2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その9)

「卒論は進んでる?」
「どうにかな」
 四年の後期は授業を入れずゼミだけにしたので、周平に会う機会は格段に減った。その日はたまたま図書館で出くわし、一緒に昼食を取ることにした。
「お前は?」
「興味のない映画を立て続けに見るのはけっこう苦痛だね」
「そりゃそうだろうよ」
「まあ、能よりはマシだ」
「不眠症になったら見に行け」
 周平の笑顔を久々に見て、俺もホッとする。
「克巳は元気か」
「うん。卒業研究で忙しそうだけど」
「あいつは就職決まってるのか?」
「克くんも大学院だよ」
「学費出せるのか」
 周平は生姜焼きをモグモグ噛みながらうなずく。
「お小遣いが少ないのは家の教育方針で、彼は本当のお坊ちゃんだもの」
「悪かったな、ニセモノのお坊ちゃんで」
「もはやお坊ちゃんですらない」
「全くだ」
 金が無くなったことを話題にすると、周平は嬉しそうな顔をする。我が家の没落を喜んでいるように見えるのは気のせいか。
「働き始めてから、たくましくなったよね」
「だと良いんだがな」
「大きくなれよ〜」
「お前に言われるとムカつく」

 銀杏の葉が散って道が黄色く染まる頃、サッちゃんが再び店にやって来た。あいさつをするより前に、俺の胸元にすっと何かを挿し入れる。引っ張って取り出す時に、ことりと床に物が落ちる音がした。
「プレゼント?」
 それは藤色のスカーフだった。
「あげたかったのはこっち」
 サッちゃんは床に落ちた物を拾ってテーブルに置いた。
「え……?」
 丸められた一万円札が輪ゴムで留めてある。広げてみると十枚あった。
「スカーフはご祝儀袋の代わり。使ってくれたら嬉しいけど」
 有名ブランドのマークが入っている。大尽客の寵を得た遊女。芝居や物語では馴染みのある場面だが、いざ自分がその立場になってみると、どうしたら良いのか分からない。
「いやだった?」
「そ、そんなことない。ちょうどお金に困ってて……」
 しまった。そんな話、客にするつもりないんだ。
「そうなの? 一億二億じゃ無理だけど、額によっては出してあげるよ」
「ううん、これで十分!」
「借金?」
 事実を話し始めたら、俺の正体まで全部さらしてしまいそうで怖かった。
「借金はないの。ただね、えーっと…… パパが商売でしくじって、夜逃げしちゃったの」
「パパって、パトロンのこと?」
「ううん、実の父親。それで突如、あたしの細腕で年老いたママを養わなきゃいけなくなったわけ」
 年老いてないし、あんたに養われた覚えもなーい! と怒る母親が見えるようだった。迷惑かけられたのは確かなのだから、ネタにするのは許して欲しい。
「それまでは裕福でね、可愛い服も好きなだけ買ってもらえて、でもパパがいなくなってから一枚も買ってないの」
 買う必要もないくらい、タンスは服でパンパンなのだが。
「だからこのスカーフをもらえて、とっても嬉しい! 宝物にする!」
 これでうまくつながったんじゃないか? どうだろう。
「お父さんはどんな仕事をしていたの?」
「不動産」
「ああ、バブル崩壊で酷い目に遭った人がいっぱいいたらしいね……」
 父親の人柄は訊かないでくれ。俺も知らない。
「サッちゃんのパパは何してるの?」
「医者だよ。商店街の真ん中で開業医してる」
「すごーい」
 サッちゃんは困ったような、誇るような、不思議な笑みを浮かべた。
「父も、伯父も、兄たちも、みんな医者なの。他の生き方を知らないのね」
「立派なことよ。サッちゃんの一族は世界を守ってる。みんなの健康を取り戻して」
「それなら良いんだけど」
 温かいレモンティーを一口飲み、サッちゃんは続けた。
「実家は個人でやってる診療所だから大した検査も出来ないし、重い病気が疑われる患者さんには紹介状を出して、大きな病院へ行ってもらう。でもね」
 寝ているような目が、さらにとろんと溶ける。
「みんな戻って来ちゃうの。『東京まで通うのは面倒だから最期まで先生診てくれよ』って言って。それで死んじゃうの。父の前で」
「ねえ、もしかしてお父さん、サッちゃんと顔が似てるんじゃない?」
 不意を打たれたような表情でこちらを向く。
「そうだよ。瓜二つ」
「絶対そうだと思った! サッちゃんを最初に見た時にね、なんて優しそうな人だろう、仏様みたい、って感じたの。みんなきっと安心しきって天国へ行ったわよ」
「それって良い医者なのかな。励まして闘病させて、長生きさせるべきじゃなかったのかな」
「別に無理して生き続けるほど良い世の中でもないじゃない」
「……それもそうね」
「尊敬出来るお父さんがいて羨ましいわぁ」
「往診も進んでするし、昔気質な人よ。父は患者さんたちの干支を全部覚えてるの。性格が分かって診察の役に立つんだって」
「今で言う血液型占いみたいなものかしら」
 サッちゃんはうなずく。
「佐知子は辰年で本当に良かった。もう少し遅く生まれて巳年になっていたら大変だった。巳年の人は執念深くて、ちょっとのへまも一生忘れない。巳年の患者を診る時にはいつもの何倍も緊張する…… なんて言うの」
 サッちゃんは笑うが、俺はゾッとして笑えなかった。早生まれの克巳は巳年なのだ。
「これって差別よね」
「かつて干支の迷信には無視出来ないほどの影響力があった。丙午みたいに」
「次の丙午には私もヒマになるかな。それともその頃には、血液型しか気にしなくなってるかな」
「何も気にせずのんきに暮らしたいわ」
「本当にね」

 サッちゃんが帰った後、大慌てで社長の部屋へ行った。
「お客さんから十万円もらいました」
「良かったじゃない」
「巻き上げないんですか?」
 社長は机の上のアメを投げた。
「痛っ」
「『マージン取らないんですか』とか、言いようがあるでしょう」
「ああ…… とにかくこのお金はどうすれば」
「帰りにATMへ寄って貯金したら。最近は物騒だし」
「全額自分のものにして良いんですか」
「あなたが受け取ったチップじゃない」
「チップにしては高過ぎます」
 社長は帳簿から顔を上げ、俺を見た。
「まずはアメを舐めて落ち着きなさい」
 ぶつけられたアメを拾うと、ミルキーだった。
「昔働いてたお店がね、チップを半分納めるルールで、それがとっても嫌だったの。やられて嫌なことは人にしないのがあたしの信条」
「でも」
「巻き上げて欲しいの?」
 社長は目を細め、唇だけで笑う。
「十万円分働いたとは…… とても思えなくて」
「葉巻の女でしょ。来店した時には死んだような顔してたのに、生き返ってニコニコして帰ったって、ゆめこが言ってた。立派なもんじゃない」
「一緒に葉巻を吸って、たわいない話をしただけです」
「歳を重ねると、その『たわいない話』をするのが難しくなるの。忙しくなってケチになって、人の話を聞くために時間を割くのが惜しくなる。それでも自分の話は聞いて欲しい。そのジレンマをお金で解決する人たちが、うちみたいなお店の最高のお客になってくれるわけ」
「佐知子さんはケチなんじゃなくて…… 疲れてるんです。朝から晩まで患者の話を聞いて、夜勤もしょっちゅうで、ヘトヘトなんです」
「そしてここに来て元気になって、十万円置いていった。ねえ、あなたが何を気に病んでいるのか、あたしにはちっとも分からないんだけど」
「十万円もらったからには、もっと何かしなきゃいけないんじゃないでしょうか」
「何するの。体でも売るつもり?」
「いえ……」
 佐知子さんが望んでいるのはそんなことじゃない。
「お客は気まぐれに好き勝手なことするんだからさ、いちいち思い詰めていたら身が持たないわよ」
「はい」
「せいぜいがっかりさせないよう頑張ったら。ほんと、顔に似合わずクソ真面目なんだから」
「顔は関係ないです」
 頑張る、というのはずいぶん抽象的な言葉だ。結局どうしたら良いのだろう。
 サッちゃんはその後、ひと月に一度くらいのペースで店に来た。俺を指名し続け、十万円のご祝儀も欠かさなかった。そのおかげもあって、大学院の最初の年の学費はどうにかなりそうだった。
「昨日、卒論提出してきた。これで卒業出来ると思う」
「あらそう。良かったわね」
 母親は俺の勉強の話にほとんど興味を示さない。昔からそうだ。いくら良い成績を取っても褒められたためしがない。母親が俺に求めているのは、もっと別の何かなのだろう。
「そう言えば、大学院の話はどうなったの?」
「行くよ。試験にも合格してる」
「学費出せるわよ」
 俺は母親の顔を見た。
「修士でも博士でも、どこまででも行ったら良いわ。おばあさんになってばったり倒れるまで働くから。悪い男にだまされたと思って、耕一に貢いじゃう」
「ひでぇな……」
 母親にそんな覚悟をさせるとは、落語に出て来るダメな若旦那みたいだ。まあ、似たようなものか。
「一年目の学費は用意してある。二年目以降はどうなるか定かじゃない。もしかしたら借りることになるかもしれない。でも、基本的には自分で出そうって決めてるんだ」
 母親は思わぬものを見つけたような顔で、俺を見上げた。
「遠慮しなくても良いのよ?」
「本来なら就職すべき状況なんだ」
「バッグを五十個売ってお金を作ったのに」
「五十個?」
「あんまり気に入らなくて使ってないものを手放したの。女なら誰でも、三百個はバッグを持っているものよ」
「腕は二本しかないだろ……」
「耕一は男だから分からないでしょうね」
 男か女かの問題か?
「家に生活費を入れる余裕はないと思う。ごめん」
「生活に困ったら、またバッグを売りましょう」
 没落貴族の優雅な微笑みを浮かべて、母は玉露をゆっくり飲み干した。
 卒業式には黒紋付の羽織袴で出席した。女子学生は和装も多かったが、男はスーツか普段着だったのでひどく目立った。すれ違う人がみなこちらを見る。
「女の袴にすれば良かったのに」
 久々に会った克巳が薄笑いで言った。本人は深緑のジャンパー、つまりいつも通りの格好をしている。
「少し考えた。しかしうちは貧乏になったからな、レンタル料が惜しくてやめた」
「女装したらもっと注目されてたかもね」
 周平は新品の、体に馴染んでいないスーツを着ていた。
「ここにいるどんな女より綺麗になる自信があるぞ。不慣れな安っぽい着物を着た女たちは何であんなに醜いんだ」
「そうかなぁ。キャーキャー騒いで楽しそうじゃん。ちょっと羨ましい……」
 克巳は周平と手をつないだまま、袴姿の女子学生の集団を見つめていた。お前こそ女装すれば、という言葉がのど元まで出かかり、ぐっと飲み込んだ。それは克巳にとって、軽く冗談に出来るような話題ではないのだ。
「周平はスーツを着ると大人っぽくなるよね」
「大人というより『おっさん』だろ」
 克巳は俺の茶々を完全に無視し、周平を見上げ、ポタポタ涙を流し始めた。
「一人だけ…… 遠くに行っちゃう…… 周平、周平……」
「別に卒業したって何も変わらないよ〜」
 二人の世界になってしまい、俺は観客になる。俺がいなくなってからやれよ。というより、俺が早くいなくなるべきなのか。
「邪魔者みたいだから俺は帰るぞ」
「えっ、そうなの? もうちょっと話そうよ」
 周平は名残惜しそうにする。克巳の髪が怒りで逆立つのを感じる。ああバカ周平。
「いいじゃん、こんな奴! おれが大事な話をしてるのに! 周平はいっつも七瀬、七瀬って、ムカつくんだよ!」
 卒業式くらい罵倒されずに済ませたかったのに……
「もう会うこともないだろうから腹立てるなよ」
「せっかく仲良くなったんだから、また三人で会おうよ」
「嫌だ! 会いたくないっ」
 俺は羽織の袖でそっと口元を隠し、周平に流し目を送る。
「じゃあ二人っきりでお会いしましょう、周平くん………」
 克巳が目をギラギラさせて俺を睨む。
「いーやーだっ! 絶対ダメッ!」
「な? どうやったって俺はお前たちに会えないんだよ」
「寂しいなぁ」
 克巳は周平を憎しみの目で見る。
「お金持ちになったらうちのお店に来てちょうだい」
「行くもんかっ」
「克巳は大学院なんだから、これまで通り文学部の方へ遊びに来てくれたって良いのよ?」
「行くもんかーっ 周平のいない文学部になんて何の意味もない!」
「ねえ七瀬。克くんも落ち着いたら考えが変わるかもしれないし、また三人で会おうよ。せっかく友達になったんだ」
 周平の声には真心がこもっていて、胸が熱くなったのを、俺はすぐに隠した。
「チワワを説得出来たらな。じゃ、二人とも元気で」
 結局その後、三人で会うことは、二度となかった。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:59| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする