2015年12月29日

死神(その1)

落語「死神」の翻案小説です。

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「もう死ぬしかないのか……」
 藤木は珍しく弱り切っていた。無理もない。失業し、ヤケで始めたギャンブルは負け続き。借金を借金で返すうち、その額は膨れ上がった。とても一人の若者が稼げる金ではない。
「首をくくるか、線路に飛び込むか……」
「東武東上線に飛び込むのはやめて欲しい」
 藤木が顔を上げると、丸眼鏡の、ふくふくとした頬の男が目の前に立っていた。
「うわっ 何だお前!」
「死神だよ」
 死神と名乗った男は、眼鏡の奥の優しげな目を細める。
「あ〜 宗教は俺、興味ないんで!」
 横をすり抜けて逃げようとした藤木の手首を、死神は素早くつかんだ。
「宗教の勧誘じゃないよ。だいたい君、お布施を巻き上げようにも、財布が空っぽじゃないか」
 背中にゾッと寒気が走る。
「何で知ってんだよ」
「これでも一応神様だからね」
 藤木は改めて死神の方に視線をやった。その体は半透明で、向こう側の風景が透けて見える。確かに普通の人間ではないらしい。
「死神って言ったか?」
「うん」
「死神って顔じゃねぇなぁ……」
「僕だって福の神に生まれたかったよ。でも神の世界に職業選択の自由はないからね。死神として最善を尽くすしかない」
 死神として最善…… それはつまり、お前を殺すという意味か? 藤木は真っ青になって叫んだ。
「死にたくねぇ! さっきのは気の迷いだ。本当は死にたくなんかないんだ! 助けてくれ、お願いだから助けてくれよ。誰か……」
 キョロキョロと周囲を見回し挙動不審になる藤木の前で、死神はため息をついた。
「落ち着いてよ。さっき僕は何て言った?『飛び込め』じゃなく『飛び込むのはやめて欲しい』って頼んだんだよ?」
 死神は道沿いの線路を指差す。
「東武東上線は人身事故が多いんだ。迷惑してるんだよね。『死神がいる』なんて噂になってさ。この沿線は僕の管轄だけど、みんな人間が作った社会に押しつぶされて自殺に追い込まれるのに。何でも神様のせいにしないで欲しいよね」
 顔といい、理屈っぽさといい、全く死神らしくない死神だと藤木はあきれた。
「俺も押しつぶされたクチだな」
「大丈夫。まだいくらでもやりようはあるよ」
「死神に励まされてもなぁ……」
 死神はいかにも人の好さそうな笑顔で藤木を見つめる。
「僕は君を救おうと思って、こうやって出てきたんだ」
「借金を肩代わりしてくれるのか!」
「イヤだよ、そんなの。そうじゃなくて、君にも出来る簡単なお仕事を教えてあげる」
 藤木はバカにされたように感じ、ムッとした。しかし仕事が苦手なのは事実だから言い返せない。
「簡単な仕事じゃ時給も安いだろ」
「そうでもないと思うよ。人間って、本当に困った時にはいくらでもお金を出すから」
「困った時?」
 死神はにっこりしてうなずく。
「人助けの仕事だ。悪くないだろう」
「柄じゃねぇな……」
 しかし四の五の言える状況ではない。
「どんなことをすれば良いんだ?」
「まずは自宅のドアに、
『スピリチュアル・アドバイザー』
 と書いた看板を掲げる」
「何だそれ、怪しい!」
「昔は医者になるよう勧めてたんだけど、今は法律が厳しくてね。ここからが肝心だよ」
 死神の真剣な眼差しにつられて、藤木も真面目に耳を傾けた。
「重病人か、その家族か関係者が、君に連絡してくるようになる」
「看板一枚で、そんな上手くいくか?」
「どれだけ医学が進歩しても、治らない病気はまだ沢山ある。そういう人たちは血まなこになってすがるための藁を探している。金の泉はそこだ」
 死神の瞳が冷たく光り、気温まで下がったようだ。藤木は二の腕をさすった。
「君が病人の寝床へ行くと、死神が見えるはずだ。頭の側にいたら、その人はもう寿命だ。どうにもならないから手を出しちゃいけない。でももし足の側にいたら、まだ命が残っている。君はこう唱えるんだ。
『あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ』
 それでパンパンって二回手を叩けば……」
「バカバカしい」
 呪文を聞いた途端、藤木は時間をムダにしたように感じてうんざりした。
「信じてないね?」
「信じられるかよ。まあ良いや。お前は悪い奴には見えないし、話しかけてくれて嬉しかったよ。東武東上線に飛び込むことはないから心配するな」
 死神は丸い頬っぺたを赤らめた。
「僕の気持ち、分かってくれた?」
「は?」
「実を言うとね、君を好きになってしまったんだ」
 別の意味で血の気が引く。
「お前、男だろ!」
「僕、ゲイなんだよ。性的マイノリティとかLGBTとか、最近よくニュースで流れるだろう?」
「さぁ…… ニュースなんて見ないからな」
「Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tはトランスジェンダー。研究によると人間の十人に一人はこういう性的マイノリティで、それは神の世界でも……」
「分かった、分かったから、もう分からない話はやめてくれ」
「分かってないんじゃないか」
 死神は不満げに唇をとがらせる。
「要するに、お前は男でありながら男の俺を気に入ったと」
「そうそう」
「悪いが俺にそっちの趣味はない」
「僕も別に、恋人になりたい訳じゃないんだ。遠くから君を見守っているだけで満足だよ。内気だからね」
 こんな堂々とした内気があるものか。
「俺のどこが良いんだ」
「ダメなところが。きっと君は、僕を必要としてくれる」
 何もかも見通す神の目が、藤木の心をのぞき込む。
「ねえ、だまされたと思ってやってみてよ。スピリチュアル・アドバイザーの仕事。僕は君を大切に思ってるんだから、絶対上手くいくって」
「他にやることもないしな……『あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ』」
 藤木が小さく二回手を叩くと、死神は現れた時と同じように唐突に、フッと消えた。
 
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死神(その2)

 借金まみれになると白昼夢を見るようになるのか。ストレスがたまっているせいだな。アパートに帰った藤木は最後のペヤングを食べ、ごろりと横になった。
 右手にダンボールが当たる。昔、アマゾンで買い物した時に、商品が入っていた箱だ。俺もあの頃はまだ、クレジットカードが使えた……
 アホ過ぎるな。藤木は一人、ニヤニヤ笑いながら、ダンボールにボールペンで「スピリチュアル・アドバイザー」と書き込んだ。そして死神に言われた通り、ガムテープでドアに貼ってみた。借金取りが、
「とうとう頭がおかしくなったか」
 と怖がって、一回くらいはピンポンを押さずに帰ってくれるかもしれない。無理か。無理だな。ははは……
 本当に発狂したかのように藤木が笑い続けていると、携帯電話が鳴った。幼なじみの淳二からだ。藤木は生き返った気持ちで通話を受けた。
「淳二! 久しぶりだなぁ〜 元気にしてるか?」
「金返せ……」
 地獄の罪人のうめき声を思わせる、低くかすれた声だった。藤木はすっかり忘れていたが、淳二の部屋から金を盗んでとんずらしたことが前にあった。それでしばらく連絡しなかったんだっけか。
「金返せよ、金…… ゴホッ ゴホゴホゴホッ」
「何だお前、風邪か?」
「分かんねーけど、熱で…… ゴホッ もう死ぬかと思ったら、お前に盗まれた金のことが、悔しくて…… ゴホッゴホッ」
「熱くらいで大袈裟だなぁ! 今からお前んち行くよ。金は無いけど」
「金無いなら来るな……」
 淳二の意見は気にせずに、藤木は一時間ほど歩いて淳二の部屋へ行った。無職だと移動にいくらでも時間をかけられるのが便利だ。腹は減るが。
 淳二は玄関の鍵もかけずに、ベッドに横たわって荒く息をしていた。靴はひっくり返り、そのすぐそばに中身が入ったままのコンビニの袋が落ちている。外出先で体調を崩し、朦朧としたまま食べ物を買い、どうにか帰宅してベッドに倒れ込んだのだろう。藤木にも似た経験があったので推理するのは簡単だった。
「いただきま〜す!」
「俺のパン…… ゴホッ お前ほんと、鬼か。病人の食料を。ゴホゴホッ」
 袋の中のアンパンとポカリスエットを腹に収め、改めて淳二が寝ているベッドを見ると、足の側に半透明の男が立っていた。
「もし足の側にいたら、まだ命が残っている。君はこう唱えるんだ」
 死神の言葉が脳裏によみがえる。藤木はほとんど無意識のうちに、
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 とつぶやき、手を二回打った。半透明の男、おそらくこの辺りを管轄している死神は、淳二を見つめる姿勢のままフッと消えた。
「金を盗られ、パンとポカリまで…… あれ?」
 淳二は上半身を起こす。
「急に頭が痛くなくなった。のども苦しくない」
「俺が治したんだよ!」
「はぁ?」
 藤木をにらみつけた淳二の腹が、ぐぅ〜っと鳴った。
「とりあえずピザ取ろうぜ! もちろんお前の金で」
「クソ…… でも腹減って買い物行けないし、藤木に金渡してもそのままいなくなるだろうし」
 気の弱い淳二は藤木に言われるまま、ピザ三枚にライスコロッケとアイスまで注文させられた。
「持つべきものは友だねぇ」
 藤木は死のうと考えたことなどころりと忘れ、上機嫌で食事の大半を食べた。
「いや〜 満腹、満腹」
「なぁ、藤木。今日のことをネタにして漫画描いても良いか?」
 淳二は健康を取り戻してもなお陰気な顔を藤木に向けた。
「あぁ、お前、絵が上手かったよな。まだ漫画なんて描いてたんだ」
「ブログで連載してて、けっこう人気があるんだよ」
 淳二はノートパソコンを立ち上げ、少し誇らしげに自分のページを見せた。
 藤木はニヤリと笑う。
「何だよ、パソコンまで盗んだら今度こそ警察行くからな!」
「違うよ。もう一つネタをやる。俺、スピリチュアル・アドバイザーになったんだ」
 淳二はギャハハハと目に涙をにじませるほど大笑いした。
「お前、どこまで堕ちていくんだ!」
「今日の病気も俺が治したって言い張ってるってさ、面白おかしく描けよ」
「あんまり痛々しくて、笑えるように描けるかなぁ……」
「痛々しいって言うな! 俺は本気だよ。それで、連絡先として俺の携帯のメールアドレスをブログに載せて欲しい」
 淳二は心配そうに藤木を見る。
「変なメールがいっぱい来るようになるぞ」
「構わない」
「あと盗癖があるから気を付けろって書くからな。こっちが訴えられたら困る」
「お前んとこ以外で盗みなんてしねーよ。他は借りたまま返してないだけだ」
 
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死神(その3)

 藤木自身、半信半疑だった。しかし、怒濤のような宣伝メール、いたずらメールの中に、ほんの数通、真剣な悩み相談があった。藤木はふんだんにある時間を使い、一人ずつ会いに行った。
「兄が無気力になってしまったんです。しゃべらないし、外にも出ないし……」
 女はそばかすの上を流れる涙をハンカチでぬぐった。
「お兄さんはどこに?」
「はい、こちらに」
 二階の寝室へ行くと、無表情の男がベッドで寝ていた。藤木にあいさつすることも、妹の方を向くこともなく、ぼんやり天井を見ている。
「朝から夜中まで、毎日休みなく働いていたんですけど、急に会社に行くのをやめてしまって、それからはずっとこんなで……」
 男の足元には、半透明の男が立っている。ぎりぎりと縛るように、お兄さんをねめつけながら。
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!
 死神は消え失せ、男の目に生気が戻り、妹と藤木を交互に見つめる。
「この人は……?」
「もう大丈夫なの、お兄ちゃん!」
「大丈夫って何が? どうでも良いけど腹減ったな」
 良かった、良かった、と言って泣きじゃくる妹に困惑し、男は照れ笑いを浮かべた。
「お兄さんに美味しいものをたらふく食べさせてあげなさい」
 藤木がうやうやしく命じると、妹が近付いてきて小さな声で言った。
「あの、お礼はおいくらでしょう。私たちそんなに余裕がなくて……」
 妹の様子から、兄が回復した後のことなど考えずに、遮二無二なってメールを寄越したのだと分かった。
 藤木も治した後のことなど考えていない。
「うーん、一週間分の食費くらいあるとありがたいですね。携帯電話の支払いももうすぐだな。あとは……」
 ブツブツつぶやき続ける藤木を見上げ、女はかすかに首を傾げて部屋を出た。
「今、家にある現金はこれだけです。もし足りないようなら、お給料日の後にお届けします」
 戻ってきた女の手にはピンク色の封筒があった。中をのぞくと四万円入っている。藤木の顔が真夏のカナブンのようにビガッと光った。
 金だ! 金だ!
 恋い焦がれていた一万円札!
「これで良いですよ。持って来たけりゃいくらでも持って来れば良いけど、取り立てになんて来ないです。取り立て屋は本当にイヤですからね……」
 藤木はヘラヘラ笑い、ペコペコおじぎをしながら、兄妹の家を出た。
 四万円あれば、ペヤングを何個買えるだろう。いっぱい、だ。一生困らないほどのペヤング!

 藤木に兄を助けてもらった妹は、追加でお礼を払う代わりに、ツイッターで藤木を褒め称えた。その情報はネット上を駆けめぐり、同じ悩みを持つ者が次々に藤木を呼んだ。

 自殺未遂を繰り返し、腕が傷だらけの少女。
 アルコール依存症で寝たきりの看護師。
 二日連続で徹夜をした後、ばったり倒れたシステムエンジニア。
 死神はみな頭側ではなく足元にいたので、藤木はいともたやすく消すことが出来た。
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!

 東京には、死神に取り憑かれた人間があふれ返っている。
 宝の山だ! 金の泉だ!
 
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死神(その4)

 藤木は半年もかからずに借金を完済し、一年後には金持ちになっていた。億ションを買い、銀座に通い、毎夜美しい女たちを味わった。
 ペヤングは二度と食べなかった。

 多過ぎる客をさばき切れなくなった藤木は、相談料の最低金額を五十万円に設定した。これで命が買えるのだ。なんて良心的なのだろう。
 予約は午前と午後に一人ずつ。毎日百万稼げたら十分だ。もともとあくせく働くのは大嫌いだった。これからは欲張らずにのんびり暮らそう。
「こいつが死ぬと、家事をやる奴がいなくなって困るんだ。生き返らせてくれ」
 依頼人の爺さんは布団に寝かされている婆さんを指差した。周囲には紙くずや汚れた下着が散乱し、家中ひどい臭いだった。
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。これ以上長生きさせることは出来ません」
 死神は婆さんの枕元で正座している。婆さんの表情も、心なしか、死ねることにホッとしているように見えた。
「どんな重病人でも治せるっていうから呼んだのに。詐欺師か!」
 爺さんは手近なところにあった物を藤木に投げつけた。それは使用済みの高齢者用おむつで、藤木は借金取りに追われた時とも、最初に死神に出会った時とも違う、言い知れぬ恐怖を感じた。
「まずは…… 掃除しませんか?」
 藤木もそれほど綺麗好きという訳ではなかったが、こんなゴミ溜めのような場所で次々汚物をぶつけられたら話も出来ない。
「だから早く、こいつを起き上がらせろと言ってるんだ!」
 爺さんはあごで布団を指し示す。
「この方はもうすぐ亡くなるんですから、自分で何でもやらないと……」
 爺さんが再びおむつを振り上げたので、藤木は相談料をもらうのをあきらめ逃げ出した。

「してる最中に倒れちゃったのよ」
 赤いスリップの肩ひもがはらりと落ちて、藤木の視線は女の肌に釘付けになる。しかしそれよりも、明らかに不自然ないびきをかいて寝ている、全裸のおっさんから目が離せない。
「救急車、呼ばなかったんですか?」
「だって、あなたが助けてくれるんでしょ?」
 死神はおっさんの頭のそばに立ち、時々腰を屈めてまぶたを引っ張り様子を見ている。まるで医者のようだ。
「別に死んだって良いのよ。ただその前に遺言状を書かせたいの。家族じゃなくあたしに遺産が入るように」
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。これ以上長生きさせることは出来ません」
「だ・か・らぁ、一瞬目が覚めればそれで良いんだって。出来るんでしょ?」
「無理ですね……」
 藤木がおずおず答えると、女の眉毛が急につり上がった。
「テメェ、帰れよ! 役立たず!」
 藤木の背中に的確な蹴りが入る。ムカついたが、こういう女の後ろに男、下手したら恐ろしい組織がいることくらい、藤木でも容易に想像がついた。藤木がやれるのはたった一つ。背骨を折られないうちに部屋から逃げるだけだ。

 次の客も、次の次の客も、死神は頭の方に立っていた。助かるかどうかに関係なく相談料を受け取る気でいたが、五十万どころか交通費ももらえずに追い出される。
 そんなことが続くうち、
「藤木の蘇生術はインチキ」
 という噂が立った。良い評判より悪い評判の方が圧倒的に広まるのが早い。みな誰かの悪口を言いたくてうずうずしているのだ。
 藤木の仕事は激減し、収入はゼロになり、事務所を維持する経費だけが虚しく消えていった。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:29| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その5)

「この扉の先で見聞きしたことは、決して口外しないでください。家族や親しい友人であっても」
 ダークスーツの男は表情を変えずに藤木を一瞥する。
「もちろんですよ! 秘密をもらしたことなんてありません」
「ネットで検索すると、あなたの仕事の情報が際限なく出てくるものですから」
「依頼人が勝手に自分の情報を広めているだけです」
 病院の特別室の扉が開かれる。久々の大きなチャンスだ。何が何でも成功させて、商売を再び軌道に乗せなければならない。
 ベッドに横たわる男を見て、藤木は大声を上げた。
「S社長だーっ!」
 世間に疎い藤木も、ネット企業や携帯電話会社を経営して巨万の富を築いたS社長の顔は知っていた。
「この人、自分とこの球団が優勝するとグランドに飛び出てくる人ですよね?」
 ダークスーツの男は口の前に指を立てて藤木をにらみつけた。藤木はS社長の枕元を確認する。ああ、まただ。半透明の死神が、業務開始時刻を待つように、直立不動の姿勢でそこにいた。
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。そんな歳でもなかったと思うんだけどな」
「巨大グループを運営していくのは並大抵のことではありません。一般人の百倍、千倍の心労に耐えて来たのです。世界中から名医をかき集めましたが、みな匙を投げました。あなただけが頼りです」
 男の真剣な視線から、藤木は目をそらす。
「成功したら、三十億円差し上げます」
「さんじゅうおくぅ?」
 桁外れの金額に、藤木の頭は真っ白になった。
「もし社長が死去すれば、我が社の株は大暴落するでしょう。その損失を思えば三十億など、はした金です。さあ! 我々を助けてください!」
 仕事の依頼にしては威圧感たっぷりだった。
「そんなこと言われても……」
 三十億。三十億。三十億。数え切れない一万円札がぐるぐる渦を巻いて天空に昇ってゆく。
 藤木は脳みそを絞りに絞って考えた。惰性と成り行きで生きてきた藤木にとって、それは人生で最初で最後の輝かしいひらめきだった。
「腕っぷしの強い男を四人、集めてください」
「千人でも二千人でも集められますが」
「そんなにいても用はないんで…… いくら筋肉ムキムキでも、どんくさい奴はダメですよ! 力があってすばしこい奴を四人、お願いします!」
 病室にやってきた四人の男を、藤木はベッドの四隅に配置した。
「合図をしたら、ベッドを半周回転させてください」
 一時間、二時間経っても、死神は同じ姿勢を崩さない。四人の男たちはじりじりと合図を待ち続けた。
 日が落ち、夜が更け、空の黒が薄くなってゆく。もうじき夜明けかという時刻、とうとう死神はコクっと首を落として居眠りした。
「今だっ」
 四人の男たちが素早くベッドを動かす。S社長の頭は死神から離れ、代わりに二本の足がそちらに向けられる。足側の死神。これなら俺にも消せる!
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!
 予想外の出来事に死神は怒りの形相になり、全身が白く燃え立った。炎の中でもだえながら、死神は射るように藤木の目を見る。
 仕事中に死神が藤木の方を向いたのは、それが初めてだった。

 死神が消えてS社長は全快し、
「やりましょう!」
 と叫び始めた。
 三十億を受け取るための手続きを終え、藤木は自分の力で金を稼いだ満足感にひたりながら朝焼けの道を歩いた。
「すごかったねぇ!」
 聞いたことのある声に振り向くと、そこには丸眼鏡の、ふくふくとした頬の男が立っていた。
「おお、お前は俺に呪文を教えてくれた死神じゃないか」
「たくさんの死神を見て、僕を忘れてない?」
「忘れっこないさ。命の恩人だからな」
 死神は頬を赤くして藤木の隣を歩く。
「ベッドをひっくり返すの、素晴らしいアイデアだったね」
「見てたのか」
「そりゃあね」
「よく思い付いたなって、自分で自分を褒めてやりたいよ」
「ねえ」
 死神は足を止め、道沿いの東武東上線を指差した。
「朝までやってる美味しいお店があるんだ。お祝いに飲まない?」
「おお、良いな! 俺がおごるよ。何しろ三十億儲かったからな。三十億!」
 店は線路の反対側だからと、死神は地下道の階段を降りていった。藤木も鼻歌を歌いながらついてゆく。
「ずいぶん深い地下道だなぁ」
 降りても、降りても、まだ階段は続いている。死神が何も言わないので、藤木も黙って死神の背中を追った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:25| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする

死神(その6)

 階段が尽き、死神と藤木は開けた場所に出た。
「何だここ……」
 ほの明るい。足元でろうそくが燃えている。よく見ると、前も、後ろも、右も、左も、燃えるろうそくが無限に並んでいる。
「これは、人の命のろうそくだよ」
「命のろうそく?」
「たとえば」
 死神は炎の弱々しい、長細いろうそくを指差した。
「これは君の友達の、淳二さんのろうそく」
「あいつ、命そのものがジメジメしてんだな」
「でも、低空飛行のまま長生きするんだ」
「細く長くか…… こっちの今にも消えそうなやつは?」
「君のろうそくだよ」
 世界がしんと静かになった。俺の? 俺の命? 藤木は発狂したかのように声を裏返しながら怒鳴った。
「何で消えそうなんだよ! 俺、どこも悪いとこなんて無いのに!」
「だって、S社長のろうそくと取り替えちゃったじゃないか。ベッドをひっくり返した時に」
 全身の血の気が引く。
「そんな話、聞いてない」
「死神が頭の側にいたら手を出しちゃいけないって、ちゃんと言ったよね。君だって分かっていたはず」
「やったら死ぬなんて聞いてない。聞いてねぇよ!」
 殴りかかる藤木の腕を、死神は軽々とつかんで止めた。
「一番大事なことはね、誰も説明なんてしてくれないんだよ?」
 藤木はへなへなとその場にくずおれ泣き出した。
「助けてくれ! 俺のことが好きだって言ったじゃないか、なあ! 裸になって踊っても良いから」
「何だか僕、残虐な王様みたいだねぇ」
 死神はニコニコして言う。
「でも残念ながら、人間の肉体にはあんまり興味ないんだ。その代わり、もう二度と女遊びしないって約束してくれたら、この燃えさしのろうそくをあげる」
 藤木は死神にすがりついた。
「する、するよ! 死んだらお終いだからな」
 藤木は火を移そうと、小さく縮んだ自分の炎に、新たなろうそくを近付けた。
「でもさ」
 死神は優しく目を細める。
「最初にあげたチャンスだって、君は無駄にしちゃったんだ」
「つかねぇ…… つかねぇ!」
「今回のチャンスも、また無駄にしちゃうんじゃないかな?」
「ゴチャゴチャうるせぇっ つ、つかねえ」
「君はそういう男だから」
「クソッ! 芯が、もう……」
「ほら、消えそうだ。消える、消えるよ……」
 ばったり倒れた藤木を見つめ、果てしないろうそくの火の森で、死神は微笑む。
「僕の世界にようこそ」

(終わり)
 
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死神(その7)

  あとがき

 落語の中では珍しいのではないかと思うのですが、「死神」のストーリーやオチは落語家さんによってずいぶん違います。演じる人の人生観がにじみ出て、誰のを見ても、何度見ても、飽きない。
 落語と最も大きく変えたのは、時代と、死神の性格です。
 落語「死神」の舞台は江戸時代なのかなぁ。主人公はいきなり医者として働き始めます。医師法みたいなものはなかったんですかね。時代を現代に移し、無免許でも逮捕されなさそうな「スピリチュアル・アドバイザー」にしてみました。
 落語「死神」の死神は、もっといかにもな死神。おじいさんで、汚れた服を着て、化け物のような雰囲気で観客を恐怖に陥れる。
 この作品の死神は「一見良い人風だけど、実は」なタイプ。自作語りになってしまって申し訳ないのですが、私の小説「贋オカマと他人の恋愛」などに出てくる周平という登場人物の「生まれなかった弟」という設定です。周平がさりげなく持っている邪悪な部分を、この作品では前面に押し出せたので楽しかった♪
 落語や能、歌舞伎など、古くから愛され研ぎ澄まされた物語には、人智を超えた力強さがあるように思います。今回のように翻案したり、自作を構成する際に参考にしたりすると、自分一人では辿り着けない場所にふっと連れていかれる感触がある。時々そういう物語の宝に頼りながら、自分の描けるものを広げていきたいです。
 最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

  柳田のり子
 
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