2014年10月11日

邯鄲(その23)

 僕も母と親しかった人たちにお礼をして回り、お辞儀のし過ぎで腰が痛かった。
 部屋のはじっこにぽつんと座った父のことを、誰も見ていなかった。
「春子さんすみません!」
 突然の大声に、その場にいる全員が一瞬動きを止めた。
「春子さんすみません! 春子さんすみません! オレのせいだ! オレのせいだ!」
 父は涙と鼻水を滝のように流して叫び続ける。父が母を名前で呼ぶのを初めて聞いた。咲は父のそばに駆け寄って手からコップを奪う。
「誰? お父さんにお酒飲ませたの!」
 そして僕をギロリとにらむ。
「ちゃんと見ててよ!」
「お前だってなぁ!」
 みつる君が抱きかかえるようにして父を立たせた。
「布団の方に行きましょう、お父さん」
 父は素直に従って、部屋から出ていった。
 次の日、父は起き上がることが出来ず、火葬場へも行けなかった。みつる君が家に残って看病してくれた。母が焼かれるところを見ないで済み、父にとっては良かったのかもしれない。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:31| 【中編小説】邯鄲 | 更新情報をチェックする