2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その1)

 これから話すのは、壊れてゆく恋の話だ。なるべく楽しく語りたいとは思うけれど、何しろ結末が決まっている。それぞれの立場で出来得る限り足掻きもがいたのに、逃れようがなかった。俺も、周平も、克巳も。
 救いがあるとすれば、これが俺の恋愛ではなく、他人の恋愛だったということだ。他人の話にいちいち傷つく必要はない。バカは克巳だけで間に合っている。
 そもそも妙な話なのだ。周平が克巳の携帯に電話をかけると、まず知らない男が出た。その後、
「周平?」
 という克巳の声を聞き、周平は通話を切った。普通に考えて、浮気相手を電話に出すか?
 とにかくそれが二人の関係の終わりで、克巳の破滅の始まりだった。
 周平と克巳がどこで知り合ったのかは知らない。俺と周平は大学の専攻が一緒だった。俺が教室で弁当を食べながら本を読んでいると、隣の席の男が声をかけてきた。
「本、好きなの?」
 振り向くと、丸眼鏡の福々とした男が嬉しそうに微笑んでいる。ここは文学部だ。本が好きなのは当たり前じゃないか。そいつの手元を見ると、俺と同じように左手で文庫を持ち、右側にパンが三種類ほど置いてある。
「何読んでるの?」
「日本永代蔵」
 俺の答えを聞いて、その男は目をぱちぱちさせた。
「い、井原西鶴……?」
「そうだよ」
「古典を読んでる人なんて初めて見た」
「試験でみんな読むじゃん」
「試験だけでお腹いっぱいだよ」
 俺が読書に戻っても、そいつはまだ話したそうにこちらを見ている。しょうがないので質問してやることにした。
「お前は何読んでるの?」
「村上春樹」
 ちゃらちゃらした流行作家の本を読みやがって。俺の気持ちは顔にそのまま出ていたと思う。
「君の好きな作家は?」
「琵琶法師」
 真面目に答えたつもりなのに、腹を抱えてゲラゲラ笑う。
「君は面白い人だねぇ! 最近の作家で好きな人はいないの?」
「うーん、樋口一葉とか?」
「それ全然最近の作家じゃないよ」
「死んで百年以上経った作家じゃないと興味湧かないからな」
 何故か急に笑いを止めて真剣な顔つきになる。
「もしかして君、生きてる作家の本は読まない?」
「読まないね」
「もしかして君、村上春樹ファン?」
「死んだ作家の本しか読まないって、今言ったばかりだろ! 村上春樹は生きてるじゃないか」
「ふぅん……」
 頬杖ついて何やら考えている。
「どうして死んだ作家にしか興味がないの?」
「駄作を読む時間がもったいないからだ。死んで百年も経てば、つまらない作品は忘れ去られて勝手に滅んで、読むべき価値のある作品だけが生き残る。人生は永遠じゃない。無駄なことはなるたけしたくない」
 このおしゃべりも無駄な気がしてイライラする。男は俺の眉間に寄り始めた皺のことなど頓着せずに、ゆったり自己紹介した。
「僕は隅田周平。君の名前は?」
「七瀬耕一」
 無礼で横柄で、俺の第一印象は相当悪かったと思う。しかしどこを気に入られたのか、その日から周平にすっかり懐かれてしまった。授業で会うと、必ず近くの席に座って話しかけてくる。
「七瀬は二年からどのコースに行くつもり?」
「演劇専修」
「僕も同じだ。受かると良いねぇ」
「良いねぇじゃねえ。絶対行く」
「もしかして俳優を目指してるの?」
 まただ。今までの人生で何回言われただろう。耕一ちゃんは歌舞伎役者になるの? それよりジャニーズよ。本当に、女の子みたいに綺麗な顔ね! 華慧先生の所で日舞を習っていたおばさんたちの声が頭に響く。うるさい、うるさい。
「俺がやりたいのは研究だ。周平は演劇行って何するつもりだ」
「実は映画もドラマも全然好きじゃないんだけど、村上春樹が大学時代に演劇を勉強していたっていうから」
 ミーハー過ぎる。俺があからさまに呆れても、周平は一ミリも悪びれずほがらかに微笑む。
「昔テレビに出てた? 子役とかで」
「出てないよ」
「雰囲気が普通の人と違うからさ。何て言うんだろう、後光が差してる」
「観音様か!」
 俺は内面と外見が乖離していた。単なるガリ勉の伝統文化オタクなのに、見た目が無意味に派手だった。服だけでも地味にしたかったが、洋服を決める権利は母親にあった。俺を連れて好みの店に入り、こう言うのだ。
「この子にぴったりの服を選んでちょうだい」
「まあ、可愛らしいお坊ちゃんですねぇ。選び甲斐がありますわ」
 その結果、俺の服装は常にバラエティー番組に出てくる芸能人のように軽薄だった。四角い顔をして黒縁眼鏡でもかけていれば、俺はずいぶん落ち着いて生きられただろう。
 克巳を初めて見かけたのは、大学一年の夏休みが終わった後だ。ぶら下がるように周平の腕をぎゅっとつかんでいて、俺は最初、
「あの周平にも彼女がいるのか」
 と感心した。それにしても、かなりボーイッシュな女だ。いや…… あれは男? ということは友達か。友達にしては、距離の近さが異常だ。具合の悪い人を支えてる? 二人は見つめ合ったまま笑い声を上げた。どちらも元気そうじゃないか……
 周平がゲイで、彼氏とベタベタしている、という状況を飲み込むのにしばらく時間がかかった。それまでゲイというのは、オカマっぽくなよなよしているか、筋肉ムキムキか、世間に背を向けた芸術家か、とにかく普通とは違う人間がなるのだろうと勝手に考えていた。
 平凡が服着て歩いているような周平が、ゲイだなんて。相手の男も、デカい肩かけカバンを持った垢抜けない学生だった。背が小さくて、長めの茶色い髪がさらさらしている。
 教室にやってきた周平に、俺は言った。
「夢を壊すんじゃない」
「何が?」
「ゲイというのはもっとエキセントリックなものだと俺は思っていた」
「見てたのか」
 周平は珍しく困り顔で、頬を赤くした。
「彼、理工学部で、同じ学年なんだよ。文学部のキャンパスにも来るようになっちゃって」
「安珍だな」
「アンチン?」
「安珍清姫。道成寺の話だよ。坊さんの安珍を好きになった清姫が、蛇になって追いかけてきて、釣鐘に隠れた安珍を焼き殺す」
「そんな物騒な話じゃないんだけど。僕、逃げてないし。両思いだし」
「ああそうかい」
「でも確かにちょっとやっかいなこともあってね……」
 周平は俺の顔をちらりと見た。
「今度、三人で会ってくれないかな」
「3Pの誘いか」
「いややや、友達になろうって、ただそれだけだよ」
 何で俺が貴重な時間を割いてゲイカップルの相手をしなければいけないのか。しかしすぐ思い直した。日本は古来、恋愛に対して寛容で、古典文学では時折同性愛の記述が出てくるし、伝統演劇も男色と深い関わりがあるのだ。
「いいよ。後学のために」
 そして俺は、嵐に巻き込まれる羽目になる。
 学食の前にあるテラスへ行くと、周平の彼氏が白い椅子にだらしなく座って、丸テーブルの脚をカンカンと蹴っていた。
「克くん」
 前髪がさらりと横に流れ、物憂く潤んだ瞳が周平を見上げる。
「へー 女の子みたいで可愛いな」
 他人の持ち物を褒める気分で軽く言ったのに、そいつは立ち上がって俺の胸ぐらをつかんだ。明らかに悪意のある目で俺を睨む。
「何だよ、いきなり!」
 そのまま突き飛ばされそうになるが、幸い力が弱く二歩よろけるだけで済んだ。
「おい周平、何なんだよ、こいつは!」
「克くん落ち着いて」
「周平に近付くな!」
「へ?」
 全身の毛を逆立て全力で怒っているのはよく分かる。けれども背が低く、顔も丸くて小さいし、子どもがふくれているみたいで噴き出しそうになる。
「うん、今後一切周平には近付かない。じゃっ!」
「いや、それじゃ困るんだよ」
「周平は何でこんな奴に執着するんだっ 失礼だし、全然良い奴じゃないじゃんか」
「だから友達だって何度も……」
「友達なんてやめちゃえ!」
 修羅場か。俺はニヤニヤするのを我慢出来ない。蛇に焼かれている周平をどう助けてやるか。俺は財布からテレホンカードを出し、怒り狂うチビに見せた。
「悪い。俺はこういう世界の人間なんだ」
 上から見下ろされるのも腹を立てる原因になるだろうと思い、俺だけ椅子に座る。
「綺麗…… ねえ、周平見て」
 二人は態度をコロっと変え、頭を寄せてカードを見た。
「本当だ。これは歌舞伎?」
「日本舞踊。藤娘をやった時の写真だ」
 二人は同時に俺の顔を見る。
「これ、君?」
「そうだよ。高二の時の」
 顔を見合わせ、再びこちらを見る。
「オカマ?」
「お仲間?」
「女形と言ってくれ」
 チビはカードを面子のようにテーブルへ叩きつけた。
「ナルシスト! 女装した自分の写真をテレホンカードにして持ち歩くなんてバカじゃないの」
「いや、母親が作るんだ。しかも計算が雑だから、例えば三百枚で間に合う時でも五百枚くらい頼んじゃって、うちには大量の俺のテレホンカードが余っている。欲しければやるよ」
「いらない!」
「ねえ、何でそんなにテレホンカードを作るの?」
 藤娘を拾って俺に返しながら、周平が首を傾げる。
「発表会で配るんだ。これは高三の冬、京鹿子娘道成寺をやった時に、三味線弾く人とか、衣装の準備をしてくれる人とか、あと見に来てくれた人にも渡した」
「七瀬ってもしかして、金持ち?」
「周平、どこ見てんだよ。こいつの服、上から下まで全部ブランドものじゃん。下品なんだよ」
 さも憎々しげに言って椅子を蹴る。
「このチワワの悋気をどうにかしてくれ。お門違いにも程がある」
「リンキって何?」
「お前は本当に文学部なのかっ」
 まるで役に立たない周平のことは諦めて、俺はチワワの目をまっすぐ見つめた。
「『女の子みたいで可愛い』っていうのは褒め言葉で言ったんだよ。子どもの頃から女みたいだと言われ慣れてて、嫌な気持ちになるって忘れてたんだ。俺も踊ってる時以外は女っぽいなんて言われたくない。ごめん」
 チワワは視線をすっとそらした。
「マザコン」
「マザコンじゃない。母親が俺を大好きなんだ。そうなると、色々しょうがないだろう?」
 それでようやく、チワワの攻撃は収まった。
 周平の最初の恋人、辻堂克巳。とんでもない奴だとは思ったけれど、周平が克巳を好きになった理由は少し理解出来た。克巳は顔が可愛かったし、可愛い女に振り回されるのを喜ぶ男は大勢いる。そのゲイ版だと考えれば分かりやすい。
 それより克巳が周平に夢中になっていることの方が謎だった。わざわざ俺にケンカを売りに来るほどのぼせ上がって、そんなにイイ男か? まあ悪い奴じゃない。優しいのかもしれない。でもそれだけじゃないか。
 勝手にしろ。俺に迷惑をかけるな。俺にはやるべきことがわんさとあるのだから。

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「生きてる作家の本は読まない?」
 は、村上春樹「風の歌を聴け」からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:09| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする