楽しそうだった。もしかしたら話に夢中でお茶の味の確認は忘れていたのかもしれない。
知り合って間もない人間同士を、お茶の味を忘れさせるほど盛り上がらせるお茶の力ってすごい。そう改めて思いつつ、充実した気持ちで帰途についた。
その後「寂しい病」はどうなったか? 簡単に想像出来ると思う。寂しくなくなれば寂しい病は静かに去っていくのだ。本人が気付きもしないうちに。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:25| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その7)
◇キームン紅茶に恋をした◇
前章では台湾烏龍茶を初めて飲んだ時の衝撃と喜びについて書いたが、名間金萱以上に「恋をした」お茶がもう一つある。キームン紅茶だ。
これを初めて飲んだのもやはりティースクールの基礎コースで、手元に残っているテイスティングメモには、
「大好きだ……」
と情熱的な愛の告白の言葉が残っている。
キームン紅茶は中国安徽省の祁門(キームン)県で作られる紅茶で、味も香りもインドやセイロンのものとは全然違う。あまりに一般的な紅茶のイメージから離れているので、
「何これ、中国茶みたい!」
と叫ばずにはいられない。正真正銘の中国茶なんだから「みたい」も何もないのだが。
一番の特徴は「火香」と呼ばれる煙いような、香ばしいような独特の香りだ。紅茶の紹介文ではよく「スモーキー」と表現される。水色は濃いが苦くはなく、少し甘みを感じるほど。
「これを家でも飲みたい」
私は深く考えもせずキームン紅茶を買って帰り、ウキウキとした気持ちでDちゃんに淹れてあげた。
「これ、エリザベス女王がお誕生日のお茶会に飲むらしいよ」
「……」
「イギリス人は、この香りでアジアを思い浮かべるんだって」
「……」
「世界三大銘茶の一つなんだよ」
「……」
うんちく攻撃にも無反応のD。ちなみに世界三大銘茶のもう二つはインドのダージリンとセイロンのウバだ。
長い長い熟考を終え、Dちゃんは口を開いた。
「僕はこれ、ちょっと……」
「ええー! 美味しくない?」
「何ていうか、紅茶じゃないみたいなんだもん……」
私はふと気付いて、言った。
「もしかしてこれ、クセが強いお茶?」
「強いよ!」
好みの紅茶を見つけた喜びですっかり忘れていた。私が「美味しい」と感じるものは、たいてい普通の人にとっては「クセが強過ぎる」のだ。初めてナンプラーとココナッツミルクの入ったタイカレーを食べた時にも、ゴーヤや豚足やモツを使った沖縄料理に出会った時にも、
「美味しい、美味しい!」
を連発しながら無我夢中でモシャモシャ食べ、それが一般的には「クセの強い食べ物」と言われている事になんて気付きもしなかった。クサヤと塩辛が常備され、おやつに炒ったギンナンの出て来る家で「クセ」の英才教育(?)を受けて育ったのだから仕方ない。
ティースクールの基礎コースに続く紅茶コースでは、嬉しい事に四種類のキームン紅茶を飲み比べる事が出来た。普通のランクの「祁門紅茶一級」その一つ上の「祁門紅茶特級」最高級品である「祁門毫芽(ごうが)」キームン紅茶を花の形に束ねた工芸茶「紅牡丹(べにぼたん)」だ。
まず香りは「祁門紅茶一級」が最もスモーキーで、「祁門紅茶特級」はそれに甘さが加わり、「祁門毫芽」はスモーキーさより甘さが際立って花を思わせる。
味は「祁門紅茶一級」が最もさっぱりしていて、「祁門毫芽」は深みがあり、とても繊細で上品な感じがする。「祁門紅茶特級」はその間くらいだ。
「紅牡丹」は前述の三つより優しい口当たりで、キームン紅茶が苦手な人でも飲みやすいのではないかと思った(クセ大魔王の舌が判断した事だからあんまり信用出来ないけど)
「確かに祁門毫芽が一番甘くて品が良いね。紅牡丹も美味しかったぁ。でも特級も一級も全部大好き……」
私が夢見るように言うと、Sさんが困ったように答えた。
「私、どれもこれもスモーキーで違いが分からなかったよ」
Sさんは決して味覚の鈍い人ではない。特に日本の緑茶に関しては敏感で、私が、
「全部同じなんじゃ……?」
と感じた三種類に対し、
「全然違うね。こっちの方がずーっと高級品」
と当然のように微笑み、優れた舌の持ち主である事を知らしめた。私は全部同じに感じたとも言えず、中途半端な笑みを返すより他なかった。
不思議な事だが、人によって細かく感じる味は違うらしい。私の場合、クセのあるものに対する味覚の精度はかなり高いようだが、一般的なものや、さっぱりしたものに関しての味覚はかなり大雑把だ。
「塩辛は新潟加島屋のいかげそ塩辛に限る」
なんてこだわりを見せるくせに、豆腐や蕎麦は高かろうが安かろうが、
「味が無くてつまらん!」
の一言だ。そうしてシソだのミョウガだのショウガだのワサビだのゴマだの青のりだのをバサバサかけて、それが一体何の食べ物なのか分からなくしてしまう。
「味覚が壊れてるんじゃないの?」
Dちゃんはいつもあきれ果てて言う。
「違うもん! 育った環境のせいだもん! 塩漬けのウニは高いやつしか食べられないもん!」
「ウニを食べる時点でなぁ……」
Dちゃんは「色が気持ち悪い」と言ってウニを食わず嫌いしているのだ。
「そんな保守的な人の意見は聞きません!」
こんな分からんちんにあの美味しい紅茶を飲ませる必要はない。という訳で私はキームン紅茶を自分一人で飲むと決めた。
誰かと一緒に「お茶をする」のももちろん素敵だけれど、自分のためだけの特別なお茶があるのもなかなか乙なものだ。たとえばちょっと面倒な作業(私の場合、掃除や皿洗い)を始める前にキームン紅茶を淹れておけば、やる気が出る。
「終わったら飲むぞ!」
と決めて頑張っても良いし、冷める前に飲んで、
「ふぅーっ」
とリラックスしても良い。どちらにしても作業をする面倒臭さや億劫さが半減するのだ。
キームンは紅茶では珍しく何煎も出るお茶だから、小説やエッセイを書くお供にも向いている。ティーポットにお湯を足しながらちびちびちび。パソコンの上にこぼさないよう注意しながら(幸い一度も失敗はない)
中国ではキームン以外にもラプサンスーチョン、テンコウなど様々な紅茶を生産している。しかしほとんどが輸出向けで、現地ではあまり消費されていないらしい。中国人が好むのは紅茶でも烏龍茶でもなく緑茶なのだ。けれどそれを知っても私は心配で仕方ない。
「経済発展でキームン紅茶を飲む人が増えて、日本に入って来なくなっちゃったらどうしよう!」
「それはないな。だって美味しくないもん」
キームン紅茶はとことんDちゃんに嫌われてしまったようだ。
こんな我らにぴったりのお茶を、友達がプレゼントしてくれた。茶語というお店の茘枝(れいし)紅茶だ。これは紅茶の茶葉にライチ果汁を加えて香りを付けたもので、キームンではないようだが、中国産の紅茶を使っている。
「やっぱりインドとかとは違う紅茶の味だよね。キームンに近い」
「うーん、言われてみれば、そうかな」
「これは平気なの?」
「香りが良いからね。全く問題なし」
この紅茶なら、私はキームンの気分をほんのり味わえるし、Dちゃんも満足出来る。しかもライチ果汁のせいか、一口目、ちょっとお酒みたいな感じがするのだ。
夫婦円満に安心して、下戸ほろ酔い。
前章では台湾烏龍茶を初めて飲んだ時の衝撃と喜びについて書いたが、名間金萱以上に「恋をした」お茶がもう一つある。キームン紅茶だ。
これを初めて飲んだのもやはりティースクールの基礎コースで、手元に残っているテイスティングメモには、
「大好きだ……」
と情熱的な愛の告白の言葉が残っている。
キームン紅茶は中国安徽省の祁門(キームン)県で作られる紅茶で、味も香りもインドやセイロンのものとは全然違う。あまりに一般的な紅茶のイメージから離れているので、
「何これ、中国茶みたい!」
と叫ばずにはいられない。正真正銘の中国茶なんだから「みたい」も何もないのだが。
一番の特徴は「火香」と呼ばれる煙いような、香ばしいような独特の香りだ。紅茶の紹介文ではよく「スモーキー」と表現される。水色は濃いが苦くはなく、少し甘みを感じるほど。
「これを家でも飲みたい」
私は深く考えもせずキームン紅茶を買って帰り、ウキウキとした気持ちでDちゃんに淹れてあげた。
「これ、エリザベス女王がお誕生日のお茶会に飲むらしいよ」
「……」
「イギリス人は、この香りでアジアを思い浮かべるんだって」
「……」
「世界三大銘茶の一つなんだよ」
「……」
うんちく攻撃にも無反応のD。ちなみに世界三大銘茶のもう二つはインドのダージリンとセイロンのウバだ。
長い長い熟考を終え、Dちゃんは口を開いた。
「僕はこれ、ちょっと……」
「ええー! 美味しくない?」
「何ていうか、紅茶じゃないみたいなんだもん……」
私はふと気付いて、言った。
「もしかしてこれ、クセが強いお茶?」
「強いよ!」
好みの紅茶を見つけた喜びですっかり忘れていた。私が「美味しい」と感じるものは、たいてい普通の人にとっては「クセが強過ぎる」のだ。初めてナンプラーとココナッツミルクの入ったタイカレーを食べた時にも、ゴーヤや豚足やモツを使った沖縄料理に出会った時にも、
「美味しい、美味しい!」
を連発しながら無我夢中でモシャモシャ食べ、それが一般的には「クセの強い食べ物」と言われている事になんて気付きもしなかった。クサヤと塩辛が常備され、おやつに炒ったギンナンの出て来る家で「クセ」の英才教育(?)を受けて育ったのだから仕方ない。
ティースクールの基礎コースに続く紅茶コースでは、嬉しい事に四種類のキームン紅茶を飲み比べる事が出来た。普通のランクの「祁門紅茶一級」その一つ上の「祁門紅茶特級」最高級品である「祁門毫芽(ごうが)」キームン紅茶を花の形に束ねた工芸茶「紅牡丹(べにぼたん)」だ。
まず香りは「祁門紅茶一級」が最もスモーキーで、「祁門紅茶特級」はそれに甘さが加わり、「祁門毫芽」はスモーキーさより甘さが際立って花を思わせる。
味は「祁門紅茶一級」が最もさっぱりしていて、「祁門毫芽」は深みがあり、とても繊細で上品な感じがする。「祁門紅茶特級」はその間くらいだ。
「紅牡丹」は前述の三つより優しい口当たりで、キームン紅茶が苦手な人でも飲みやすいのではないかと思った(クセ大魔王の舌が判断した事だからあんまり信用出来ないけど)
「確かに祁門毫芽が一番甘くて品が良いね。紅牡丹も美味しかったぁ。でも特級も一級も全部大好き……」
私が夢見るように言うと、Sさんが困ったように答えた。
「私、どれもこれもスモーキーで違いが分からなかったよ」
Sさんは決して味覚の鈍い人ではない。特に日本の緑茶に関しては敏感で、私が、
「全部同じなんじゃ……?」
と感じた三種類に対し、
「全然違うね。こっちの方がずーっと高級品」
と当然のように微笑み、優れた舌の持ち主である事を知らしめた。私は全部同じに感じたとも言えず、中途半端な笑みを返すより他なかった。
不思議な事だが、人によって細かく感じる味は違うらしい。私の場合、クセのあるものに対する味覚の精度はかなり高いようだが、一般的なものや、さっぱりしたものに関しての味覚はかなり大雑把だ。
「塩辛は新潟加島屋のいかげそ塩辛に限る」
なんてこだわりを見せるくせに、豆腐や蕎麦は高かろうが安かろうが、
「味が無くてつまらん!」
の一言だ。そうしてシソだのミョウガだのショウガだのワサビだのゴマだの青のりだのをバサバサかけて、それが一体何の食べ物なのか分からなくしてしまう。
「味覚が壊れてるんじゃないの?」
Dちゃんはいつもあきれ果てて言う。
「違うもん! 育った環境のせいだもん! 塩漬けのウニは高いやつしか食べられないもん!」
「ウニを食べる時点でなぁ……」
Dちゃんは「色が気持ち悪い」と言ってウニを食わず嫌いしているのだ。
「そんな保守的な人の意見は聞きません!」
こんな分からんちんにあの美味しい紅茶を飲ませる必要はない。という訳で私はキームン紅茶を自分一人で飲むと決めた。
誰かと一緒に「お茶をする」のももちろん素敵だけれど、自分のためだけの特別なお茶があるのもなかなか乙なものだ。たとえばちょっと面倒な作業(私の場合、掃除や皿洗い)を始める前にキームン紅茶を淹れておけば、やる気が出る。
「終わったら飲むぞ!」
と決めて頑張っても良いし、冷める前に飲んで、
「ふぅーっ」
とリラックスしても良い。どちらにしても作業をする面倒臭さや億劫さが半減するのだ。
キームンは紅茶では珍しく何煎も出るお茶だから、小説やエッセイを書くお供にも向いている。ティーポットにお湯を足しながらちびちびちび。パソコンの上にこぼさないよう注意しながら(幸い一度も失敗はない)
中国ではキームン以外にもラプサンスーチョン、テンコウなど様々な紅茶を生産している。しかしほとんどが輸出向けで、現地ではあまり消費されていないらしい。中国人が好むのは紅茶でも烏龍茶でもなく緑茶なのだ。けれどそれを知っても私は心配で仕方ない。
「経済発展でキームン紅茶を飲む人が増えて、日本に入って来なくなっちゃったらどうしよう!」
「それはないな。だって美味しくないもん」
キームン紅茶はとことんDちゃんに嫌われてしまったようだ。
こんな我らにぴったりのお茶を、友達がプレゼントしてくれた。茶語というお店の茘枝(れいし)紅茶だ。これは紅茶の茶葉にライチ果汁を加えて香りを付けたもので、キームンではないようだが、中国産の紅茶を使っている。
「やっぱりインドとかとは違う紅茶の味だよね。キームンに近い」
「うーん、言われてみれば、そうかな」
「これは平気なの?」
「香りが良いからね。全く問題なし」
この紅茶なら、私はキームンの気分をほんのり味わえるし、Dちゃんも満足出来る。しかもライチ果汁のせいか、一口目、ちょっとお酒みたいな感じがするのだ。
夫婦円満に安心して、下戸ほろ酔い。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:24| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その8)
◇お茶と食べ物の組み合わせ◇
キームン紅茶の例でも分かるように「何げなく買って帰ったお茶が波瀾を巻き起こす」という事が、我が家の場合、よくある。
夏の初めのある日。私はアイスティー用のお茶を求めに近所のルピシアに行った。
「アイスにするならやっぱりアールグレイかな?」
アールグレイというのは茶葉の産地の名前ではなく、「ベルガモット」という柑橘類の香りを付けた紅茶の事を言う。この香りは清々しく冷やしても消えにくいので、レストランのアイスティーにもよく使われている。喫茶店のメニューなどでは「ダージリン」「アッサム」「アールグレイ」という風に並んでいるので、それぞれ全く別の紅茶のように思うが、ベルガモットの香りを付けた「ダージリンのアールグレイ」というのも存在する訳だ。ルピシアにはキームンやセイロンなど産地の異なる茶葉をベースにした数種類のアールグレイがある。
さて、どれにしようか。
「おっ、珍しい」
私はベルガモットの香りの付いたルイボスティーを手に取った。ルイボスとは南アフリカ産のハーブで、茶の木(カメリアシネンシス)から採れるお茶ではない。
「カフェインフリーでミネラルを豊富に含み、吸収されやすいので、水分補給に最適…… ほうほう。暑い時ガブガブ飲むのにぴったりではないか!」
一応店員さんに確かめてみた所、飲みにくい味ではないと言われたので、安心して購入した。
「……というお茶なんだけど、Dちゃん、どう?」
「ダメだよ〜 やっぱりクセがあるよ〜」
またかい!
「私は全然平気なんだけどねぇ…… 確かにちょっとベルガモットがきついかな?」
「それに紅茶と違ってスーッとした香りがする。ミントみたいな」
Dちゃんはティーカップを見つめて熟考の態勢に入った(私と違って何においても深く考えるのだ)
「これ、アジア料理に合うんじゃないかな? クセにはクセだよ」
なるほどなるほど、と深くうなずき、私はベトナム料理の「フォー」を作る事にした。こういうきっかけがなくても、我が家では割によくアジアの料理が食卓に上る。サブジ(野菜のカレー炒め。インド料理)、サグチキン(ほうれん草をベースにした緑色のチキンカレー。インド料理)、キーママータ(ひき肉とグリーンピースのカレー。インド料理)、ナシゴレン(ピリ辛チャーハン。インドネシア料理)、空芯菜の炒めもの(タイ料理)……
毎度食べるたび、
「ああ、故郷の味!」
と叫ぶほど私はこれらの料理が好きだし、Dちゃんもスパイスの持つクセや辛みが平気なせいか、喜んで食べる。
「フォー」は米から作られた平べったい麺を使ったうどんのようなものだ。鶏がらスープにナンプラーで味を付け、香菜(コリアンダー)の葉を散らす。独特のアジア〜ンな香りを顔一面に受けながら、麺をズズーッとすすり、ルイボスティーをゴクゴクゴク。
「うん、やっぱり合うね!」
満足そうなDちゃんの様子を見て私も嬉しくなった。しかし、ルイボスティーを減らすためには毎回アジア料理を作らねばならないのか…… と思うとちょっと遠い目をしてしまう。麦茶みたいな感覚で気軽に淹れたかったのにな。
そのままでは飲みにくかったのに、食べ物によって飲みやすく(さらには「美味しく」)なるお茶は他にも色々あって、まず思い浮かぶのは「プーアル茶」だ。このお茶は菌(コウジカビ)を使って発酵させるので、お茶を紹介する本ではたいてい「クセが強い」という説明が付く(「カビ臭い」などと言われる事も)けれど私にはこれが不思議でならなかった。中華料理屋でほうじ茶みたいにカプカプ飲んでいたからだ。
「やっぱり私がクセに強いせいなのかな?」
だがしかし、キームン紅茶やルイボスティーと違う点がある。Dちゃんも私と同じ時間・同じ場所で、クセを感じずプーアル茶を飲んでいたのだ。
ためしに茶葉を買って来て家で淹れてみた。
「あっ、ほんとだ! クセがある」
味はまろやかなのだけれど、ゴクゴク飲むのをためらわせるような古びた香りが鼻に残る。カビ臭い、とまではいかなくても、紅茶や烏龍茶のような良い香りではないのは確かだ。
「濃いんじゃない?」
プーアル茶は成分がお湯に溶け出しやすいお茶だ。油断していると水色が真っ黒になってしまう。私は最初それを知らなかったので、Dちゃん好みの薄いお茶を淹れられなかった。
「お店のはもっと薄かった気がする」
「そうかなあ?」
プーアル茶の潜在能力は恐ろしい。急須の底にお湯が残っていようものなら、みるみるそこに成分が溶け出して、二煎目も真っ黒だ。
「うわあ〜」
お湯で薄めた二煎目は、一煎目より飲みやすかった。それでもクセは残っている。
「お店と何が違うんだろうね?」
クセがあろうとなかろうと、一度買ってしまったお茶は使い切らなければもったいない。せっかくの中国茶だし、と、今度は油をたっぷり使ったチンジャオロース(ピーマンと豚肉の細切り炒め)と一緒にプーアル茶を出してみた。
「ああっ! この味!」
それはまさしく中華料理屋で飲んだプーアル茶の味だった。一口、口に含むたび、デートで通った有楽町のお店を思い出す。いつもお腹いっぱい食べ過ぎて、二人で体を支え合いながらヨロヨロ帰っていったっけ……
「一度目みたいにクセを感じないね」
「不思議〜」
「油っこい料理と一緒だとこうなるんだ」
「美味しいねぇ」
それからは、中華料理を作るたびにプーアル茶を出すようになった。いや、それより、「プーアル茶が飲みたい」と思った時に中華料理を作る、と言う方が正確だ。香味野菜と山椒(花椒の代用。うなぎ用が余ってるんだもん)をきかせた麻婆ナスなんかにもプーアル茶は本当によく合う。洗茶(一煎目を捨てる事)をすると水色は濃く、香りと味はやわらかくなると分かり、今では二人ともすっかりプーアル茶を楽しめるようになった。
油とお茶はとても相性が良いようで、スパゲティーとダージリン紅茶も、よく合う。インド・ダージリンの紅茶は「紅茶のシャンパン」と称されるほど香り高く、人気があるが、その一方で、
「苦くてあまり好きじゃない」
という人が紅茶好きの中にも意外に多い。水色が淡い割に、春摘み(ファーストフラッシュ)は日本の緑茶のような渋みが、夏摘み(セカンドフラッシュ)は紅茶特有の香ばしいような苦みが出やすいのだ。
余談だけれど、私は紅茶についてまだ良く知らなかった頃、
「ファーストフラッシュは一番茶、セカンドフラッシュは二番茶だから、ファーストの方がセカンドより格が上に違いない」
と勝手に考えていた。実際は全くそんな事はなく、世界的に見ればどっしりした味わいのセカンドフラッシュの方が需要が多いらしい。
日本茶で一番茶(新茶)が尊ばれるのは、春の新芽の青々とした風味が生きるお茶だからだ。初物好きの日本人の心情がさらに価値を上乗せする。
ダージリン紅茶のファーストフラッシュ・セカンドフラッシュは、「格が違う」というより単に「味が違う」と考えた方が正しく、ファーストフラッシュは発酵を弱めにして新鮮な若葉の香りを残しているので、緑茶のような味になり、セカンドフラッシュは完全発酵で紅茶らしい味と香りを思う存分引き出している。つまりファーストフラッシュは紅茶の中では少々変り種で、緑茶を好む日本人と、ハーブティーを好むドイツ人に人気があるようだ。確かに植物(茶)が本来持っている味と香りを楽しむ所がハーブティーによく似ている。
ダージリンには秋摘み(オータムナル)というのもあって、この試飲会にDちゃんを連れて行った。オータムナルはファースト・セカンドほどはっきり特徴が分かれておらず、農園ごとに青みが強かったり香ばしさが強かったり、様々な種類のダージリンをテイスティング出来た。
「ねえ、これ良いんじゃない? 軽い味だよ」
「ええー! 僕はダメ……」
「これは苦いよねぇ?」
「僕はこれが良いな」
相変わらずかみ合わない会話を繰り返した結果、Dちゃんが「香ばしい苦み」は全く平気なのに「青々しい渋み」は全く受け付けない、という事が分かった。これはおそらく緑茶を飲む習慣がない家で育ったせいだろう(彼の家は紅茶とほうじ茶が日々のお茶)結婚前まで渋々の緑茶を飲んでいた私には「香ばしい苦み」の方が重たく感じる。意見が合わない訳だ。
このダージリンの「青々しい渋み」を出さないようにするには、日本の緑茶と同じように、ひと冷まししたお湯(八十五度〜九十五度)で淹れれば良い。お茶は一般的に、
「香りを出すには高温、甘みやうまみを出すには低温」
と言われる。温度によって溶け出す成分が変わるからだ。ダージリンは香りの強いお茶なので、少々温度が低くても香りが消えたりしないのが嬉しい。
蒸らし時間を減らす、という単純な方法もある。茶葉の量を減らしても良いが、渋みや苦みと一緒にダージリンらしい味も引っ込んでしまう。
このようにあれこれ工夫を重ねても、好みの味に淹れられなかった場合、どうするか。
「これはこの紅茶の個性なんだ」
とあきらめて顔をしかめて飲むか。それとも、
「もうダージリンはやめて、穏やかな味のセイロン紅茶を買いなおそう!」
と決心するか……
悩んだ時に出て来るのが、そう、スパゲティーだ(ああ、ようやく話が元の所に戻って来た。戻って来なかったらどうしようかと思ったよ)
我が家では、トマトソースのスパゲティーをよく作る。カポナータ(ズッキーニ、赤ピーマン、トマトなどの野菜を炒め煮にした料理)風にしたり、モッツァレラチーズを入れたり、ナスとローズマリーまみれにしたり。これらはそのままだとややくどい味だが、ダージリンを用意しておけば飲むたび口の中がさっぱりするので、どんどん食べられる。と同時に、中華料理でプーアル茶のクセが消えたように、オリーブオイルとトマトの味がダージリンの苦みや渋みをやわらげてくれる。一挙両得というやつだ。
ダージリン紅茶は味や香りを「花のような」「フルーティー」と表現するし、やはりイタリア料理に欠かせないワインに似た所がある。娼婦風スパゲティー(アンチョビ・ケーパー・とうがらし・黒オリーブなどを入れたトマトソーススパゲティー。色・香り・味が強烈で魅惑的な事からこの名が付いた、という説がある)を真ん中に、右にダージリン紅茶、左にワインなんて夕食を食べると、心の底から幸せになれる。
「美味しいねぇ!」
「合うねえ〜 ワインもお茶も!」
下戸なので、ワインがお猪口入りなのが情けないのだけど(お猪口一杯以上飲むと倒れる)
ここまでは料理とお茶の組み合わせについて書いたが、「お茶に合うもの」といってまず思い浮かぶのはお菓子だと思う。しかし残念ながら、私にはお菓子についての知識がほとんどないのだ。Dちゃんと知り合ったばかりの頃、
「僕は洋梨のタルトが好きなんだ」
と言われて、
「タルトって何?」
と返してしまったほどの無知っぷり。そしてそれは十年近く経った今でも変わっていない。(今調べてみたら、「タルト」は「果物入りのパイ」の事だそうです。辞書にも載ってるんだ。へえ〜)
甘いものが嫌い、という訳ではないし、美味しいとも感じるのだが、自分でわざわざ買ったり作ったりするほどの愛がない。喫茶店に入ると、Dちゃんは紅茶とケーキ、私は「外でしか飲めないから」とコーヒーを単品で頼んだりするので、たいてい逆に置かれてしまう。
Dちゃんはかなりの甘党で、食べるだけでなく作るのも上手だ。結婚前には自分で焼いたクッキーやチーズケーキをプレゼントしてくれたし、最近はりんごのケーキをよく作ってくれる。Dちゃんの実家の家族も甘いものが大好きで、初めて一緒にお茶をした時、全員がケーキを注文したのでびっくりしてしまった。私は母親がケーキを注文したのなんてほんの数回しか見た覚えがない。それだって甘みより酸味の強いレアチーズケーキだった。でもまあ、私と私の家族の方が特殊で(何せクサヤと塩辛とギンナンの家だ)もしかしたらDちゃんの家の方が標準的なのかもしれない。
好きな分、お店の情報にも詳しいようで、Dちゃんのお家からもらうお菓子は全くはずれがない。新百合ヶ丘にあるリリエンベルグというお菓子屋さんの焼き菓子は、この私でも夢中になってしまう美味しさで、
「一日二個まで!」
なんていう風に決めておかないとみるみるうちに食べ切ってしまう。ほろほろとした口当たりが濃い目の紅茶によく合うのだが、
「食べたーい!」
と思い立った時には紅茶を淹れる手間さえもどかしく、口の中を粉だらけにして立ったまま食べてしまったりする。何だか戸棚のぼたもちを、こそこそ口に放り込むいたずら坊主のようだ。
「せっかくのお菓子なんだからちゃんとお茶と一緒に食べて……」
とDちゃんが何度嘆いただろうか。
「のり子さんは甘いものが苦手だから」
と気を遣って(苦手というほどじゃないのだけど)おせんべいを送ってくれる事もあり、その中では播磨屋本店の詰め合わせが最高だった。
サクサクと軽い歯ざわりの揚げせんべい「朝日あげ」黒大豆の入ったおかき「御やきもち」焼きおにぎりの表面みたいな「助次郎」青のりたっぷりの「のりおかき」……
どれも味が上品で素晴らしく、何より堅さが私好みの「やわらかめ」なのがありがたい(歯の強度に自信がないので堅焼きのおせんべいは苦手。前歯でバリッとするのが怖くて飴のようにペロペロ舐めてしまう。情けないなぁ)いつか東京本店(虎ノ門)に行って、全ての商品を徳用大袋で大量に買って帰るのが夢だ。
会社の名前をど忘れしてしまったのだが、枝豆、舞茸、カニ、海老など色々な味の薄いおせんべいの詰め合わせも、
「さて今日はどの味にしよう」
と選ぶのが楽しくて良かった。これも確かあっという間になくなってしまった気がする。
これらには緑茶(煎茶)が合うと思うのだけれど、我が家にある日本茶はほうじ茶だけだ。結婚したばかりの頃には緑茶も常備していたのだが、朝出せば、
「胃が痛くなる」
夕御飯の時に出せば、
「眠れなくなる」
とDちゃんが言うので買うのをやめてしまったのだ。どうも彼には緑茶が強過ぎるらしい。
ほうじ茶の香ばしさも、もちろんおせんべいに合う。しかし食べ物の「しょっぱさ」と対等に戦うためには、もう少し味に重みが欲しい。やはり緑茶だ。熱湯で淹れた渋々の緑茶だ(これは私の勝手な好み。ひと冷まししたお湯で淹れたまろやかな緑茶もきっと合うだろう)
私の実家では甘いお菓子をあまり食べない代わり、おせんべいは常にあったので、そんな渋々の緑茶と一緒に食べる事もたまにあった。けれども私が一番楽しみにしていたお茶うけは「大根の味噌漬け」だった……
ううむ、ここまでどうにかこうにか頑張ってお菓子について書いたのに、やっぱり一番はお菓子以外になってしまった。でも、本当に、緑茶と味噌漬けは合うのだ。ダントツトップ! 独走態勢!(言うまでもなく私の独断)
味噌漬けと言っても、甘みのあるものではいけない。一切れでお茶碗一杯のごはんが食べられるくらい塩辛い、茶色い漬物。これを、こりり、とちょっぴりかじって、緑茶をゴクリ。こりり。ゴクリ。こりり。ごくり。
塩味と味噌の香りと渋さと苦さと青さが口の中で混じり合う。このバランス。ああ、至福。どう考えても体に良い訳がないが、分かっちゃいるけどやめられない。自分で味噌漬けを買ったりはしないので、実家に帰って見つけた時だけ、こりりとゴクリをエンドレスに繰り返す。
ルピシアティースクールの日本茶コースで緑茶とお茶うけの組み合わせ方を実験した時、おせんべいやようかんと一緒にたくあんが出て来て驚喜した。
「そうなのよ! 緑茶には漬物なのよ! ほんとはたくあんより味噌漬けの方がオススメなんだけど!」
と大声で熱く語る私。迷惑だ。
味・食感・材料の違うお茶うけを用意し、緑茶との相性を調べよう、というもので、前述の三つの他にチーズ、チョコレート、クッキーと洋風のものも試した。
結果は、チーズとクッキーの人気が少々低かったが、
「全然合わない!」
というものはなかった。緑茶の懐は深い。
「まあ、普段の食事で飲んだりするんだから当然だよねぇ」
単純に「日本人が緑茶の味になじんでいる(水のような感覚で飲める)」というだけなのかもしれない。
紅茶コースでも同じような実験があり、五種類の食べ物(ようかん・フランボワーズのムース・メープルシロップのシフォン・イチゴのパウンドケーキ・スモークチーズ)を五種類の紅茶(ダージリン・ニルギリ・キームン・ラプサンスーチョン・ケニア)と一緒に食べた。つまり、二十五通りの組み合わせ。
事前に先生が苦笑しながらこう言った。
「今日の授業は教室がシーンと静まり返りますよ」
5×5のます目を前に、スタート。よく合っていれば◎、まあまあ合えば○、合わなければ×、どちらとも言えなければ△を記入していく。感覚の全てを舌に集中するので、
「紅茶と食べ物の味を楽しもう」
という意欲はすぐさま消え去り、先生の予告通り全員が黙々と実験を進める事になった。
ニルギリはインドの紅茶でクセがなく、どちらかと言えばミルクティーよりストレートで飲む方が向いている。ケニアの紅茶はたいていミルクティー向きのCTCなのだが、この時使ったのは「カプロレット・フルリーフ」という少々珍しいものでストレート向きの軽い味だった。
この五種類の紅茶の中で最も個性が強いのは、何と言ってもラプサンスーチョンだ。キームンなんて目じゃない。これは松の葉で燻製した中国紅茶で、そこにある他の全ての臭いが分からなくなるほどの強烈な香りがある。はっきり言って、正露丸とそっくりだ。
この紅茶、ヨーロッパでは「東洋的」と人気があるらしい。向こうは日本と水が違う(日本は軟水、ヨーロッパは硬水)から紅茶の味も変わる(硬水の方が味も香りもやわらかくなる)……とは言うけれど、本当にみんな美味しいと思って飲んでいるのだろうか? 東洋文化を理解したつもりになるために無理しているんじゃないか?
クセを愛する私もこればかりはダメで、テイスティングメモには、
「とげぬき地蔵」
という謎の言葉が残されている。香ばしいを超えてお線香のような煙たい香りが、私の脳みそを東京巣鴨のお地蔵さんに連れて行ってしまったのだ。
「ラプサンスーチョンは最後にした方が良いよ」
「前にラプサンスーチョンを最初に飲んじゃって、他の紅茶のテイスティングが出来なくなった事があったもんね……」
お互いに注意を促しながら◎○×△をつけていく。
ようかんと紅茶はあまり合わないなぁ、イチゴのパウンドケーキとダージリンはさすがに美味しい、紅茶と洋菓子が合うのは当然だよね、でもフランボワーズのムースは意外と合うのがないな……
あれこれ思いながら終盤にさしかかった。いよいよラプサンスーチョン。うええ、と顔をしかめながら試していく。
「おおっ?」
さすがに何にも合わない、××××、のその先に、驚きが待っていた。
スモークチーズとラプサンスーチョンが、異常に合うのだ。今まで不味いと感じていたはずの正露丸茶が、スモークチーズと混ざった途端、趣深い魅力的な飲み物に早変わり。クセがなくなる訳ではなく、クセをそのまま保ったまま、それぞれが味を引き立て合う。
もともと紅茶とミルクが合うのと同じ原理で、紅茶とチーズの相性は良いらしいのだが、さらにこれは両方とも燻製なのが絶妙なのだろう。スモークとスモークが奏でる美しいハーモニー。
「これ、すごい! 私、ラプサンスーチョン好きになっちゃうかも!」
「ま、まあねぇ…… 他のお菓子よりは、合うよね……」
どうやら、ここまで感動したのは私だけのようだ。しかし他のお菓子とラプサンスーチョンの組み合わせがほとんど支持を集めなかったのに比べ、スモークチーズに限って受講生の半数以上が○か◎をつけたのだから、あながち私の感想ばかりが変という訳ではないだろう。
授業の終わり、気になっていた事を先生に質問してみた。
「お茶に合う食べ物を選ぶのが苦手なんですが、どうすれば出来るようになるんでしょう?」
生まれつきのセンスの問題です、と言われたらどうしよう、と不安だったが、優しい先生はきちんと答えてくれた。
「共通する香りとか、個性を探す事ですね。お茶を飲んだ時に『フルーティーだな』と思ったらフルーツ入りのお菓子を選んだり、『コクが強いな』と思ったら同じようにコクのあるチョコレートを選んだり。たとえばセイロンのウバの紅茶はクオリティーシーズン(旬)になるとサロメチール香という香りが強くなります。これはちょっと鼻に抜けるような、スッとするさわやかな香りなので、柑橘系の酸味に合うんです。なのでオレンジピールの入ったお菓子を合わせたりします」
ほほう、そうだったのか。私はこれが本当に苦手で、Dちゃんはすごく得意だ。ティースクールから帰ってDちゃんに、
「今日、紅茶と食べ物の組み合わせの実験をしたんだけど、フランボワーズのムースと合うのが意外になくてさぁ」
と言ってみたら、
「ムースにはミルクティーでしょう」
と即座に返され、ポンとひざを打った。確かに両方まろやかだし、フランボワーズの酸味があるから重くもなり過ぎない。きっと合う。
今回の実験は全てストレートティーで行ったので、ミルク入りのアッサムティーでも入っていれば、また違った組み合わせの喜びが見出せたかもしれない。まあ、二十五通り試すだけであっぷあっぷだったけど。
キームン紅茶に恋をした時にはすぐに自分で茶葉を買ったが、さすがにラプサンスーチョンはそこまでしなかった。いくらスモーク二重奏に感激したと言っても、一袋使い切る自信が全然ない。
「あの組み合わせは美味しかったなぁ…… もう一回やってみたいなぁ……」
私のそんな強い思いを感じたのか(はたまた茶葉が売れ残っていたのか?)ティースクールが開催したイベントのおみやげに、ラプサンスーチョンをもらってしまった! だいたい二回分くらいの量で、思いを遂げるのにちょうど良い。私はさっそくスモークチーズを買って来て、ラプサンスーチョンを淹れてみた。
「ケホッ、ケホッ、ケホッ、な、何それ〜!」
驚き、煙い香りにむせ返るD。最初からDちゃんは飲むはずがないと確信していたので、ティーポットではなく茶こしつきマグカップを使った。これなら自分一人の分だけ淹れられる。しかし強力な正露丸香はマグカップのふちを軽く飛び越え、部屋に充満してしまった。
「ケホッ! 煙いよ〜 目が痛くなっちゃうよ〜」
「そこまですごい?」
「すごい」
あきれるDちゃんを前に、スモークチーズをかじり、ラプサンスーチョンをごくり。
「うーん、やっぱり合うね〜」
この茶こしつきマグカップ、茶こしの部分がプラスチックで出来ているため、しばらくの間ラプサンスーチョンの香りが染み付いてしまった。
「普通の紅茶を淹れてもキームンみたいになるんだよ」
「どっちも煙いからねぇ」
「何だかお得」
「まったく……」
イギリスでは、ラプサンスーチョンとスモークサーモンを合わせるのが定番のようだ。ティースクールで知り合ったTさん、Sさんと、
「アフタヌーンティーツアーをしよう!」
と自由が丘のセントクリストファーガーデンに行き、かの有名な三段重ね(デザートとスコーンとサンドイッチが載っているやつですな)を注文した時の事。
季節の果物をあしらったデザートはみずみずしくて美味しかったし、クロテッドクリームつきのスコーンもさくさくしていて私好みだった。それでも私に最も深い印象を残したのは、ディル(香草の一種)が入ったスモークサーモンのサンドイッチだった。もともとディルが大好きなせいもあるが(白身魚のスパゲティーを作る時によく使う。これまたクセが強いので苦手な人も多いらしい)やはりサンドイッチとして非常にバランスの良い味だったのだろう。思い出すだけで口の中に香りがふわっとよみがえる。ああ、お腹が空いて来た……
このお店にはラプサンスーチョンがなかったし、あったとしても二人に迷惑をかける訳にはいかないから、無難にダージリン紅茶を頼んだ。それももちろんアフタヌーンティーセットにぴったり合ったけれど、いつかまたどこかであんな風に美味しいスモークサーモンのサンドイッチに出会ったら、ラプサンスーチョンと一緒に楽しみたいものだ。
サンドイッチくらい家で作れる?
いやいや、またDちゃんがケホケホせきこんだら可哀想だもの。
キームン紅茶の例でも分かるように「何げなく買って帰ったお茶が波瀾を巻き起こす」という事が、我が家の場合、よくある。
夏の初めのある日。私はアイスティー用のお茶を求めに近所のルピシアに行った。
「アイスにするならやっぱりアールグレイかな?」
アールグレイというのは茶葉の産地の名前ではなく、「ベルガモット」という柑橘類の香りを付けた紅茶の事を言う。この香りは清々しく冷やしても消えにくいので、レストランのアイスティーにもよく使われている。喫茶店のメニューなどでは「ダージリン」「アッサム」「アールグレイ」という風に並んでいるので、それぞれ全く別の紅茶のように思うが、ベルガモットの香りを付けた「ダージリンのアールグレイ」というのも存在する訳だ。ルピシアにはキームンやセイロンなど産地の異なる茶葉をベースにした数種類のアールグレイがある。
さて、どれにしようか。
「おっ、珍しい」
私はベルガモットの香りの付いたルイボスティーを手に取った。ルイボスとは南アフリカ産のハーブで、茶の木(カメリアシネンシス)から採れるお茶ではない。
「カフェインフリーでミネラルを豊富に含み、吸収されやすいので、水分補給に最適…… ほうほう。暑い時ガブガブ飲むのにぴったりではないか!」
一応店員さんに確かめてみた所、飲みにくい味ではないと言われたので、安心して購入した。
「……というお茶なんだけど、Dちゃん、どう?」
「ダメだよ〜 やっぱりクセがあるよ〜」
またかい!
「私は全然平気なんだけどねぇ…… 確かにちょっとベルガモットがきついかな?」
「それに紅茶と違ってスーッとした香りがする。ミントみたいな」
Dちゃんはティーカップを見つめて熟考の態勢に入った(私と違って何においても深く考えるのだ)
「これ、アジア料理に合うんじゃないかな? クセにはクセだよ」
なるほどなるほど、と深くうなずき、私はベトナム料理の「フォー」を作る事にした。こういうきっかけがなくても、我が家では割によくアジアの料理が食卓に上る。サブジ(野菜のカレー炒め。インド料理)、サグチキン(ほうれん草をベースにした緑色のチキンカレー。インド料理)、キーママータ(ひき肉とグリーンピースのカレー。インド料理)、ナシゴレン(ピリ辛チャーハン。インドネシア料理)、空芯菜の炒めもの(タイ料理)……
毎度食べるたび、
「ああ、故郷の味!」
と叫ぶほど私はこれらの料理が好きだし、Dちゃんもスパイスの持つクセや辛みが平気なせいか、喜んで食べる。
「フォー」は米から作られた平べったい麺を使ったうどんのようなものだ。鶏がらスープにナンプラーで味を付け、香菜(コリアンダー)の葉を散らす。独特のアジア〜ンな香りを顔一面に受けながら、麺をズズーッとすすり、ルイボスティーをゴクゴクゴク。
「うん、やっぱり合うね!」
満足そうなDちゃんの様子を見て私も嬉しくなった。しかし、ルイボスティーを減らすためには毎回アジア料理を作らねばならないのか…… と思うとちょっと遠い目をしてしまう。麦茶みたいな感覚で気軽に淹れたかったのにな。
そのままでは飲みにくかったのに、食べ物によって飲みやすく(さらには「美味しく」)なるお茶は他にも色々あって、まず思い浮かぶのは「プーアル茶」だ。このお茶は菌(コウジカビ)を使って発酵させるので、お茶を紹介する本ではたいてい「クセが強い」という説明が付く(「カビ臭い」などと言われる事も)けれど私にはこれが不思議でならなかった。中華料理屋でほうじ茶みたいにカプカプ飲んでいたからだ。
「やっぱり私がクセに強いせいなのかな?」
だがしかし、キームン紅茶やルイボスティーと違う点がある。Dちゃんも私と同じ時間・同じ場所で、クセを感じずプーアル茶を飲んでいたのだ。
ためしに茶葉を買って来て家で淹れてみた。
「あっ、ほんとだ! クセがある」
味はまろやかなのだけれど、ゴクゴク飲むのをためらわせるような古びた香りが鼻に残る。カビ臭い、とまではいかなくても、紅茶や烏龍茶のような良い香りではないのは確かだ。
「濃いんじゃない?」
プーアル茶は成分がお湯に溶け出しやすいお茶だ。油断していると水色が真っ黒になってしまう。私は最初それを知らなかったので、Dちゃん好みの薄いお茶を淹れられなかった。
「お店のはもっと薄かった気がする」
「そうかなあ?」
プーアル茶の潜在能力は恐ろしい。急須の底にお湯が残っていようものなら、みるみるそこに成分が溶け出して、二煎目も真っ黒だ。
「うわあ〜」
お湯で薄めた二煎目は、一煎目より飲みやすかった。それでもクセは残っている。
「お店と何が違うんだろうね?」
クセがあろうとなかろうと、一度買ってしまったお茶は使い切らなければもったいない。せっかくの中国茶だし、と、今度は油をたっぷり使ったチンジャオロース(ピーマンと豚肉の細切り炒め)と一緒にプーアル茶を出してみた。
「ああっ! この味!」
それはまさしく中華料理屋で飲んだプーアル茶の味だった。一口、口に含むたび、デートで通った有楽町のお店を思い出す。いつもお腹いっぱい食べ過ぎて、二人で体を支え合いながらヨロヨロ帰っていったっけ……
「一度目みたいにクセを感じないね」
「不思議〜」
「油っこい料理と一緒だとこうなるんだ」
「美味しいねぇ」
それからは、中華料理を作るたびにプーアル茶を出すようになった。いや、それより、「プーアル茶が飲みたい」と思った時に中華料理を作る、と言う方が正確だ。香味野菜と山椒(花椒の代用。うなぎ用が余ってるんだもん)をきかせた麻婆ナスなんかにもプーアル茶は本当によく合う。洗茶(一煎目を捨てる事)をすると水色は濃く、香りと味はやわらかくなると分かり、今では二人ともすっかりプーアル茶を楽しめるようになった。
油とお茶はとても相性が良いようで、スパゲティーとダージリン紅茶も、よく合う。インド・ダージリンの紅茶は「紅茶のシャンパン」と称されるほど香り高く、人気があるが、その一方で、
「苦くてあまり好きじゃない」
という人が紅茶好きの中にも意外に多い。水色が淡い割に、春摘み(ファーストフラッシュ)は日本の緑茶のような渋みが、夏摘み(セカンドフラッシュ)は紅茶特有の香ばしいような苦みが出やすいのだ。
余談だけれど、私は紅茶についてまだ良く知らなかった頃、
「ファーストフラッシュは一番茶、セカンドフラッシュは二番茶だから、ファーストの方がセカンドより格が上に違いない」
と勝手に考えていた。実際は全くそんな事はなく、世界的に見ればどっしりした味わいのセカンドフラッシュの方が需要が多いらしい。
日本茶で一番茶(新茶)が尊ばれるのは、春の新芽の青々とした風味が生きるお茶だからだ。初物好きの日本人の心情がさらに価値を上乗せする。
ダージリン紅茶のファーストフラッシュ・セカンドフラッシュは、「格が違う」というより単に「味が違う」と考えた方が正しく、ファーストフラッシュは発酵を弱めにして新鮮な若葉の香りを残しているので、緑茶のような味になり、セカンドフラッシュは完全発酵で紅茶らしい味と香りを思う存分引き出している。つまりファーストフラッシュは紅茶の中では少々変り種で、緑茶を好む日本人と、ハーブティーを好むドイツ人に人気があるようだ。確かに植物(茶)が本来持っている味と香りを楽しむ所がハーブティーによく似ている。
ダージリンには秋摘み(オータムナル)というのもあって、この試飲会にDちゃんを連れて行った。オータムナルはファースト・セカンドほどはっきり特徴が分かれておらず、農園ごとに青みが強かったり香ばしさが強かったり、様々な種類のダージリンをテイスティング出来た。
「ねえ、これ良いんじゃない? 軽い味だよ」
「ええー! 僕はダメ……」
「これは苦いよねぇ?」
「僕はこれが良いな」
相変わらずかみ合わない会話を繰り返した結果、Dちゃんが「香ばしい苦み」は全く平気なのに「青々しい渋み」は全く受け付けない、という事が分かった。これはおそらく緑茶を飲む習慣がない家で育ったせいだろう(彼の家は紅茶とほうじ茶が日々のお茶)結婚前まで渋々の緑茶を飲んでいた私には「香ばしい苦み」の方が重たく感じる。意見が合わない訳だ。
このダージリンの「青々しい渋み」を出さないようにするには、日本の緑茶と同じように、ひと冷まししたお湯(八十五度〜九十五度)で淹れれば良い。お茶は一般的に、
「香りを出すには高温、甘みやうまみを出すには低温」
と言われる。温度によって溶け出す成分が変わるからだ。ダージリンは香りの強いお茶なので、少々温度が低くても香りが消えたりしないのが嬉しい。
蒸らし時間を減らす、という単純な方法もある。茶葉の量を減らしても良いが、渋みや苦みと一緒にダージリンらしい味も引っ込んでしまう。
このようにあれこれ工夫を重ねても、好みの味に淹れられなかった場合、どうするか。
「これはこの紅茶の個性なんだ」
とあきらめて顔をしかめて飲むか。それとも、
「もうダージリンはやめて、穏やかな味のセイロン紅茶を買いなおそう!」
と決心するか……
悩んだ時に出て来るのが、そう、スパゲティーだ(ああ、ようやく話が元の所に戻って来た。戻って来なかったらどうしようかと思ったよ)
我が家では、トマトソースのスパゲティーをよく作る。カポナータ(ズッキーニ、赤ピーマン、トマトなどの野菜を炒め煮にした料理)風にしたり、モッツァレラチーズを入れたり、ナスとローズマリーまみれにしたり。これらはそのままだとややくどい味だが、ダージリンを用意しておけば飲むたび口の中がさっぱりするので、どんどん食べられる。と同時に、中華料理でプーアル茶のクセが消えたように、オリーブオイルとトマトの味がダージリンの苦みや渋みをやわらげてくれる。一挙両得というやつだ。
ダージリン紅茶は味や香りを「花のような」「フルーティー」と表現するし、やはりイタリア料理に欠かせないワインに似た所がある。娼婦風スパゲティー(アンチョビ・ケーパー・とうがらし・黒オリーブなどを入れたトマトソーススパゲティー。色・香り・味が強烈で魅惑的な事からこの名が付いた、という説がある)を真ん中に、右にダージリン紅茶、左にワインなんて夕食を食べると、心の底から幸せになれる。
「美味しいねぇ!」
「合うねえ〜 ワインもお茶も!」
下戸なので、ワインがお猪口入りなのが情けないのだけど(お猪口一杯以上飲むと倒れる)
ここまでは料理とお茶の組み合わせについて書いたが、「お茶に合うもの」といってまず思い浮かぶのはお菓子だと思う。しかし残念ながら、私にはお菓子についての知識がほとんどないのだ。Dちゃんと知り合ったばかりの頃、
「僕は洋梨のタルトが好きなんだ」
と言われて、
「タルトって何?」
と返してしまったほどの無知っぷり。そしてそれは十年近く経った今でも変わっていない。(今調べてみたら、「タルト」は「果物入りのパイ」の事だそうです。辞書にも載ってるんだ。へえ〜)
甘いものが嫌い、という訳ではないし、美味しいとも感じるのだが、自分でわざわざ買ったり作ったりするほどの愛がない。喫茶店に入ると、Dちゃんは紅茶とケーキ、私は「外でしか飲めないから」とコーヒーを単品で頼んだりするので、たいてい逆に置かれてしまう。
Dちゃんはかなりの甘党で、食べるだけでなく作るのも上手だ。結婚前には自分で焼いたクッキーやチーズケーキをプレゼントしてくれたし、最近はりんごのケーキをよく作ってくれる。Dちゃんの実家の家族も甘いものが大好きで、初めて一緒にお茶をした時、全員がケーキを注文したのでびっくりしてしまった。私は母親がケーキを注文したのなんてほんの数回しか見た覚えがない。それだって甘みより酸味の強いレアチーズケーキだった。でもまあ、私と私の家族の方が特殊で(何せクサヤと塩辛とギンナンの家だ)もしかしたらDちゃんの家の方が標準的なのかもしれない。
好きな分、お店の情報にも詳しいようで、Dちゃんのお家からもらうお菓子は全くはずれがない。新百合ヶ丘にあるリリエンベルグというお菓子屋さんの焼き菓子は、この私でも夢中になってしまう美味しさで、
「一日二個まで!」
なんていう風に決めておかないとみるみるうちに食べ切ってしまう。ほろほろとした口当たりが濃い目の紅茶によく合うのだが、
「食べたーい!」
と思い立った時には紅茶を淹れる手間さえもどかしく、口の中を粉だらけにして立ったまま食べてしまったりする。何だか戸棚のぼたもちを、こそこそ口に放り込むいたずら坊主のようだ。
「せっかくのお菓子なんだからちゃんとお茶と一緒に食べて……」
とDちゃんが何度嘆いただろうか。
「のり子さんは甘いものが苦手だから」
と気を遣って(苦手というほどじゃないのだけど)おせんべいを送ってくれる事もあり、その中では播磨屋本店の詰め合わせが最高だった。
サクサクと軽い歯ざわりの揚げせんべい「朝日あげ」黒大豆の入ったおかき「御やきもち」焼きおにぎりの表面みたいな「助次郎」青のりたっぷりの「のりおかき」……
どれも味が上品で素晴らしく、何より堅さが私好みの「やわらかめ」なのがありがたい(歯の強度に自信がないので堅焼きのおせんべいは苦手。前歯でバリッとするのが怖くて飴のようにペロペロ舐めてしまう。情けないなぁ)いつか東京本店(虎ノ門)に行って、全ての商品を徳用大袋で大量に買って帰るのが夢だ。
会社の名前をど忘れしてしまったのだが、枝豆、舞茸、カニ、海老など色々な味の薄いおせんべいの詰め合わせも、
「さて今日はどの味にしよう」
と選ぶのが楽しくて良かった。これも確かあっという間になくなってしまった気がする。
これらには緑茶(煎茶)が合うと思うのだけれど、我が家にある日本茶はほうじ茶だけだ。結婚したばかりの頃には緑茶も常備していたのだが、朝出せば、
「胃が痛くなる」
夕御飯の時に出せば、
「眠れなくなる」
とDちゃんが言うので買うのをやめてしまったのだ。どうも彼には緑茶が強過ぎるらしい。
ほうじ茶の香ばしさも、もちろんおせんべいに合う。しかし食べ物の「しょっぱさ」と対等に戦うためには、もう少し味に重みが欲しい。やはり緑茶だ。熱湯で淹れた渋々の緑茶だ(これは私の勝手な好み。ひと冷まししたお湯で淹れたまろやかな緑茶もきっと合うだろう)
私の実家では甘いお菓子をあまり食べない代わり、おせんべいは常にあったので、そんな渋々の緑茶と一緒に食べる事もたまにあった。けれども私が一番楽しみにしていたお茶うけは「大根の味噌漬け」だった……
ううむ、ここまでどうにかこうにか頑張ってお菓子について書いたのに、やっぱり一番はお菓子以外になってしまった。でも、本当に、緑茶と味噌漬けは合うのだ。ダントツトップ! 独走態勢!(言うまでもなく私の独断)
味噌漬けと言っても、甘みのあるものではいけない。一切れでお茶碗一杯のごはんが食べられるくらい塩辛い、茶色い漬物。これを、こりり、とちょっぴりかじって、緑茶をゴクリ。こりり。ゴクリ。こりり。ごくり。
塩味と味噌の香りと渋さと苦さと青さが口の中で混じり合う。このバランス。ああ、至福。どう考えても体に良い訳がないが、分かっちゃいるけどやめられない。自分で味噌漬けを買ったりはしないので、実家に帰って見つけた時だけ、こりりとゴクリをエンドレスに繰り返す。
ルピシアティースクールの日本茶コースで緑茶とお茶うけの組み合わせ方を実験した時、おせんべいやようかんと一緒にたくあんが出て来て驚喜した。
「そうなのよ! 緑茶には漬物なのよ! ほんとはたくあんより味噌漬けの方がオススメなんだけど!」
と大声で熱く語る私。迷惑だ。
味・食感・材料の違うお茶うけを用意し、緑茶との相性を調べよう、というもので、前述の三つの他にチーズ、チョコレート、クッキーと洋風のものも試した。
結果は、チーズとクッキーの人気が少々低かったが、
「全然合わない!」
というものはなかった。緑茶の懐は深い。
「まあ、普段の食事で飲んだりするんだから当然だよねぇ」
単純に「日本人が緑茶の味になじんでいる(水のような感覚で飲める)」というだけなのかもしれない。
紅茶コースでも同じような実験があり、五種類の食べ物(ようかん・フランボワーズのムース・メープルシロップのシフォン・イチゴのパウンドケーキ・スモークチーズ)を五種類の紅茶(ダージリン・ニルギリ・キームン・ラプサンスーチョン・ケニア)と一緒に食べた。つまり、二十五通りの組み合わせ。
事前に先生が苦笑しながらこう言った。
「今日の授業は教室がシーンと静まり返りますよ」
5×5のます目を前に、スタート。よく合っていれば◎、まあまあ合えば○、合わなければ×、どちらとも言えなければ△を記入していく。感覚の全てを舌に集中するので、
「紅茶と食べ物の味を楽しもう」
という意欲はすぐさま消え去り、先生の予告通り全員が黙々と実験を進める事になった。
ニルギリはインドの紅茶でクセがなく、どちらかと言えばミルクティーよりストレートで飲む方が向いている。ケニアの紅茶はたいていミルクティー向きのCTCなのだが、この時使ったのは「カプロレット・フルリーフ」という少々珍しいものでストレート向きの軽い味だった。
この五種類の紅茶の中で最も個性が強いのは、何と言ってもラプサンスーチョンだ。キームンなんて目じゃない。これは松の葉で燻製した中国紅茶で、そこにある他の全ての臭いが分からなくなるほどの強烈な香りがある。はっきり言って、正露丸とそっくりだ。
この紅茶、ヨーロッパでは「東洋的」と人気があるらしい。向こうは日本と水が違う(日本は軟水、ヨーロッパは硬水)から紅茶の味も変わる(硬水の方が味も香りもやわらかくなる)……とは言うけれど、本当にみんな美味しいと思って飲んでいるのだろうか? 東洋文化を理解したつもりになるために無理しているんじゃないか?
クセを愛する私もこればかりはダメで、テイスティングメモには、
「とげぬき地蔵」
という謎の言葉が残されている。香ばしいを超えてお線香のような煙たい香りが、私の脳みそを東京巣鴨のお地蔵さんに連れて行ってしまったのだ。
「ラプサンスーチョンは最後にした方が良いよ」
「前にラプサンスーチョンを最初に飲んじゃって、他の紅茶のテイスティングが出来なくなった事があったもんね……」
お互いに注意を促しながら◎○×△をつけていく。
ようかんと紅茶はあまり合わないなぁ、イチゴのパウンドケーキとダージリンはさすがに美味しい、紅茶と洋菓子が合うのは当然だよね、でもフランボワーズのムースは意外と合うのがないな……
あれこれ思いながら終盤にさしかかった。いよいよラプサンスーチョン。うええ、と顔をしかめながら試していく。
「おおっ?」
さすがに何にも合わない、××××、のその先に、驚きが待っていた。
スモークチーズとラプサンスーチョンが、異常に合うのだ。今まで不味いと感じていたはずの正露丸茶が、スモークチーズと混ざった途端、趣深い魅力的な飲み物に早変わり。クセがなくなる訳ではなく、クセをそのまま保ったまま、それぞれが味を引き立て合う。
もともと紅茶とミルクが合うのと同じ原理で、紅茶とチーズの相性は良いらしいのだが、さらにこれは両方とも燻製なのが絶妙なのだろう。スモークとスモークが奏でる美しいハーモニー。
「これ、すごい! 私、ラプサンスーチョン好きになっちゃうかも!」
「ま、まあねぇ…… 他のお菓子よりは、合うよね……」
どうやら、ここまで感動したのは私だけのようだ。しかし他のお菓子とラプサンスーチョンの組み合わせがほとんど支持を集めなかったのに比べ、スモークチーズに限って受講生の半数以上が○か◎をつけたのだから、あながち私の感想ばかりが変という訳ではないだろう。
授業の終わり、気になっていた事を先生に質問してみた。
「お茶に合う食べ物を選ぶのが苦手なんですが、どうすれば出来るようになるんでしょう?」
生まれつきのセンスの問題です、と言われたらどうしよう、と不安だったが、優しい先生はきちんと答えてくれた。
「共通する香りとか、個性を探す事ですね。お茶を飲んだ時に『フルーティーだな』と思ったらフルーツ入りのお菓子を選んだり、『コクが強いな』と思ったら同じようにコクのあるチョコレートを選んだり。たとえばセイロンのウバの紅茶はクオリティーシーズン(旬)になるとサロメチール香という香りが強くなります。これはちょっと鼻に抜けるような、スッとするさわやかな香りなので、柑橘系の酸味に合うんです。なのでオレンジピールの入ったお菓子を合わせたりします」
ほほう、そうだったのか。私はこれが本当に苦手で、Dちゃんはすごく得意だ。ティースクールから帰ってDちゃんに、
「今日、紅茶と食べ物の組み合わせの実験をしたんだけど、フランボワーズのムースと合うのが意外になくてさぁ」
と言ってみたら、
「ムースにはミルクティーでしょう」
と即座に返され、ポンとひざを打った。確かに両方まろやかだし、フランボワーズの酸味があるから重くもなり過ぎない。きっと合う。
今回の実験は全てストレートティーで行ったので、ミルク入りのアッサムティーでも入っていれば、また違った組み合わせの喜びが見出せたかもしれない。まあ、二十五通り試すだけであっぷあっぷだったけど。
キームン紅茶に恋をした時にはすぐに自分で茶葉を買ったが、さすがにラプサンスーチョンはそこまでしなかった。いくらスモーク二重奏に感激したと言っても、一袋使い切る自信が全然ない。
「あの組み合わせは美味しかったなぁ…… もう一回やってみたいなぁ……」
私のそんな強い思いを感じたのか(はたまた茶葉が売れ残っていたのか?)ティースクールが開催したイベントのおみやげに、ラプサンスーチョンをもらってしまった! だいたい二回分くらいの量で、思いを遂げるのにちょうど良い。私はさっそくスモークチーズを買って来て、ラプサンスーチョンを淹れてみた。
「ケホッ、ケホッ、ケホッ、な、何それ〜!」
驚き、煙い香りにむせ返るD。最初からDちゃんは飲むはずがないと確信していたので、ティーポットではなく茶こしつきマグカップを使った。これなら自分一人の分だけ淹れられる。しかし強力な正露丸香はマグカップのふちを軽く飛び越え、部屋に充満してしまった。
「ケホッ! 煙いよ〜 目が痛くなっちゃうよ〜」
「そこまですごい?」
「すごい」
あきれるDちゃんを前に、スモークチーズをかじり、ラプサンスーチョンをごくり。
「うーん、やっぱり合うね〜」
この茶こしつきマグカップ、茶こしの部分がプラスチックで出来ているため、しばらくの間ラプサンスーチョンの香りが染み付いてしまった。
「普通の紅茶を淹れてもキームンみたいになるんだよ」
「どっちも煙いからねぇ」
「何だかお得」
「まったく……」
イギリスでは、ラプサンスーチョンとスモークサーモンを合わせるのが定番のようだ。ティースクールで知り合ったTさん、Sさんと、
「アフタヌーンティーツアーをしよう!」
と自由が丘のセントクリストファーガーデンに行き、かの有名な三段重ね(デザートとスコーンとサンドイッチが載っているやつですな)を注文した時の事。
季節の果物をあしらったデザートはみずみずしくて美味しかったし、クロテッドクリームつきのスコーンもさくさくしていて私好みだった。それでも私に最も深い印象を残したのは、ディル(香草の一種)が入ったスモークサーモンのサンドイッチだった。もともとディルが大好きなせいもあるが(白身魚のスパゲティーを作る時によく使う。これまたクセが強いので苦手な人も多いらしい)やはりサンドイッチとして非常にバランスの良い味だったのだろう。思い出すだけで口の中に香りがふわっとよみがえる。ああ、お腹が空いて来た……
このお店にはラプサンスーチョンがなかったし、あったとしても二人に迷惑をかける訳にはいかないから、無難にダージリン紅茶を頼んだ。それももちろんアフタヌーンティーセットにぴったり合ったけれど、いつかまたどこかであんな風に美味しいスモークサーモンのサンドイッチに出会ったら、ラプサンスーチョンと一緒に楽しみたいものだ。
サンドイッチくらい家で作れる?
いやいや、またDちゃんがケホケホせきこんだら可哀想だもの。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:23| 【エッセイ】ど素人お茶談義
|
ど素人お茶談義(その9)
◇思い出のハーブティー◇
お茶にハマったのは最近、とこの本の初めの方で書いた。けれど、やたらめったら色々な種類のお茶を飲みたがるのは、今に始まった事ではない。
高校時代、ファミリーレストランのガストで、ドリンクバーというものの存在を知った。
「ここにある飲み物、好きなだけ飲んで良いの? それなら飲めるだけ飲み干さなくっちゃ!」
そう、あの頃は百円が千円くらいの価値を持っていた(?)
「元を取ってやろう」
と意地汚い貧乏女学生は、行くたびお腹がガボガボになるまで飲み続けた。一種類ではつまらないので、紅茶、コーヒー、ジュース、ハーブティーと次々試していく。
「ねえ、何だか手が震えて来たよ!」
「のりちゃん、いくらなんでも飲み過ぎなんじゃないの?(酒ではない)」
最高で十五杯くらいおかわりしたのではなかったか(馬鹿だ……)
この若気の至り(まあ他にもっとひどい「至り」が沢山あるから、これなんか些細なものだ)の中で、私は一つの魅力的な飲み物を見つけた。
「ガストの飲み物の中でこれが一番好き」
友達に飲ませてみる。
「何これ! スッパ!」
「梅干しみたいで美味しくない?」
「私はダメ……」
どこかで聞いたようなセリフを友達から引き出したのは、ローズヒップティーというハーブティーだ。ローズヒップとは薔薇の花が咲いた後につく実の事で、ガストではティーバッグで置いてあった。
この思い出のハーブティーに、ひょんなきっかけで再会した。花粉症のために飲む甜茶とのブレンド、という形で。
Dちゃんはかなり年季の入った花粉症で、結婚した最初の春、私たちは毎日甜茶を飲んでいた。
「砂糖を入れないのに甘くて美味しいね」
そう言ったのは初めの一回だけ。甜茶の甘さは、漢方薬のような(いや、ようなも何も漢方薬か)薬っぽい、変な甘さなのだ。
「この味、もうイヤー!」
「けっこう効果がある気がするからしばらく続けたいな。僕だけに淹れてくれれば良いよ」
「そんなの面倒!」
さらに、私もその年から花粉症らしい症状が出始めていたのだ。悪化させたくないし、と、うんざりしながら数ヶ月、奇妙な甘みに耐え続けた。
次の年の冬の終わり、
「また今年も甜茶の日々がやって来るのか……」
憂鬱になっている所へ、ルピシアからミント甜茶・レモングラス甜茶・ローズヒップ甜茶が発売された。
「私は買うからね! 薬局の甜茶より高いけど、もうあの味はとにかくイヤだからね!」
「どうぞ」
まずはミント甜茶を淹れてみる。
「おお、ミントキャンディーのようだ!」
スーッとした中に甘みがあって飲みやすい。ホットでも良いが、アイスにするとなおいっそうキャンディーっぽくなって美味しい。
「去年の苦しみは何だったんだ……」
「こんなにミントが入ってて、甜茶の効果が薄れたりしないのかなぁ」
「ミントだってきっと花粉症に効くよ! のど飴だってスーッとするじゃん!」
不安げなDちゃんをこじつけで説得。百パーセントの甜茶なんて二度と飲みたくない。
次はレモングラス甜茶。レモングラスは、レモンとよく似たさわやかな香りのするハーブ。香りだけで、酸味は強くない。
「甘くしたレモンティーみたいだね」
「これも美味しい」
レモングラスはトムヤムクンなど東南アジアの料理にも使われる。その割にそれほどクセはなく、飲みやすい。
さて期待のローズヒップ甜茶。鮮やかな赤い水色に懐かしい味を思い浮かべつつ、ごくり。
ん?
「何これ! 酸っぱくない!」
「ずいぶんまろやかだね」
「もっと梅干しみたいじゃなきゃ、イヤ!」
「梅干しというより…… あずきみたい」
甜茶とローズヒップを混ぜて何故あずき? でも本当にそんな感じの味なのだ。
この三種類を花粉症の季節の間、毎日代わる代わる飲み続けた。
「ねえ、ミントとレモングラスは良いけど、ローズヒップはもう飽きた……」
あずき味では刺激が弱過ぎる。私にとって。
「僕はローズヒップが一番好きだな」
「ええー!」
「ミントとレモングラスも美味しいけど、僕には強過ぎるんだ。次買い足す時はローズヒップだけにしてよ」
あんなあずき味、と思いつつ、甜茶を最も必要としているのはDちゃんだ。私は泣く泣くミント甜茶とレモングラス甜茶を買うのをやめた。
後で分かった事だが、ローズヒップティーは百パーセントローズヒップではなく、さりげなくハイビスカスがブレンドされている。梅干しのような酸味や真っ赤な水色は、ほとんどこのハイビスカスの方から出ているのだ。ローズヒップ甜茶はおそらく、このハイビスカスが(私の勝手な基準より)少なかったのだろう。
あずきじゃ我慢出来ん! と、花粉症の時期が去ってから、混ぜ物のないローズヒップとハイビスカスを買って来た。封を切ってアイスティー用の耐熱ガラスびんにパラパラパラ。熱湯を注いで一晩待つ。
「きっと酸っぱいから『チュッパ、チュッパ』って言いながら飲んでね」
「そんな事言わないよ……」
その日は用事があったので、Dちゃんが飲む所を見ずに出かけてしまった。すると電車に乗っている途中でメールが入った。題名は、
「チュッパ」
案の定チュッパかったらしい。
その後も口内炎に効くラズベリーリーフ、イライラを抑えるセントジョーンズワート、貧血予防にダンディライオンと、あれこれハーブティーを作っては、Dちゃんに飲ませた。まるで茶の木(カメリアシネンシス)の世界に飽き足りない冒険者が、新たな大地を見つけようと大海原に向かって船を漕ぎ出すように。高校時代の生き生きとした無鉄砲さを、もう一度取り戻すように(取り戻す? いつ無鉄砲じゃない時があった?)
冒険に無理やり同伴させられているDちゃんはどう思っているのだろう。そもそもお茶に気を遣うようになったのは、Dちゃんを喜ばせるためではなかったか。
新年に届いた誕生日プレゼント(私の誕生日は年末)に添えられていたメッセージに全てが込められているので、ここに引用しておこう。
のり
お誕生日おめでとう。
今年もよろしく。
でも変なお茶はほどほどに頼む。
お茶にハマったのは最近、とこの本の初めの方で書いた。けれど、やたらめったら色々な種類のお茶を飲みたがるのは、今に始まった事ではない。
高校時代、ファミリーレストランのガストで、ドリンクバーというものの存在を知った。
「ここにある飲み物、好きなだけ飲んで良いの? それなら飲めるだけ飲み干さなくっちゃ!」
そう、あの頃は百円が千円くらいの価値を持っていた(?)
「元を取ってやろう」
と意地汚い貧乏女学生は、行くたびお腹がガボガボになるまで飲み続けた。一種類ではつまらないので、紅茶、コーヒー、ジュース、ハーブティーと次々試していく。
「ねえ、何だか手が震えて来たよ!」
「のりちゃん、いくらなんでも飲み過ぎなんじゃないの?(酒ではない)」
最高で十五杯くらいおかわりしたのではなかったか(馬鹿だ……)
この若気の至り(まあ他にもっとひどい「至り」が沢山あるから、これなんか些細なものだ)の中で、私は一つの魅力的な飲み物を見つけた。
「ガストの飲み物の中でこれが一番好き」
友達に飲ませてみる。
「何これ! スッパ!」
「梅干しみたいで美味しくない?」
「私はダメ……」
どこかで聞いたようなセリフを友達から引き出したのは、ローズヒップティーというハーブティーだ。ローズヒップとは薔薇の花が咲いた後につく実の事で、ガストではティーバッグで置いてあった。
この思い出のハーブティーに、ひょんなきっかけで再会した。花粉症のために飲む甜茶とのブレンド、という形で。
Dちゃんはかなり年季の入った花粉症で、結婚した最初の春、私たちは毎日甜茶を飲んでいた。
「砂糖を入れないのに甘くて美味しいね」
そう言ったのは初めの一回だけ。甜茶の甘さは、漢方薬のような(いや、ようなも何も漢方薬か)薬っぽい、変な甘さなのだ。
「この味、もうイヤー!」
「けっこう効果がある気がするからしばらく続けたいな。僕だけに淹れてくれれば良いよ」
「そんなの面倒!」
さらに、私もその年から花粉症らしい症状が出始めていたのだ。悪化させたくないし、と、うんざりしながら数ヶ月、奇妙な甘みに耐え続けた。
次の年の冬の終わり、
「また今年も甜茶の日々がやって来るのか……」
憂鬱になっている所へ、ルピシアからミント甜茶・レモングラス甜茶・ローズヒップ甜茶が発売された。
「私は買うからね! 薬局の甜茶より高いけど、もうあの味はとにかくイヤだからね!」
「どうぞ」
まずはミント甜茶を淹れてみる。
「おお、ミントキャンディーのようだ!」
スーッとした中に甘みがあって飲みやすい。ホットでも良いが、アイスにするとなおいっそうキャンディーっぽくなって美味しい。
「去年の苦しみは何だったんだ……」
「こんなにミントが入ってて、甜茶の効果が薄れたりしないのかなぁ」
「ミントだってきっと花粉症に効くよ! のど飴だってスーッとするじゃん!」
不安げなDちゃんをこじつけで説得。百パーセントの甜茶なんて二度と飲みたくない。
次はレモングラス甜茶。レモングラスは、レモンとよく似たさわやかな香りのするハーブ。香りだけで、酸味は強くない。
「甘くしたレモンティーみたいだね」
「これも美味しい」
レモングラスはトムヤムクンなど東南アジアの料理にも使われる。その割にそれほどクセはなく、飲みやすい。
さて期待のローズヒップ甜茶。鮮やかな赤い水色に懐かしい味を思い浮かべつつ、ごくり。
ん?
「何これ! 酸っぱくない!」
「ずいぶんまろやかだね」
「もっと梅干しみたいじゃなきゃ、イヤ!」
「梅干しというより…… あずきみたい」
甜茶とローズヒップを混ぜて何故あずき? でも本当にそんな感じの味なのだ。
この三種類を花粉症の季節の間、毎日代わる代わる飲み続けた。
「ねえ、ミントとレモングラスは良いけど、ローズヒップはもう飽きた……」
あずき味では刺激が弱過ぎる。私にとって。
「僕はローズヒップが一番好きだな」
「ええー!」
「ミントとレモングラスも美味しいけど、僕には強過ぎるんだ。次買い足す時はローズヒップだけにしてよ」
あんなあずき味、と思いつつ、甜茶を最も必要としているのはDちゃんだ。私は泣く泣くミント甜茶とレモングラス甜茶を買うのをやめた。
後で分かった事だが、ローズヒップティーは百パーセントローズヒップではなく、さりげなくハイビスカスがブレンドされている。梅干しのような酸味や真っ赤な水色は、ほとんどこのハイビスカスの方から出ているのだ。ローズヒップ甜茶はおそらく、このハイビスカスが(私の勝手な基準より)少なかったのだろう。
あずきじゃ我慢出来ん! と、花粉症の時期が去ってから、混ぜ物のないローズヒップとハイビスカスを買って来た。封を切ってアイスティー用の耐熱ガラスびんにパラパラパラ。熱湯を注いで一晩待つ。
「きっと酸っぱいから『チュッパ、チュッパ』って言いながら飲んでね」
「そんな事言わないよ……」
その日は用事があったので、Dちゃんが飲む所を見ずに出かけてしまった。すると電車に乗っている途中でメールが入った。題名は、
「チュッパ」
案の定チュッパかったらしい。
その後も口内炎に効くラズベリーリーフ、イライラを抑えるセントジョーンズワート、貧血予防にダンディライオンと、あれこれハーブティーを作っては、Dちゃんに飲ませた。まるで茶の木(カメリアシネンシス)の世界に飽き足りない冒険者が、新たな大地を見つけようと大海原に向かって船を漕ぎ出すように。高校時代の生き生きとした無鉄砲さを、もう一度取り戻すように(取り戻す? いつ無鉄砲じゃない時があった?)
冒険に無理やり同伴させられているDちゃんはどう思っているのだろう。そもそもお茶に気を遣うようになったのは、Dちゃんを喜ばせるためではなかったか。
新年に届いた誕生日プレゼント(私の誕生日は年末)に添えられていたメッセージに全てが込められているので、ここに引用しておこう。
のり
お誕生日おめでとう。
今年もよろしく。
でも変なお茶はほどほどに頼む。
posted by 柳屋文芸堂 at 11:21| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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ど素人お茶談義(その10)
◇あとがき◇
ああー、ようやくあとがきまで来たー!
私はこのあとがきを、自宅で泣きそうになりながら書いている。編集担当のちかさんが提示した〆切を、思いっきり破っているのだ。お茶本を書いていてお茶を飲みに行くゆとりが無くなるとは、何たる皮肉。
書きたいお茶話はまだまだ沢山あるのだが、どこまで行っても終わりそうにないので、とりあえずここで筆を置こう。
はしがきに出したアジアンカフェについても一つ章を作って書くつもりだったんだけどね。浦安にあるフラワリーカフェというお店で、中国茶だけでなく料理も美味しいです。駅から遠いので、車でディズニーランドに来た時にでも探してみてください。メイン料理に中国茶とスープとサラダとデザートがついて九百円、のランチがおすすめ。安ーい!
我がサークルの編集、および印刷・販売指揮担当のちかさん(通称、鬼マネージャー)もお茶好きで、お家では、
「茶っくれババァ」
と呼ばれているらしい。
「茶をくれー、茶をくれー」
とばかり言っている女、の意味ですな。
お茶をプレゼントしてくれる事も多く、私が新居に移ったばかりで食器もそろってなかった頃、ちかさんからもらったティーバッグの紅茶で日々をしのいでいたのを思い出す。あれはありがたかったなぁ。
日頃の感謝の気持ちと〆切を破ったお詫びを込めて、彼女にどんなお茶を贈ろう。
ラプサンスーチョンとスモークチーズとスモークサーモンのスモーク三重奏セット?
そういうのを「恩を仇で返す」と言うのではなかったか。
柳屋文芸堂の本業は一応小説なので、次はそちらでお会い出来ますように。
柳田のり子
○情報コーナー○
この本で取り上げたお店のホームページです(二〇〇六年七月現在)
【フラワリーカフェ】
http://www13.ocn.ne.jp/%7Eflowery/
【ウェッジウッド】
http://www.nisshoku-foods.co.jp/brand/wedgwood/index.html
【ルピシア】
http://www.lepicier.com/
【アフタヌーンティー・ティールーム】
http://www.afternoon-tea.net/
【竹里館】
http://www.takeurakan.jp/index2.html
【新潟加島屋】
http://www.kashimaya.jp/
【茶語】
http://www.chayu.net/
【リリエンベルグ】
http://www.lilienberg.jp/
【播磨屋本店】
http://www.harimayahonten.co.jp/
【セントクリストファーガーデン】
http://www.stchristopher.co.jp/
【ガスト】
http://www.skylark.co.jp/gusto/index.html
ああー、ようやくあとがきまで来たー!
私はこのあとがきを、自宅で泣きそうになりながら書いている。編集担当のちかさんが提示した〆切を、思いっきり破っているのだ。お茶本を書いていてお茶を飲みに行くゆとりが無くなるとは、何たる皮肉。
書きたいお茶話はまだまだ沢山あるのだが、どこまで行っても終わりそうにないので、とりあえずここで筆を置こう。
はしがきに出したアジアンカフェについても一つ章を作って書くつもりだったんだけどね。浦安にあるフラワリーカフェというお店で、中国茶だけでなく料理も美味しいです。駅から遠いので、車でディズニーランドに来た時にでも探してみてください。メイン料理に中国茶とスープとサラダとデザートがついて九百円、のランチがおすすめ。安ーい!
我がサークルの編集、および印刷・販売指揮担当のちかさん(通称、鬼マネージャー)もお茶好きで、お家では、
「茶っくれババァ」
と呼ばれているらしい。
「茶をくれー、茶をくれー」
とばかり言っている女、の意味ですな。
お茶をプレゼントしてくれる事も多く、私が新居に移ったばかりで食器もそろってなかった頃、ちかさんからもらったティーバッグの紅茶で日々をしのいでいたのを思い出す。あれはありがたかったなぁ。
日頃の感謝の気持ちと〆切を破ったお詫びを込めて、彼女にどんなお茶を贈ろう。
ラプサンスーチョンとスモークチーズとスモークサーモンのスモーク三重奏セット?
そういうのを「恩を仇で返す」と言うのではなかったか。
柳屋文芸堂の本業は一応小説なので、次はそちらでお会い出来ますように。
柳田のり子
○情報コーナー○
この本で取り上げたお店のホームページです(二〇〇六年七月現在)
【フラワリーカフェ】
http://www13.ocn.ne.jp/%7Eflowery/
【ウェッジウッド】
http://www.nisshoku-foods.co.jp/brand/wedgwood/index.html
【ルピシア】
http://www.lepicier.com/
【アフタヌーンティー・ティールーム】
http://www.afternoon-tea.net/
【竹里館】
http://www.takeurakan.jp/index2.html
【新潟加島屋】
http://www.kashimaya.jp/
【茶語】
http://www.chayu.net/
【リリエンベルグ】
http://www.lilienberg.jp/
【播磨屋本店】
http://www.harimayahonten.co.jp/
【セントクリストファーガーデン】
http://www.stchristopher.co.jp/
【ガスト】
http://www.skylark.co.jp/gusto/index.html
posted by 柳屋文芸堂 at 11:20| 【エッセイ】ど素人お茶談義
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