2014年04月06日

薄紅の家、素晴らしき世界

 日が沈んだ後の、しんと静かな部屋の中で、姉の紗依子(さよこ)が手首を切っている。電灯もつけずに机に向かい、かみそりを肌に当てる。動きを止めているように見える指先にはちゃんと力が込められていて、刃先が少しだけ肉に入る。赤い血の玉がぷくりと膨れ、音もなくはじけた。液体はさらさらと皮膚の上を流れてゆく。紗依子はそれを楽しげに眺めている。口元に浮かんだ小さな微笑みを、僕は黙って、見つめる。
「……夕ごはん」
「そう。後から行くわ」
 片付けを済ませるような軽い口振り。ティッシュを三枚引き出す音を聞きながら、僕はドアを閉めた。
 紗依子が階段を降りてきたのは、僕が食事を終えた後だった。といっても十分も経っていない。僕は食べるのが並外れて早いのだ。紗依子が食卓につくのを待たずに椅子から立ち上がる。すれ違いざま、さりげなく手首を確かめると、大きめの絆創膏が貼ってあった。血がにじんでいない所を見ると、二枚重ねているのだろう。肌の色によく似ているから、注意しなければ誰も気付かないに違いない。
 ゆっくり箸を動かす父と母と姉を残して、僕は自分の部屋のある二階へ上がった。
「息苦しいな」
 ベッドにごろんと横たわり、つい、つぶやいてしまう。この部屋に一人でいると心底落ち着く。そして家族と一緒にいるといかに疲れるか、分かる。
 紗依子には婚約者がいた。会社の上司だった男で、僕は会った事がないが、家にも何度か来ていたらしい。親同士の顔合わせも済ませ、新居に移る日取りまで決まっていたのに、紗依子はある日突然、
「婚約解消になった。会社も辞めた」
 と言い出して、部屋にこもった。
 両親は内心大いに焦ったはずだ。これまでずっとこの手のトラブルに無縁で来たのだから。何しろ僕はサッカーと勉強だけしかしない単純な学生だったし、姉は根っからの優等生だった。子供が成人するまで子供の起こす問題に関わらずにいられたというのは、ある意味幸福なのかもしれない。
 父と母はどうする事も出来ずに、いつも通りの日々を送り続けた。静かに狂ってゆく紗依子にビクビクとおびえながら。
 騒ぐ事も、怒る事も、笑い飛ばす事も出来ない。それが僕の家族だった。

「危なくて、目が離せないのよ」
 紗依子のいない場所で、母が耳打ちした。
「道を歩けば車道に突然飛び出すし、駅に行けばホームから落ちそうになるし…… ダメなのよ、もうボーッとしちゃって」
 母は涙目でため息をつく。
「ご飯はちゃんと食べてるけど、たまにトイレで吐いてるみたい。ショックで胃も悪くしているのかしら?」
 僕は確信した。紗依子は腑抜けてもいないし、胃炎を起こしてもいない。単に、死のうとしているだけだ。母は気付いていないのだろうか。それとも認めたくないのだろうか。愛情たっぷりに育てた娘が、自殺を考える、なんて。
 心配で…… でも何て声をかけたらいいか…… と繰り返す母に、僕もまた、何と声をかけたらいいか、分からなかった。
「一人きりにしないよう、僕もなるべく気を付けるよ」
 紗依子のためというより、母の繰り言から解放されたくて、僕は言った。
 自分だけでは限界があるから、協力してもらえて助かると、母は弱々しく微笑んだ。
 親というのは、子供を失ったらさぞ悲しいのだろうな。他人事のように僕は思う。母親の様子から結果を想像したに過ぎず、実感としていまいちつかめない。
 そもそも、僕は紗依子に生きていてもらいたいのだろうか。死にたいなら死なせてやればいい、という気持ちが、僕の中にはあった。無責任か? 家族なのに。
 家族……

 母からの最初の協力要請は、その週末に来た。紗依子がデパートに行きたがっているが、どうしても外せない用事があって一緒に出かけられない。せっかく外出する気になったのに家にいろと言うのは可哀想だから、僕に付いていって欲しい。
 実際は僕への謝罪や愚痴の混ざった長くて回りくどい話だったけれど、大筋はそんな所だ。気が重くても、逃げる口実がない。学生時代なら、土日にはたいていサッカーの試合か練習の予定が入っていた。今は会社に入社したばかりの研修期間で、配属先がはっきり決まるまでサッカーはしないつもりでいる。職場の場所や忙しさを考慮して、所属するクラブを選ぼうと思っていたのだ。もう社会人なのだから趣味より仕事を優先させなければと、殊勝な考えを起こしたのがそもそもの間違えだった。こんな落とし穴があるなんて。一人小さく苦笑する。
 母ではなく僕が連れ添うと分かっても、姉は無反応だった。道に出ても何もしゃべらない。心ここにあらず、の曇った瞳。一度車道に飛び出しそうになったので、左腕をぐいっとつかみ引っ張ると、痛そうに顔をしかめた。僕の力が強かったのか、この間切っていた手首の傷がうずいたか。どちらにせよ懲りたようで、それからは目的地までまっすぐ進んだ。
 最寄り駅の前にあるデパートへ、紗依子は吸い込まれるようにふらふらと入ってゆく。エスカレーターに乗りどんどん上へ。何か買いたい物があるのかと思えば、寝具売場を足早にぐるりと回り、エレベーターで地下に降りる。つやつやとした苺のタルトをじーっと見ていたかと思うと、またエレベーターで最上階に上がり、本屋の棚の間を歩く。決して本を見ようとはしない。
 一体何なんだ? 無意味に徘徊を続けようとする紗依子を止め、喫茶店に入った。ちょうど苺のタルトがあったので注文するかと思いきや、一番安い紅茶だけを指さす。それがテーブルにやって来ても、赤い水面をじっと見つめたまま口を付けない。
 お手上げだな。アイスコーヒーの氷をカラカラ鳴らして飲み干すと、僕はひじをついて上を向いた。こうすると紗依子が視界に入らなくて良い。はぁー。
 女の買い物はこういうものなのか? ……たぶん違う。これは壊れた人間のお散歩だ。そもそも普通の女と出かけた事もないのに、酷過ぎないか。ふと、母とも姉とも二人きりで歩いた記憶がないのに気付く。恋人ももちろんいなかった。小学校へ上がる前にサッカークラブに入ってから、二十二歳になる今の今まで、毎日ただただ忙しかったのだ。
 まるで退職後のサラリーマンだな。入社したばかりなのに。研修期間が終わればきっと残業が多くなって、土日はサッカーに通い、すぐに家庭はマラソンの吸水所のような存在に戻るだろう。虫が良過ぎるだろうか。受け取るだけ受け取って、こちらからは何もしないなんて。
 これまで家庭をかえりみなかった罰を受けているような、妙な気分になる。僕も懸命に努力して来たのだが。サッカーと勉強を両立させるために、無駄な時間を極力減らして。
 姉が冷えた紅茶を一気に飲み干し、立ち上がった。会計を自分で済ませ、外に出る。僕も慌てて付いてゆく。今度は階段で一階下に降り、フロアを一周してまた一階降りる。螺旋の動きだ。もし一緒にいるのが母だったら、息を切らしていただろう。
 婦人服売場で、ようやく紗依子は歩く速度をゆるめた。たまにセール品のそでを伸ばして首を傾げたりしている。まともなショッピングの風景に、ホッと胸を撫で下ろした。しかしすぐ手持ち無沙汰になった。右も見ても左を見ても僕には何の用もないブラウスやスカートばかりで、奥の方には女性向けの下着が大量に展示してある。やる事がない上に、落ち着かない。

 この気持ちに懐かしさを感じ、たった一度だけ、女性と並んでデパートの中を歩いた経験があるのを思い出した。あれは確か高校二年の、試験前の放課後。その時たまたま一緒に帰る事になった同じクラスの女の子に、
「ちょっとの間だから!」
 と引っ張っていかれたのだ。何か用があるのかと思えば、ただブラブラと売り場を見て回る。僕は早く家に帰って試験勉強をしたかったのに。仕方なく付いてゆくと、彼女は一つのショーウィンドウの前で立ち止まった。
「うわぁ……」
 そこには僕が初めて見る、変てこな服が飾られていた。白くて長いもわもわしたスカートが何枚も重なり、その上にさらに色付きの布がかけられている。世界史の教科書に出て来る大昔の西洋の格好(たとえばマリー・アントワネット)にも似ているが、それより僕はクリームたっぷりのショートケーキを思い浮かべた。女の子は感嘆の声をあげ、ガラスにべったり張り付いてその服に見入った。
「何これ? 舞台衣装?」
「違うよ。普通に着るんだよ。ほらあの、店員さんみたいに」
 ショーウィンドウの奥を指さす。女性が数人、展示品と同じような着膨れした格好で、もさもさと立ち働いている。
「可愛いなぁ……」
 そうかぁ? 顔をしかめつつ口には出さない。好きなものを否定されたら傷付くだろう、誰でも。
「欲しいなあ」
「買えば良いじゃん」
「何言ってるの? すっごく高いんだよ!」
 彼女はつかつかと売り場に入り、つるされているワンピースの値札を見せた。
「ろ、六万?」
「声大きいよ!」
「三千円くらいかと思った」
「そんな訳ないでしょ! こんなにいっぱいフリルが付いてるんだから」
 何段も布を重ねて立体的になっているその服を、彼女は体に当ててみて、ふわり、ふわりと横に揺れた。
「はぁ〜 空しいなぁ。いつか大人になってお金持ちになったら買うんだ」
 そんな変な服より制服のままの方がずっと可愛いよ。と思ったけれど、これも口に出さなかった。
 彼女は大袈裟にがっくりうなだれてから、ワンピースを元の位置に戻し、売り場を離れた。

 あの店は今でもあるのだろうか。高校の帰宅途中に寄ったとすればこのデパートだ。商品をいじり回すばかりで買う気配のない紗依子を引っ張り、婦人服売り場を一周してみた。
「あった!」
 そこには十年一日のごとく、もわもわの重ね着ドレスが飾られていた。店員たちも相変わらずシンプルからほど遠い格好をしている。派手な原色の柄付きワンピースに、胸元には小さな造花の花束。
「すごいな」
 確認も済んだし帰るか、と思って紗依子の方を振り向くと、ショーウィンドウにべったり張り付いている。
「うわぁ……」
 と声をもらしながら。僕は紗依子の視線の先にあるものを改めて見つめた。
 透けるほど薄い、真っ白なブラウスとスカート。その上にひっかけてある布は深紅で、大きなウサギの絵が全体に散らして描いてある。この柄で服を作ってしまう神経が分からない。包装紙ならギリギリセーフか。それでも使えるのはせいぜい中学生女子までだろう。
 僕の苦々しい思いとは裏腹に、紗依子の顔は明るく輝いていた。まるで欲しいおもちゃを見つけた子供みたいな。久しく見ない、良い表情だ。女は何歳になってもこういう甘ったるい服が好きなんだろうか。
 しかしまさか自分で着ようなんて考えないだろう。紗依子は不細工ではないが、色黒で、可愛いというより精悍な顔つきをしている。家ではジーンズ、外出時は黒か茶のパンツスーツ。それ以外を着ている所を見た事がない。女性的な服装は似合わないと、よくわきまえている。……はずだ。
 紗依子は岩に張り付く海の生き物のように、ガラスから離れなかった。満足して自分から「帰る」と言い出すまで、放っておいた。こういう客は珍しくないのか、店員たちは僕たちが全く見えないかのごとく、もさもさと動き回り続けた。

 帰宅後、自分の部屋のベッドの上で、あの買い物には一体何の意味があったのだろう、と考えた。今日の事ではなく、高校時代の方だ。女の子はその後もたびたび声をかけてきて、誘ってもいないのにサッカーの試合を見に来たりした。
 自惚れの可能性も十分あるし、考えるだけで気恥ずかしくなるが、あの子は僕を好きだったんじゃないだろうか。しかしもし告白されても、絶対に断っていただろう。彼女の問題ではなく、僕の方に余裕がなかったのだ。それを知っていたのか、彼女は何も言って来なかった。その代わり、バレンタインにはやたらに高そうな外国製のチョコレートをくれた。その場で全部モシャモシャ食べて、
「こんな美味いチョコ初めてだ!」
 と叫んだら、彼女はすごく嬉しそうな、少し寂しそうな、複雑な顔で微笑んだ。
 これが僕の人生における恋愛の全てだ。恋もない。失恋もない。これまで自分の暮らしは単に単純なのだと思っていたけれど、人として大切な何かが決定的に欠けているのかもしれない。だから紗依子にも母にも表面でしか同情出来ないのだ。優しいふりをするだけで、本当の優しい人間になれない。
 怠けずに全力で立ち向かえば、間違いはないと信じていた。あの女の子や紗依子のように、何も買わない買い物になんて、僕は行かない。でもその間に、何かを取りこぼした。おそらく。
 目をつぶって、今日デパートで見た服を思い浮かべてみる。無駄に無駄を重ねて膨らんだ、奇妙なドレス。紗依子よりは、あの女の子が着た方がまだマシかもしれない。さらさらの白い肌に、ぷっくりした桃色の頬。肩までのびた茶色い猫っ毛。簡単に持ち上げられそうな細く小さな体。元気にしているだろうか。頭の中であの服を着せてみようかと思ったのに、ダメだ。制服姿しか思い出せない……

「週末、空いてる? またデパートに行きたいんだけど」
 金曜の夜、姉が母を通さずに言って来た。
「空いてる」
 残念ながら。すごく残念ながら。僕の顔が暗く変色するのに気付かずに、紗依子はニコニコしている。妙な明るさがかえって気持ち悪い。
 先週とはうって変わって、デパートに向かう紗依子は饒舌だった。というよりやかましかった。最近売れ始めたお笑いタレントの名前を出しては、
「知ってる?」
 と尋ねて来る。テレビを見ない僕が、
「知らない」
 と答えると、そのタレントのギャグを真似してみせ、一人大笑いする。腹立たしい。
 デパートに着くと、他の物には目もくれず、紗依子は一直線にあの洋服屋を目指した。入口で一瞬、ためらうように歩を止め、息も止め、透明な結界を破り、ぐいと進んだ。
「いらっしゃいませ〜」
 我々の意気をそぐ、高い優しげな声が響いた。店内は過剰に演出された可愛らしさのために、一種の異空間になっている。カントリー風の棚にはハートまみれのティーセットが置いてあり(売り物か?)机や椅子には花柄のクマのぬいぐるみが大量に座っている。遠くに見ているだけなら良かった。中に入ってしまったらこちらは無力だ。僕は話す事も動く事も出来ない、一本の棒になる。
「あの…… 先週あそこに……」
 紗依子が弱々しい声で店員に呼びかける。少し離れて立っている僕には聞こえないやり取りがあり、店員が長いスカートをひるがえしてどこかに消えた。
「こ、こ、これです!」
 しばらくして戻って来た店員の抱えた布のかたまりを指差して、紗依子は叫んだ。
「き、き、着ても良いですか」
 声が震えている。我が姉ながら恥ずかしくなるほど怪しい。仕事をしていた頃はシャキッとしていてなかなか格好良かったのに。そんな挙動不審さに動じる様子も見せず、店員はすがすがしい営業スマイルで紗依子を試着室に連れて行った。
「お疲れ様でした〜」
 服を着るだけで何がお疲れ様だ。馬鹿丁寧な店員から紗依子に目を移して、僕は卒倒しそうになった。これでもか! と、ウサギ、ウサギ、ウサギ、がベタベタ描いてある、真っ赤なドレス。それが何故か極限まで膨らんでぴちぴちになっている。
「このボタンは外しても良いんですよ」
 店員は紗依子のドレスの前を開いてゆく。割れ目からあふれ出る白い布。まるで入道雲だ。
「こういう服を着るの初めてで、どうしたら良いか分からなくて」
 紗依子は色黒の顔を赤らめる。
「よくお似合いですよ〜」
 どこがだ! 先週のショーウィンドウそのままの姿になった紗依子は、手首を切っている時以上に狂気めいて見えた。顔と服がちぐはぐ過ぎるのだ。それなのに、店員の言葉を真に受けて、まんざらでもないとばかりに照れ笑いを浮かべている。お世辞だと気付け、アホ姉貴。
「あの、この服に合う靴はありますか?」
 すぐさま店員が白い箱をうやうやしくかかげ持ってやって来る。ふたを開け、薄紙をめくると、紗依子の顔がパーッと輝いた。ドレスと同じ色の、バレリーナが履くような細く小さな靴。それに大きな足を無理やり突っ込んで、紗依子はよたよたと歩き出した。
「大丈夫か? ちゃんと選べよ」
「ん……」
 ダメだ。夢うつつ。この世を見ていない目。ひと事とはいえ、足に合わない靴を買うのは嫌な感じだ。しかしこれでは言っても無駄だろう。まあいいか、スポーツをする訳でもないのだし。
「いかがですか〜?」
 紗依子は遠くに視線を飛ばしたまま、つぶやくように、答えた。
「ください」
「えっ?」
 今度は、よく通る大きな声で、しっかりと。
「全部、いただきます」
 僕は大慌てで紗依子をつかまえ、耳元で言った。
「いくらか分かってるのか?」
「知らない」
「けっこう高いんだぞ!」
「かまわないよ。カードあるし」
 ちらりとこちらに向けられた瞳は、冷めた、現実の紗依子の目だった。男と同じだけ残業する、パンツスーツのよく似合う、職業人の姉の顔。
 真面目な紗依子の事だ。結婚の準備のために、そうとう金を貯め込んだに違いない。そして結婚の当ては無くなった。このまま死ぬつもりでいる。
 つまり。
 貯金残高がゼロになるまで使う気だな。もったいね〜っ
 試着室で元の服に着替えると、紗依子は嬉々としてカード払いのサインをした。店員は品物を包みながら、まるで上得意みたいに歓待する。使った額を考えれば当然だ。紗依子は最初に店に入った時のおどおどした態度は嘘のように、堂々と応対した。
「こちらでのお買い物は初めてですよね?」
「ええ」
「普段はどんな服装をされるんですか?」
「こんな……」
 紗依子はその日着ていた、黒のズボンを少し引っ張った。
「地味な格好ばっかりです。でも」
 ズボンから離れた手は、何故か僕の手を握り締めた。
「なっ!」
 のけぞって振り払おうとしたが、力が異常に強くてビクともしない。油ねんどに似た、生ぬるい姉のてのひらがからみつく。
「この人がこういう服が好きだって言うもんだから」
「まあ〜」
 ちょ、ちょ、ちょっと待て! 何だこの「お熱いわねえ」の雰囲気は! 確かに紗依子をここに連れて来たのは僕だけれど、それはこういう服が好きだからじゃない。むしろ嫌いなんだ。色も形も派手過ぎて不自然で、現代日本から浮いている。可愛らしさを強調するあまり、わざとらしくて……
 いや、その前に。
 僕は紗依子の恋人じゃない。オレたちは姉弟(きょうだい)だっ!
「ありがとうございました〜」
 二重にかけられた誤解を背負ったまま、僕らは店員に見送られた。
「さっきのはどういう事だよ!」
「下の階に行ってからね」
 エスカレーターを降りると、紗依子は女子トイレに入った。そしてなかなか出て来ない。
「お待たせ〜 ふふふふ」
 紗依子は家まで我慢出来なかったと見えて、先ほど買った服に着替えてしまった。
「そんな長ったらしい服、よくトイレで広げられるな。汚さなかったか?」
「気を付けたから平気だも〜ん♪ ララララ〜♪」
「クルクル回るな、恥ずかしいっ」
 スカートが空気を含んでふんわり円を描く。目を回すまで回転する小さな女の子をたまに見かけるが、姉はもう二十代後半だ。巨大なコマと化す真っ赤な狂女。一緒にいたくない……
 デパートからの帰り道、紗依子は足を引きずり始めた。
「痛いんだろ」
「うん」
「合わない靴買うから」
「合わなくても、良いんだもん」
「良くないだろ、まったく」
 あの店の紙袋は、紗依子の服と同じ深紅だった。びっこを引くたび、肩にかけたその大きな四角が、振り子みたいに揺れる。
「荷物貸せ」
「え?」
「大して変わんないだろうけど。スーツのままならおんぶしてやったのに」
「着替えなければ靴ずれもしなかったよ」
「そりゃそうだ」
 赤い服、赤い靴、赤い袋。手首からさらさら流れていた液体。傾き始めた太陽。
 姉の命。

 紗依子は生来の生真面目さで、今日買ったような服の店が他にもないか、インターネットで調べ上げた。他の場所にある支店。同じメーカーの違うブランド。枝分かれした別の会社。そして僕を伴って、あちこちのひらひら服を買いあさった。
「お金がもったいないからやめろよ」
 と、のど元まで出かかったが、言わなかった。死んじゃうよりは散財した方がまだマシだろう。たぶん。たとえ散財した後死んじゃうにしても。好きにさせよう。
 そんな事より、紗依子が僕と恋人同士であるかのように振る舞う方が問題だった。どこに行っても、気色悪いほどベタベタして来る。
「素敵な彼氏ですね〜」
 なんて店員に褒められようものなら、
「ずっとサッカーをやっていたんですよ」
 とか、
「実は年下で」
 なんて(当たり前だ、弟なんだから)個人情報を勝手にバンバン漏らす。勘弁してくれ。
 紗依子は自分の姿がガラスに映っているのを見つけると、ふわり、ふわりと横に揺れた。あの女の子と同じ動きだ。欲しいと思ったものをしっかり手に入れた満足感で光る顔。全然似合っていないのに。
「いつか大人になってお金持ちになったら買うんだ」
 大人になるのは悲しいものだな。初任給をもらったばかりの僕にはまだよく分からないけれど。
 姉の部屋は甘ったるい服でいっぱいになった。どれもタンスにしまわず、見える場所にかけておくものだから、みるみる異空間に近付いてゆく。床に幾重にも重なり広がるやわらかい布に包まれ、ざっくり腕でも切って死ぬのだろう。そういうのも幸せというのかもしれない。
 しかし。
 僕の姉はそんな結末を選ばなかった。
 
 夕日で淡い紅色に染まった部屋の中で、紗依子がCDを聴いている。床や壁の洋服が消えていて、何故か僕は少し傷付いた。
「捨てたの?」
「まさか。片付けただけよ」
 姉は久々にジーンズをはいていた。左足に大きなクマの刺繍がほどこされている。ブラウスは例のひらひらメーカーのもので、胸の真ん中に小さなリボンが結んであったが、それ以外は珍しくシンプルで、何の飾りもない。かつての姉と、狂乱の姉を足して二で割ったような、落ち着いた服装だった。
「何聴いてるの?」
 姉はゴソゴソとCDのケースをいじくった。
「さっちも」
「何それ」
「さあ……」
 僕は姉の隣に座り、歌詞の書いてある冊子の表紙を見た。古い写真で、トランペットを吹く黒人の男性が写っている。
「この人の名字が『サッチモ』なの?」
「さあ」
「そればっかだな」
「だって、私のCDじゃないんだもん」
「借りてるの?」
「……さあ」
 紗依子はCDケースを指先でくるくる回した。
「返さないと思う」
「じゃあ自分のじゃん」
「そうだね」
 紗依子はクスクスと笑ってから、あっ、とつぶやいた。
「私ね、この曲がすごく好きなの」
 ゆったりした音楽に合わせて、ガラガラした男の声が歌う。
「あ、聴いた事ある」
「有名だよね」
「何て題名?」
 紗依子はコンポに表示されている番号を確認し、冊子を開いた。
「わっと、あ、わんだふるわーるど」
「えらい棒読みだな」
「しょうがないでしょ! 英語の発音苦手なんだもん。それよりさ」
 うっとり目をつぶり、音楽に聴き入ってから、紗依子は言った。
「不思議だと思わない? 何でこんなに優しいんだろう」
「うん。決して綺麗な声じゃないのに」
「ダミ声なのに」
「ボロクソだな」
 二人で笑っていたら曲が終わってしまったので、リピートボタンを押した。
「どうして、幸せそのものみたいなんだろう」
「きっと歌うのが好きなんだろ」
「それだけで、こんな魔法がかけられるのかなぁ?」
 紗依子は微笑んだまま、再び目を閉じた。何度も、何度も、同じ曲が繰り返される。僕も立ち上がらず、この歌声の秘密について考えていた。
「あんたがいて良かった」
 急に、低い声で、紗依子が言った。
「は? 何が?」
 妙に照れて、怒っているみたいな答え方になってしまった。紗依子はちょっと困って、ふふふと笑う。
「お父さん、お母さんと一緒にいると、息苦しくってさ」
 僕はハッとして姉の目を見た。
 何だ。同じだったんだ。
「もう親と一緒にいる年じゃないもんな」
「それもそうだね」
 僕と紗依子は、座ったまま伸びをした。
「配属先が決まったら、家を出ようかな」
「私も、お金貯めなくっちゃ」
 姉の方に振り向くと、何、変な物を見るような顔して、という視線が返って来た。
「さあ、ごはん食べに行こう」
 コンポのスイッチをパチンと切って、僕たちはバタバタと階段をかけ降りた。足音がうるさく響いたせいで、二人そろって母に叱られた。
 何だか、子供の頃に戻ったみたいな気分だった。

(おしまい)
posted by 柳屋文芸堂 at 22:21| 【短編小説】薄紅の家、素晴らしき世界 | 更新情報をチェックする

あとがきエッセイ

 柳屋文芸堂初のお洋服小説「薄紅の家、素晴らしき世界」いかがでしたでしょうか。自傷行為にフリフリ服と、私の好きなものばかり(語弊あり?)出したので、書いている間、とても幸せでした。ちょっとおかしくなった女の子を、まともな男の子の視点で書く、というのが私にとって一番楽な方法のようです(覚えているだけで「火の川」「夕闇にのぞむ窓辺」に続き三回目。他にもあったかな……?)

 現実でも、一人寂しく狂うのではなく、誰か信頼している人に見守られながら、安心して発狂したいものだなぁと、つくづく思います。
「それは困る。元気でいてくれ」
 とDちゃん(旦那のハンドルネーム。ダンナ・ダーリンの頭文字ではない)は青ざめていますが。まあ、実際の人生の方はきっと大丈夫でしょう。狂気はあるだけ全部、小説につぎ込んでいるので。厄払い済みの精神はあっけらかんとして元気です。狂人小説健康法。流行らないかな〜?

 本当は小説から独立させてひらひら服との出会いについてのエッセイを書こうと思っていたのですが、物語と重なる部分が多いので、もうちょっとささやかなあれこれを「あとがきエッセイ」としてぽつぽつ綴(つづ)っていこうと思います。

 この小説に出て来るお店は、一応、実家の近所にあるピンクハウスがモデルです。でも「十年一日のごとく」重ね着ドレスが飾ってあるなんて、ウソですね。最近は短いスカートやズボンなども扱っていて、ショーウィンドウもこざっぱりしています。普段着にしやすくてありがたいと思う反面、かつてのようなもわもわの幸福感をもっと出してくれ! と物足りなさも感じます。景気も流行も関係なくひらひら服を商い続ける夢のお店、と考えてもらえれば良いかな、と。

 二人が聴く曲はルイ・アームストロング(愛称「サッチモ」)の「What a wonderful world(この素晴らしき世界)」です。ザラザラした歌声は本当にあたたかくて、奇跡みたいに感じます。その音を傷口に当てれば治ってしまうんじゃないか? と思うほど。

 ピンクハウス創設者である金子功のブランド「ワンダフルワールド」はこの曲名にちなんで付けられたようです。私は服と曲を別々に好きになって、のちに関係があると知り、感激しました。どちらも人を包み込んで幸せにする。私の文章にもそういう力が宿ればいいのになぁ…… 精進します。

 このあとがきの書き方は、桜庭一樹「GOSICK」を参考にしました。面白いんですよね〜 小説の内容と全然関係ない、狛犬泥棒の友人の話とかが入ってて。やたら長いし(十数ページ!) もうこれはあとがきというより、エッセイなのでは? ファンとしては嬉しいけど、書く方は大変なんじゃなかろうか。

 本編の小説ももちろん大好きです。子供向けに分かりやすく書かれたミステリーで、推理小説が苦手な私でもワクワクしながら謎解きに参加出来ます。そして何よりラブコメ部分が楽しい! 意地っ張りヴィクトリカと頑固な一弥の痴話ゲンカ(?)に胸きゅん!

 このヴィクトリカが、ひらっひらのふわっふわの可愛い服を着ているんですよ〜 本の最初に入っているカラーのイラストページをうっとり眺めるのが楽しみで。ライトノベルって今まであまり読んだ事がなかったのですが、こういう喜びがあるんですね。文章の中にも服装の描写が多く、大量のフリルをめくってようやく大切なペンダントが出て来る場面が、私は好きです。ヴィクトリカは陶人形のように美しいという設定だから許されるけど、私がもし着たら、
「緩衝材……?」
 とかイヤミを言われてしまうんだろうなぁ。でも着てみたい……

 同じ作者の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」も面白いです。ひらひら服と全然関係ないけど(単純に、今現在すっごくハマってるだけです。すみません)服装の描き方はけっこう丁寧で、印象に残ります。

 数年前の文学フリマで、同じ会場にいたんだよなぁ、桜庭一樹。その頃は全く名前も作品も知らず、
「有名な人が来てるんだ。へ〜」
 と思っただけでした。野次馬根性出して、顔だけでも拝んでおけば良かった…… 後悔先に立たず。

 ヴィクトリカみたいに全身フリルのフル装備をしてみたい! と願いつつ、経済的にも顔的にも問題があるため(無職・色黒・ゲジゲジ眉毛)ひらひら服はシンプルな着方をする事が多いです。ピンクハウス・ワンダフルワールドというと、ゴテゴテと重ね着するものだと思われがちですね。街でもそういう人の方が目立つし。でも私は、ワンピース一枚、もしくはスカートとブラウスだけを普通に着ても十分可愛いと思っています。その方がデザイナーの意図に近い気もするし。スカートの下にペチコートをはけば、もう私にとってのフル装備。少々情けない……けれど、身の丈に合ったやり方が一番だと思うので。

 長そでTシャツにジーンズ生地のジャンパースカートを組み合わせるのも大好きです。それぞれ色違い・柄違いで数種類ずつ持っています。素朴な見た目ながら形はひらひら服と同じなので、ピンクハウスに興味を持ちつつ着る勇気のなかなか出ない小心者&初心者におすすめ。お腹周りがゆったりしているから、マタニティドレスとしても使用出来ます。こんなのばっかり着ていたから、周囲に先駆けて中年太りしちゃったよ。副作用。

 ひらひら服を着る時、悩む事が色々あります。
「似合っているのか」
「似合わない服を着て街を歩くのは、迷惑行為ではないのか」
 等々の本質的な問いは、とりあえず脇に置いておいて(良いのか?)

 まず、眼鏡をどうするか。ど近眼の私には大きな問題です。最初のうちは、
「可愛い服を着たら、やっぱり眼鏡は外さないと!」
 と考え、コンタクトをしていました。しかし眼鏡っ娘を愛する同人作家さんのファンになり、どうにか眼鏡をしたままひらひら服を着られないものかと思案し、試し、発見しました。
 ひらひら服+眼鏡+三角巾風に巻いたバンダナ
 は相性が良い! きっと、たぶん、おそらく、もしかしたら…… 私の勝手な解釈なので、全然似合ってなかったらごめんなさい。

 眼鏡には「知性」と「ひょうきんさ」という二つの相反する性質が含まれています。どちらもひらひら服にはなじみにくく、困ってしまうのですが、バンダナをする事によってそれが解決。二つの性質が、「愛嬌」という、女の子に必要不可欠な要素に統合されるのです! きっと、たぶん……

 今回の私の小説みたいですが、ワンピース、もしくはツーピースで全身を真っ赤にして、その上にさらに真っ赤なバンダナをすると、可愛いし、元気になります。赤バンダナはジーンズ生地の服にも合うので便利です。
「雅なバンダナ」
 なんてダジャレを言う人が近くにいるけど無視しよう……(映画「もののけ姫」の中のジコ坊のセリフ「雅な椀(わん)だな」のもじり。分かりにくい〜)

 次に悩むのが、靴。
 地味なローファーは不思議になるくらい合いません。普通の運動靴も全然ダメ。その二種類しか持っていなかった私は呆然としました。ピンクハウスで黒い厚底サンダルを買い、黒タイツと一緒に履いてごまかしていたものの、暖かくなって来たらどうしたら良いか分からない。白い靴下の上に黒サンダル。か、格好悪ぅ〜!

 そんな時、「ワンダフルワールド」よりちょっと大人向けのブランド「カネコイサオ」で、バレエシューズのような華奢な靴を見かけました(小説とかぶりますね)おお、私の探し求めていたものが……! とけっこうな値段だったのに黒と茶を一足ずつ購入。ウキウキして履いて出かけたら、
「い、痛ーい!」

 何故か足の筋がつりまくって動けなくなってしまった。一応試しに履いてから買ったので、サイズは問題ないのです。きっと足の形が合わなかったんですね。細くなくて平べったいもん、私の足。それにしても、デザインが可愛い靴って、細い形のが多いよね〜 可愛い足を持たぬ者は、履くなという事か? ひどいよう。

 仕方がないので、この靴はかかとをつぶし、ゴミ捨てに行く時の「つっかけ」として転用しました。今では玄関からも引退し、ベランダで干し物をする時専用になっています。日に焼かれ、色もあせて無惨な姿に。許せ……

 その後Dちゃんが丸っこいデザインの運動靴を見つけてくれて、カジュアルなひらひら服はそれでどうにか間に合うようになりました。紺色なので明るい色の服ともケンカしません。そう、個性の強い服飾品はそれぞれを仲良くさせるのが大変なんですよね〜

 フォーマルな服にはハッシュパピーで買った黒い靴と茶色い靴を。(たいてい何でもこの二色をセットでそろえる。無難なやり方)ここのメーカーはカジュアルとフォーマルの間くらいの、可愛らしいデザインが多くて重宝します。

 しかし何といっても一番しっくり来るのは、ピンクハウスのサンダルですね。夏だけしか使えないのが難点だけど。初代のサンダルは履きに履き倒して、底がすっかり削れてしまいました。
「ゴムが無くなって、ねじ回しが見えるようになっちゃってさ」
 とDちゃんに言うと、 
「そんなものサンダルに入ってないでしょ?」
 はい。ねじ回しではなくねじの間違えでした。工具箱じゃないんだから。まあ、どっちにしろ履き過ぎ。

 現在は四代目で、ピンクハウスではなく同じ会社の大人ブランド「インゲボルグ」のものです。ラメ入りの真っ赤な(こればっかりだな〜)ペディキュアをしてこれを履くと、恐ろしいほどのマダムっぷり。黒地に大きなスズランの絵がいくつも散っているサンドレスに合わせれば無敵です。いや、誰と戦うんだろう。近所のおばさん……?

 秋の風が吹き始めた頃、私は考えました。
「寒くなったらブーツにしよう。ひらひら服に合うし、靴選びに悩まされずに済む!」
 それまでブーツ未経験だった私は、母に相談してみる事に。
「何十年も前に履いていたのが下駄箱に入ってるわよ。カビてるけど。いる?」

 そんな長期熟成したブーツ、イヤ! 母は物を大切にする(というか捨てられない)タチなので、たまにこういう訳の分からない物が発見されます。他の靴もカビちゃうから早く捨てて欲しい……
「ブーツはあったかくて良いわよ〜! ぜひ買いなさい!」
 というアドバイスに押されて、デパートへ。

 まずはピンクハウス。店員さんに出してもらうと、素直な形の編み上げブーツで見た目は良いが、ファスナーが付いていない。毎回ひもを通して編み上げろと……? ムリムリ。不器用な私に出来るはずない。却下。

 次は靴売り場へ。ちょうどブーツシーズン到来直前だったため、いたる所ブーツだらけ。選びがいがある。
「つるんとしてるのはウルトラマンみたいだから、ひもを結ぶタイプが良いんだ。ブカブカして長靴みたいなのもダメ!」
「ふうん」
 ちょうど一緒にいたDちゃんとキョロキョロ。

「のりが欲しがっているひものやつってさ……」
「うん?」
「ボクサーみたいだね」

 つるん→ウルトラマン→×
 ブカブカ→長靴→×
 編み上げ→ボクサー→×

「全部ダメになっちゃったじゃん!」
「ごめんごめん」
 どうすれば良いんだ〜 もうこれはブーツを買うなという事か? 

 さんざん悩んだ末、裏革っぽく仕上げた人工皮革の長靴ブーツを購入。ブカブカ度が低く、ひらひら服に合いそうなデザインだった。
 それなりに気に入って冬の間毎日履いていたのだが、二年目の冬にファスナーが壊れて上がらなくなってしまった。直そうともあまり思えず、すぐに捨てて、その後はブーツなしで冬を越している。ブーツとはあんまり縁がなかったのかもしれない。人でも物でも、そういうのって、あるよね。

 何だか服談義ではなく靴談義になって来たので、この辺で話題を戻しましょう。
 私は服にしろ靴にしろ、自分の着こなしに全く自信がありません。ここまでの文章を読んでもらえば分かりますよね。いつも迷って悩んでばかりいる。どんなに頑張って可愛い服を着ても、野暮ったく見えるんだろうなぁ、という寂しい諦観が消える事はない。

 それでも私は、他人がどう見るかではなく、鏡の中の私が満足そうな顔をしているかどうかを重視して、服を選びます。それが何より大切だと思うから。野暮な心は、野暮なファッションに包み込まれて初めて、居心地良く暮らせるのです。

 自己満足百パーセントの格好だというのに、たまに褒めてくれる人がいて、びっくりします。みんな体の奥の方に「野暮な心」をしまいこんでいて、それに共鳴するのかな? 金子功が生み出したひらひら服の力と言えばそれまでだけど。野暮とは言い換えれば、あか抜ける事を生涯拒否する、うぶな乙女心のようなもの。ピンクハウスやワンダフルワールドの基本理念と、そう違わない……よね。うん。

 他人に見せるための服装でない証拠に、外に出かけない日でも私はひらひら服を着ます。
「大切な服こそ日常でバンバン着る」
 が信条です。会社に勤めていた頃は、そのままトイレ掃除もしました。シンデレラ気分で幸せだった……

 ふんわりふくらんだロングスカートで日々を過ごしていると、世界名作劇場に出て来る登場人物になったような、不思議な気持ちになります。西洋の古い服に似ているせいですね。物語性の強さは洋服に不可欠だと思うのですが、どうでしょう?
posted by 柳屋文芸堂 at 22:11| 【短編小説】薄紅の家、素晴らしき世界 | 更新情報をチェックする