2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その15)

 それから俺と周平は、長い休みのたびに会うようになった。意識して話題を文学の方に持ってゆき、仕事の話にならないよう気をつけた。まるで客の相手をしている気分だったが、弱っている周平に対し、それくらいする義務が自分にはあると思った。
「今は何を読んでるの?」
「歌劇『オルフェオ』の台本」
「珍しい。七瀬が外国の作品なんて」
「うちのゼミにオペラと歌舞伎の比較研究してる学生がいてさ、発表の時に映像を見せられて興味を持った。ギリシャ神話の話だが、何故か内容は古事記のイザナギ、イザナミの話に似ててな」
「へぇ」
「イタリア語はやたらに脚韻を踏むんだ。リズムの良さは河竹黙阿弥を思わせる」
「七瀬はいつも古典文学や伝統芸能と比較しながら物語を読むよね」
「自分の網はそれしかないからな」
「網?」
「物語を捕まえる網だ。そこで表現されているものを理解するためのとっかかりとでも言えばいいか。本を読んだり劇を見たりすることで、その網は大きく、網目は細かくなる。その網を使ってまた本を読んだり劇を見たりする」
「じゃあ七瀬はその網を強化するために研究をしてるの?」
「網は目的を達成するための道具でしかない」
 青臭い「目的」を言うのは気が引けたが、幸い周平は説明を求めなかった。
「僕は自分の心と比べながら読むことしか出来ないな。共感したり、反発したり」
「それだと読書の範囲が狭くならないか?」
「知っての通りだよ。古典が苦手なのも、古語辞典を引くのが面倒臭いだけじゃなく、価値観が今と違い過ぎて面白いと思えないんだ。つい現代作家ばかり選んでしまう」
「もったいないな」
「仕事を始めてからいよいよ難しいものは読めなくなったよ。長編小説より短編小説、小説よりエッセイ」
「まあお前は会社で十分無理してるんだから、余暇にまで苦労する必要はない。読むべき本じゃなく読みたい本を読め」
「七瀬の仕事は大変じゃないの?」
「別の人格が働いてる感じだから俺は疲れないな。『吉本なな』は今頃グーグー眠って英気を養っているんだろう」
「ふぅん…… 二重人格」
「周平くんのために出て来ちゃいましたぁ〜」
 体をクネクネさせて投げキッスをする。
「いいよ、寝かせておいて」
 どんなに俺が努力しても、周平は昔みたいにほがらかに笑わなかった。口が曲がる訳じゃないのだが、笑顔に歪みのようなものを感じる。それが大人の男の笑い方なのかもしれない。俺がまともに成長出来ていないだけなのかもしれない。
 それでも、二人の間の溝が深く広くなってゆくようで、寂しかった。
「楽しかったよ。ありがとう」
 文学カウンセリング終了。別れる時、周平は必ずすっきりした顔になっていた。俺のやり方は間違ってない、と思いたい。
「自分ばっかりしゃべっていたように見えたけど? 本来カウンセリングは相手の話を聞くものよ。まあ、ナナにしてはよくやったわ」
 脳内にいるゆめこさんがアドバイスしてくる。わざわざ架空のゆめこさんと話さなくても、職場に行けばいつだって実物に相談出来るのだが。

 周平と克巳が別れて二年ほど経った頃、二丁目でばったり克巳と会った。声をかけようとして、向こうが男連れなのに気付く。一瞬目が合い、克巳はそのまま俺を無視して男に微笑みかけた。
 そうか、新しい恋人を作ったのか。ここはゲイの街だ。出会いのための店もある。克巳が男といちゃついていても、何ら不思議はない。言うなればあいつの方が先住民で、俺は入植者…… そんなことを考えながら、相手の男の顔を見た。
 お前の趣味はどうなってるんだーっ!
 最上級の不細工な上、全身が不潔っぽい。床に落ちている服を適当に集めて着ているようで、美意識の欠片も感じられない。周平に首ったけだったのもどうかと思ったが、比べるのも可哀想なほどこいつは酷い。
 何故俺は、克巳の彼氏の悪口を並べ立てているのだろう。誰と付き合おうと勝手じゃないか。難癖つける権利など俺にはない。嫉妬? いや違う、心配しているんだ。あの明らかに雑な男が、神経の細い克巳を大切に出来るのか。乱暴に扱われて泣かされたりするんじゃないか。
 人間は見た目じゃない、という言葉に俺はすがりつく。克巳の彼氏が醜い賢者であればいい。俺が無価値な絶世の美女であるように。
 その次の日、大学の研究室でパソコンを立ち上げると、克巳からメールが来ていた。アドレスを教えただろうかと訝り、研究室のホームページに名前と連絡先が掲載されているのを思い出した。自宅に電話してくれば良いものを、回りくどいことしやがって。
 会いたいと書いてあったので、前にも行ったことのある克巳の家のそばの喫茶店で待ち合わせた。
「ウィンナーコーヒーで良い?」
「いや、ただのコーヒーで」
「こういう昔からある喫茶店って落ち着くよね。おれスタバが大嫌いなんだ、うるさいんだもん。『トールキャラメルマキアート〜』馬っ鹿みたい」
 文句を言っているのに克巳の声は明るく甲高く、はしゃいでいるように聞こえた。
「残念ながら俺はスタバに行ったことがない」
「残念ながら!」
 きゃらきゃらと愛らしい笑い声。
「七瀬くんの話し方って面白いよね。久々に聞いて安心した」
「そうか」
 ウィンナーコーヒーが運ばれてくると、克巳はカップを両手で包み、温かさを慈しんで口を付けた。
「何でわざわざ研究室にメールしたんだ」
「迷惑だった?」
「いや、私用が禁止されている訳じゃない」
「じゃあ、いいじゃん」
「アドレスを教えてなかったから驚いただけだ」
「七瀬くん、携帯持ってないんだもん。おうちに電話して『耕一くんいますか?』なんて面倒でやりたくないよ」
「前はやってたじゃないか」
「世界は変わっちゃったんだよ。七瀬くんの知らないうちに」
 克巳は目を瞑ってウィンナーコーヒーを飲み干した。カップに残った生クリームをスプーンですくって舐め、空っぽの底を名残惜しげに見つめ続ける。
「新しい恋人は」
「やっぱり勘違いしてる」
「勘違い?」
「ものすごい顔でこっちを睨むからさ。怖かった」
「俺の方なんて見てなかっただろ」
「自分がどれだけ派手な顔してるか分かってないの? 視界の端に入るだけで感情が伝わってくるよ。舞台俳優みたいに」
 ふふふと笑って、上目遣いで俺を見た。
「おれと七瀬くんは恋人同士で、浮気してるところを発見されてやきもち焼かれてるんだ」
「は?」
「空想だよ」
「馬鹿なことを言うんじゃない」
 克巳はいきなりぼたぼた涙をこぼして泣き始めた。
「いいじゃん…… 現実が滅茶苦茶なんだから、想像の中でだけ自惚れたって……」
 どうしてこいつは俺と話すたびに泣くんだ。予想はしていたので、用意しておいた手ぬぐいを克巳の前に出した。
「何、これ……」
 克巳は鼻水垂らしたまま目を丸くする。
「まずそれで顔を拭け」
「そんな…… もったいなくて出来ないよ」
 肩かけカバンからティッシュを出して鼻をかんだ。
「『KOUICHI』って染め抜いてある」
「昔、母親が作った手ぬぐいだ」
「これ、七瀬くんの似顔絵だね? テレホンカードといい、どうしてこういう馬鹿げたものを沢山持ってるの」
「お前が泣いた時に、これを出せば笑うんじゃないかと思ったんだ」
 克巳はびしょびしょの目で俺をまっすぐ見て、すぐに手ぬぐいを顔にあてた。
「あの男は友達か」
「違うよ。あの日セックスしただけ」
 セックスという言葉を聞いて、体に力が入らなくなるような、嫌な気持ちになった。
「おれ、最初から競争率低いのを狙うんだ。そういう奴に限って自意識強いからさ、関心がある振りしておだてれば簡単に落ちる」
「そんなことをして何になるんだ」
「だから、一回セックス出来る」
「そんなにしたいものか」
「相手に困らない人に言われるとムカつく」
「困るも何も、したことがない」
 克巳はパッと顔を上げた。
「七瀬くん、いまだに童貞なの?」
「何でその話題になると大声になるんだっ」
「だって、えーっ、何なの? 宗教?」
「自分以外に信じているものはない」
「どうして全部断っちゃうの?」
「は?」
「七瀬くんみたいに格好良かったらさ、ゲタ箱を開けるとラブレターがどばーって」
「どこのゲタ箱だ……」
 恋人はもちろん友達さえいなかった小中高を思い出し、ため息をつく。
「モテないんだよ、単純に」
「ウソだぁ!」
「大学時代はお前たちと一緒にいたせいでゲイだと思われてたしな」
 克巳は眉をハの字にした。
「ボクのせいだね。ごめん」
「オカマバーに勤めてからは、しょっちゅうオネエ言葉で叫んでいたし」
「それボク関係ないよ」
 くだらない男遊びはやめろと説得したかった。しかし失恋後に虚しいセックスを繰り返すのは、恋愛の世界の伝統芸能のようなものなのかもしれない。昔、周平に借りた恋愛小説を思い出す。そこでは物事全てが、俺の知らないルールで動くのだ。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:52| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする