2011年07月24日

伯母(小)のこと

「なるべく長く息をしているつもりだ」
 と強い意欲を見せていた伯母(小)ですが、2011年7月2日のお昼頃、息を引き取りました。
 82歳でした。

 5月の入院で回復したものの、6月半ばから伯母(小)の体調は下降線をたどり、入院前の3日間は食事が全く取れなかった。
 7月1日には水さえ飲めなくなったので、救急車を呼び病院へ。
 運良くいつもの先生に診てもらえることになった。

 病室に入ると、伯母(小)は何故か私の腕をぐいと強くつかむ。
 何か言いたいことがあるのかと聞いてみるが、上手く話せない。
 メモを渡してもあまり沢山の文字は書けない。

「帰るね」
 と言うと、
「もう帰るのか」
 と、かすれた声。

 いつもなら、
「早く帰りな」
 って言うのに。
 いつまでもいて欲しそうな顔をする。

 どうしたものかと困りつつ、用事もあったので帰ることにした。

 次の日(7月2日)の朝6時前、病院からの電話で起こされる。
 状態が急変したとのこと。
「どれくらいで来られますか?」
「1時間くらい……」
「えっ」
「千葉なんです」
「そうですか…… 姪御さんが来るまで血圧を上げる薬を使ったりして持たせますか?」
「いえ、自然でお願いします」

 電車とタクシーを乗り継いで、7時前に到着。
 まだ生きていた。
 酸素マスクをしていて、息が荒い。
 でも私をちゃんと見ている。

「あー、良かった。ずいぶん元気になった」
 と看護婦さん。
「これ元気っすか?」
「さっきまでほんと酷かったのよ〜 すごい息で、顔も動かなくて」

 伯母(小)は悲しそうな目で私を見ている。
 手をお腹のあたりでクルクルさせるジェスチャー。

「お腹痛い」か「お腹苦しい」か「気持ち悪い」か。
 とにかくそんなところだろう。
 私にはどうすることも出来ない。
 伯母(小)の目をじっと見つめて、肩をさする。

 9時頃、いつもの先生が来てくれた。
 別の部屋で説明を受ける。
 血液の数値が非常に悪く、一時しのぎの対症療法しかもう出来ない、とのこと。
 あとは延命治療だと言うので、きっぱりと断った。

「私の家は短命の人間がすごく多いんです。だから他の家ほど長生きにはこだわりません」
 自分でも驚くほど落ち着いていて、迷い無しに言葉が出てくる。
「死には馴染みがあります。今はやれることは何でもやっておこう、みたいなのが多いんでしょうけど」
「そうですね、もうここは、山奥の診療所のような死生観でいいんじゃないかと」
 面白いことを言う先生だ。

「私の家は一昔前みたいな考え方の家なんでちょうど良いです」
 微笑みさえ出る。
「それよりとにかく、お腹の苦しいのを取ってあげられませんか?
 死ぬことより苦しいことの方がイヤだと思うので」
「まあでも、死の恐怖というものもありますしね」

 そうか。伯母(小)は怖がっているかもしれないんだ。
 苦しみを取りのぞくことばかり考えていて、気付かなかった。
「でも伯母の頭はたぶん、苦しいよ、という気持ちでいっぱいだと思います。
 そういうジェスチャーをするので」
「分かりました。息が浅くなってしまうのですが、意識をボーッとさせる薬を使いましょう」

 説明に使ったメモを片付けながら、先生は続けた。
「親戚を呼んでください」
「もう、彼女を愛した人たちはみんな死んでしまったので……」
 ここで少し、泣きそうになった。
「とりあえず、妹だけ呼びます」

 母に電話すると……
「えーっ お母さん、飲んじゃった!」
「朝から?! 夜だけにしろって言ったのに」
「だって、昨日のお酒が目の前に残っているんだもの〜」
 私は6時前に起こされて、飛んで来たっていうのに、もう〜

 病室に戻り、また伯母(小)と見つめ合う。
 点滴にボーッとする薬は入れてもらえたのだろうか。

 伯母(小)は人差し指を空中に伸ばし、何か書いて伝えようとする。
 まさにダイイング・メッセージ!
 でも内容は分からない。
 ボールペンを持たせても落としてしまう。

 口もパクパクしている。
 声は出ない。
「ごめんね、何て言ってるか分からなくてごめんね」
 と耳元で言う。
 耳も悪いから、聞こえているかどうか。

 そのうち私のことを指差し、電話するジェスチャーをし始めた。
「お母さんに電話するの?」
 かすかに首を振った気がした。

 後で考えてみると、
「お前は電話で呼ばれて来たのか」
 という意味だったのかもしれない。

 あんまり激しくジェスチャーしていたものだから、点滴を挿しているところから血がもれ始めた。
 看護婦さんを呼んで直してもらい、その点滴をしている手を握ることにした。
 冷たい。
 でもまだ動いている。
 少しだけ握ってくれる。

 11時頃、母到着。
「〇〇さーん!!(←伯母(小)の名)」
 と呼んでおでこをぺしぺししている。

 もうあまり反応がない。
 目は開いているが、こちらを見てはいない。
 息だけは続いている。
 
 母も先生から軽く説明を受ける。
「この子(私のこと)に任せているので」
 と特に異議なし。
 それより先生をいじり倒す。

「まーっ こんなにお若い方とは!」
 と言ってもおじさんである。
「柳田さんに比べればみんなお若いのでは……」
「姉はこの病院が大好きだったんですよ。みんなとっても良い人だって言って。
 今回もここに入れて本当に良かった!」

 ナースステーションの前のソファーで、母は差し入れを広げた。
「あんた、お腹空いてると思って。サンドイッチに、おにぎりに……」
「何これ?!」
 なんと袋から豚足が。
「ちょっと、シチュエーションと小道具が合ってないよ!!」
 つくづく変な親だ、と感心する。

「これからどうしようか。先生は今日明日だって言ってるけど」
「お前、一回帰ったら?」
「一度帰ってまた呼び出されるのもね…… お母さんこそ帰った方がいいんじゃない?」
 家にはもう一人病弱な年寄り(伯母(大))が待っているのである。
「夕方くらいまではいようかと……」

 長期戦かしら、と病室に戻ると、先生が来ていた。
「ボーッとする薬は入れたんですか?」
「いえ、入れませんでした。たぶんもう今は、患者さんにとっては苦しくない状態になっていると思います」
 古風なやり方で終わりに向かっているわけだ。

 母と一緒に病室を出て、また戻ろうとすると、看護婦さんたちが病室の前に集まっている。
「呼吸が下がっています」
 モニターの数値がどんどん小さくなっている。
 いよいよだ、と思ったら涙がポタポタ出た。

「そうだ、まだ耳が聞こえるかもしれない」
 私は伯母(小)の少しは聞こえる方の耳(左側)に口を寄せて、叫んだ。
「ありがとうね!!」

 本当は、
「自分の子どもではない私を育ててくれてありがとう」
 と言いたかった。
 しかし母がいるので悪くて言えない。
 だから、
「ごはんをいっぱい作ってくれてありがとうねー!!」

 振り向くと、先生も来てくれていた。
 モニターは小さな波を映している。
「まだ、生きてます?」
「いえ、体の反応が残っているだけです」
 先生は瞳孔を調べ、
「12時23分、ご他界されました」

 さっきまで明るく立ち働いていた看護婦さんたちが、急にしんみりした雰囲気になる。
「これから点滴などを抜いて、体を清めることになります。
 でもその前に、お別れの時間も十分に……」
「いえ、もうしっかりお別れしたのでけっこうです。
 どんどん次の作業を進めてください」

 冷たい女と思われたかしら。
 でも基本的に私は、相手に何か出来るのは生きているうちだけ、と思っているのだ。

 これからの流れを看護婦さんと相談し、母が持ってきた互助会のパンフ(酔っていたのに用意が良い!)を見て電話。
 互助会の手際の良さはさくらももこのエッセイ(友蔵の葬式の話)などで知っていたが、本当に何もかもトントンとやってくれた。車を用意してくれて、伯母(小)を互助会が持っている霊安室へ運ぶことになった。

 看護婦さんや先生はエレベーターの前に並んで見送ってくれる。
「最期までこちらで診ていただけて本当に良かったです。
 ありがとうございましたー!!」

 これで終わりかと思ったら、出口(裏口)にもまた並んでくれる。
「みなさん忙しいのに!!」
 何しろこの病院は患者が多く、外来の待合室は満員電車みたいになっているのだ。

 死んじゃった人のためではなく、生きている人たちのために時間を使ってください、と言いたかったが、ふと、医者や看護婦にはこういう「死を思う」時間も必要なのかもしれない、と感じた。
 彼らは命を扱うプロなのだから。
 生と死、両方あっての命なのだから。

 死んじゃうのは怖かったかな?
 苦しかったかな?
 私がそばにいたことは、少しは助けになったかな?

 一生懸命やったつもりだけど、あれこれ後悔することもある。
 前の日もっと長く一緒にいてあげれば良かったな、とか。
 もっと優しく出来た場面もあったんじゃないかな、とか。

 立派な人ならば、完璧な対応が出来たのかもしれない。
 でも、私の能力に限りがある以上、これより良い結果を望んでも仕方ない。
 私なりに最善を尽くしたのだ。

 私は伯母(小)が大好きだった。
 妹が突然連れて来た、父親が誰かも分からない赤ん坊。
 普通だったら虐めたっておかしくない。

 しかし伯母(小)は、いつも美味しい料理を作ってくれて、私の体を育ててくれた。
 欲しい物があれば買ってくれた。

 もし母一人だけに育てられていたら、私の体は貧弱になり、お金が足りなくて大学にも入れなかったかもしれない。
 そうなっていたら、Dちゃんにも出会えなかったのだ。

 私は恩を返せただろうか。
 愛は伝わっていただろうか。

「天国でロッキー(伯母(小)が可愛がっていた犬)と会えて、幸せに過ごせる」
 というような考えを持てれば、私も救われるのだが。
 残念ながら私は、現世の苦しみや痛みや悲しみや喜びや快楽のようなもの、「まさにそこにある感覚」以外、頼りに出来ない。
 死後の世界を否定はしないけれど、必ずあると言い切れないものに人生の価値を預けられないのだ。

 真夏のベランダをじじじじと這いずり回るセミのように苦しむ伯母(小)を、ただ見ていることしか出来なかった。
 手をつなぎ、肩をさすることしか出来なかった。

 死はその人のものだ。
 他の誰も、かわって背負うことは出来ない。

 ごめんね。
 ごめんね。
 ありがとう。

(伯母(小)のこと おわり)
posted by 柳屋文芸堂 at 09:31| 【エッセイ】伯母(小)のこと | 更新情報をチェックする