2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その7)

 母親のタンスからブラウスを無断借用する。袖や首回りがゆったりしているデザインで、着てみると、試着して買ったみたいに体に馴染んだ。耳の後ろに香水をかける。母親の匂いがして心が休まる。いや、休んでる場合じゃない。
 化粧をしていった方が良いだろうか。……いや、やめておこう。洋服用の化粧は経験がない。女装に慣れたオカマを演じたらボロが出る。男にも女にもなれず戸惑っている、という演技の方が嘘が少ない。男の格好をしながら、はしばしからにじみ出る女っぽさ。それはそれでかなり高度だ。けれども難しい踊りに挑戦するような心地好い興奮があった。詰まるところ俺は、俺ではない何かになるのが大好きなのだ。
 目の細かい櫛で髪を整え、眉とまつげの乱れをチェックする。ヒゲはかみそりで怪我をしないギリギリまで深剃りした。鏡台の引き出しにチューブ入りのリップクリームがあったので、小指に出して塗ってみる。天ぷらを食った後ようなツヤが出た。
 これが今の俺の精一杯だ。
 周平くん、あたし頑張る。

 面接のために通された部屋は、表のケバケバしいネオンとはかけ離れて、無個性かつ殺風景だった。灰色の棚。灰色の事務机。乱雑に積み重なった書類。机の向こうに座っている人は「社長」と呼ばれていた。顔を真っ白に塗っており、能面の白式尉と姥(じいさんとばあさん)を足して二で割ったよう。人間存在を超越したオーラがあった。
「あなた日舞やってんの」
 社長は履歴書の特技の欄を見て言う。
「下手っぴなんですけどっ 踊っている間はお姫様になれるのが嬉しくって。『男の子だなんて思わなかった』とか『女の子より可愛い』とかとか、いっぱい褒めてもらってぇ……」
 全部嘘じゃねえぞ。襟あしやブラウスの袖口を指でいじり、上目遣いで社長にちらりと視線をやった。
「踊ってみてよ」
「ええ〜っ ほんっと、好きなだけで全然上手じゃなくてぇ〜」
 頬を両手ではさんで二、三度首を振り、困り顏でパイプ椅子から立ち上がる。予想通りだ。そう言われるだろうと思い「京鹿子娘道成寺」を練習し直しておいた。自分が最も可憐に見える場面を、唄いながら踊る。
「どうでもおなごは悪性者〜」
 ブラウスとズボンという姿だと、かなり間抜けな感じがする。しかし「現代のオカマ」より「昔の女」を演じる方が慣れていて気が楽だ。
「都育ちは蓮葉なものじゃえ〜」
 俺は床に体を横たえ、ねちっこく流し目を送った。無垢な娘から遊女の顔へ。あたしを、買ってください。
「ふうん、お金に困ってるんだ」
 つい素に返って息を呑んだ。
「どうして分かったんですか?」
「何年この仕事してると思ってるの」
 本当に何年なんだろう。数百年?
「弁天小僧にならないでよね」
「ゆすり、かたりなんてしません! お店のお金に手を付けるとか、そういう心配は……」
「そっちじゃないわよ。お客の前で正体を明かすなってこと。にせオカマ!」
 社長は般若の顔になり、両目をビカッと光らせた。本当に光った! 恐怖で全身に撃たれたような衝撃が走り、それが落ち着くと、悲しい気持ちになった。失敗か。どんな職場なら俺を受け入れてくれるのだろう。時給の安いバイトでは学費が出せない。サラリーマンになったら勉強の時間が作れない。
 社長はホッホッホ、と高い声で笑った。
「傷つくと、憎たらしいほど可愛くなるのねぇ。ずーっといじめてようかしら」
「いえ、帰ります。お時間取らせて申し訳ありませんでした」
 椅子を引いて立ち上がろうとすると、
「あら、ぶりっ子はもうやめたの?」
「才能が無いようなので諦めます」
「諦めが良いのは美点じゃないわよ」
 俺は社長の顔を見た。普通の、優しげなおっさんの顔だった。色が白いだけで。
「働きたいなら働けば良いじゃない。その花のかんばせも十年経てばギトギト、二十年経てばシワシワになって、二度と元に戻らないんだから」
「花の色は移りにけりないたづらに」
「その通り。花が散るまで、飲んで歌って騒がなくちゃ。頭にネクタイ巻いてね」
 よく分からないが、俺は採用されたらしい。大学の授業のことなどを尋ねられ、とりあえず来週から週三回来るように言われた。
 社長のいる部屋を出ると、赤鬼そっくりのおじさんが目をキラキラさせて近付いてきた。これが周平を占った奴か。
「どうだった? 合格でしょ?」
「そうみたいです」
「キャーッ! じゃあ今日からお仲間ねっ あたしたち、とっても仲良しになれる気がする」
 どうだろう。俺がテンションについていけてないことなどお構いなしに、赤鬼は両手で俺の右手をつかんで激しく振った。
「いたらない点も多いと思いますが……」
「堅苦しいあいさつは無しよ! ここは夢の国なの。浦安にディズニー、新宿にオカマバー。世知辛い世の中を生きる人々には、夢と希望が必要なの」
「はぁ……」
 赤鬼は一歩下がって、俺の顔や体を上から下までジロジロ眺めた。
「白雪姫も裸足で逃げ出すような美しさねっ あなたはきっと沢山の人を楽しませて幸せに出来る!」
 また当たらない占いか。先輩だと思うと邪険にする訳にもいかず、俺は再びぶりっ子になろうと決めた。
「自信ないんですぅ〜 お仕事するのも初めてだしぃ〜 女の子の格好も〜 日舞の時しかしたことないしぃ〜」
「大丈夫!」
 赤鬼は俺の耳にすっと口を近付け囁いた。
「あたしもね、妻と子どもがいるの」
 え? 何も答えられずにいると、赤鬼はチェシャ猫の笑みを浮かべて、
「世界はあなたが考えるより滅茶苦茶で支離滅裂だから安心しなさい。学生は同じ年代の、似たような境遇の人とばかり一緒にいるから、知る機会がなかなかないと思うけど」
 安心? こいつもにせオカマ? ゲイじゃないだけ? 偽装結婚?
 一番の問題は、俺がにせオカマだってバレてることだ!
「俺の女の演技、そんなに下手ですかね」
「お仕事始まったら、特訓してあ・げ・る」
 赤鬼はフフフと笑う。変な奴だが、性根は悪くなさそうだった。
「あたしの名前は『ゆめこ』よ。あなたは?」
「七瀬耕一です」
「じゃあ『ナナちゃん』ね。この間お店に来た可愛い坊ちゃんはお友達? 丸眼鏡の」
 ゆめこさんはそう言って人差し指と親指で丸を作り、目に当てる。前に母親も周平を可愛いと言っていた。意外とおばちゃん受けが良いんだな。
「そうです」
「あの子、自分をウブに見せるのが上手ね。油断しちゃダメよ」

 家に帰るとどっと疲れが出た。今日一日で十年くらい経ってしまった気がする。明日になったら髪が真っ白になっているんじゃないか。
 幸い鏡の中の寝起きの俺は、二十二歳の見た目のままだった。あの店は竜宮城ではなかったらしい。どんよりした顔を冷たい水で洗って目を覚まし、学校へ向かう。
「オカマバーへの就職が決まった」
 俺が神妙に報告すると、周平は目を見開いて固まった。
「本当に?」
「そうだよ」
「本当の本当に?」
「そうだよ」
「本当に本当の本当に?」
「しつこい!」
 一瞬の間の後、周平はぎゃっはっは、ぎゃっはっはと泣きながら大笑いした。
「まさか本当に面接に行くとは思わなかった〜」
「お前が見つけて来たんじゃないか!」
「全部冗談のつもりだったんだよ。履歴書まで書いちゃって、ノリが良いなぁ、って感心してた」
「冗談であそこまでやるか?」
「だって、七瀬がオカマになるなんて絶対無理だと思ってたから。おネエでもゲイでもないってすぐバレたろう」
「よく分かるな」
「君には自分がどう見えるかという意識がまるでないじゃないか。ゲイはこの社会で少数派だから、目立って攻撃されないために何かしら工夫してるはずだよ。僕だってゲイじゃなかったら『普通』になるために努力したりしなかった」
 俺は驚いて周平の顔を見た。
「お前はただ平凡なんじゃなく、意図的に平凡なのか」
「どうだろうね。どこまでが作った自分で、どこまでが本当の自分かなんて分からないよ。ただ、ゲイだったことは人格形成に影響を与えたと思う。あの人目を気にしない克くんだって、彼なりに色々苦労してるみたいだし」
「あいつは妙にピリピリしてるよな」
 周平は左右を見て、克巳がいないことを確認した。教室まで入ってくることは滅多にないのだが。
「克くんには絶対に言っちゃダメだよ」
「何だ、秘密の暴露か」
「たぶん彼は、もっと女の子みたいになりたいんだと思う」
「今だって十分女の子じゃないか」
「あれで男らしくしてるつもりなんだよ」
「お前の前だと女っぽくなったりするのか」
「逆。僕の前だともっと男っぽくなろうとする。でも時々、左利きの人が右利きに矯正してるような歪みを感じる。僕としては、もっと楽に生きて欲しいんだけど」
 周平は誰もいない空間をじっと見つめた。
「ゲイっていうのは外から差別されるだけじゃなく、自分の中の気持ちの整理も大変なんだな」
「そういう繊細な人たちのサンクチュアリに土足で踏み込もうとしていることは忘れない方が良い」
 周平はいつも通り、穏やかな微笑みを浮かべている。しかしその内側に、熱い怒りがあるのは明らかだった。
「なあ。俺は酷いことをしようとしてるのか?」
「君を責めてるんじゃない。ただちょっと気をつけて欲しいと思っただけだよ」
 周平は俺の顔を見て、目を細めた。
「本格的に女装したら、さぞや美しくなるだろうね。お店としては不細工な本物のオカマより、綺麗なニセモノのオカマの方がありがたいはずだ。何よりお客を喜ばせるのが大事だもの」
「残酷だな」
「商売というのは徹頭徹尾、残酷だよ。……七瀬は僕だけのものだったのに、みんなのものになっちゃうんだね」
「なあに、それ。愛の告白? 克くんに言いつけちゃおうかしらっ」
「いややや、本気でマズいからやめて」

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「花の色は移りにけりないたづらに」
 は小倉百人一首(小野小町)からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:03| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする