2015年12月20日

贋オカマと他人の恋愛(その8)

 オカマバーでは最初のうち、とにかくおとなしくしていなさい、と言われた。ドレスを着て先輩に化粧をしてもらうと、
「こんな美女と現実で出会うことはないだろうな」
 と思う程度には綺麗になった。ナルシストだったら二度と鏡から離れなかっただろう。俺は美人にも自分にも興味がないので、夢の中でも出会えないレベルになるために、他人の技を盗もう、と誓った。
 案の定、俺はおばちゃんにモテモテだった。特に地方から観光で来るおばちゃん軍団は、競い合って俺と記念撮影したがった。
「この子、男の子なのよ。タマタマはまだ付いてるって!」
 と留守番の旦那に写真を見せるのだろう。楽しい東京の夜の思い出。自分が金閣寺、銀閣寺みたいな存在になれるのは素直に嬉しかった。
 観光客の中には歌舞伎座へ行ったと言う人もおり、演目を聞くとつい名場面を再現してしまう。
「『女郎は客をだますものと、知ってはいれど色香に迷い、度重なったその挙句、身請けをしよう、なろうと言う、相談さえもまとまって、我が花とせぬそのおりに、手折りし主の栄之丞ゆえ、満座の中で悪口され、恩を仇にて次郎左衛門に、よくも恥辱を与えたな』
『そんなら解けたとおっしゃったは、誠のことではなかったか』
『積もる思いも人目をいとい、今日まで胸にこらえていたも、辺りをはばかりこの二階で、われに遺恨を返さんためだ』
『そのお腹立ちはもっともながら、これには深い訳のあること、お気を鎮めてくださりませ』
『今さらとなり言い訳聞かぬ、八ツ橋、われが命はもらったぞ!』
『アレーッ』」
 女形はともかく立役が男らし過ぎて先輩はハラハラしたと思うが、おばちゃんたちからやんややんやの大喝采を浴びたので文句は言われなかった。言わせるものか。
 一方、男性客には面白いくらいモテない。俺が見えてないんじゃないかと疑いたくなるほど無視された。彼ら、特に酔っ払ったサラリーマンは、本物のオカマをしっかりと嗅ぎ分ける。彼女たちの多くは肉体と精神の性の不一致により普通の職場に馴染めず、選択の余地なくオカマバーに勤めていた。人あしらいの下手さにつけ込み、サラリーマンは胸や腹のあたりをベタベタ触る。男の体に女の心。これ以上気安いおもちゃが他にあるだろうか。
 あんまりおイタが過ぎる時には、妬いている振りをして割って入った。彼女たちに触れたがるサラリーマンも、守りたいと願う俺も、男なのだなぁ、と感じ入る。オスとメス。猿の集団を観察しているようだ。
 接客を重ねるうち、この店における自分の立ち位置が見えてきた。楽な仕事ではないが、これならしばらく続けられそうだ。

「今日、おじいさんを殺しそうになっちゃった〜」
 心配していた母親も、三日で辞めることなく薬局の仕事を続けていた。
「大丈夫なのかよ」
「お母さんが悪いんじゃないのよ。医者の書いた処方箋がいい加減で、薄めなきゃいけない薬をそのまま出しそうになって」
「薬剤師というのは薬の正しい濃度を知ってるんじゃないのか」
「お母さん、元・薬剤師だもーん。というよりニセ薬剤師?」
 お前もニセモノかよ。
「資格持ってるんだろ」
「薬剤師の免許が更新制じゃなくて助かったわ〜 大学で習ったことなんて綺麗さっぱり忘れちゃってる」
「恐ろしいな」
 五十を越えて仕事を再開するのは相当キツかったらしく、母親は家事、特に掃除を全くしてくれなくなった。家中が荒れ果ててゆくのを見かねて、俺が掃除機をかけ、トイレや洗面台を磨くようになった。ふた月前には毎日勉強のことだけ考えて過ごせば良かったのに。風呂場でカビキラーを流すためにズボンの裾をビシャビシャにしながら、平家物語の冒頭をつぶやいた。
 八月には大学院の入試があった。学内推薦で入れることは決まっていたので、形だけの口頭試問だ。卒業に必要な単位は取り終えていたから、後は無事に卒論を出せれば…… いや、大学院の学費がまだ用意出来ていない。周平には反対されたが、いざとなったら学資ローンでも何でも組んでやる。
 卒論の準備は順調だった。必要な資料はあらかた家にそろっている。仕事と掃除で時間がなくなった分、優先順位をつけて早め早めに行動した。三年まで遊びほうけていたら大学院どころか卒業も難しかったかもしれない。脇目も振らずガリ勉を続けた自分に感謝した。

 佐知子さんが最初に店に来たのは、蒸し暑い夏が終わり、大気が生まれ変わる秋の始まりだった。
 ゆめこさんに呼ばれて個室へ行くと、ソファーに女の客が座っていた。おばさんとは呼びにくい、しかしお姉さんと呼ぶにはとうが立っている。そんな肌質だ。こちらを向き、間違いが無いか確認するような目で俺を見た後、ニコッと微笑んだ。
「お金はいくらでも出すから、この店一番の美人をお願い、って頼んだの。そうしたら入口の赤鬼さん『この店には美人しかいないのよ。あたしを見れば分かるでしょ!』だって」
「きっと鬼の世界ではあの人も美人なのよ」
 女は手で口元を隠して笑う。
「どんな人が来るんだろうってドキドキしながら待ってたんだけど。良かった。ちゃんと一番綺麗な子にしてくれたんだ」
 俺はウーロン茶をテーブルに置き、五十センチほど距離を取って女の隣に座った。
「名前を教えて」
「ナナ。ナナちゃんって呼んで。あなたは?」
「佐知子」
「じゃあ『サッちゃん』ね」
「あはは。子どもの頃みたいでくすぐったいな」
「いや?」
「ううん、それで良い」
 サッちゃんは夢見るようにうっとりと俺を見つめ続けた。
「お金はいくらでも出すなんて豪儀ねぇ」
「豪儀!」
 そんなに変な言い方だろうか。俺は自分の意図と関係なく笑われることがたびたびあった。
「おかしい?」
「ごめんごめん。若いのに、ずいぶん古風な言葉を使うと思って。じゃあ私も合わせて昔っぽい歳の訊き方をしよう。ナナちゃんの干支は?」
「辰」
 眠そうなタレ目がパッと丸く開いた。
「ちょうど一回り違うんだ。私も辰年。十二支の中で唯一の架空の動物」
 ということは三十三か三十四。サッちゃんは両手を開いて言った。
「カルテが無いと不便だね。全部聞き出さないといけない」
「まぁ、お医者さんなの?」
「産科医」
 つい生つばを飲み込みそうになって自分に呆れる。中学生か、俺は。
「興奮する? ……そんな訳ないね。男の子が好きなんだから」
 俺は何も答えず曖昧に笑った。
「私、不良になるためにこの店に来たんだ。灰皿ある?」
 サッちゃんは黒い大きなカバンから白い箱を出し、その中の茶色い棒をつまんだ。タバコにしては太く長い。
「葉巻?」
「院長のをくすねて来た」
「大丈夫なの……?」
「裁判したら絶対勝てる、ってくらい超過勤務させられてるんだから、葉巻一本なんてどうってことないって」
 二人で葉巻をじっと眺める。
「吸い方は?」
「知らない」
「あたしも知らないわよ」
「ハサミある? 確か、火をつける前に端を切るんだ」
「ちょっと待ってて。千年前から生きてるオカマに訊いてくる」
 ノックしてドアを開けると、社長は分厚い帳簿に何やら書き付けているところだった。
「あの、葉巻を吸う人の接客はどうやれば良いんでしょうか」
「吉田茂でも来てるの?」
「とっくに死んでますよ」
 俺はシガーカッターを借り、葉巻は置いたままにしておくと火が消えてしまうことなどを教わった。
「乱暴されそうになったら逃げてね」
「はっ? 何でですか」
「今どき葉巻を吸うなんて、威張りくさったジジイじゃないの」
「女性です。可愛らしい」
 社長は無表情で俺の目をまっすぐ見た。
「なお危ない」
 サッちゃんのいる部屋へ戻って、言われた通り端を切り、反対の端にマッチで火をつけた。甘く妖しい香りが部屋に満ちる。
「素敵ねぇ。タバコは嫌いだけど、これなら歓迎だわ」
「でしょ、でしょ!」
 サッちゃんは楽しそうに葉巻をくわえ、すぐにゲホゲホ咳き込んだ。
「うえええ」
「吸うと不味いの?」
「私はダメだ」
「香りは良いのにね」
 それは阿片の匂いに似ていた。と言ってももちろん実物を嗅いだ経験はないから「想像の中の阿片」だ。頭の芯が麻痺し、現実なんてどうでもよくなる重怠い空気。
「あたしも吸ってみて良い?」
「どうぞ。私はもういいや」
 深く吸うと体に悪そうなので、口に含んだ煙を誰もいない方向へ吹いた。
「舞台女優みたいに決まってる。でも若い女の子がタバコ的なものを吸っていると止めたくなるわねぇ、職業柄」
「平気よ、ニセモノの女の子だもん」
 サッちゃんは本物の女じゃないか。心配になって左手の薬指を見ると、指輪はなかった。マニキュアは塗っておらず深爪で、子どもっぽい手だ。
「結婚してるかチェックしてるの?」
「ご、ごめんなさい。不躾に」
「大丈夫。妊娠する可能性は一ミリもない。おそらく永遠に」
 病気か何かかな。俺は言うべき言葉を見つけられず、黙り込んだ。
「そんな悲しそうな顔しないで。私、男の人が苦手なんだ。だから一生誰とも付き合わないだろうなって、ただそれだけ」
「あたしも男よ、一応」
「ナナちゃんは怖くない。美人をお願いしたのは、なるべく女らしい人に来てもらいたかったの。別に面食いな訳じゃないんだよ。……葉巻の火、消えちゃったね」
「もう一度つける?」
 サッちゃんは首を振った。
「お香みたいに焚いておけたら便利なのに」
 これからまた病院に戻ると言って、お酒は一滴も飲まなかった。それでもサッちゃんは酔った人のように饒舌になって、満足そうに帰っていった。

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「女郎は客をだますものと……」
 は歌舞伎「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 00:00| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする