2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その11)

 ゆめこさんはこの店の隠れた有名人だ。よく当たる占い師、どんな重たい内容の相談でも受け付ける市井のカウンセラーとして、口コミで評判が広まった。客が客を呼んでくる。店のホームページにはゆめこさんの情報をあえて出していない。悩み事を抱えた客が殺到して、ゆめこさんの負担が増えるのを社長は心配していた。何しろゆめこさんは、社長を含めた社員全員の相談役でもあったのだから。
「精神病のお客をどうするか?」
「まだ確定じゃないんです。精神科へ行くよう勧めても、病気じゃないって言い張って」
「サッちゃんでしょ? あの人、病気じゃないわよ」
 ゆめこさんは「お医者様でも草津の湯でも」と適当なメロディーで歌って腰を振る。
「からかわないでください。妄想の症状が出てるんです。悪化すると『智恵子抄』の智恵子みたいになってしまうんじゃないですか」
「高村光太郎。美しいわねぇ…… 悪いけど、本当の精神病はあんなにロマンティックじゃないから」
「見たことあるんですか」
「常連客の九割が精神安定剤を飲んでる」
「ほとんど精神科医じゃないですか」
 噂にたがわぬ深刻さに、度肝を抜かれる。
「あたしが説得して病院に通わせてる人もいるもの。医者もたまには紹介料払って欲しいわー」
「説得はどうやって」
「さっきも言ったように、サッちゃんは病気じゃないから説得しても無駄よ。あの人の心は人一倍強靱。自分が今どんな状況にあって、問題を解決するために何をしたら良いか、ちゃんと自分で考えて実行出来る」
「そんな風に見えないです」
 ゆめこさんは慈悲深い顔になり、背伸びして俺の頭を撫でた。
「うわっ カツラ取れますから!」
「だってぇ〜 可愛いんだものー」
 他の客の前で馬鹿騒ぎしている時も、学校の図書館に籠もり資料を漁っている時も、佐知子さんのことが頭から離れなかった。俺は佐知子さんに何をしてあげられるのだろう。一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、佐知子さんは店に現れなかった。俺が思えば思うほど、二人の距離は遠くなるようだった。
 学校も仕事も休みのある日、自室で短いレポートをまとめている最中に、母親が俺を呼んだ。
「辻堂くんから電話よ」
「辻堂?」
 ゼミにそんな名前の奴はいない。オカマバーで働いている誰かの本名だろうか。十秒ほど悩んだ末、それが克巳の苗字であることを思い出した。周平ならともかく、克巳? 訝しみながら受話器を耳に当てると、聞こえて来たのは泣き声だった。
「七瀬くん? 周平が……周平が……」
「何だ! 周平死んだのか!」
「違う、死んでない。生きてるけど……浮気……」
「周平が浮気したのか」
 アホらしい。犬も食わない痴話げんかか。俺は克巳が勝手にやきもちを焼いているのだろうと解釈した。
「違う。おれが……浮気して……」
「はぁぁぁぁ?」
 叫び声のような大声を出してしまって、母親ががらりと戸を開ける。
「何ごと?」
「すまん、何でもない」
 受話器の向こうの訳の分からない男は、ずっとしゃくり上げている。
「何で浮気なんかしたんだよ!」
 泣き声が激しくなるばかりで、答えない。
「切るぞ」
「切らないで! 会って、話して……お願い……」
 女みたいなか細い声で繰り返し懇願され、俺は大学近くのファミリーレストランを待ち合わせ場所に指定した。机の上に広げた資料をカバンに突っ込み、家を出る。浮気? 克巳が? はたで見ていて異様なほど、一途だったのに。気が付けば大学卒業から一年近く経っている。電車の中でレポートの続きを書きながら、幸せそうに体を寄せ合う克巳と周平を思い出していた。
 レストランの入り口に立つ克巳は、卒業式と同じジャンパーを着てうつむいていた。茶色い髪がにわか雨に濡れてぐしゃぐしゃになっている。
「克巳」
 俺を見るなり克巳は、その場でへたり込んで泣き出した。
「こんな所で座るな! とりあえず店に入れ!」
 克巳の腕を引っ張り、不審がる店員の視線を気にしないようにして、コーヒーを二つ頼んだ。席に座ってしばらくの間、克巳は何も言わずに泣き続けた。鼻水が垂れて困っている様子だったから、ポケットティッシュを渡した。
「あ……りがどう」
「俺に何の用だ。忙しいんだよ。泣いてるお前を眺め続けるヒマはない」
 傷ついている人間に対して、もっと別の言い方もあるだろうに。改めて自分が嫌いになった。
「ごめん。……周平に電話をかけて欲しい」
「俺が?」
 克巳はこくんとうなずく。
「何でだよ」
「おれが浮気して……周平怒って……電話に出てくれなくなった」
「そりゃそうだろう」
 克巳の目から絶え間なく涙が流れ出る。優しくしたいと思うのに、キツい言葉でいじめ抜きたいという気持ちが抑えられない。ああ、俺はこいつに腹を立てているんだ。冷静になろう。何か事情があるのかもしれない。
「落ち着いて最初から話せ。黙って聞いてるから」
「ホテルで男とセックスしている時に、周平から電話がかかってきた」
 いきなり生々しいな、とツッコミたいのを我慢する。
「携帯を、そいつが、取って…… おれが代わったら、すぐ切れた。その後いくら電話をかけても出てくれない」
 他人の携帯に簡単に出たりするものだろうか。ゼミの学生も職場のオカマたちも、財布と同じかそれ以上に、携帯電話を大事にしている。他人の財布は勝手に開けない。携帯も、自分以外の人間にはむやみにいじらせない印象がある。浮気の理由も言わないし、克巳の話はちぐはぐだった。
「おれがかけてももうダメだから。七瀬くんなら大丈夫でしょう?」
「電話で周平に何て言えば良いんだ」
「ごめんなさいって。許して欲しいって」
 許すか? という感想も飲み込む。周平は克巳を信じていた。どこを叩いても壊れないくらい完璧に信じていた。俺まで一緒に克巳を信じてしまうほどに。信用ならない奴だったんだ、最初から。
 それにしても、何故こいつはこんなにぎゃんぎゃん泣いているのだろう。周平が浮気したならともかく、自分で浮気しておいて。俺は克巳の痩せた小さな体を見つめ、ハッとした。
「まさかお前、無理やりやられたんじゃないだろうな」
 克巳は大きく首を振った。
「おれが『やろう』って言って誘った」
 頼もしく感じるくらい、きっぱり言い切る。いや、そんなところで頼もしくなられても。
「周平ってさ、セックスがワンパターンなんだ」
「俺にそんな話するな」
 周平はセックスの内容なんて俺に聞かれたくないだろう。逆の立場だったら絶対に嫌だ。克巳は制止など無かったように話し続けようとする。言葉で殴るつもりで言ってやった。
「じゃああれか、周平のセックスに飽きて浮気したのか」
「違う……違う!」
 克巳は両手で顔を覆い、再び泣き始めた。
「おれたち、一度もセックスなんてしなかったのかもしれない」

 何なんだ。何なんだよ。周平と克巳がケンカしようがセックスしようがちんちんかもかもだろうがどうでもいいんだ。俺には何の関係もない。せっかくの休日が台無しじゃないか。頭の中で暴れる雑念を振り払い、帰りの電車でレポートを書き上げる。バカ克巳。セックス、セックスって破廉恥なのよ!
 公衆電話からかけると拒否されるというので、自宅の電話から周平に連絡を取ることになっていた。克巳に頼まれた伝言よりも、いったい何があったのか周平に説明してもらいたかった。
 母親と食事をした後、電話の前に立って周平の携帯の番号を回す。呼び出し音が数回鳴った。
「七瀬?」
「おお、よく分かったな」
「番号登録してあるから…… どうしたの?」
「実は克巳がな」
 何の断りも前触れもなく、通話は切れた。それから何度かけてもつながらない。これが着信拒否というものかと、しんと静かな心で思った。
「すまん。俺もつながらなくなった」
「えっ……」
 携帯電話の雑音を挟み、俺と克巳は沈黙する。
「どうして?」
「お前の名前を出した途端に切られた」
 克巳の呼吸は荒く、震えていた。
「巻き込んじゃってごめん。ありがとう」
 俺が返事をする前に、克巳は通話を切った。不安か不満か、モヤモヤした気持ちが胸に湧き、克巳の携帯にかけ直した。
「何?」
「お前は着信拒否するなよ」
「しないよ。する理由無いし」
「すげえムカつくな、着信拒否。だんだん腹立ってきた。俺は問答無用というのが一番嫌いなんだ」
「周平のこと怒らないであげて。おれが全部悪いんだ。周平は七瀬くんのこと大好きだよ。尊敬してるっていつも言ってた」
「これが尊敬する相手にやる仕打ちかよ」
「周平のこと許してあげて。お願い……」
「分かった」
「本当に、本当に、ごめんね」
 電話を切る時、また克巳は泣いていた。
 寝床に入って目を閉じても、脳は頑として休もうとしない。全く意味不明の一日だった。疲れた。ほんの十秒ほどの電話で、友達を……親友を失ったのだ。俺はどうすれば良かったのだろう。
 周平とは大学を卒業してから一度も連絡を取らなかったし、そのまま音信不通になってもおかしくなかった。四年限りの縁だったと思えば、拒絶の痛みも多少和らぐのではないか。俺は薄情者だ。俺は薄情者だ。俺は薄情者だ。祈りの言葉のように繰り返し唱える。
「お前、いい奴だなぁ!」
「気付くのが遅いよね」
 あんな風に遠慮なく話せる奴は他にいない。俺のマニアックで長ったらしい話を、興味深そうに聞いてくれる奴も他にいない。
 克巳はどうして浮気なんかしたんだ。その挙句、失恋女みたいに泣きわめいて。自業自得だ。克巳を軽蔑すれば済む話なのに、俺にはそれが出来なかった。
 釈然としない思いを抱えたまま、忙しい日々に戻る。俺は桜のつぼみを毎日見上げた。冷たい空気にさらされながら、ゆっくりと確実に丸みを帯びてゆく。大学受験を控えた冬にも、よくこうして桜が咲くのを待っていた。不可解な世界を憎み、それでも何かを期待して。
 あの頃、学び続ければ何かをつかめる気がしていた。けれども実際は、学べば学ぶほど、本を読めば読むほど、人と会えば会うほど、分からないことが増えてゆく。答えのページの無い問題集を心にたんまり溜めて死ぬのかと思うと、やるせなかった。
「悩みでもあるの?」
「さすがお医者さんは鋭いわね」
 長いこと御無沙汰だったサッちゃんが店に来てくれたというのに、明るく振る舞えない。他の客の前では隠せる本心が、サッちゃんを前にするとあえなく漏れてしまう。絶対に知られてはいけないものを慎重により分けて、本当の話をしようと決めた。
「友達にね、着信拒否されたの」
「ケンカ?」
「違うのよ! その子もオカマなんだけど! オカマとオカマの争いに巻き込まれて!」
「何だか大変そうねぇ」
「オカマAが泣いてるから、ついあたしはその子の味方をしちゃって、そうしたらオカマBが機嫌損ねて、あたしとの連絡も絶っちゃったわけ」
「ナナちゃんは何も悪いことしてないんだ」
「そうよっ!」
「ただちょっとお節介だった」
 俺はサッちゃんの顔を見た。患者の相談を聞く医者の表情だった。
「ごめんなさい。お客さんの話を聞くのがあたしの仕事なのに、愚痴をこぼしたりして」
「ううん、ナナちゃんのプライベートな話が聞けて嬉しい。オカマのAさんとBさんが羨ましいな」
「えっ…… 何で?」
「ナナちゃんに愛されてるから」
 サッちゃんは下を向き、ストローの袋を結びながら言った。
「そんなことないわよ! あんな恩知らずよりサッちゃんの方がずっと大事!」
「どうかな」
 声に責めるような響きがあった。しかしすぐ、いつものとろける微笑みを浮かべてこちらを向く。
「ごめん。私も愚痴っぽくなっちゃった。これでおあいこ」
「……ねえ、近松門左衛門は知ってる?」
 サッちゃんは目をまん丸にした。これまで見た中で最も大きい。
「急に何?」
「知らないならいいんだけど……」
「ううん、高校の時に暗記した覚えがある。文学史だな。……江戸時代の小説家?」
「脚本家の方が近いわね。近松は遊女とお客が心中する話をよく書いたの。『曾根崎心中』『冥途の飛脚』『心中天網島』」
「曾根崎心中は聞いたことあるかも」
「あたし、この仕事を始めるまで、遊女がどうして心中に応じるのか理解出来なかったの。だって、お客とはお金でつながっているだけでしょう?」
 お金という単語に反応してサッちゃんは涙ぐむ。その手を両手で強く握った。
「実際はそうじゃないのよ。お客さんに選んでもらうと、遊女も幸せになるの。もちろん心に染まない相手じゃ嫌だろうけど、素敵だなと思う人がわざわざお金を払って自分の所に通ってくれたら、情が湧くわ」
 サッちゃんは顔をそらして言う。
「ナナちゃんも私に選ばれて幸せだった?」
「幸せよ。どんな言葉で表現したらいいか分からないくらいに」
 二人の視線が合う。怖がらせたくなくて、でも真剣に見つめることしか出来なかった。
「遊ぶのって難しいね」
 一番大切な客にこんなことを言わせる俺は最低だと思った。社長がもし見ていたら何をぶつけられるか知れたものじゃない。いや、クビにされる。
 落ち目のお笑い芸人のように悲壮な気持ちで、別の話題を探した。
「ねえ、サッちゃんはバッグをいくつ持ってる?」
「バッグ? こういうの?」
 サッちゃんはわきに置いてある黒い大きなカバンを軽く叩いた。
「知り合いの女が『女なら誰でも、三百個はバッグを持っている』って言うの。本当かしらと思って」
 サッちゃんはようやく少し笑った。
「私はこれ一個しか持ってない。中身を移すのが面倒でしょ? 学会誌とか専門書でいつもパンパンだから」
「あたしと一緒!」
「……え?」
 学会誌を持ち歩くオカマは可愛くないな。えーと。
「雑誌とか恋愛小説がいっぱい入ってるの。出先で読むものが無くなったらと思うと心配で、つい何冊も詰め込んじゃう」
「分かる〜」
 二人で手を取り合って喜んだ。
「私たち、似ているのかもしれないね」
 見送りの時に、小さな声で甘えた。
「次は間を空けないで来てね」
 サッちゃんはこちらを見ずに早口で言った。
「私、四月から長野の病院で働くことになってるんだ。だからもう来られない」
 そして新宿の街に駆け出し、消えた。

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「お医者様でも草津の湯でも」
 は「草津節」からの引用です。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:57| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする