2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その10)

 大学院での研究は自分一人でやって来たことの延長線上にある。お仕着せばかりの中学・高校の学習。それよりマシとはいえ自由の少ない大学の授業と試験。俺の歩む道とは離れ平行に進んでいた学問の道が、ようやくこちらに近付いて来た。
 ゼミの輪講などとは別に、高校時代から記録し続けている観劇ノートをパソコンで打ち直す作業もした。歌舞伎ファンのためのホームページを作るのが目的だ。俺は専門家だけでなく、一般の人たちがどのように歌舞伎を楽しんでいるのかに興味があった。アンケートを取り、ゆくゆくは研究にも活かしたい。人を集めるのにインターネットは金もかからず便利だった。
 オカマバーでも業者に頼んでホームページを作成してもらうことになり、トップ画面に俺の写真を使っても良いかと社長に尋ねられた。
「構いませんよ」
「ここで働いていることが家族や友達にバレて困ったりしない?」
「母親には内緒にしてますけど……」
 オカマとして働いていると知ったら、母親が狂喜乱舞するのは目に見えている。近所の人を集めてツアーを組んで店に来てしまうかもしれない。人と違う、美しい息子を自慢するのが母の最大の喜びなのだ。親孝行も悪くないが、巻き込まれるご近所さんたちに申し訳ない。
「母はパソコンを使えないので、大丈夫だと思います。たとえバレても、田舎から逃げるように出て来た他の子みたいな被害はありません」
「それなら良いんだけど」
 社長は心底心配していたらしく、ホーッと大きく息を吐いた。
「ただし下手な写真だったら撮り直しさせますから」
「は?」
「腕の良いカメラマンにしか撮られたことがないんです」
 日本舞踊の発表会で俺の撮影を担当していた人の名前を告げると、社長は目を剥いた。
「何でそんな有名な写真家なのよ!」
 あごをツンと前に出し、高慢な笑みを作ってみせる。
「あたしを誰だと思ってるの?」
「本当に何者なのよ……」
 俺が子どもの頃、その写真家はまだ駆け出しで、気軽に素人の撮影もしてくれたのだ。有名になった後も呼び続けるために、母親が大枚はたいていたのは想像に難くない。
「没落した成金です、単なる」
「うちはそんなお金かけられない。ゆめこに撮らせようと思ってた」
「せめてプロにお願いしましょうよ。売り上げに響きます」
「すでに予算オーバーで泣いてるのにぃ〜」
 社長が電卓とにらめっこし、営業マンと大ゲンカを繰り返した末に完成したホームページは好評で、明らかに客が増えた。
「ネットに出てるあの子に会いたい!」
 と俺を指名してくれる人も多く、にわかに忙しくなった。研究と仕事。余分なことを一切しない生活は飛ぶように過ぎてゆく。内省の時間が少ないのは気になったが、充実感があり楽しかった。
 予約客のパーティーが終わり部屋を出ると、ゆめこさんが手招きしている。
「何ですか」
「さっき佐知子さんが店に来たの」
 決定的な失敗をとがめられたような感触で、血の気が引いた。
「事情を説明したらすぐ帰っちゃった。挨拶だけさせましょうかって言ったんだけど」
 その日の客は俺を直接指名した上で予約を取っていた。たとえ上客の佐知子さんが来たとしても、長時間部屋を離れる訳にはいかない。
「あの人も予約してくれないかしら」
「予定の立たない仕事なんで、無理だと思います」
「そうよね……」
「もしまた今日みたいなことがあったら、引き止めて俺を呼んでください」
「あんまり意地悪は言いたくないんだけど」
 ゆめこさんは耳元に顔を寄せて囁いた。
「今のあなた、すごーく男っぽくなってるから気をつけてね」
 火が出るほど顔が熱くなった。真っ赤になっているのが自分でも分かる。
「い、いつも通りです……」
 ゆめこさんはニヤリとし、その後何故か寂しげに微笑んだ。
「サッちゃんはナナちゃんの大切なお客様だもの」
 釘を刺されているのだ。分かっている。
 一体の文楽人形が脳内を横切った。あれは……「心中天網島」の小春か。ダメ男の紙屋治兵衛と一緒に死んだ律儀な遊女。俺は小春だろうか、治兵衛だろうか。心中しようと誘ったら、サッちゃんは断るはずだ。自分のためではなく、待合室にずらりと並ぶ腹の中の赤ん坊のために、あの人は生きている。たとえその列の終わりが見えなくても。

 ひと月ほど後、佐知子さんは再び店に来た。俺は他の客の席にいたため、ゆめこさんが気を利かせて交代してくれた。
「あたしナナちゃん。急に二十年経って太っちゃった」
「えー」
 無茶な会話を背中で聞き、足早に佐知子さんのいる部屋へ向かう。
「久しぶり。会えて良かった」
 今までで一番具合の悪そうな顔をして、それでも嬉しそうに俺を見上げる。
「この間はごめんなさい」
「いいの。それよりホームページ見たよ。私のスカーフ、使ってくれてるんだね」
 撮影の時、最初にもらった藤色のスカーフを首に巻いた。この遊女は佐知子さんのものです、という印として。そのことを伝えたかった。でもどうしても上手く口に出せなかった。
「……似合ってた?」
「とっても! 私もナナちゃんみたいに美人だったら、おしゃれを楽しめるのに」
「お洋服を選ぶのは嫌い?」
「無難な服ばかり買っちゃう」
「サッちゃんのように淑やかな人は、洋服より着物が似合うわよ」
「淑やかなんて言われたことない。タレ目だから?」
 そのタレ目をいよいよ細くして、サッちゃんは笑う。
「そうね、ききょうの花を散らした友禅はどうかしら。サッちゃんの優しさと聡明さが引き立つわ。綺麗よ、きっと」
 サッちゃんは表情を失くし、顔を背けた。
「着物は嫌い?」
「そんなことない。素敵だと思う。成人式にしか着たことないけど」
「……ねえ、やっぱりこの間会えなかったこと怒ってる?」
「そんなことない。仕方ないことじゃない。仕事ってそういうものでしょう。ただ」
 その続きをなかなか言ってくれなかった。息苦しい無言の時間が続く。
「サッちゃん?」
「お金で誰かの時間を買うなんて恥ずかしいね」
 音もさせずに、サッちゃんの瞳から涙の粒がこぼれた。
「ごめん。今日の私、おかしい」
「働き過ぎて疲れてるのよ。オカマバーはお客さんが元気になるための場所なんだから、そのために泣いたって笑ったって良いのよ」
「仕事は辛くないんだ。緊張するし忙しいけど、赤ちゃんが産まれてくれば全部報われる。そういう現場に立てることを誇りに思ってる」
 サッちゃんの目から、たぶんさっきとは違う意味の涙が二粒ばかり落ちて、唇に微笑みが戻る。
「原因は私にあるの。最近ね、妊婦さんやお母さんになったばかりの人たちと話していると『上辺は素直に私の話を聞いているけど、心の中で私を軽蔑しているんじゃないか』という気持ちが膨らんで、時々耐え切れなくなる」
「被害妄想」
「分かってる」
「ねえ、働いている病院に精神科もあるんでしょう? 時間見つけて診てもらったら?」
「これは病気じゃない。だから治せない」
 医者にそう断言されてしまうと、素人の俺にはどうしようもない。
「『医者の不養生』とか『紺屋の白袴』とか『坊主の不信心』とか、その手のことわざがいっぱいあるじゃない。よく起こることなのよ」
「坊主の不信心」
 サッちゃんは笑いながら俺の首筋を撫でて、すぐに手を引っ込めた。
「私は医学を信じてないのかもしれないね」
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:58| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする