2007年08月17日

鳥のいる場所(その1)

一、竹林

 私の家は小さな山のてっぺんに立っている。この山は雑木林に覆われていて、沢山の植物が生えている。何の世話もしないのに、必ず花を咲かせる露草や曼珠沙華。愛らしいどんぐりを落とす、背高のっぽのコナラやクヌギ。桜も何十本か植えてあり、うちの敷地で花見が出来る。
 あらゆる木々は冬に葉を失くし、河の形で空を指すが、山の上から中腹まで続く竹林だけは例外だ。葉が色づくのはほんの一瞬で、年中豊かな緑の葉が揺れる。
 うちの庭はこの竹林に面している。私は自分の部屋のガラス戸から、竹と空を見て暮らす。私の部屋は異常に広い。町会中の人々を集めて宴会をやっても、まだ畳が何枚も余ると思う。
 この部屋を使っているのは私だけだ。部屋には机しか置いていない。寝る時は布団を部屋の真ん中に敷き、高校の生物の授業で習った「植物細胞の構造」を頭に思い描きながら目を瞑る。この部屋を一つの細胞に見立てるのだ。部屋を囲む障子や雨戸は、植物だけにある堅い細胞壁。空間を充たす液の中を、ミトコンドリアと緑葉体がゆっくり巡るのを想像する。私は染色体を抱える核の役だ。漂う自由さと、絶対になくてはならないという束縛感が、いつでも私を安心させる。
 外を見ながら寝るために、ガラス戸の側に布団を敷く時もある。
 例えば、とても風が強い日。竹はしなやかにたわみ激しく躍り、全ての葉と葉が擦れ合い、打ち合う。そのざわめきは少し波に似ている。無数の小さな泡が、壊れて消える時の響きに。
 そして、滅多にないけれど、雪で景色が真っ白になる日。竹の葉は雪に動きを止められて、いつもの音は吸い込まれたようにいなくなる。ほのかに光を含んだ雪の竹林を見ると、気持ちが高ぶり眠れやしない。
 その日は、星の綺麗な日だった。何かを訴えているような星の瞬きを見て、ふと「星は、本当に星なのだろうか。」という疑問が浮かんだ。ある日突然、世界で一番偉い天文学者が、こんな発表をしたらどうだろう。
「星は、光を発する球体などではありません。北極星もシリウスも、夜空に空いた穴なのです。外側に満ちる強い光が、穴からこぼれているのです。今まで嘘ついてて、ごめんなさい。」
そのくだらない星穴論より、生真面目そうな顔で謝る学者の方が、私の心を捉えてしまった。きっとこの人は、子供の頃から星ばかり見て、今も星のためだけに生きているのだ。
 プラネタリウムで目を回す夢でも見ようと、布団に深く潜ろうとした、その時。竹林におじいちゃんが入って行くのが見えた。こんな夜中に何だろうと、不思議に思っているうちに、おじいちゃんの声が聞こえ始めた。叫びでもなく、つぶやきでもない。はっきり聞き取れる言葉を、何度も何度も繰り返した。
「みの。」
これは、おばあちゃんの名前だ。
「よしゆき。」
これは、お父さんの名前。
 呼ばれているのが私の名なら、すぐにでも飛んでいくのに。
posted by 柳屋文芸堂 at 01:26| 【中編小説】鳥のいる場所 | 更新情報をチェックする