2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その3)

「成績表見せてみろ」
「あっ」
 二年になり、俺も周平も希望通り演劇専修へ進んだ。二人とも一年の授業はほぼ皆勤で、落とされる心配はほとんどなかった。
「英語と第二外国語が全部Aだ…… 周平のくせに生意気だぞ」
「でも体育はCだよ。まさか大学に入ってサッカーをやらされるとは思わなかった。君は英語でBを取ったのか。意外だな」
「横文字は苦手なんだ」
「僕は英語の読解が好きでね。英語の長文を訳してると、熱中して時間を忘れちゃうよ」
 なら英文学に行け、と思うが言わない。周平の村上春樹への傾倒は度を越していて、同じ道を歩むことに深い満足と快感を得ているようだった。誰かの真似をして喜ぶという感覚がまるで分からない。
「古い作品にしか価値がないなんて頭の固いこと言ってないで、君もたまには今の小説を読んでみたら」
「俺は絶対、村上春樹は読まないからな」
「えーっ」
 布教したくてうずうずしているのだ。七面倒臭い。
「『ノルウェイの森』が流行った時は酷かったじゃないか。どこに行ってもクリスマスみたいな赤と緑の本を広げてる奴ばっかりで。俺は『みんな一緒』だと背筋が寒くなる。全体主義社会か!」
 周平は眉を下げてしょぼーん、とした。飼い主に叩かれた犬のようで、さすがに言い過ぎたと反省する。
「他に誰かいないのかよ。村上春樹だけが現代作家って訳じゃないだろ」
「おすすめ読んでくれるの?」
 周平の目がらんらんと輝く。
「あんまり有名じゃない奴が良い」
「そうだなぁ…… 江國香織は知ってる?」
「知らない」
「『きらきらひかる』って小説は映画化もされててね」
「何だよ人気があるんじゃねえか」
「そうか、君に紹介する場合は逆効果なんだ。うん、映画化されてないよ」
「アホか!」
「へそ曲がりに小説を読ませるのは大変だなぁ……」
 結局周平は、江國香織の「ホリー・ガーデン」という本を貸してくれた。失恋してボーッと暮らす果歩と、果歩の生き方に腹を据えかねている幼馴染みの静枝と、果歩に片思いする中野の物語。当たり前だが全編口語で、どこにも引っかからずスラスラ進むのが心許ない。こんな本ばかり読んでいたら、そりゃ古典が苦痛になるはずだ。文句を言いつつ二度読んだ。ふーん、なるほど。
「どうだった?」
「果歩は何で出家しないのだろうか」
「……」
 周平は五秒間、無言で固まった。
「普通はしないよねぇ、出家」
「中途半端に俗世間に残っているから、虚しい暮らしをする羽目になるんじゃないか」
「彼女の暮らしは虚しい?」
「適当な相手とセックスしたり、一人でピクニックに行ったり、俺だったらそんな生活嫌だね」
「果歩さんは自分のルールがあって素敵だと思うけどなぁ」
「お前は男の趣味だけでなく女の趣味も悪いのか。断言してもいい。果歩はやめておけ」
「じゃあ静枝の方が良いの」
「あれもお節介で関わり合いになりたくない。嫁にするなら中野だな」
「中野くんは男じゃん!」
「男か女かなんてどうでもいい。中野は気立てが良いだろ」
「気立て、ねぇ……」
 周平は明らかに不満そうだった。どんな感想を期待していたのやら。いくら本を貸してもらったといっても、俺はおべっか使えるほど器用じゃない。
「どうせお前は『僕もどんぶりで紅茶が飲みたい』とか憧れるんだろ」
「うっ…… ラーメン用のどんぶりで飲んでみたら量が多くて」
「あれはカフェオレボウルだ。そんなデカい訳なかろう、バカ者」
 考えてみると、こんな風に友達と小説の話をするのは初めてかもしれない。なかなか面白いじゃないか。周平は打ちひしがれているが。
「趣味に合わない本を読ませて悪かったよ……」
「いや、そんなこともない。果歩がお菓子の缶を開けて、別れた恋人に撮ってもらった自分の写真を見る場面は美しいと思った。能の『井筒』にそっくりだ」
「能?」
「『日本演劇史』の授業で見ただろ。井筒! 筒井筒! 覚えてないのか」
「能って演劇という形に高められた催眠術だよねー どんなに頭が冴えてる日でも、見始めて三分後にはよだれを垂らしてる」
「世阿弥に謝れぇ!」
 周平だけを責めるのは酷か。能の映像を鑑賞した後は、教室が気だるい雰囲気に包まれる。寝る奴が多い証拠だ。古い能舞台で直接見ると、神事の緊張感があって最高なんだが。
「在原業平は分かるな?」
「伊勢物語の光源氏」
「まあそうだ。『井筒』では業平の恋人だった女が、業平の形見の着物を着て井戸をのぞき込む。井戸の水には自分と、愛した男の姿が重なり合って映っている」
「それのどこがホリー・ガーデンなの」
「果歩も井筒の女も、見ているのは過去の自分なんだ。恋の狂気を描いているのに、相手はもうどこにもいない」
 そこまで早口で言い切って、自分がやけに熱くなっているのに気付く。周平は腕組みしてしばらく黙っていたが、
「克くんのいる理工学部には、美少女アニメの話をし出すと止まらない人がいっぱいいるんだって」
「何だよ急に」
「七瀬は対象が伝統芸能というだけで、そういうオタクの人と変わらないよね」
「うるせぇ! 知ってるよ!」
 俺はたぶん真っ赤になっていたと思う。誰にも見せずにいたものを、油断してさらけ出してしまったような。周平はニコニコしている。俺の負けか。克巳もこうやって負けたのか。
 カバンから「ホリー・ガーデン」を引っぱり出し、周平に返した。
「ハードカバーを買うなんて珍しいな」
「文庫になるまで待てなかったんだ」
「繰り返し読んだ跡もある。大事な本を貸してくれてありがとう」
 周平はちょっと驚いた顔をして、すぐに微笑んだ。
「どういたしまして」
 周平と克巳は相変わらず仲が良く、腕をからませたり手をつないだりして学内を歩いているのをよく見かけた。これが高校だったら一大スキャンダルになっていたと思うが、大学生の反応はクールだ。しかし女たちは確実に二人を、というより克巳を、目で追っていた。
「隅田くんってゲイなの? ってたまに訊かれるんだけど、みんな必ず目がキラキラしてるんだよねー」
「お前にときめいてるんじゃなく、克巳に注目してるんだから勘違いするなよ」
「どっちでもいいけど。ただ、同性愛を嫌う人が克くんに暴力を振るったりしないか心配で」
「たぶん女たちが犯人をボコボコにするから安心しろ……」
 当時の克巳は本当に綺麗だった。いつも周平の方を一心に見つめて、まるでそちら側に光源があるかのように笑顔が輝いていた。その姿はいじらしく、見る者の胸を苦しくさせる。
「克くん、他人の視線を全然気にしないんだ。嫌悪も好奇心も憧れも」
「お前しか見てないからな。全くどこをそんなに気に入ったんだか」
「ひどいなぁ」
 中学・高校と男子校で過ごし、女の少ない理工学部にいるゲイの克巳にとって、女は書き割りの一部程度のものなんだろう。克巳に無償の愛を向ける女たちを、少しあわれに思った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:07| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする