2014年10月11日

邯鄲(その2)

 三月の薄曇りの日に、私は治さんと初めて顔を合わせた。桜の花が描かれている淡い色の振袖を着て、静子さんがお化粧もしてくれた。少しは美人になれるかと思ったのに、唇だけが赤く浮き、鏡の中の私はおかめにそっくりだった。
 あいさつをした後すぐに二人きりにされてしまい、何を話せば良いのか、向こうが話しかけてくるまで待つべきか、緊張と迷いで頭がぐるぐるした。
 治さんは下を向いたまま押し黙っている。こちらを全く見ないのをいいことに、不躾に観察した。痩せ型で顔と肩幅が小さく、耳が横に開いている。絵本に出てくるネズミに似ているな、と思った。
 私より一つ下で十八歳。隣の県の農家の三男。中学を出て正太さんの工房に入り、住み込みで働いている。私が教えてもらった情報はそれだけ。
 沈黙に耐え切れず、話しかけてしまうことにした。
「あの、ご趣味は」
 治さんはガバッと顔を上げた。
「えっ、しゅ、しゅみ?」
 顔は真っ赤で、涙目になっている。
「ええ」
「しゅみ?」
「治さんのご趣味は」
 宿題をやって来なかった子どものような顔で私を見つめる。あなたをいじめるつもりで言ってるんじゃないのよ?
「私は本を読むのが大好きなの」
「知ってる」
「え?」
 お父さんが話したのかしら。治さんは再びうつむいてしまった。
「治さんはどんなことがお好きなの?」
「和紙をすくこと」
 堅物という言葉を思い出して微笑む。仕事人間で、他のことには頓着しないのかもしれない。
「仕事以外の時間はどんな風に過ごすのかしら。お酒を飲みに行ったりする?」
「酒は飲まない。煙草も吸わない」
 未成年であることなど気にせずに酔っ払って騒ぐ職人を父の工場で大勢見てきたから、治さんの道徳心に感心した。しかし本当に堅物過ぎて取り付く島もない。
「朝から晩まで和紙のことばかり考えているの? 他に何か、やっていると楽しく感じることは?」
「ある」
 思いのほかきっぱりとした答えだった。
「それを教えて欲しいのだけど」
 治さんはびくりと肩を揺らした。
「い、言えない!」
 言えない趣味? 賭け事。女遊び。職人が好む、あまり褒められない趣味は色々ある。いくら堅いと評判でも、正太さんや父に内緒にしている道楽があるのかもしれない。
 だんだん着物の帯が苦しくなり、目の前がチカチカした。治さんのことをまるで理解出来ないまま、今日はお開きにして欲しいと、こちらからお願いしてしまった。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:51| 【中編小説】邯鄲 | 更新情報をチェックする