2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その32)

 ベッドのそばに布団を敷いて横になっても、司ほど早く眠りに落ちることは出来なかった。明日、司が今夜のことを思い出して落ち込むのではないかと心配だった。
 翌朝、司が歯を磨く音で目を覚ました。
「昨日俺、何もしないで寝ちゃったね」
「けっこう酔ってたよ。二日酔いじゃない?」
「全然平気。ワイン美味しかったなぁ〜 チーズフォンデュも!」
 司が鼻歌を歌い出しそうなくらいご機嫌だったのでホッとした。
「さらに美味しいものがあるから。司の口に合うか分からないけど」
 僕は濃いめのミルクティーを作り、母親が送ってきたシュトーレンを切った。
「甘っ! 表面が白いのは全部砂糖だったのか」
「甘過ぎる?」
「大丈夫。しかし翼の家に毎日いたら確実に糖尿病になるな」
「こんな高カロリーな食事をするのはクリスマスだけだよ」
 司はシュトーレンを覆っている粉砂糖をペロッと舐めてミルクティーを飲み、二人で笑った。
「恋人がいなくてもクリスマスを楽しめるって分かって良かった」
「もともと家族で過ごす祭日だよ。日本のお正月に近い」
「異教徒なのに詳しい」
「親から聞いてるから。ドイツのお正月は爆竹鳴らすんだって」
「中国みたいだね」
 司のリクエストに応えてピアノを弾き、また大きなクッションでのんびりして、夕方になる前に司は家に帰った。
 夜、塾のバイトを終えて寝る準備をしている時に、見覚えのない小さな箱が落ちているのに気付いた。深緑色の包装紙を開くと、ネクタイピンが入っていた。艶消しの銀色で、どことなく優しいデザインだった。
 僕はすぐに司にメールした。

 ネクタイピンありがとう!

 今頃気付いたの?

 ごめん。僕、プレゼントのことすっかり忘れてた。

 翼よりすごいプレゼントくれる人なんて、世界中どこを探したっていないよ。

 ありがとう、と打ちながら、僕はもう一生セックス出来ないのだろうなと思った。司はずっと泣き続けていたいみたいだし、僕は司以外としたいと思えない。性欲が有り余って初対面のおじさんとやっちゃった僕が、こんなにストイックな人生を送ることになるなんて。
 ハッと気付いた。どれだけ寂しくても、僕は誰とでもやれる訳じゃないんだ。それはつまり、光一のことが好きだったということなんじゃないか。
 裸で抱き合って一番気持ち良くなっている最中に、光一の耳元で「好き」と言ってあげれば良かった。「少年」から告白されて、光一はきっと意味不明の文章をブログに書くだろう。苦悩や逡巡がごちゃごちゃ混ざりつつ、基本的には明るく幸せな記事になるはずだ。
 光一が抱いている少年はもう、僕ではないような気がした。僕は賞味期限切れで、僕を愛する可能性のある人は毎秒ごとに減ってゆく。
 さよなら。心で小さくつぶやいて、僕は司が寝ていたベッドで眠りについた。


posted by 柳屋文芸堂 at 02:14| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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