2015年12月19日

贋オカマと他人の恋愛(その24)

 周平の店のオープニングパーティーの日に大学の用事が入ってしまい、行けないと伝えると、いつでも良いから開店前に来て欲しいと言う。仕事の予定がない早春の昼下がり、新宿三丁目に向かった。
「うわーっ 男のナナさんだっ」
「店でも行きと帰りは男だったろうが」
「まともに見たことなかったんで。は〜 男でも女でも俳優みたいなんですね」
 メグはジーパンの上に臙脂色のエプロンをかけ、薄く化粧している。角刈りだった初対面の時とも、派手に着飾って愛嬌を振りまいていた頃とも様子が違う。メグはもう、男であることも女であることも隠していなかった。
「食べてみてよ。『ねじまき鳥のスパゲティ』」
 周平は福々とした頬をいっそうふっくらさせて、俺の前に皿を置いた。フォークでソーセージを刺し、スパゲティをからめて口に入れる。トマトソースとバジルの味に、肉汁とスパイスの香りが重なる。
「どう?」
「俺はソーセージにはちょっとうるさいんだ」
「ソーセージにまでうるさいのか、君は」
「これは美味い! 昔、母親に連れていかれたイタリア料理屋の味に似てる。こんなの仕入れて高かっただろう」
 余計なお世話と知りながら、つい俺は、二人の商売を心配してしまう。
「全部あたしの手作りですよ〜 肉を刻むところから」
「ナツメグとセージを混ぜて腸に詰めていくんだ。家でもやっていたらしくて、すごく上手なんだよ」
「お前の家、日本料理屋じゃなかったか……?」
「市販のものは不味くて食べられないんです。それで仕方なく何もかも自分で作るようになりました」
「舌が肥えるのも考えものだな」
 村上春樹も飲んでいるという国産の紅茶に、ドーナツと蜂蜜パイ。ドーナツはシナモンが効いていて甘過ぎず、パイはサクサクして質が良い。どれも申し分なかった。
「ナナさんはあたしたちのキューピッドなんだから、いつ来ても無料にしようって言ったんですけど、周平がダメだって」
「タダだとかえって来にくくなる。仕事がある日は必ず夕飯を食べに寄るよ」
「わー 嬉しい! ナナさんだけスパゲティ増量しちゃう」
「俺と周平の仲を険悪にする気か」
「なるほど、その手があったか」
 周平はこちらに背を向けて洗い物をしている。
「引っ越しの時に、周平の荷物から着物が出てきてびっくりしましたよ。ナナさんに作ってもらったっていう大島紬」
 むせ返り、口からパイの破片が飛び出た。
「あんな高価なプレゼントをしておいて恋人じゃなかったとか、もうごまかすのはやめましょう! ナナさんと姉妹ならいっそ誇らしいです」
 俺が嫌だよ。周平とやったと思われたままでいるのは。しかし克巳の話を出すのも悪い気がするし、かと言ってこれ以上釈明するのも面倒だった。
「勝手にしろ」
「悔しいからあの大島、春物のコートに仕立て直しちゃおうかな。渋くて素敵な柄だったし」
「十年経てば似合うようになるだろう」
 メグは包丁を振り上げふくれて見せる。
「どうせ子どもっぽいですよ〜っ!」
 オカマバーで働いている時も手際が良いと思ったが、厨房の中のメグの動きはその比ではなかった。とにかく止まらない。さて次は、と逡巡する瞬間が全くないのだ。作り出すべきもののためにどういう順番で何をすれば良いのか、考える前に自然に体が動くのだろう。あまりにも無駄がなくなめらかで、調理をテーマにした即興の舞踊のようだ。
「綺麗だろう」
 周平は俺の隣に座って自慢げに言う。
「デカい魚なんぞさばいて、寿司でも握る気か」
「あれはスモークサーモンを作る準備をしているんだよ。オープニングパーティーで出すサンドイッチに入れるんだ」
「美味そうだな。行けなくて残念だ」
「開店後に来てくれたらいつでも食べられる」
 しばらくぼんやりとメグの舞を鑑賞した。どれだけ眺めても見飽きない美しさだった。周平の方を向くと、恍惚の表情を浮かべている。気持ちは分かるが働かなくて良いのか、店長。
「歌舞伎座に行った時の着物が見つかったらしいな」
「うん、懐かしかった」
「俺のだと勘違いしてるぞ」
 周平が首を傾げるので、俺はカバンからノートを取り出し、
 克巳のだろ
 と書いた。
「違う違う。僕のだよ」
 交換したんだろ
 周平は胸ポケットからボールペンを出し、俺の字の下に続けた。
 別れるような気がしていたから、隙を見て交換し直したんだ。僕は職人の息子だから、手織りの布を無駄にするのは忍びなかった。
 あの後、着たのかよ
 着てないけど。
 克巳はお前の着物だと信じて抱き締めて寝てるらしいぞ
 周平はちらりとこちらに視線を寄越し、すぐうつむいて文章を継いだ。
 克くんも気付いていると思うよ。だってサイズが全然違うもの。
「おっさん二人が顔くっつけて何をこちょこちょ書いてるんですかっ! 愛を語らいたければ堂々とやればいいでしょっ」
 メグはけっこう本気で怒っていた。
「いやいやいや……」
 周平は厨房に入っていって、メグの唇にキスした。相変わらず、照れもためらいもなく人前でそういうことが出来るんだなと感心する。
「今、愛しているのはメグだけだよ」
「メグ?」
 この呼び名を聞いたのはそれが初めてだった。
「新しい名前をつけて欲しいって言うから、最初『五反田くん』を提案したんだけど」
「野暮ったいから断って」
「シナモンとナツメグはどうかと言って」
「最終的に『メグ』に決まりました」
 五反田くんも、シナモンとナツメグも、村上春樹の作品に出てくる登場人物の名前だ。
「あたし、周平に出会うまで、男か女のどちらかにならなければいけないと思っていたんです」
「まあ、その方が、社会に受け入れられやすいからな」
「あたしは男でも女でもない『メグ』という生き物になるつもりです。周平がそれで良い、その方が良いって言ってくれたから」
 メグの表情は自信と希望に満ちていて、俺は不安になった。この光。周平に愛されていた頃の克巳の輝き。
 若者は俺の複雑な心境など想像もつかないらしく、
「ナナさんに負けたりしませんからね!」
 と、眉をつり上げ鼻膨らませ、お門違いの闘志を燃やしていた。

 俺はこれまで、克巳と会えば克巳の味方をし、周平と会えば周平の味方をしがちだった。話を聞くと一も二もなく同情してしまうのだ。しかしそもそも、あの二人はどれだけ分かり合えていたのだろう。
 別れないと思っていた克巳。
 別れる気がしていた周平。
 浮気されないと信じ切っている周平。
 浮気した克巳。
 あれだけ長期間ベタベタ一緒にいて、何故、相手を理解しないのか。どうして理解してもいないのに、愛し合うのか。
 分からないことだらけだが、一つはっきりしていることがある。俺は「犬も食わないもの」を食い尽くしてしまったのだ。何も出来ないくせに他人事に首を突っ込み振り回されて、間抜けにも程がある。
 十八歳の俺が今の俺を見たら、呆れ返るな。何、余分なことに時間を使ってんだ。お前のやるべきことは他にあるだろ! そう言うがな、そもそもお前が高校まで友達も作らず寂しい暮らしをしてたのがいけねぇんじゃねーか! ……いや、十八の俺とケンカしても仕方ない。不毛だ。
 俺を必要とする他人が一人もいなくても、俺には友達が必要なんだ。立ち止まり、携帯のボタンを押し始める。
「七瀬くん?」
 新宿を行き交う人々と車が立てる轟音に、克巳の甲高い、舌足らずな声が重なる。
「こっちの声は聞こえるか?」
「外にいるんだね。聞こえてるよ」
「俺は、お前に、生きて欲しい」
 数秒の間があった後、克巳は爆発するように笑った。
「おれ、一生に一度のモテ期かも〜」
「は?」
「この間、パンチパーマの男に追いかけられちゃってさ」
「ヤクザか」
「ううん、練馬区役所の職員」
 いったいどういう状況なんだ。
「HIVの勉強会の帰りで」
「お前、治す気ないとか言って、勉強会には行くのかよ!」
「何事も仕組みを理解しないと落ち着かないの! おれ理系でも医学の知識はないからさ、免疫についての専門書買って読んじゃった。生物学に出てくる化学式は分子が大きいから面倒だよね。面白かったけど」
「……パンチパーマはどうなったんだ?」
「あーそうそう、その人ね、やっぱり患者なんだけど、おれと違って毎回予防にすっごく気をつけていたんだって。どうして感染しちゃったんだろ。超流動でも起きたのかな?」
「何だその超流動ってのは」
「高校で習わなかった? 超電導みたいなものだよ」
「横道にそれてばかりいないで本題を話せ! 切るぞ」
「いいじゃん、好きに話させてよ! その人……アキラっていうんだ……めちゃめちゃ遊び人でさ、四十七都道府県全ての男とやるのが人生の目標で」
「そりゃ感染するだろ! アホか!」
「アホだよね〜 でまあ、そういう人だから、病気になったのがものすごいショックだったみたい。勉強会でおれを見かけて、自分と正反対の余裕しゃくしゃくな態度に心打たれて、わざわざ追っかけて声かけて来たってわけ」
「ようやく元の話に戻ったな」
「その後も何回か会って、それでね」
 克巳はふふふ、と南天の実を転がすような愛らしい声で笑った。
「一緒に生きて欲しい、って懇願されたんだ」
「お前、嬉しそうにしてるけどな、相手はパンチパーマの遊び人なんだろ?」
「あ、パーマは天然でね、顔をうずめるとフカフカして気持ち良いんだよ」
 こりゃダメだ。台風が発生したんだ。俺を巻き込み、俺には決して止められない、甘い台風。
「相手はどれくらい本気なんだ」
「知らないよ、そんなの」
「東京都代表にさせられてるんじゃないだろうな」
「東京はとっくに埋まってるよ。岐阜県出身とかだったら良かったのに」
「浮気されて辛い思いをするんじゃないか」
「病気のこともあるし、浮気はしないと思うよ」
「信用ならないな。今度そのパンチパーマに会わせろ。三者面談だ」
「もーっ やきもち焼かないでよ」
「焼いてねーよ! 心配してるんだろ!」
「大丈夫、心の一番大事な場所は、いつだって七瀬くんのために取って置いてあるから」
 克巳はクスクス笑って俺をからかい続ける。
「死ぬ日が近いと思うと人生は薔薇色になるね」
「エイズは治療すれば死なない。パンチパーマにも頼まれたんだろうが」
「医学が発達して、どんな病気も完治するようになったら、物語の作者は登場人物をどうやって殺すんだろ?」
「心中なら病気と関係ないな」
「自殺と言わないところが七瀬くんらしい。ロマンチック〜」
 克巳は「幸せいっぱい」と言わんばかりに浮かれている。
「おれが死ぬの、楽しみだね。七瀬くん、きっと泣くよ。じゃあ、アキラに予定聞いとくから。またね〜」
「なあ、ちゃんと治せよ!」
 通話はすでに切れていた。

 何だ。何なんだよ。耳を傾けてももらえなかった。俺の意見や思いは、そんなにも論ずるに足りないか。
 世界を変える気でいた十八の俺に教えてやりたい。お前は三十になっても、友達一人の気持ちさえ変えられないんだ。そして自分ばかりが世界に合わせて変質してゆく。
 もしかしたら一生、本当の意味では他人と関わることなんて出来ないのかもしれない。こちらが求めても、求めなくても、みな俺の前を素通りしてしまう。下を向いて本を読み続けた高校時代と同じように。
 まあ良い。勝手にしろ。俺に迷惑をかけるな。俺にはやるべきことがわんさとあるのだから。
 カバンの中で携帯電話が震えているのに気が付く。克巳かと思って画面を確認すると、社長からだった。
「今すぐ来て!」
「どうしたんですか」
「外国人の団体客が予約なしで来ちゃって、断りたかったんだけど、言葉が通じないもんだから曖昧な笑顔を浮かべているうちに、全員店に入っちゃったのよう」
「何、絵に描いたような日本人的対応をしてるんですか」
「あんた大学院まで出てるんだから英語くらい出来るでしょ! 助けに来て!」
 冷や汗が出る。英語はいまだに苦手なのだ。
「やっだぁ〜 外国人のはおっきいから口が痛くなっちゃ〜う」
 俺の突然の大声に、びくりとして振り向いたサラリーマンがいたので、ウィンクと投げキッスをしてやった。
「そんな仕事させたことないでしょ! うちは安全・安心がモットーの観光用のオカマバーなんだからねっ」
「俺が行っても、あんまり役に立たないですよ?」
「ゴチャゴチャ言ってないで来て! あんたのいかにもオカマらしいパーッと華やかな姿を見たら、中国人のおばちゃんたちもきっと満足するから」
「何だ、中国人ですか」
 それなら漢文で多少は意思疎通が可能かもしれない。
「今どこにいるの」
「新宿三丁目です」
「すぐ来られるじゃない。休みの日まで職場の近くに来ちゃうなんて寂しい女ね」
「社長に言われたくないですよ。友達の店に行っただけです、ほら、板前が嫁いだ」
「美味しかったでしょう」
「食ったことないくらいに」
「だと思った。生まれながらの料理人って感じだったもの。高い食材買い過ぎて店を潰さないと良いけど。それが嫌で、あたしはあの子をフロアに回したの。ああもう、今日はあの子も呼び出しちゃいたい!」
「辞めた人間まで集めないでください。すぐ行きますから」
「よっ 立女形! 日本一!」
 何が立女形だ。今日は母親と一緒に天ぷらを作る予定だったのに。材料買っちゃったわよ、と残念がる様子を思い浮かべると胸が痛んだ。
 仕方ない。俺を必要としているのは母親だけだが、オカマとしての俺を必要としている人間は大勢いるのだ。そして他人に必要とされない限り、金は稼げない。
 世知辛いな。俺は母親に詫びるメールを送り、店に向かって歩き始めた。

(終)
 
posted by 柳屋文芸堂 at 23:39| 【長編小説】贋オカマと他人の恋愛 | 更新情報をチェックする