2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その17)

 お風呂ではなるべく司の裸を見ないようにした。着替えさせたこともあるし、そんなに意識する訳ではないのだけど、自分の体の醜さを思い知るのが嫌だった。痩せていて肌は白く、筋肉なんてどこにもない。司が僕ではなくアキラを選んだのも仕方ないなと思う。僕みたいな体に興奮するのは少年好きのおじさんだけだ。
 宿の名前がプリントされた浴衣を着て(司とおそろいでいられるのが嬉しかった)布団に入る。スキーの疲れと温泉のお湯のせいで全身がいつもと違う。重たいような、心地好いような。
「翼と旅行するの楽しい」
 司はこちらを向いて微笑みながら言った。
「そう?」
「うん。どっちかが急にインフルエンザにかかったりして行けなくなったらどうしようって、ずっと心配してたから、来られて本当に良かった」
「流行ってるもんねー、インフルエンザ」
 僕は布団の中でうつ伏せのまま伸びをした。
「翼。俺もう誰も好きにならないようにして、翼に迷惑かけないようにするから。だから、ずっと仲良くして欲しいんだ」
 ん? 今なんか絶望的なこと言わなかった? ずっと仲良くして欲しい。そう言ってもらえるのは幸せなことだし僕もそうしたいけど、その前。もう誰も好きにならないようにするって、どういう意味? 僕だけが好きで、他の誰も好きにならないということ? 違う。司は僕に恋してない。それくらい分かる。
 僕が何も答えずにいたら司は不安になったようで、少し上ずった、いつもと違う声で畳みかけるように話し始めた。
「俺みたいな奴と一緒にいても何も良いことないし、翼は優しいから俺に冷たく出来ないのを利用して、翼から与えてもらうばっかりで何も返せない、自分がどうしようもない奴だって知ってるけど、でも翼を失ったら俺、何もないんだ。何も」
 しまった。司、おかしくなりかけてる。僕は慌てて布団を出て、司の頭を撫でた。
「司と一緒にいるの、僕も好きだよ。『与える』とか『返す』とか考える必要ないって。友達なんだから」
 友達。声として発せられて明確になったその言葉は、僕の心をざっくりと切り裂く。
「もし気になるなら、僕が困った時に助けてくれれば良いんじゃないかな」
「翼も恋愛で悩んだりすることあるの?」
 現在、その真っただ中ですが! しかしその手の質問には慣れているので驚かない。司に言われるとさすがにため息が出るけど。
「『悩み無いでしょ』ってよく言われる。のんきそうに見えるからさー 顔と心は関係ないのに」
「そうじゃなくて…… 翼も誰かを好きになることあるの?」
 え? 頭の中が真っ白になる。この人、何言ってるんだろう。
「僕たちがどこで知り合ったか覚えてる?」
「ゲイバー」
「恋愛したくなかったら、そんな所に行く訳ないじゃん!」
 もっと正直に言うなら、セックスしてくれる相手が欲しくて、新宿の薄暗い階段を上ったのだ。すごく怖かったけど、一人でし続ける物悲しさに、耐えられなかったし耐える必要もないと思った。
 こんな大きな寂しさを押し付けられるなんて思ってなかった。
「怒った? ごめん。悪い意味じゃなくて、翼って何か、そういうドロドロした感情持って無さそうだから……」
 司はおびえて、潤んだ目で僕を見上げる。ダメだ。司には優しくしなくちゃ。
「子供っぽく見られるけど! 性欲と食欲にはちょっと自信あるよ!」
 司は仰向けになって大笑いした。
「食欲はいつも見てるから知ってる。翼の性欲って想像つかないな」
「いいよ、想像しないで。恥ずかしい」
 司は一瞬真面目な顔になって、僕を見た。
「色んな奴とやったりするの?」
「そんなことしないよ! 高校の時に年上の人と付き合ってて、その人としただけ」
 性欲に自信あり、と宣言した割には経験が貧弱だなと情けなくなる。司は目を細めて心臓のあたりに手を置いた。
「良かった。翼が遊びまくってなくて」
 何で安心するの。やきもち焼いてくれる訳でもないのに。
「その人、恋人だったんだよね?」
「たぶん」
「どんな人?」
「普通のおじさん。福岡県の大牟田ってとこに住んでて、でも出身はこっちだよ。帰省するといつもお土産に鳩サブレーをくれた」
「翼にぴったりって感じする」
「美味しいよね。サクサクして」
「嫌なら話さなくて良いけど…… 別れちゃったの?」
「別れるっていうか、自然消滅っていうのかな。東京の大学に行くことが決まって、今までありがとう、体に気を付けてね。みたいな」
「遠距離恋愛は難しいって?」
「……うん」
 本当は違う。問題は距離よりも「僕が高校生ではなくなってしまうこと」だった。光一は僕ではなく「男子高校生」と付き合っていたのだ。すごく嫌な思いをしながら。遠く離れた場所にいる、高校生ではない僕と付き合い続ける意味なんてない。
 最後にした日の、湿った肌の記憶がよみがえる。光一は窒息するんじゃないかと思うほどきつく僕を抱き締めて、
「東京なんて全然良い所じゃない」
 と言った。
「辛かっただろうな、その人」
 司の声で現実に引き戻されてハッとする。
「翼と離れるのってさ、他の奴と別れるのと感じがまるっきり違う気がする」
「違うって?」
「全ての運に見放されて地獄行き、のイメージ」
「何それ」
「幸福の象徴なんだよ、翼は」
 ただ単に、顔が気楽そうってだけじゃん。僕の心はちっとも楽なんかじゃない。
「翼さ、大学卒業したら熊本帰るの?」
「こっちで就職するつもり」
「良かった」
 司は僕を必要としてくれている。でもそれは僕が望む形じゃない。
「俺、性欲ってよく分からないんだ」
 司は天井を見上げたまま言う。これを尋ねたら傷付けてしまうだろうか。でもやっぱり聞かない訳にはいかない。
「アキラとしたんでしょ?」
「うん」
「無理やりされた?」
「ううん」
 ならばそこには司の性欲があったのでは。司は天井を見つめてしばらく何も言わなかった。
「性欲のことは分からないけど、殺人犯の気持ちは理解出来るようになった」
 殺人、という強い言葉にどきりとする。
「前はさ、殺人事件のニュースを見ても『逮捕されるのに何でそんなことするんだろ、馬鹿だな』って思うだけだった。でもアキラとのことがあってから、俺もやってたかもしれないな、って」
「アキラを殺したかったの?」
 司は首を振る。
「先に自分を殺したと思う。アキラのことは好きだから」
 過去形じゃない。司はアキラだけが好きで、他の誰も好きにならない。最初から分かり切っていたこと。
「誰を殺すにしても、殺している間、殺人者は正気じゃないんだと思う。翼の家に押しかけて泣いた時の俺みたいに」
「あの時、びっくりしたけど、司が僕を頼ってくれて嬉しかったよ」
「俺は死ぬほど後悔してる。翼に迷惑かけたこと」
 君とはあんな風に関わるつもりはなかった。そう言われているみたいに聞こえる。
「だからもう誰も好きにならないようにして、なるべく冷静でいられるようにして、翼を大事にしたいんだ」


posted by 柳屋文芸堂 at 10:36| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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