2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その29)

 たけのこの里を少し分けてもらって食べてから、アイスも買うべきだったと後悔した。
「続きは家で聞かせて」
 と言った後、司は上の空だ。僕はあんまり得意じゃない(でも卒業研究でやらなきゃいけない)プログラミングについての本をパラパラとめくって、閉じた。司はさっき僕に見せたノートを眺め続けている。
「俺、アキラが粉々になっても、アキラをアキラだと思うと思う」
「は?」
 司は切羽詰まった早口で続ける。
「例えばアキラが死んで『これがアキラの骨ですよ』って言われたら、それを見て泣くと思う。もし『間違えました。それは別の人の骨です』って言われたら」
 司は虚空をにらむ。
「俺は何に対して悲しんでいるのだろう?」
「アキラなんていないんだよ」
 僕は適当に言った。
「恋人と一緒にいるところを見たけどね」
 司が混乱すれば良いと思った。認識をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、アキラの記憶を消してしまえたら。アキラの概念を歪めて、司がアキラをアキラととらえられなくなれば。
 もちろんそんなことは無理に決まっている。僕だって光一を忘れたりしない。光一が僕を愛していたのか憎んでいたのか、まるで知らないにもかかわらず。
「アキラに恋人が出来たことは、嬉しいんだ。自分にはやれないことを成し遂げた人がいるんだな、って。羨ましいけど、悔しくはない」
 僕を見つめる司の瞳が潤んでゆき、しかし鼻をすんと鳴らすだけで泣きはしなかった。
「俺もこんなに弱くなければ、アキラを支えられたのに」
 カツミさんはアキラを支えるというより「従えてる」って感じだけど。滅びた王国の騎士と姫君。甲冑姿のアキラと、長いドレスを着たカツミさんが脳裏に浮かんだ。騎士は街じゅうの鏡を破壊する。姫君が、醜くなってしまった自分の顔を、うっかり見てしまわないように。
「こんな奴を好きになって傷付くなんてさ、末代までの恥って感じ」
「俺、ほんと大丈夫ですから!」
「普通じゃないんだ、あのカツミという子は」
 誰かを好きになる時、その人の何を好きになるのだろう。それは時が経っても変わらないのだろうか。気持ちだけが取り残されることはないのだろうか。


posted by 柳屋文芸堂 at 02:19| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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