2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その13)

 その日から、克巳に電話して食生活をチェックするのが日課になった。
「今日は何か食べたか?」
「何も食べてない」
「おかゆは」
「飽きた」
「わがまま言うな! そうだな…… 母親にりんごをすってもらえ」
「すりおろしりんご?」
「うちでは風邪をひくと必ず作ってくれる」
「美味しそうだね」
 電話をかけるたび、菓子パン、きしめん、じゃがいものみそ汁と、食べられるものが増えていった。ひと月ほどのち、家族と同じ食事を取れるようになったと聞いて、克巳の家の最寄り駅まで会いにいった。
「七瀬くん!」
 克巳は俺を見つけると笑顔で手を振った。まだガリガリではあったが、病的な雰囲気は減った気がする。照りつける七月の太陽を避けて古い喫茶店に入る。クラシックのピアノ曲が小さな音でかかっていた。
「おれウィンナーコーヒー」
「生クリームなんて大丈夫か?」
「お腹壊したらトイレ行けば良いだけじゃん」
「まあな…… じゃあウィンナーコーヒー二つで」
 克巳は前回会った時とも、周平と付き合っていた頃とも違う顔をしていた。何故こいつはこんなに定まらないのか。変化の激しさに戸惑いを覚える。
「七瀬くん、ごめんね」
「あ? ああ、お前の家の近くまで来たことか。元気な方が移動するのは当然だろう」
「それもそうだけど、そうじゃなくて。大学でさ、いっぱい酷いこと言ったじゃん」
「今さら謝られてもな」
「もう間に合わない?」
 克巳は潤んだ目で俺を見上げる。背中がゾワッとするような、奇妙な気持ちだった。サッちゃんに媚びる時の俺も、こんな表情をしていたのかもしれない。そう考えると無性に恥ずかしかった。
「別に何とも思ってないよ」
「そう? それなら良いんだけど」
 これまで一度も見たことのない克巳のやわらかい笑顔を見て、あっ、と気付いた。克巳は本物のオカマなんだ。店の「女の子」たちと同じ空気をまとっている。「男」が好きな周平のために、隠していたのか。あいつが言った言葉を思い出す。
「あれで男らしくしてるつもりなんだよ」
 そしてもう、その必要はなくなった。
「七瀬くんを最初に見た日のこと、昨日起きたみたいにはっきり覚えてるよ」
 克巳は首を傾げてふふふと笑った。
「身も心も溶けそうなくらい大好きな人がさ、ファッション雑誌のモデル並みに格好良い男の人と歩いているのを目撃したら、おかしくなってもしょうがないよね」
「俺はそんな風に見えたか」
「しかも周平、おれといる時より楽しそうで…… 周平はあの人のことを好きになっちゃったんだと思って…… その場で倒れそうになった」
「大袈裟な」
「本当だよ。『目の前が暗くなる』って言うけど、視界がザーッとして見えなくなって、吐き気がした」
「勘違いさせて悪かったよ」
 俺のせいじゃないが。
「どれだけ激しく嫉妬してたか、七瀬くんは一生理解出来ないと思う。七瀬くんみたいに欠点の無い人は、誰かを妬んだりしないんだろうね」
 俺は何も答えなかった。
「劣等感を消す魔法があれば良いのに」
「人よりダメなところばかりでもないだろ 。背が低いのはどうしようもないが」
 俺が笑っても、克巳は怒らなかった。それが逆にショックだった。
「周平と七瀬くんは友達だったんだね」
「それ以外に何がある」
「友達と恋人の違いがよく分からなかったんだ。周平に訊いたら『エッチするかしないかかなぁ』って答えて、大げんかになった。性欲解消するためにおれと付き合ってるのかよ! って」
「アホだ……」
「別れてやっと理解した。友達と恋人は全然違うんだね」
「当たり前だろ」
「周平と七瀬くんはいつか必ず仲直りして、友達に戻れる。でもおれは周平の恋人に戻れない。友達にもなれない」
 克巳はぽろっと落ちた涙を袖でぬぐう。
「おれは周平と、二度と会えない」
 喫茶店の横の細い道で、克巳は俺に抱きついてきた。背中に腕をまわして強くしがみつく。俺は克巳の小さな頭を撫でた。気性の荒い動物が、苦労と忍耐の末に懐いてくれたような満足感があった。茶色い細い毛が指にからむ。
「たまには文学部の方にも遊びに来い」
「大学院なんて辞めたよ」
「え?」
「とっくの昔だよ」
 克巳は腕をほどき、底の無い井戸に似た真っ黒い目をこちらに向ける。
「勉強なんてしても意味ないじゃん」
 強い語気で、確信に満ちていた。克巳の言う通り全部無駄なのかもしれない。何も答えられずにいると、克巳は再び抱きつき直した。
「七瀬くんは優しいね」
 どうだろう。

 克巳の性別がはっきりしなかったのはその日だけで、次に会った時には(不完全な部分はあるにしろ)昔と同じ「男」に戻っていた。抱きついてくることも二度となかった。
 克巳が女の子に見えたあの日のうちに、俺たちは恋に落ちるべきだったのかもしれない。そうすればあいつはあんなに早く死なずに済んだのかもしれない。克巳がいなくなった後、そのことを何度も考えた。
 でもたぶん、俺には克巳の運命を変える力が無かっただろう。それが出来るのは周平だけだ。にもかかわらず、あいつは克巳のお守りを俺に任せ、満員電車に揺られて大企業様に通って貯金通帳の残高をコツコツ増やしている。
 くそったれ。
 夏が終わり、ハロウィンのお化けかぼちゃが街にあふれる季節に、克巳から就職が決まったと連絡があった。小さな会社のプログラマーで、最初はバイトで入り、その後正社員になったという。
「ゲーム会社か?」
「違うよ。もしかしてプログラムを使うのはゲームだけとか思ってる?」
「いや、そもそもプログラマーがどんな仕事か分からない」
 克巳は電話の向こうで楽しそうに笑う。
「おれたち同じ学校に通ってたのに、全然違うこと勉強してたんだね」
 電話を切るのと同時に、記憶の中の周平が話しかけてきた。
「克くんは自分でゲームを作れるんだよ」
 ほっぺたを紅潮させてニコニコしている。
「すごいよねぇ。手に職ついてるから、僕みたいに就職で困ったりしないよ」
 そういう時の周平は、恋人自慢というより可愛い孫の話をしているように見えた。大学時代の二人を思い出すと泣きそうになる。何で俺が泣かねばならんのだ。まあいい。克巳は順調に回復している。若い頃にしていた予想と違っていても、物事は収まるべきところに収まるだろう。
 その時はそう感じたのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:55| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする