2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その15)

 春休みに一緒にスキーに行こうと司に誘われた。二つ返事でOKしそうになって、すぐにハッと気付いた。
「やったことないから、お荷物になっちゃうよ。いっぱいすべりたいんでしょ?」
 司は首を振った。
「スキーがしたいっていうより、翼と旅行に行きたいだけだから」
 僕と旅行したいってどういう意味? 夜のお楽しみ〜? と頭の中だけで叫ぶ。そういう展開はないだろうなと最初から諦めている。司は時々思わせぶりなことをしたり言ったりするけれど、相変わらずビクビクと神経をとがらせて生きており、恋愛やセックスなんてまだまだ全然無理だと分かっている。
 司を元気にしたい。でも元気になったら僕ではない誰かを好きになってしまう気がする。僕は司が好む男のタイプとずいぶん違うから。アキラに似ているなんて言われたらムカつくし。
 車酔いしやすいと司が言うので、僕たちは高速バスではなく新幹線で新潟に向かった。駅からタクシーに乗ってたどり着いた「ホテル・ビアンカ」は合宿所のような雑な宿だった。受付の横に黒っぽく薄汚れた鹿が立っている。
「あっ、鹿のくん製!」
 僕が指差して大声で言うと、司はじーっと僕を見た。
「もしかして、はく製って言いたかった?」
「あれっ?」
 司は目を細めて微笑んだ。
「翼は何でも食べ物にしちゃうんだね」
 司は板とかウェアとか、スキー用品一式を自前で持っていて、それらは全部宅急便で無事に届いていた。僕は何も持ってないから、全て宿で借りることになっていた。
「ダサい……」
 選べるのはサイズだけで、ポリバケツ色の全然格好良くないウェアを渡されて絶望した。古くてちょっと破れているところもあるし。
「雪の中でも目立つから、遭難した時にも安心、とか」
「良いよ、無理に慰めてくれなくても」
 司は目尻にしわを寄せてクスクス笑い、そんな表情を見られたからこのウェアで良かった……とまでは思えなかった。
 外は雪が溶けてしまうんじゃないかと不安になるほどの快晴で、遭難する心配はなさそうだった。
「えっ、リフトに乗るの?」
「乗らなかったらすべれないよ」
「でも僕まだ、板付けて三歩歩いただけだよ? それもけっこう重くて大変だなぁって」
「すべれば重くないよ」
 リフトは二人乗りで、想像したほど怖くはなかった。落ちても下は雪だから平気な気がするけど、どうなんだろう。ケガをしたらお母さん怒るだろうな。
 リフトから降りる時にちょっとコケて、でもどうにか僕は初心者用コースのてっぺんに立った。
「スケートやったことある?」
「ない」
「ローラースケートは?」
「ないよ」
「そういう人にどうやってすべり方を教えれば良いんだろ?」
 司は手袋をはめた手をあごに当てて思案した後、ついっとすべり始めて十五メートルくらい下で止まってくるりと振り向いた。
「こうやってみて」
「いや、無理だから!」
 すべり方は分からなかったけど、司に教える才能が全くないことだけはよく分かった。仕方ないので他の人のすべる姿を観察し、見よう見まねで体を動かした。僕とスキー板は摩擦の少ない斜面をするする落下する。うん、これ、重力加速度……
「どうやって止まれば良いの〜っ?」
「止まるぞ、って思えば」
「ギャーッ」
 司にぶつかるのを避けようとして派手に倒れた。
「大丈夫?」
「たぶん……」
 腕と手に変な痛みがないか触って確認する。お母さんが怒ったり泣いたりする姿が頭に浮かんで、僕も泣きそうになる。
「初めてやる人にとっては、スキーって難しいんだね」
 司は当たり前のことを不思議そうに言う。
「司は苦労しなかったの?」
「子供の頃に親に教わったから、すべれないのがどんな感じか覚えてない。でも他のスポーツに比べたらスキーは簡単だよ。俺も一年振りだけどすぐ思い出したし。他のは練習しないと鈍るじゃん?」
 もうこの人はいないものと考えよう。司は銀色のアクセントが入った黒いウェアで、すべる姿も動きに無駄がなくて格好良くてドキドキしたのだけど、先生として頼ろうとしたらひたすら腹が立つ。
 ちょうど良くお父さんにすべり方を教わっている小さな男の子が近くにいたので、僕は耳をそばだててそのレッスンを勝手に受講した。板をハの字にして、蛇行。ふむ。男の子と同じようにしたらそれほど加速しなくて済み、転ばずに司のそばまで行けた。
「ね? 簡単でしょ?」
「うーん……」
 司は嬉しそうに笑い、板を並行にそろえるプロっぽいすべり方で、シャーッ、シャーッと雪面を降りていった。


posted by 柳屋文芸堂 at 10:38| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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