2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その22)

 克巳に電話すると、
「ちょうどおれも話したいことがあるんだ」
 と明るい声で言う。仕事の予定を尋ね、克巳の家の最寄り駅にある喫茶店で待ち合わせた。
「七瀬くんの用事は何?」
 克巳はだらしなく頬杖ついてケーキを崩し、とがった欠片をぱくりと口に入れる。
「申し訳ない」
 俺は頭を下げた。
「何が?」
「俺は意図せず、お見合いおばさんになってしまった」
 克巳は大笑いした。
「出し抜けに、真面目くさって、七瀬くん、ほんと変。あはは……」
 人差し指で目尻をぬぐい、克巳は続ける。
「周平に恋人が出来たんだね」
「そうだ」
「どんな人?」
「オカマだ。俺の後輩の」
 克巳は両手をテーブルの下に置き、目を丸くして俺を見た。
「色んな種類のオカマが走馬灯のように浮かんでは消えてゆくんだけど。ゴツいのとか、ケバいのとか、やたらうるさいのとか」
「普通の可愛い女の子を思い浮かべろ。お前が女装したらきっとあんな感じだ」
 言った後で、自分の発言に自分で驚いた。目や鼻の形はもちろん違うが、受ける印象が似ているのだ。色白の、さっぱりした愛らしい顔立ち。
 克巳の目がうっすら潤む。
「じゃあさ、周平、俺のこと忘れてないんだね?」
「忘れる訳ないだろ!」
 俺が怒ることじゃない、と気付いたのは怒鳴った後だった。
「すまん」
「ううん。ありがとう」
 克巳はケーキを一口分フォークに刺し、俺の顔の前に差し出した。
「あーん」
「何の真似だ」
「周平なら口を開けるよ」
「俺は周平じゃない」
「伝染しちゃおうと思ったのに」
「風邪か」
「HIVに感染しちゃった」
 その意味するところを理解し、頭が真っ白になった。克巳は黒いくまのある目を細めて微笑む。いつか見た、女の幽霊。
「ようやく死ねるんだって思ったら、体がすーっと軽くなってさ、よっぽど嫌だったんだね、生きるのが」
 克巳は満足そうに紅茶のカップを傾けた。
「今は発症を抑える薬があるんだろ」
「よく知ってるね。でもさ、生きたくないのに治療するなんてもったいなくない? 医療費が。国は借金まみれだし」
「国なんぞどうでも良い! お前の命だろう」
「死にたいんだ、心の底から」
 俺は今まで何をしていたんだ。俺は克巳を救ったような気でいた。いつも気にかけて、時々会って話を聞いて。
「周平と付き合ってた五年間に、人生の一番美味しい部分を食べ尽くしちゃったんだよ。もう何も残ってない」
「まだ分からない。現に周平は幸せになった」
「七瀬くんは?」
 克巳の挑発的な視線が、俺の空っぽな心を貫く。
「すてはてんとおもうさえこそかなしけれ」
 克巳は伝票をつかんで立ち上がり、俺の髪をグシャグシャと撫でた。
「理系だからって何も知らないと思わないでよね」
 その声は激しく俺を責め立てていた。大学の頃と同じように。

 混乱していた。俺は何をしたら良いんだ。一刻も早くあのバカを病院に連れてゆくべきだろう。しかし薬を出されても飲まないに決まっている。まず第一に必要なのは、生きる意志だ。
 この世界は生きるに値する場所か? 生きる苦労と死ぬ恐怖を天秤にかけて、死ぬ方が辛いと断言出来るか?
 克巳がつぶやいたのは和泉式部の歌だ。「捨てはてんと思ふさへこそ悲しけれ」その後はこう続く「君に馴れにしわが身と思へば」
 捨てるというのは出家する(世を捨てる)という意味だが、今この状況で克巳が言うとしたら「命を捨てる」ということだろう。君に馴れにし。馴れるというのは性的な関係を結ぶことだと思っていた。君って誰だ。周平なら話は簡単だが、克巳は俺に向かって言ったのだ。
 克巳を抱き締めた時の感触がよみがえる。温かくて、心もとなく、叫びを我慢しているかのようにのどの奥がちりちりし、自分の動作に確信が持てなかった。周平のやり方こそが正しくて、俺の抱き方はぶざまな模倣でしかなかった。
 あなたに抱かれたこの体を、捨ててしまおうと思うのは悲しい。死にたければ勝手に死ねば良いじゃねぇか。何でわざわざ俺にそんなことを言ってくるんだ。
 失恋した克巳そっくりに涙がボタボタこぼれて、この問題は一人で抱え切れるものではないと悟る。俺はカバンから携帯電話を取り出した。

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HIVは、食器を共用しても感染しません。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:43| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする