2020年03月03日

翼交わして濡るる夜は(その38)

 司が心配していたほど、僕たちの関係は大きく変わりはしなかった。
「お金が貯まったら、翼のコンサートを開きたいな」
 冬のボーナスが出た夜、焼肉屋さんでピーマンをひっくり返しながら司は言う。
「えー 面倒くさいよ。会場借りたり、チケット売ったりするの」
「そういうのは俺がやるよ。翼はピアノを弾くことに集中して欲しい」
「それより早く一緒に住もうよ」
「住宅情報サイトで部屋探してるけど、都心は家賃が高くて」
「練馬区で良いじゃん」
「職場から遠いし、アキラに会ったら気まずいし」
「未練たらしい」
「未練はないけど。東京は諦めて神奈川かなぁ」
「神奈川だったら鎌倉が良い」
「遊びに行くならともかく、通勤には不便だよ」
「そうなんだ」
「行ったことない? お正月に鎌倉デートしようか」
「それよりも……!」
「今晩したら落ち着くって」
「ううう」
 透明になった玉ねぎでカルビを挟んで食べる。熊本産の牛肉らしくて、メニューにはくまモンが印刷されていた。
「やりたいだけじゃないよ。会った後『じゃあね』って司が帰っちゃうのがつらい」
「俺、実家から出たことないからさ。生活していく自信がなくて。なかなか踏ん切りつかなくてごめん」
「家賃払うのも満員電車に乗るのも大変だもんね。僕も四月から仕送りなくなって、やっていけるのかなぁ」
 暮らしやすいとは言えない東京の街で、数え切れない恐れを感じながら、転ばないように、それでも確かに前進していると、光一に伝えたかった。それなのに僕は、今年も年賀状を出さないだろう。
「年末年始は熊本帰るの?」
「ううん。司と鎌倉デートしたいから帰らない」
「ええー お父さんとお母さんに悪いよ」
「うそ。飛行機代が安い時を狙って帰る」
「そっか、良かった。正月は鎌倉も混むのかなー」
 鎌倉には光一の実家がある。帰省した光一とばったり出会うストーリーを考えていたら、
「翼、何か悪だくみしてる!」
「え〜 なんで分かるの!」
「顔に全部出てるよ」
 今晩、僕は司の前でどんな顔をするのだろう。ネクタイをゆるめたり、ベルトを外したりする司の妄想で頭がいっぱいになって、
「シャーベット溶けるよ?」
「あっ」
「顔、真っ赤だよ?」
「うっ」
「食べ終わらせて、早く一緒に帰ろう!」


posted by 柳屋文芸堂 at 01:03| 【長編小説】翼交わして濡るる夜は | 更新情報をチェックする
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