2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その5)

 曖昧な、覚えていられない夢をいくつも見た。普段と違う寝方をしたから眠りが浅かったのだろう。起きてみるとまだ六時前で、司は昨日と同じ形でよく寝ていた。僕はシャワーを浴び、卵とベーコンと高菜漬けでチャーハンを作った。仕上げに白ごまをさらさら入れる。
「翼、ごめん」
「うわーっ!」
 気付いたら、幽霊みたいにどよーんとした司がすぐ横にいた。
「脅かさないでよっ!」
「翼、昨日、ごめん」
「悪いと思ってるならすぐ食べて! 顔だけ洗って。洗面台はそっち!」
 テーブルに着いた司は泣いてこそいないものの、昨日と変わらず暗かった。一晩寝て解決する問題じゃない。司の沈んだ視線の先に、出来たての高菜チャーハンを置く。
「司、これ半分食べられる?」
 僕はメロンをかかげて見せる。
「けっこう大きくない?」
「無理?」
「ううん、食べられる」
「じゃあ切るからチャーハン先に食べてて」
 メロンを半分に切ってスプーンと一緒に出し、僕も高菜チャーハンを食べ始める。
「メロン、種は自分で取ってね」
 司は顔を上げた。唇に米粒を付けたままなのがメチャクチャ可愛くて、僕は突然泣き出したいような気持ちになった。でも我慢した。力を振りしぼって何でもないふりをした。
「翼って一人暮らしなんだよね」
「うん。……唇にお米付いてるよ」
 司は近くにあったティッシュで口を拭いた。少しホッとする。
「どうしてこんな贅沢出来るの?」
「贅沢?」
「メロンって高いんでしょ。自分で買ったことないから値段は知らないけど」
「母親が送ってくるんだよ。一人でダンボール一箱分のメロンを食べたら、いくら好きでも飽きるよね」
 メロンは熟れ過ぎて、少しお酒になってしまったのではないかと思うような香りが立ち昇っている。司は種を丁寧にすくってよけた。
「こんな風にメロンをグレープフルーツみたいに食べるの初めてだ」
「グレープフルーツもあるよ! 持って帰る?」
 司は僕を見て少し笑った。司の笑顔を見るのは初めてかもしれない。直視出来なくて、僕は下を向きメロンを真剣に食べた。頭がぼんやりするほど甘かった。
「チャーハンもメロンもすごく美味しかった。ありがとう」
 昨日よりは落ち着いた様子に見えたので、僕は自分の考えを伝えることにした。
「司。アキラにちゃんと付き合いたいって言いなよ。アキラが恋人という制度が嫌いでも、司がそれに合わせる必要はないと思う」
 司はおびえた表情で僕を見て、すぐ目を伏せた。無言になった後、再び視線が合った時には、瞳が潤み、声も震えていた。
「出来ない。俺、弱くてごめん」
「いや別に僕が口出す話じゃないし! 余計なこと言ってごめんね。気にしないで」
 また泣き出すかと心配したけれど、司はいつもの不機嫌そうな顔でじっとしているだけだった。
 結局、司にはメロンを二つ、グレープフルーツを三つ持たせた。
「迷惑かけて、お土産までもらって」
「食べ切れないんだから良いよ。駅まで送ろうか?」
「道分かるから大丈夫」
 もうアキラと会うのはやめなよ。悲しくなるばかりだよ。とは言えない。悲しくても苦しくても、司はアキラに会いたくてたまらないんだ。
「僕、東京にそんなに友達いなくて、一人暮らしだし、寂しいんだ。だから司、いつでもうちにおいでよ。ちっとも迷惑じゃないよ」
 早口で言いながら、毎回僕はみっともないなと苦笑したくなる。
「ありがとう」
 司を送り出した後、自分のベッドに顔をうずめた。馬鹿な司。馬鹿な僕。司が着ていたパジャマを抱きしめる。僕も司のように泣くのだろうか。僕が泣く時はきっと、このベッドに一人きりだ。東京に「助けて」と言える相手などいない。
 寝不足で頭に膜が張っている。でもバイトがあるから眠ってしまう訳にもいかない。僕は体を起こし、いつものように電子ピアノの前に座った。司と出会ってからずっと心の中で鳴り響いている旋律に、和音を付けてゆく。和音が僕の知らない旋律を呼び、それがまた和音を生む。僕はなるべく何も考えないようにして、観客のように指先が奏でる音楽を聴いた。
 自分の両手だけが本当の友達で、あとは世界中見知らぬ人しかいないような気持ちになりながら、僕は分厚い音の繭に閉じ籠もった。


posted by 柳屋文芸堂 at 10:48| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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