2015年12月29日

死神(その5)

「この扉の先で見聞きしたことは、決して口外しないでください。家族や親しい友人であっても」
 ダークスーツの男は表情を変えずに藤木を一瞥する。
「もちろんですよ! 秘密をもらしたことなんてありません」
「ネットで検索すると、あなたの仕事の情報が際限なく出てくるものですから」
「依頼人が勝手に自分の情報を広めているだけです」
 病院の特別室の扉が開かれる。久々の大きなチャンスだ。何が何でも成功させて、商売を再び軌道に乗せなければならない。
 ベッドに横たわる男を見て、藤木は大声を上げた。
「S社長だーっ!」
 世間に疎い藤木も、ネット企業や携帯電話会社を経営して巨万の富を築いたS社長の顔は知っていた。
「この人、自分とこの球団が優勝するとグランドに飛び出てくる人ですよね?」
 ダークスーツの男は口の前に指を立てて藤木をにらみつけた。藤木はS社長の枕元を確認する。ああ、まただ。半透明の死神が、業務開始時刻を待つように、直立不動の姿勢でそこにいた。
「大変残念ですが、この方はもう寿命です。そんな歳でもなかったと思うんだけどな」
「巨大グループを運営していくのは並大抵のことではありません。一般人の百倍、千倍の心労に耐えて来たのです。世界中から名医をかき集めましたが、みな匙を投げました。あなただけが頼りです」
 男の真剣な視線から、藤木は目をそらす。
「成功したら、三十億円差し上げます」
「さんじゅうおくぅ?」
 桁外れの金額に、藤木の頭は真っ白になった。
「もし社長が死去すれば、我が社の株は大暴落するでしょう。その損失を思えば三十億など、はした金です。さあ! 我々を助けてください!」
 仕事の依頼にしては威圧感たっぷりだった。
「そんなこと言われても……」
 三十億。三十億。三十億。数え切れない一万円札がぐるぐる渦を巻いて天空に昇ってゆく。
 藤木は脳みそを絞りに絞って考えた。惰性と成り行きで生きてきた藤木にとって、それは人生で最初で最後の輝かしいひらめきだった。
「腕っぷしの強い男を四人、集めてください」
「千人でも二千人でも集められますが」
「そんなにいても用はないんで…… いくら筋肉ムキムキでも、どんくさい奴はダメですよ! 力があってすばしこい奴を四人、お願いします!」
 病室にやってきた四人の男を、藤木はベッドの四隅に配置した。
「合図をしたら、ベッドを半周回転させてください」
 一時間、二時間経っても、死神は同じ姿勢を崩さない。四人の男たちはじりじりと合図を待ち続けた。
 日が落ち、夜が更け、空の黒が薄くなってゆく。もうじき夜明けかという時刻、とうとう死神はコクっと首を落として居眠りした。
「今だっ」
 四人の男たちが素早くベッドを動かす。S社長の頭は死神から離れ、代わりに二本の足がそちらに向けられる。足側の死神。これなら俺にも消せる!
「あじゃらかもくれん きゅうらいそう てげれっつのぱあ」
 パンパン!
 予想外の出来事に死神は怒りの形相になり、全身が白く燃え立った。炎の中でもだえながら、死神は射るように藤木の目を見る。
 仕事中に死神が藤木の方を向いたのは、それが初めてだった。

 死神が消えてS社長は全快し、
「やりましょう!」
 と叫び始めた。
 三十億を受け取るための手続きを終え、藤木は自分の力で金を稼いだ満足感にひたりながら朝焼けの道を歩いた。
「すごかったねぇ!」
 聞いたことのある声に振り向くと、そこには丸眼鏡の、ふくふくとした頬の男が立っていた。
「おお、お前は俺に呪文を教えてくれた死神じゃないか」
「たくさんの死神を見て、僕を忘れてない?」
「忘れっこないさ。命の恩人だからな」
 死神は頬を赤くして藤木の隣を歩く。
「ベッドをひっくり返すの、素晴らしいアイデアだったね」
「見てたのか」
「そりゃあね」
「よく思い付いたなって、自分で自分を褒めてやりたいよ」
「ねえ」
 死神は足を止め、道沿いの東武東上線を指差した。
「朝までやってる美味しいお店があるんだ。お祝いに飲まない?」
「おお、良いな! 俺がおごるよ。何しろ三十億儲かったからな。三十億!」
 店は線路の反対側だからと、死神は地下道の階段を降りていった。藤木も鼻歌を歌いながらついてゆく。
「ずいぶん深い地下道だなぁ」
 降りても、降りても、まだ階段は続いている。死神が何も言わないので、藤木も黙って死神の背中を追った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 12:25| 【翻案小説】死神(落語) | 更新情報をチェックする