2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その12)

 言われた通りのやり方で感想を書いたと伝えると、こーいちは読みたいと言ってメールアドレスを教えてくれた。文書ファイルを送信すると、こーいちから情熱的な返事が届いた。

 君には文才がある!

 文才なんてある訳ない。こーいちに文才が無さ過ぎるだけだよ。そうため息をついた後で、僕は褒め言葉の本当の意味に気付いた。
 光一(メールの署名は本名の坂倉光一だった)は僕に気に入られたいんだ。何しろ僕は「憧れの男子高校生」だから。実物の僕を見せてあげたいな。

 九州に来る予定はありますか?

 と聞いてみた。すると、

 来るも何も、住んでいるよ。福岡です。

 福岡と言うから「福岡市」かと思ったら大牟田だった。僕のいる街から車で一時間ほどの場所だ。僕は熊本に住んでいることを伝え、

 光一さんに直接会って、お話したいです。

 と言った。光一は快諾し、週末に熊本市内まで来てくれることになった。
 制服で行った方が良いかな。登校日でもないのに不自然だ。僕はバックベアードがプリントされた黒いTシャツとジーンズで、光一が指定した観光客向けの高級焼肉店に向かった。入り口で僕は何も言わなかったのに、個室に通された。
「翼くん?」
「はい」
 淡いピンクのワイシャツを着て、眼鏡をかけたおじさんがテーブルの奥に座っている。光一は想像していたより体が大きく、特に肩幅が広かった。座高からいって背も割と高そうだ。
「サッカー部?」
「いえ」
「君の歳だと『キャプテン翼』は知らないか……」
「名前は知ってますけど、読んだことはないです」
「僕が学生だった頃にちょうど流行っていてね。野球よりサッカーをやる子が多かったよ」
 光一が「私」ではなく「僕」を使ったので、あれ? と思った。
「翼くんは、球技では何が好き?」
「球技は家で禁止されているんです」
 光一は驚いたらしく、そのまま固まってしまった。
「ピアノを弾くから。母が嫌がるんです。直接ボールを触らなくても、飛んできて手にぶつかったらと思うと、心配で貧血起こすって」
「じゃあきっと君は、ピアノがすごく上手いんだろうね」
 僕は首を振った。
「お姉ちゃんの方がずっと上手いです。僕はただ楽しく弾いているだけで、そんなに努力しないから」
 光一は微笑んだ。これまでの交流で抱いていた「弱そうな人」という印象は、この時に「優しそうな人」へと変化した。
「楽しんで弾いているなら何よりだ。やりたいことを我慢してピアノの練習をさせられているんじゃなくて良かった」
「やりたいことは我慢しないです。絶対に」
「読みたくない本は読まない」
「会いたい人には会う」
 僕は光一の目をじっと見つめ、意味ありげに笑ってみせた。光一は視線をそらし、この店のメニューを説明し始めた。
「これで良いかな?」
 光一は一番高いコースを指差す。
「これだと肉ばっかりですね」
「ここは焼肉屋だから」
「もっと野菜を食べたいです」
「ごめんね、肉嫌いだった?」
「野菜と肉を一緒に食べるのが好きなんです。うちでいつもそうしているから」
 光一は少し考えて、コースをやめて単品でキムチとサラダと野菜の盛り合わせを頼んでくれた。もちろんカルビやハラミやタンも。
「熊本は肉も野菜も米も美味しくて素晴らしい場所だ」
 光一は熱々の脂のしみ出た焼肉をタレにつけて頬張り、左手に持った大盛りのご飯をかっ込んだ。僕は肉よりカボチャを食べた。遠慮したのではなく、焼いたカボチャはお菓子みたいで美味しいから。
「高校生は肉が好きだろうと思ってこの店を選んだのだけど、僕の方がいっぱい食べてるね」
「肉より甘いものが好きです。でも肉も嫌いじゃないですよ」
 知らないおじさんと二人きりで焼肉を食べている。自分が置かれた奇妙な状況にまだ慣れない。この個室だけが現実世界を離れ、空中に浮かんでいるようだ。
「ああ、美味しかった」
 光一は食事を終えると、膨らんだお腹を満足そうにさすった。僕はデザートに、エスプレッソコーヒーがかかったバニラアイスを食べた。
 食後は大牟田の方に向かってドライブすることになった。光一の車は軽自動車みたいに小さくて、真っ赤だった。女の子が好みそうなデザインだと思った。
 僕は助手席に座ってすぐに寝てしまった。車が動いてないのに気付いて目を覚ますと、フロントガラスの前に広がっているのは道路ではなく、海だった。
「おはよう」
「僕、どれくらい寝てました?」
「だいたい一時間かな。この少し先が福岡との県境だよ」
 車から降りて砂浜に立つと、湿って重たい海風が全身に当たる。
「人、いないですね」
「このあたりは浅くて泳げないから。今日は天気もあまり良くないし」
 光一が波打ち際の方に歩いていったので、僕もついていく。
「晴れた日に見せたかったな。僕は曇りの日のこの風景も好きだけど」
 小さな波が寄せて返すだけの、何の変哲もない海だ。そんな風景より光一に興味があった。遠くを見つめて立ち尽くす光一の背中に、僕は抱きついた。まるで僕の体がはまるのを待っていたかのように、ちょうど良い形でくぼんでいる。腰をぎゅっと押し付けると、冷房で冷えた体が温まった。
 光一は僕の腕をほどいてこちらを向いた。僕たちは何も言わずに見つめ合った。
「ごめん」
「嫌でしたか?」
「そんなことない。人に触れられることがあまりないから……」
 足元まで来た波をよけようとして、光一は転びそうになった。腕をつかんで助ける。
「上手く歩けない」
「大丈夫ですか?」
「動揺してる。ものすごく」
 光一はその場でしゃがみ込み、頭を抱えてつぶやいた。
「不純な気持ちになってしまったんだ。君は僕を軽蔑していい」
「不純な気持ちって?」
「胸がドキドキした」
 光一の深刻な声が可笑しくて、笑ってしまった。
「ドキドキするのは不純ですか?」
「僕はゲイなんだ」
「僕もですよ?」
 光一は僕を見上げる。眼鏡の奥の目が潤んでいた。
「分かっていてやったの?」
「光一さんが喜ぶかと思って」
 光一は立ち上がり、眼鏡を外してハンカチで拭いた。崩れた前髪がおでこにかかり、別人みたいに子供っぽく見える。その時に僕は「この子を守りたい」と思った。光一は僕よりずっと年上なのに。色んな価値観がひっくり返ってゆく。
「ブログ、銀の匙の感想以外も読んだんだ」
「全部読みました」
「全部?」
 光一は眼鏡をかけ直して目を丸くする。
「同性愛を嫌う文章が多くて悲しかった。僕まで否定された気分になりました」
 光一は首を振る。
「否定しているのは同性愛ではなく、僕自身だ」
「同じことですよ」
 光一の黒目をにらむ。おびえて泣きそうになっている。やっぱりこの人は弱い大人、大人のふりをしている子供なんだ。
「そんなに悪いことですか?」
「自然に反してる」
 僕は大笑いして、目じりの涙をぬぐいながら言った。
「じゃあこれから僕は、自然に則したことをしますね」
 背伸びして光一の唇に自分の口を押し付け、歯を開かせて舌を入れた。同時にズボンの中に右手を突っ込む。そんなことをするのは初めてだったけれど、光一が無抵抗だったから割と上手くいった。
 光一のを触りながら口だけ離す。
「これが僕のしたいことです。したいことをするのは自然なことだと思いませんか?」
「とりあえず、ここじゃまずいよ」
 背中にしがみつき、ほとんどぶら下がるようにして耳にキスをし、そのままささやいた。
「二人きりになれる場所に行きましょう」


posted by 柳屋文芸堂 at 10:41| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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