2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その31)

 その年のクリスマス、司は高級レストランを予約して豪華なディナーがしたいと言い出した。その後やれる訳でもないのにカップルのデートみたいなことをするのは馬鹿馬鹿しかったし、どんな高級な店でもメグさんの料理の方が絶対美味しいに決まっている。しかし春樹カフェへ行けば、アキラたちと鉢合わせする可能性が高い。
「そのディナーに使うお金でさ、チーズフォンデュ用の鍋買ってくれない?」
「チーズフォンデュか…… 食べたことない」
「実家で時々やってたんだけど、こっちに来てからは道具がなくて」
「良いよ。何か楽しそう」
 僕たちは午前中から買い物に出て、チーズフォンデュ用の鍋とコンロ、それに野菜やパンを買ってきた。チーズはスイスのエメンタール。チーズを溶かすのと飲むために、白ワインも二本用意した。
「じゃがいもは茹でてから皮をむく!」
「あっつ! あっつ!」
「火傷しないようにね」
 司と一緒に料理するのは楽しかった。ライ麦パンとじゃがいもとにんじんとブロッコリーを一口大に切る。それらを串に刺し、ふつふつと香り立つとろけたチーズに突っ込む。
「じゃがいもがチーズの中で崩れた!」
「スプーンで回収して」
「チーズが、伸びるー」
 僕が糸引きチーズをパンにからめている間に、司はスプーンを口に入れた。
「あぐっ」
「口の中火傷しないようにね」
 僕たちはふだんそれほどお酒を飲まない。しかし熟成されたチーズの味は恋するように狂おしく辛口ワインを求めるようで、二人とも飲み過ぎて肌が真っ赤になった。
「翼、手まで赤い! 大丈夫?」
「司だって赤いよ」
 僕は優しい友達のふりをして、司の左のてのひらに触れる。
「じゃがいもの皮むいた時に火傷しなかった?」
「手より口の中が少し痛い」
「慌てて食べるから」
「美味しくて我慢出来なかった」
「単純な食べ物だけど、最高だよね」
 いつものように二人で大きなクッションに寄りかかる。司が手を握ってきて驚いた。でもすぐに、寂しいのかもしれない、と思った。
「翼ってさ、今、恋人いるの?」
「いないよ」
「もしいたら、俺のこと嫌がるだろうな」
「どうして?」
 司は答えずに、握った手を床にコンコンと軽くぶつけた。
「クリスマスの時期って、世界中から責められてるような気持ちになるんだ」
「司、異教徒?」
「異教徒って何!」
 司は酔っ払いらしく無意味に大笑いし、止まらなくなった。
「大学はキリスト教系だったよ。宗教の授業が必修でさ、知識としてはへーって思ったけど、信者になるほどじゃなかった」
「やっぱり異教徒だ」
「翼はクリスチャンなの?」
 僕は光一が書いた罪と罰の記事を思い出した。あの話の意味は今でも分からない。
「違うよ。僕の神様は水木しげるだけ」
「妖怪教。多神教の一種だろうね、きっと」
 あずきとぎや豆腐小僧はどんな願いを叶えてくれるのか。神様と呼ぶには能力が限定的過ぎる気がした。
「キリスト教は同性愛を禁止してるけど、そのせいで悩んでる訳じゃないんだ」
「キリスト教の国の方が同性婚を認めてるしね」
「もっと大きな…… 恋愛するのが当たり前の世界。誰かと親しくなって楽しく過ごすのなんて簡単。そういう空気が辛くなる」
「クリスマスの時期は特に強くなるよね。でも恋愛は簡単なことなんかじゃないよ。物理学よりも、たぶん経営学よりも、難しいって」
「出来なくても叱られない?」
「誰が叱るの」
「自分だろうな」
 酔った勢いで司を押し倒せたら良いのに。どれだけアルコールが回っても僕の中心はしんと静かで、司の寂しさがホレおばさんの雪みたいに降り積もり、ああ、これは、僕自身の寂しさなんだ。
 司がフフフと笑い出した。
「俺、今、神様と一緒にいる」
「どうしたの? 変だよ。酔い過ぎ」
「翼は俺の神様だから。ちゃんと救ってくれた」
 司は再びグレードアップしたらしい。友達からファンへ。ファンから信者へ。
「神様、懺悔します! 射精するより泣いてる方が気持ち良いです!」
「それ別に罪じゃなくない?」
 司は笑い続け、目から涙が流れて、それをつないでいる僕の手の甲でこすった。濡れたところがひんやりする。
「翼の前では泣かないって決めてたけど、クリスマスだから許して」
「好きなだけ泣けば良いよ。タダなんだし」
「タダ最高!」
 司は笑いながら僕のベッドに入り、すぐ寝てしまった。


posted by 柳屋文芸堂 at 02:15| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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