2014年10月11日

邯鄲(その18)

「お店抜けてうちに来てくれてるんだってね、周平」
 入院先の病室で母がかすれた声を出す。
「メグちゃんに、周平を借りちゃってごめんなさいって、伝えて」
「お兄ちゃんがいなくても困ってないよ! 普段から役に立ってないとこういう時便利だね」
「実際そうだけど人に言われたくない」
 正直、家事の手伝いより咲との会話に疲れる。昔から苦手なのだ。
 母は小さく微笑んで言う。
「メグちゃんは周平のこと大好きだもの。役に立たなくたって、そばにいるだけで良いのよ。ずいぶん心強いはず」
「僕も経営者として、お金のやりくりとか色々やってるんだから……」
 母は今にも壊れそうな骨だけの手で、僕の指に触れた。
「ごめんね。お母さんきっともう、何も返せない」
「大学まで出してくれたじゃないか。返さなきゃいけないのは僕の方だよ」
「たまに来るだけの人は親孝行出来て良いですねー」
「咲にもいっぱい迷惑かけて、ごめんね……」
 咲はつーんとそっぽを向いている。もうじき死んじゃうかもしれないんだから優しくしろよと怒りたいが、両親の面倒を毎日見ているのは咲なのだ。僕に何か言う権利はない。
 僕も咲も、母自身も、死神がゆっくりこちらに近づいて来るのに気づいていた。父だけが、
「点滴すりゃ治るだろ」
 とのんきだった。後から考えると、父は母がいなくなることを想像出来なかったのだ。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:36| 【中編小説】邯鄲 | 更新情報をチェックする