2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その18)

 戸籍の性別を変更するための法律が施行され、世間でも性同一性障害への理解が進んだ。水商売を辞めて手堅い会社に転職する人も、少しずつではあるが増えている。気付けば俺はあの店で、古株オカマの一人になっていた。
「イヤよっ 絶対にイヤッ!」
「ちょっとなら私用に使ったって構わないから。便利よ〜 一度持ったら手放せなくなるって」
「電磁波でお肌が社長みたいにシワシワになったら、あたし、生きていけない……!」
「肌なんて本気で心配してないくせにっ 失礼なことを言ってやろうという意気込みだけは本物なんだから」
「そりゃそうですよ」
 社長は俺に店の携帯電話を持たせようとしていた。
「いつでも呼び出しがかかるようになったらたまりませんよ。今の時給を三百六十五日二十四時間払い続けてくれるのでなければ、ケータイなんてイ〜ヤ〜な〜のぉ〜っ」
 タン! と大きな音を響かせてハイヒールで床を踏む。
「子どもじみたごね方しないでよ…… 用がある時は断って良いし、臨時で入った時は時給を三割増しにするから」
 お金の問題じゃない。断って心苦しくなるのがイヤなんじゃないか。やりたいことがあっても無理して店に来てしまうに決まっている。
「五割増し!」
「分かったわよ。その代わり、ナナに電話するのは一番最後にする」
 余計断れないじゃないかと思ったが、五割増しというのはなかなかおいしい。やむなく俺は信念を曲げ、携帯電話を持つことを了承してしまった。

 オカマと研究者の二足の草鞋を履いて忙しく日々を送るうち、俺は三十代に突入した。
「女装するの、初めてなんです」
 性的少数者への差別撤廃が理念として語られるようになっても、社会全体が一斉に寛容になるはずがない。男らしく振る舞えず職場で孤立し、ここならばとオカマバーに流れて来る者が一定数いる。寿司屋で三年、板前修行をしていたというメグも、そんな一人だった。
 メグには近所の坊さんが付けたという抹香臭い本名があり、ゆめこさんが適当に決めた甘ったるい源氏名もあった。けれども後になって名乗ることになった「メグ」という呼び方を、最初から使おうと思う。それはあいつがこの世界の生きづらさと格闘した末に手に入れた「本当の名前」だから。
「可愛いわよ、とっても」
 お世辞ではなかった。メグは白く美しい肌をしており、顔の輪郭がやわらかい。細いつり目だがキツい印象はなく、東洋的な愛らしさがあった。
「もう少しほっぺた赤くして純情さをアピールしようか」
 これは売れるな。服と化粧のおかげもあるが、元が上玉なのだ。調理希望で来たのを無理やりフロアに回した社長の気持ちもよく分かる。仕草は完璧に女だった。艶のある下唇や、不安げに潤む瞳にもそそられる。男の体で生まれてきたのは明らかに何かの間違いだ。
 こんなのと一緒に働いていた板前たちはさぞや苦しかったろう。うっかり本気になって、
「俺はおかしくなってしまったのだろうか」
 と悩んだ奴が一人や二人ではなかったに違いない。俺はこれまでにメグと関わった全ての男たちに同情した。性的に意識されてしまうせいで、決して男と友達になれなかったメグ本人にも。
「大変美味しゅうございました」
 女装に慣れていないオカマが大好物、という女の常連客に、とびきりの新物が入荷しましたと連絡すると、その日のうちにやってきた。ヘマをするとかえって喜ぶので、新人研修にちょうど良い。
「自分の姿に対する恥じらいがたまらないよね〜 恥じらいほど失われやすく、貴重なものは世の中にない」
「世の中っていうか、自分に無いからオカマで補給するんだよな」
 不思議なことに、この客は必ず男連れで来る。おそらく恋人だと思うのだが、常にほどほどのツッコミを入れて、まるで太鼓持ちのようだ。
「でもあの子、接客初めてじゃないでしょ」
「鋭いわねぇ。おうちが日本料理のお店で、子どもの頃からお手伝いしてたんですって」
「そこがマイナスかなー 次は『歯科技工士からオカマに転身』希望」
「職業限定し過ぎだろ」
 女はニヤニヤしながら俺を見る。
「あんな美人が入ったら、トップの座が危ういね、ナナ姉さん」
「負けそうになったら毒りんご食べさせるわ」
「女王様のコスプレで?」
「何か違くね?」
「その時もまた呼んでね〜」
 毎度訳の分からないカップルだが、まあ喜んでくれたようで何よりだった。
 最近は彼らに限らず、
「若い子に嫉妬する年増女」
 であることを要求される場面が多いのだが、どうにも演技が難しい。店の後輩を憎く思ったことなんて一度もないのだ。
 俺はどこかで挫折したり傷ついたりして店に来た子たちに、自信を取り戻してもらいたかった。自分が本当にやりたい仕事に就くために。世間のあらかたの職業は、男か女か男女かに関係なく勤まるはずだ。周囲が完全に理解してくれるのを待っていたら命が尽きてしまう。他人など構うものかと思える程度には強くなる必要があるし、オカマバーでの経験はきっとそのために役に立つ。
 もちろん社長やゆめこさんのように、化け物になるまで居続けたって良いのだけれど。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:49| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする