2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その12)

 俺の顔は母親に全く似ていない。高級ブティックで流行りの服を選ぶように、いつかどこかで見目麗しい男とセックスしたのだろう。俺には関係のない話だ。
 もし醜く生まれていたら、おばちゃん以外に全くモテない、つまり誰にも恋愛対象にされないことを、顔のせいに出来たはずだ。外見を褒められるたび、中身に何の価値も無いことを思い知らされたりせずに。
 サッちゃんは本当に長野へ行くのだろうか。俺がただの男だということに気付いて、気持ち悪くなったのかもしれない。馴れ馴れしく手を握ったりして。触れたくてたまらなかった。指先に、まだサッちゃんの感触が残っている。
 いくら疑っても、サッちゃんが二度と店に来ないことには変わりがない。彼女の言葉をそのまま信じよう。都会の喧噪と汚れた空気を逃れて、今よりずっと健康的に仕事をするのだ。待合室の窓からは深い緑の木々と、山桜が眺められる。サッちゃんは幸せになる。幸せになる。
 長野にもオカマバーはあるのだろうか。りんごのほっぺをした純情なオカマに、またスカーフを贈るのだろうか。
 俺はそいつの細い首を力いっぱい絞めた。十人殺しても二十人殺しても足りなかった。
 俺はサッちゃんの幸せを願っている。
 俺以外の前で幸せにならないで欲しい。
 サッちゃんは勘の良い人だ。俺の中身の汚さを、とうに見抜いていただろう。離れていって当然だ。
 自分の不手際で上客を失ったことを社長に謝りに行った。消しゴムかボールペンでも投げつけられるかと思ったのに、それを望んでいたのに、社長はただ一言、
「そう」
 と言った。責めも慰めもしなかった。ゆめこさんの反応もだいたい同じだった。
「桜も咲いていることだし、たまには美味しいものでも食べに行きましょう」
 社長は俺とゆめこさんを、八丁堀のうなぎ屋へ連れていってくれた。何故わざわざ新宿から遠いビジネス街に飯を食いに行かねばならないのかと不審に思ったが、確かにその店のうな重は極上だった。
「こんなに美味しいのを食べたら、近所のうなぎ屋なんて入れなくなるでしょう」
 社長は優しく笑って、小指を立てた手で口元を隠し、楊枝を使った。客のほとんどが仕立ての良い背広を着た白髪の紳士で、俺たち三人は男装(?)していても浮いていた。
 今年の桜は色が薄く、散る花びらが雪に見えて混乱する。春の明るい日差しの中で踊る鷺娘。地獄の責め苦。
 春休みが終わり、大学に学生たちが戻ってきて、やっと俺は自分の本業を思い出した。金を稼ぐことだけが本業ではない。自分に価値が無いことなんて大昔に気付いていたんだ。だからこそ努力で知識やものの見方を身に付ける研究者の道を選んだ。俺自身は空疎でも構わない。自分の外側にある素晴らしいものを見つけ、見つめ、解析し、言葉にするのが俺の仕事だ。
 サッちゃん。

 克巳から連絡があったのは、桜の季節とゴールデンウイークが終わり、梅雨入りのニュースが流れてしばらく経った後だった。湿気を含んだ空気が重く鬱陶しい。
 前と同じファミリーレストランの入り口に立つ克巳を見て、背中から首筋に寒気が走った。もともと痩せていた体がさらに痩せ、骨に皮をかぶせたようだ。骸骨が透けて見える。
「七瀬くん」
 落ちくぼんだ目の下には黒いくま。光を失ってどこを向いているか分からない瞳。顔も体も別人だった。しかし今日は泣いてはいない。
「あの後、周平の家へ行ったんだ」
 席に案内され、克巳は話し始めた。
「周平が会社から帰って来るまで、近くで待ち伏せしてた。九時か十時か、すごく遅くに周平は来て……おれ追いすがったんだ」
 ストーカーだな、と思うが言わない。アイスコーヒーを飲みながら黙って聞く。
「『ごめんなさい、許して』って言っても、周平はこっちを見ないで、おれなんていないみたいに真っ直ぐ歩いて行っちゃうんだ。『周平、周平』って何度呼びかけても振り向きもしない」
「それは酷いな」
 無視される辛さは着信拒否で十分味わった。浮気に怒っているなら、その旨をきちんと伝えるべきではないか。つい俺は克巳の味方をしてしまう。
「そのままアパートの部屋に入っちゃって…… おれドアをドンドン叩いて泣き叫んだ。『もう迷惑かけないから出て来て』って」
「迷惑だな」
 克巳は今日初めて笑った。ガリガリで全然綺麗じゃなくなったのに、周平と仲良くしていた頃より女っぽく見える。交通事故か何かで突然命を奪われ、自分が死んだことに気付いてない女の幽霊みたいだ。
「矛盾してるよね。夜中にさ、大声で『迷惑かけない』って…… こんな奴、無視されて当然だなと思って、急に醒めたんだ。今まで見えなかった色んなことが見えてきて…… おれがいない方が、周平は幸せになるって、分かった」
 死んだ瞳から無感動に涙が流れ落ちる。
「周平はね、翻訳家になりたかったんだよ」
 初耳だった。夢の話なんて一度もしなかったが、確かに周平は外国語が好きだったし得意だった。
「そのために留学しようとしてたんだけど……おれがやめさせたんだ。行っちゃダメだって言って泣きわめいてパンフレットをびりびりに破いて手が血まみれになって……『僕はどこにも行かない』って周平……」
 克巳は顔に手を当てて本格的に泣き始める。
「おれは周平の人生を滅茶苦茶にしたんだ」
「滅茶苦茶ってほどでもないだろう」
 文学部では就職先が決まらないまま卒業する奴も多かった。周平は大企業の正社員になり、堅実に勤め続けている。オカマに身をやつして学者を目指す俺より、世間的に見ればよほど成功者だ。
「留学のことだけじゃない。他にも色々……」
 克巳はしゃくり上げ、当分泣きやみそうになかった。
「お前、ずいぶん痩せたけど…… 飯食ってるのか?」
「食べてない」
「少し食べた方が良い」
 メニューを渡そうとしても、克巳は首を振る。
「食べたくない」
「でもそのままじゃ……」
 死ぬぞ。
 俺の危機感が伝わったらしく、克巳は釈明し始めた。
「母親がおかゆを作ってくれる」
「ここの店の料理じゃ胃にもたれそうだもんな」
 こいつは今、普通じゃないんだ。病人みたいなものなんだ。
「周平に無視された日から、食べられなくなって、眠れなくなった。生きていくためにやらなきゃいけない当たり前のことが、全部出来なくなっちゃって……」
 克巳はどことも知れない一点に視線を固定したまま、動かなくなった。
「おい!」
 何故七瀬くんが目の前にいるのだろう? と不思議がるような顔で俺を見る。
「ああ、ごめん」
「大丈夫か?」
「おれ、心配してあれこれ言ってくる母親を…… 殴りそうになった」
 克巳の親を見たことはないが、何となく想像はついた。真面目で教育熱心で、ちょっと過保護な普通の母親。うちの親みたいな変人じゃないのは確かだ。
「殴りそうになっただけで、実際には殴らなかったんだな?」
「うん。手の甲に爪を立てて我慢した」
「じゃあ良かったじゃないか」
「……うん」
 克巳はまたぼんやりする。壊れた人間と話すのはなかなかやっかいだ。
「七瀬くん」
「ん?」
「着物を作ってくれてありがとう」
「は?」
「みんなで歌舞伎を見に行った時の」
「分かるよ。亀甲柄の泥大島だろ」
「眠れないし、起きても頭は寝てるみたいだし、どうしたら良いか分からなくて引き出しの鉛筆を折ったりしてたんだけど、あっ、て思い出したんだ。周平とおそろいの着物」
 克巳は骸骨の微笑みをこちらに向ける。
「周平の着物を体にかけて目を瞑ったら、ようやく眠れたんだ。おれを無視する周平じゃなくて、優しい周平を思い出せた」
「周平の着物?」
「クリーニングの後に交換したんだ。別れるなんて思わなかったから、着たい時にまた持ち寄るつもりで」
「二人ともサイズ違いを持ってるのか!」
「そう」
「着られないじゃん。もったいないなー 郵送で交換し直せば?」
「いやだっ!」
 克巳は店内中に響く大声で叫んだ。怯えて、顔をぶるぶる震わせている。
「周平の匂いが残ってるわけでもあるまいし」
「あの着物は命綱なんだよ。布団代わりに使うようなものじゃないのは分かってる」
 克巳はすまなそうに俺を見上げて言った。
「許して」
「許すも何も、あの着物はやった物だ。周平がどう思ってるかは知らんが、俺に何か言う権利はない」
「あの日、幸せだったね」
 克巳は目を細め、頬を赤くした。
「頭の中で千回くらい再生したよ」
 店を出ても、克巳は帰ろうとしなかった。俺の服の袖をつかんですすり泣く。
「寂しい。七瀬くん、寂しい」
 どうしたものかと迷ったが、俺は仕方なく克巳を抱き締めた。小さく細く、あわれな体だった。俺の胸に顔をうずめて嗚咽する、その揺れが、肌に直接伝わってくる。こんな風に他人の体に触れたのは初めてだった。
 周平ならもっと上手くやるだろう。
「気持ち悪かったでしょ。ごめんなさい」
「気持ち悪くなんてない!」
 俺の言葉を聞いたのか、聞かなかったのか。克巳は駅の方向に走り去った。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:56| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする