2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その2)

 ずっしりと重たい衣装の裾が、恋と恨みを語り始める。強過ぎる照明に顔を焦がされ、眩しい。けれども決して目を細めたりしない。暗い客席のどこかにいるはずの母親に、俺はとびきりの流し目を送る。
 舞台の光の中にいる自分と、教室で下を向き必死に本を読む自分。本当の人生は、どちら側にあるのだろう。

 俺が生まれる少し前、近所に私鉄の新しい駅が開業した。そのあたり一帯の土地の権利を持っていたのが、俺の母親だった。昔から住んでいた農家という訳ではないらしい。母親の過去は全くの謎だ。父親にも会ったことがない。
 財閥系の不動産屋が周辺を開発することになり、母親は躊躇せず土地を売り払った。自宅用に残した五十坪に質素な平屋を建て、外で働くこともなく、ただただ毎日、湯水のように俺に金を注ぎ込んだ。
「お母さんはどうして着物を着ないの?」
「みんなが着物を着ている時に着物を着たって目立たないじゃないの」
 日本舞踊の発表会。金糸の刺繍を散らした派手な着物のおばさんたちの中で、真っ黒いドレスを着た母親は、結婚披露宴に葬儀の参列者が紛れ込んだように浮いていた。不吉な未亡人のようだった。
 ピアノや水泳ではなく日舞を習わせたのも、みんなと同じでは目立たない、ということだったのかもしれない。実際に華慧先生の弟子の中で、男の子どもは俺だけだった。
「歌舞伎の養成所に入るの?」
 先生以外のおばさん全員に訊かれた気がする。役者との血縁のない人間が歌舞伎の世界で名を上げるには、魔術のような所作の美しさが必要だ。俺は踊りが嫌いではなかったし、生来真面目で稽古も家での練習もサボらなかったが、それだけだ。部屋の中に雪を降らせ、見えない山を見せる、常人にはたどり着けない境地を目指す情熱はなかった。華慧先生はそのことをよく分かっていた。
 師範名取の資格は取っていたから、近所の人に踊りを教えつつ市井の舞踊家として生きる道もある。しかしそうして日舞の狭い世界で実績を積み重ねても、子どもの頃から膨らみ続けている苛立ちは消えない。
 俺はいつも学校の教室で、静かに腹を立てていた。クラスの誰とも話が合わないからだ。ここは日本なのに、何故アメリカ文化の劣化コピーみたいなダンスや歌ばかりテレビで流すのか。みんな疑問も持たずにそれを楽しんでいる。歌舞伎や邦楽を好む俺が、どうして少数派にならなければいけないのか。愛想笑いをせずに済むよう、早々に友達は作らないと決めて、休み時間は読書に充てた。
 俺は世界を変えたかった。全員日舞をやれとは言わないが、古くから日本にあったものをもっと大切にして欲しい。そのために、まずは自分が伝統文化を深く理解しなければいけない。高三の発表会で日舞はやめて、大学に入ったら研究に集中しよう。
 一番気になったのは母親の反応だった。テレホンカードや、俺の写真をイラストにして染め抜いた手ぬぐいを配り歩き、役者のパトロン気取りでいる母親を、悲しませるのは忍びなかった。
「先生にはもう、やめるって言ってあるんだ」
 京鹿子娘道成寺を演じ終えた帰り道、俺はかなり悲壮な声でそう告げた。
「良いんじゃない?」
 母親は拍子抜けするほど明るく言う。
「歌舞伎役者になって欲しいとか、思ってたんじゃないの」
「別に何も考えてないわよ。この子が踊ったら可愛いだろうなぁ、と思ったかな、始めた時は。実際に可愛かったし、綺麗だったし。あんただって嫌がらずにお稽古してたじゃない」
「この発表会にいくらかかった?」
「さあ。ちゃんと計算してないから分からないけど、八百万くらいかしら。銀行から一千万下ろして来て、まだ残ってる。ほら、春には大学の入学金も必要でしょ」
 母親は楽しそうに笑ってこちらを見た。
「何かになるために、日舞をやってたの?」
「そうしなきゃいけないんだと思ってた」
「ケチ臭いわねぇ! お母さん、そういうの大嫌い」
 立ち止まり、冷たく光る冬の星空を見上げ、目を瞑る。
「今日のあんたの踊り、夢みたいだった。私の息子なんですって、みんなに言って回りたかった。今日、幸せになれたんだから、それで良いじゃないの。明日が必ず来るなんて保証、どこにもないのよ」
 お母さんはもう何かになる必要がないから、そんな風に刹那的になれるんだ。俺はこれから身を削って努力して、何かにならなければいけない。人に大きな影響を与えるような、偉大な何かに。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:08| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする