2012年01月09日

紫の上

 よしながふみ「大奥」に出てくる有功があまりに可哀想だったので、思わずサイドストーリーみたいなものを書いてしまいました。
 原作を読んでいないと訳が分からないと思います。


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   紫の上
 ある日、院主様の所に女が訪ねてきた。美しく勝気そうな顔に懐かしさを覚えてぼんやり眺めていると、女は真っ直ぐに院主様を見て、
「赤子が欲しいのです。どうか一夜、臥所を共にしてください」
 と言った。
「吉原で男を買うことも出来ないのです」
 その割に女は身綺麗で、地味だが仕立ての良い着物を着ていた。
「それは出来ません」
「何故ですか、村には男がほとんどおらず、みな困っています。民を救うのが院主様のお務めでしょう」
「私は見た通りの年寄りです。それにかつて妻がいたこともありましたが、子を成せず離縁されました。あなたのお役に立つこと叶いません」
 院主様は若い頃、女将軍家光―千恵様の寵愛を一身に受けられた側室であった。しかし男の少ない普通の世界で暮らす人に、男ばかりの大奥の事情を話しても、理解してはもらえぬだろう。もとより大奥内の出来事を外に漏らすのは法度である。
 離縁されたのではなく、世継ぎを儲けるため千恵様を他の男に委ねる苦しさに、自ら褥を断ったのが実際のところである。千恵様の甘い肌の香りと、深い嫉妬の苦みを思い出し、院主様は下を向いた。
「それでも構いません」
 と言うやいなや、女は院主様を押し倒した。驚いて女の顔を見ると、その目は明らかに千恵様のものだった。ずっと前に亡くなったはずなのに。夢か現か分からぬまま、院主様は女を抱き締めた。
 もう私の寝所に来てはならないと、あれほどきつく申したのに……

 それから一年後、赤子を抱いた女がやって来て、
「院主様のおかげでこのように」
 と微笑んだ。
「御祈願に来られた方ですか」
 女は少し頬を赤く染めて、
「子種をいただいた者です」
「そんなはずはない!」
「いえ、他の方とは誰とも」
 春日局の「そなたに種が無いから」という罵りが頭に響いて、気が遠のいた。そんなはずはない。千恵様は他の男の子どもを三人も産んだのだし、私とは幾つ夜を重ねても……
「失礼ですがその奥様と、片時も離れなかったのではありませんか」
「ええ、時が許す限り共におりました」
 体のつながりが無くなった後も、千恵様は私をそばに置きたがった。互いに恋をした瞬間から死の間際まで、狂おしい思いが二人をきつく結びつけていた。
「あまり長く一緒にいると、かえって子が出来にくくなるそうですよ。ほら、光源氏と紫の上がそうでしょう」
 急に赤子が泣き出して、女はバア、バアと不思議な声を上げながら機嫌を取った。私のいることなどまるで気にしていない様子だった。
 どこから見ても千恵様とは似ていない。あの日の勘違いは何だったのか。
「仲睦まじいお二人が目の前に見えるようですよ」
 赤子が泣きやむと、ぺこりと頭を下げて女は帰っていった。
 南無阿弥陀仏
 南無阿弥陀仏
 こんな風に涙を流したのは久しぶりだ、と思った。

 (終わり)
posted by 柳屋文芸堂 at 22:43| 【二次創作】紫の上 | 更新情報をチェックする