2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その11)

「私の性愛の対象は少年だ。
 特に制服を着た中学生、高校生を見ると、毎年歳の差が離れていくにもかかわらず、むしろ離れれば離れるほど、彼らは不可侵の神聖な存在として、私の背徳の扉をノックする。
 彼らは本質的には聖なる者ではなく、日々の不愉快と闘い、将来に不安を抱く未熟な大人に過ぎないのだろう。
 彼らを神にしているのは私の中の後悔だ。自らの性的欲求を封じ、自己憐憫の中毒のようになって、恋愛だけでなく友情にまで背を向けた頑愚な私。
 やわらかな少年であるうちに、傷付くことなど怖れずに、私は誰かを愛するべきだったのだ。たとえ叶わぬ恋であっても、そのあたたかみがもしあれば、心がこんな形で固まってしまうことも避けられたかもしれない。
 私は幻想の中で少年と交わる。
 その時私も少年になっている。
 少年時代を生き直すことが、不可能な試みであることを知りながら」

 回りくどい言い方してるけど「制服の男子を思い浮かべて一人エッチをしています」ってことだよね。僕はいつも適当に翻訳しながら光一のブログを読んだ。
 僕がこんな危ない(そしてけっこう痛々しい)おじさんと知り合ってしまったのは、高二の時の夏休みの宿題のせいだ。「中勘助の『銀の匙』を読んで千字以上の感想文を書け」というもの。僕は進路を私立理系と決めていたから、受験に使わない科目の宿題というだけでうんざりしていた。さらに悪いことに、僕はこの本の面白さがちっとも分からなくて、十ページも進まないうちに文字を追うのが苦痛になった。
 ネットで検索して誰かの感想を切り貼りしよう。そうやってたどり着いたのが光一のブログだった。光一は「銀の匙」に思い入れがあるらしく、ダラダラと長い意見を書いていた。この話に対してそんなに言うことがあるのかと、感心するよりあきれてしまった。
 さて、どこを使おう。読みにくい文章を拾い読みしているうちに「銀の匙」の次の記事が「少年」というタイトルであることに気付いた。開けてみると「私の性愛の対象は少年だ」で始まっている。当然、退屈な本の話より興味を引かれた。
 制服の男子が好きということは、僕を見ても興奮するのかな。不思議と気持ち悪いとは思わなかった。直接会ってからかってみたい。「こーいち」の文章から弱い大人を想像し、何があっても勝てる気がした。
 僕は「銀の匙」の記事にコメントを残した。

 高校の夏休みの宿題で「銀の匙」の感想を書かなくてはいけなくて、すごく困っていました。こーいちさんの論文を使わせてもらおうと思います。ありがとうございました。

 何も言わずに借用することも出来たけれど、こうすればこーいちが喜ぶと思ったのだ。
 その日は文章を上手くまとめられず、次の日に再び記事を見てみると、こーいちの返事があった。

 読書感想文が苦手な人は多いみたいだね。私は頼まれてもいないのにこんな文章を書き続けている人間だから、作文の宿題で困ったことはないけれど。
 ところで君は「銀の匙」を読んだのかな?

 僕は素直に答えた。

 読んでないです。全然面白くなかったから。

 それに対してこーいちは長いコメントをくれた。

 面白くなかった、というのは立派な感想だと思うよ! 人生は短く、学生の日々は宝石よりも貴重なのだから、面白くない本を読んで時間を無駄にする必要はない。君の判断は賢明だ。
 けれども「面白くなかったです」とだけ書いて提出したら、先生は宿題をやったとは認めてくれないのだろうね(何故だろう? これ以上正しい感想はないのに!)
 何か良い案はないかと考えてみた。
「銀の匙は面白くなかったので、別の本を読んでみました」
 と、自分の好きな小説の感想を書いてしまうのはどうかな? 先生は苦笑はしても怒りはしないと思う。これで君の国語の成績が悪くなってしまったら申し訳ないけれど。

 好きな小説。何かあったかな。漫画なら数え切れないくらいあるのに…… あ。僕はトイレで読んだ本を思い出した。
 うちのトイレにはいつも必ず古い文庫本が一冊置いてある。「トニオ・クレエゲル」「車輪の下」「若きウェルテルの悩み」等々。父親が若い頃に読んでいた本だ。ドイツ語が使えるようになって日本語版はいらなくなり、トイレに長居する時に雑誌みたいにパラパラめくっているのだと思う。
 どの本もタイトルと一ページ目しか読まなかったけど、カフカの「変身」という小説だけは最後まで読んだ。主人公の虫が可愛かったから。
 僕は虫になっていると同時に、外側からも虫を見ている。虫がドアの鍵を口にくわえてケガをして体液をポタポタ落とした時、僕の口も痛くなったし、
「鍵は僕が開けてあげるよ」
 と言って虫の背中をぎゅーっと抱きしめてあげたくもなった。虫の可愛さを中からも外からも満喫出来るのが楽しい。読み終えた後、体に「虫っぽさ」が残るのも得した感じがする。
 そんな内容で書いていったら簡単に千字を超えた。これで一つ宿題が終わったとホッとした。


posted by 柳屋文芸堂 at 10:42| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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