2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その16)

「請け出された?」
「そういう古風な言い方したらナナが喜ぶと思って」
 そう話す社長も目を優しく細め、嬉しそうだ。
「請け出すったって、社長に借金してた訳じゃないでしょう」
「それが貸してたのよ、大した額じゃないけど。何しろあの子、高校出てすぐ家出して来ちゃったでしょう。当面の生活費を最初に渡したの。あの男、倍払うって言って来たわよ」
「それはまさしく、身請けですねぇ……」
 半年ほど前から店で働いているミユキの話だ。親が経営する会社を継ぐのが嫌で、東京にいる姉を頼って逃げてきた。仙台近くの海辺の街の出身だという。すらりとスタイルが良く色白だが、いかんせん顔が骨っぽい。化粧で工夫しても美女に仕立てるのは難しかった。
 それ以上に問題だったのは性格だ。
「媚びを売る」
 ということが一切出来ない。もともと口数が少ないのに、客がちょっとでも失礼な態度を取ると、ムッとして完全に無口になってしまう。客が帰った後は自分を責めて暗ーくなるので始末に負えない。
 媚びや嘘なんてタダで湧いてくるものなのだから、どんどん大安売りすりゃ良いのに。と俺は思うが、どうしてもやれない奴もいるのだろう。ミユキは男の体と女の心を持ってはいても、職業としての「オカマ」には全く不向きだった。本人もそのことは十分承知していた。
「お金を貯めて、美大を目指そうと思ってるんです」
「あら、あたしは昼間、大学院に通ってるのよ」
「本当ですか? すごい!」
 尊敬の眼差しを向けられて、苦笑したくなるような、決まり悪い思いをした。金のことだけ考えるなら、大学院などすぱっと辞めて店に出る日を増やした方が良い。学問を続けることに価値があるのか、自分でも確信が持てなかった。わざわざ苦労して余分な知識を増やし、結局誰も救えない役立たずの俺。
「予備校に通うお金は無いから、一人で受験勉強してるんです」
「家庭教師しようか。無料で」
 ミユキは目を輝かせ、しかしすぐに首を振った。
「そんな、悪いですよ」
「あたし勉強が大好きなの。特に受験の問題は答えが決まってて、クイズみたいに楽しめるじゃない。久々にやりたいわ」
 それから週に一度、ミユキが身を寄せているワンルームマンションに勉強を教えに行った。お姉さんが迷惑がるのではと心配したが、
「うわぁ、国宝級の色男だねぇ〜」
 と酔いしれてくれたので助かった。たいていの女は俺に優しい。
 ミユキの得意、不得意を見極め、それに合った問題集をそろえた頃、あの男が店にやって来た。職場の同僚に連れて来られたらしく、オカマには何の興味もない、と言うより、嫌っているようにも見えた。部屋のすみの暗がりに浮かぶ、不機嫌な顔。そこに何故かミユキがすーっと吸い寄せられた。
「どんなお仕事をされてるんですか?」
「土建屋」
「ビルを建てたりするんですか?」
「いや、道路」
「あたし、図書館で建築の写真集を見るのが好きなんです。フランク・ロイド・ライトとか」
「知らない」
 話が噛み合ってねぇぞ! 俺は土木職人たちをエロネタでゲラゲラ笑わせつつ、ミユキから目を離さなかった。相手をキレさせるんじゃないかと気が気じゃなかった。
 男はうつむいてウイスキーのグラスを眺めていたが、急にミユキの方を向いて言った。
「宮城の出か」
「えっ、どうして分かるの?」
「話し方が」
「ええっ あたし訛ってる? 気をつけてるつもりなのに」
「俺も若い頃、仙台にいた。生まれは秋田だ」
 そして先程とは別人みたいな温かい笑顔を、ミユキだけに見せた。日に赤く焼けた頬がぷっくり膨らむ。二人の視線が空中で重なって一筋になり、次の瞬間、世界は二人だけのものになった。
 仕事しろ、ミユキ〜 残り五人の相手を俺一人でやるのは不公平じゃないか。まあ最初から期待はしていなかったが……
 しかしある意味、ミユキは俺より良い仕事をしたのかもしれない。秋田の男はそれから何度も店にやって来て、ミユキ一人を指名した。
「あんたたち、店でやらないでよね」
「やるって何をですか?」
「……」
 からかわれてもキョトンとしているので清い恋愛なのかと思いきや、個室を覗きに行くとあられもなく抱き合ってキスしていたりする。ミユキはもう仕事をしていなかった。自分のいる場所が見えなくなるほど完璧に、男と愛し合っていた。
 男が社長に会いに来たのは、そのすぐ後だ。結婚は出来なくても、養子縁組など法的に関係を結ぶことまで考えていると、真剣に語ったという。
「ここが遊廓じゃなくて本当に良かったですね」
「遊女を請け出すとなったら、身上潰したり心中したり、大変な騒ぎよね」
「あの男、ゲイには見えませんでしたけど」
「さあ。男か女かより、東北出身かどうかの方が重要だったんじゃないの。とにかくあんな不器用な子、のし付けてプレゼントよ」
 退職の日が近付くとミユキは明るくなったが、俺にだけは申し訳なさそうな顔をした。
「美大は諦めて、デザインの専門学校へ行くことになりました」
「あら、素敵じゃない」
「せっかく勉強を教えてくれたのに、すみません」
「ミユキが納得してるなら、それで良いと思うわよ」
 独学で美大を目指すのは厳しいのではないかと、心配していたのだ。
「ホームページを作る講座もあるって社長に話したら、この店のもあなたに任せるからしっかり学んで来なさいって言われました」
「社長はケチだから、安く使われないようにね」
 ミユキは笑いながら、大学ノート程の大きさの紙を差し出した。
「お金が無くて、こんなお礼しか出来なくてすみません」
 クリーム色の紙に鉛筆で「吉本なな」が描かれていた。黒くはっきりした線に迷いは無く、画面のオカマは獅子か女王のように堂々としていた。
 俺の外側はこんな風に見えるのか。
「ナナさんは本当に綺麗ですよね。特に目の光。どれだけ高い山に登っても、どれだけ深い海にもぐっても、ナナさんの瞳より美しいものは見つけられないと思います」
「そんな歯が浮くようなお世辞を言えるなら、お客にも愛想良くしてよ!」
「絶対に嘘はつけません。心にちゃんと浮かんで来た言葉しか口に出せないんです」
 ミユキの目の奥にかたくなな炎が見えた。親に与えられた人生を拒否し、自分の選んだ道を進む人間の激しさだった。
「お返しにキスをしたら、あの熊男に怒られるかしら?」
 ミユキは耳まで真っ赤になり、頬に両手を当てて叫んだ。
「キャーッ! ダ、ダメです! あたしはもう、あたしのものじゃないんで。もったいない気もするけど……」
 可愛い子は、いつも他人のものだ。俺は感謝の気持ちを示すために、自分の絵に口づけしてみせた。
 それにしても、あの男は何故ミユキの故郷が宮城だと分かったのだろう。多少おっとりしたしゃべり方ではあったが、俺には標準語にしか聞こえなかった。東北の人間だけが聞き分けられる、県ごとのイントネーションの違いがあるのだろうか。
 とにかくその不思議な能力と、そこから生じたミユキの恋愛が、ミユキのお姉さんの運命を変えてしまった。当時はまだ誰も、想像さえしていなかったけれど。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:51| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする