2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その23)

「おー 七瀬! 聞いた?」
 周平の声は妙に浮かれて高かった。
「何が」
「結局付き合うことになっちゃってさ〜」
「その話は百ぺん聞いたからもう良いっ」
 俺は地の底にいる気分なのに、何でこいつの頭はお花畑なんだ。無性に腹が立つ。
「今どこにいる」
「新宿三丁目。借りる場所が決まってさ、どうやって改装するか二人で相談してるところ」
「少し話したいんだが、出て来られないか?」
「七瀬がこっちに来れば良い」
「克巳のことで相談があるんだ」
 周平は一瞬無言になり、大声を出した。
「まだ克くんと連絡取ってたの?」
「お前が見捨てたんだろ! それで俺は仕方なく、あいつの面倒を見る羽目に」
「君の世話好きは、呆れるほどだね」
 七瀬から電話で、ちょっと会って来ても良いかな、とくぐもった声が聞こえる。
「周平とナナさん、仲良過ぎっ」
 と怒るメグの声も。

 駅のそばのドトールに入ると、周平はカップを置いて手を振った。
「懐かしい名前を聞いて驚いたよ」
 屈託のない笑顔を見て、克巳は周平にとって完全に過去の人間なのだと思い知る。
「あいつ、病気になったんだ」
「エイズ?」
 全身が凍りつく。周平は何でもないように店のクッキーを口に入れた。
「お前……」
「七瀬は僕たちの恋愛を、どこまで知っているの?」
 見た目も中身も平凡の極みで、セックスもワンパターンで、それにもかかわらず克巳の人生をすっかり狂わせてしまった男の顔を、俺はまじまじと見た。
「僕に暴力を振るっていた話は聞いた?」
「え……?」
 周平は肩を揺らしてクスクス笑う。
「まあ、相手は克くんだからね。もし彼が筋肉ムキムキの大男だったら、僕は殺されていたと思うよ」
 俺はこれまで克巳から、何を聞かされていたんだ?
「大きなケガはしなかったけど、心は傷ついた。たぶん一生消えない」
 何も言えなかった。相談するための土台をいきなり崩されたのだ。
「克くんはゲイじゃなくて、性同一性障害だったんだと思う。でもそれをどう解決したら良いのか分からなかった。男でいるのも女になるのも苦しかった。それで僕に性別の決定を押し付けたんだ。『周平は男が好きで、周平はおれが好きなんだから、おれは男だ』というように」
「素直に女装すりゃ良かったのに」
「僕だってそう思ってた。僕は性別なんて関係なく、克くんそのものが好きだったんだ。正確に言うと、どこにもたどり着けない不安な魂を愛していた。一緒に解決策を見つけて、幸せにしてあげたかった。でも現実には、僕は彼の苦しみの原因だった。僕がいるから男でいなければいけないんだ。自分でそう決めちゃったんだ。僕はそんなこと望んでた訳じゃないのに!」
 周平がテーブルをこぶしでドンと叩き、周りの客数人が振り向いた。俺の派手な顔のせいで、別れ話をしているゲイカップルに見られそうだと、ふと可笑しくなった。
「ごめん。もう冷静に話せると思ったのに」
「いや、古傷に触れてしまって悪かった」
 何だかもう克巳のことを考えるのが嫌になっていた。あいつは色んな意味で嘘つきなのだ。隠していることがまだ沢山あるとしたら、無駄に疲れるだけだ。
「そう言えばお前、翻訳家になりたかったんだってな」
 周平の顔がトマト並みに真っ赤になって、ばっと下を向いた。
「酷いよ克くん! 七瀬にだけは知られたくなかったのに」
 何だこの過剰反応は。
「お前、英語得意だったじゃん。別に恥ずかしがるような夢でもないと思うぞ」
「違うよ、僕は、村上春樹になりたかったんだ」
 周平はハンカチを出して額の汗を拭いた。
「……アホだなー」
「小説家になろうと思ったけどうまく書けなくて、翻訳なら元になる文章があるからやれるんじゃないかと」
「やれば良いだろ。今からだって」
「翻訳家に必要なのは英語力より国語力だよ。僕にはそれが足りなかった」
「足りなければ身につければ良い」
「君らしい。でもみんながみんなやりたいことに向かって突っ走れるとは限らない」
「よく分からないな」
「だろうね。僕は七瀬のそういうところが好きだ」
 周平はにこっといつもの微笑みを浮かべた。
「村上春樹が昔ジャズバーを経営していたのは知ってる?」
「ああ」
 実を言うと、ある時うっかり「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んでしまい、村上春樹の作品は小説、エッセイともにほぼ全て読破してしまっていた。しかしそれは一生秘密にする。
「小説家としての村上春樹、翻訳家としての村上春樹は無理でも、バーの経営者としての村上春樹にならなれるかもしれない」
「それが今準備してる店か」
「そう」
「アホもそこまでやれば壮大だな」
「研究費を稼ぐためにオカマになった奴に言われたくない」
「全くだ」
 時々臨時で講師を務めることはあるが、俺はまだ研究で食えてはいない。実際に店を出して商売を始める周平の方が、よほどしっかり夢をかなえている。
「村上春樹のことだけじゃなく、場所を作りたいという気持ちもずっとあったんだ。若い頃の僕や克くんみたいに悩んでいる子たちが、話し合える場所。自分の心を直接説明出来なくても、文学について話すうちに間接的に語れるかもしれない。自分の中の大事な何かについて」
「お前たちはそんなに悩んでいたのか」
「見た目よりは」
 いつもイチャイチャして笑い合って、二人だけ幸福の国に住んでいるように思っていた。
「伝統文化オタクのことは誰が救ってくれるんだろうな」
「伝統文化カフェでも開けば?」
「能フレンドでも作るか。能を一緒に見に行ってくれる男の恋人」
「趣味の合いそうなお客さんが来たら紹介しよう」
 克巳を能に誘ったら、断られるだろうか。いつもただ会って話すだけで、どこかへ遊びに行こうなどと考えたことがなかった。
「頭では、克巳なんて勝手に死ねば良いと思ってるんだ」
「とてもそうは見えない」
「だってそうだろう、暴力振るって浮気して、男とやりまくって病気になって」
「あれは浮気じゃない」
 周平の表情から、何も知らないくせに口を出してきて、と迷惑がっているのがありありと分かる。
「付き合っていた頃に話を戻すよ。克くんは最初、ヒステリーを起こして暴れていただけだった。大学を卒業した後、暴力に方向性が生まれた。確実に僕の体を傷つけようとし始めた。同棲しようという誘いを断ったのがきっかけだった」
「どうして断ったんだ?」
 あんなに仲が良かったのに。そう見えたのに。
「一緒に住むのは精神的に無理だと思ったから。僕は嘘をついていた。克くんがどんなわがままを言っても平気な顔をして、余裕のある振りをしていた。その実、克くんの態度に疲れ切っていた。いつもギリギリだった。七瀬がいなかったらもっと早くに別れていたかもしれない」
「何で俺が関係あるんだ」
 周平は曖昧に唇を歪めただけで、それには答えなかった。
「克くんは殴る蹴るより効果的な方法をすぐに思いついた。どうするか分かる?」
 周平は今までで一番意地の悪い笑い方をした。
「お前、怖いこと言うんだろ」
「本を破るんだよ。大切なものから順番に」
「ひっでーなぁぁ!」
 そんなことをされるなら殴られた方がマシだ。というより一冊目をやられる前にボコボコにしてやる。
「止めなかったのかよ」
「うん。ただただ悲しくて…… 村上春樹と江國香織は後で全部買い直した」
「大学の時に俺が借りた本もやられたか」
「『ホリー・ガーデン』だね。ハードカバーなんて真っ先だよ。まあ焚書にされてたらアパートごと燃えていただろうし、ラッキーだったのかも」
「何がラッキーだ」
 周平は思い出を話すのが楽しくなってきたようだ。山頂から地上を眺めるように優しく目を細める。
「克くんは本に嫉妬していたんだよ。遠い出来事になってみると可愛いね。僕はどうにか落ち着かせようと『本より克くんの方が好きだ』と言ったんだ。そうしたら克くんは自分を傷つけ始めた。彼の痛みは僕の痛みだ。知らない男に犯されることは僕への攻撃になる。誰に何をされても、あの子は僕のことだけ考えていたはずだよ。それを浮気と呼べるかな」
「すごい自信だな」
「自惚れているんじゃない。克くんはそういう人間なんだ。可哀想なくらい変われない。病気にまでなって、使者を立てて僕に知らせようとするんだから」
 周平はおそらく冷めてぬるくなっているであろうコーヒーをくいっと一気に飲んだ。
「使者って、俺か!」
「そうだよ。克くんに利用されてるの、気付いてないの?」
 俺は腕を組んで堂々と答えた。
「うむ。改めて思い返すと、利用されっぱなしだ」
「君は本当に人が好いんだねぇ……」
「お前にも利用されたしな」
「そう言えばそうだった」
 周平は大学の頃のように、ほがらかに笑った。
「エイズはもう死ぬ病気じゃないだろ? それなのにあのバカ、治療しないって言ってる」
「徹底してるね。僕はもう別の人を愛してしまったのに、克くんは愛も憎しみも衰えてないんだ」
「どうしたもんかな」
「僕には何も出来ないよ。とうに逃げ出した身だもの」
「逃げて当然だ。お前は正しい」
 それでもやはり、克巳には生きてもらいたかった。どれだけ酷い話を聞かされても、それも含めて克巳は克巳だった。
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:42| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする