2015年12月29日

死神(その1)

落語「死神」の翻案小説です。

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「もう死ぬしかないのか……」
 藤木は珍しく弱り切っていた。無理もない。失業し、ヤケで始めたギャンブルは負け続き。借金を借金で返すうち、その額は膨れ上がった。とても一人の若者が稼げる金ではない。
「首をくくるか、線路に飛び込むか……」
「東武東上線に飛び込むのはやめて欲しい」
 藤木が顔を上げると、丸眼鏡の、ふくふくとした頬の男が目の前に立っていた。
「うわっ 何だお前!」
「死神だよ」
 死神と名乗った男は、眼鏡の奥の優しげな目を細める。
「あ〜 宗教は俺、興味ないんで!」
 横をすり抜けて逃げようとした藤木の手首を、死神は素早くつかんだ。
「宗教の勧誘じゃないよ。だいたい君、お布施を巻き上げようにも、財布が空っぽじゃないか」
 背中にゾッと寒気が走る。
「何で知ってんだよ」
「これでも一応神様だからね」
 藤木は改めて死神の方に視線をやった。その体は半透明で、向こう側の風景が透けて見える。確かに普通の人間ではないらしい。
「死神って言ったか?」
「うん」
「死神って顔じゃねぇなぁ……」
「僕だって福の神に生まれたかったよ。でも神の世界に職業選択の自由はないからね。死神として最善を尽くすしかない」
 死神として最善…… それはつまり、お前を殺すという意味か? 藤木は真っ青になって叫んだ。
「死にたくねぇ! さっきのは気の迷いだ。本当は死にたくなんかないんだ! 助けてくれ、お願いだから助けてくれよ。誰か……」
 キョロキョロと周囲を見回し挙動不審になる藤木の前で、死神はため息をついた。
「落ち着いてよ。さっき僕は何て言った?『飛び込め』じゃなく『飛び込むのはやめて欲しい』って頼んだんだよ?」
 死神は道沿いの線路を指差す。
「東武東上線は人身事故が多いんだ。迷惑してるんだよね。『死神がいる』なんて噂になってさ。この沿線は僕の管轄だけど、みんな人間が作った社会に押しつぶされて自殺に追い込まれるのに。何でも神様のせいにしないで欲しいよね」
 顔といい、理屈っぽさといい、全く死神らしくない死神だと藤木はあきれた。
「俺も押しつぶされたクチだな」
「大丈夫。まだいくらでもやりようはあるよ」
「死神に励まされてもなぁ……」
 死神はいかにも人の好さそうな笑顔で藤木を見つめる。
「僕は君を救おうと思って、こうやって出てきたんだ」
「借金を肩代わりしてくれるのか!」
「イヤだよ、そんなの。そうじゃなくて、君にも出来る簡単なお仕事を教えてあげる」
 藤木はバカにされたように感じ、ムッとした。しかし仕事が苦手なのは事実だから言い返せない。
「簡単な仕事じゃ時給も安いだろ」
「そうでもないと思うよ。人間って、本当に困った時にはいくらでもお金を出すから」
「困った時?」
 死神はにっこりしてうなずく。
「人助けの仕事だ。悪くないだろう」
「柄じゃねぇな……」
 しかし四の五の言える状況ではない。
「どんなことをすれば良いんだ?」
「まずは自宅のドアに、
『スピリチュアル・アドバイザー』
 と書いた看板を掲げる」
「何だそれ、怪しい!」
「昔は医者になるよう勧めてたんだけど、今は法律が厳しくてね。ここからが肝心だよ」
 死神の真剣な眼差しにつられて、藤木も真面目に耳を傾けた。
「重病人か、その家族か関係者が、君に連絡してくるようになる」
「看板一枚で、そんな上手くいくか?」
「どれだけ医学が進歩しても、治らない病気はまだ沢山ある。そういう人たちは血まなこになってすがるための藁を探している。金の泉はそこだ」
 死神の瞳が冷たく光り、気温まで下がったようだ。藤木は二の腕をさすった。
「君が病人の寝床へ行くと、死神が見えるはずだ。頭の側にいたら、その人はもう寿命だ。どうにもならないから手を出しちゃいけない。でももし足の側にいたら、まだ命が残っている。君はこう唱えるんだ。
『あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ』
 それでパンパンって二回手を叩けば……」
「バカバカしい」
 呪文を聞いた途端、藤木は時間をムダにしたように感じてうんざりした。
「信じてないね?」
「信じられるかよ。まあ良いや。お前は悪い奴には見えないし、話しかけてくれて嬉しかったよ。東武東上線に飛び込むことはないから心配するな」
 死神は丸い頬っぺたを赤らめた。
「僕の気持ち、分かってくれた?」
「は?」
「実を言うとね、君を好きになってしまったんだ」
 別の意味で血の気が引く。
「お前、男だろ!」
「僕、ゲイなんだよ。性的マイノリティとかLGBTとか、最近よくニュースで流れるだろう?」
「さぁ…… ニュースなんて見ないからな」
「Lはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシュアル、Tはトランスジェンダー。研究によると人間の十人に一人はこういう性的マイノリティで、それは神の世界でも……」
「分かった、分かったから、もう分からない話はやめてくれ」
「分かってないんじゃないか」
 死神は不満げに唇をとがらせる。
「要するに、お前は男でありながら男の俺を気に入ったと」
「そうそう」
「悪いが俺にそっちの趣味はない」
「僕も別に、恋人になりたい訳じゃないんだ。遠くから君を見守っているだけで満足だよ。内気だからね」
 こんな堂々とした内気があるものか。
「俺のどこが良いんだ」
「ダメなところが。きっと君は、僕を必要としてくれる」
 何もかも見通す神の目が、藤木の心をのぞき込む。
「ねえ、だまされたと思ってやってみてよ。スピリチュアル・アドバイザーの仕事。僕は君を大切に思ってるんだから、絶対上手くいくって」
「他にやることもないしな……『あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ』」
 藤木が小さく二回手を叩くと、死神は現れた時と同じように唐突に、フッと消えた。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:45| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする