2014年10月11日

邯鄲(その29)

「近くで見た春子さんは天女みたいにうっすら光ってた。あんまり神々しくて、体の中が透明になるような気持ちだった」
「大袈裟じゃね?」
「まあ恋をすればそうなるのかも」
「恋」
 咲はふんっと笑ってお吸い物を飲み干す。
「それだけで満足だったのに、春子さんは何でかオレと結婚する気でいて、そんなのおかしいから、オレ、町を出ようかと考えたんだ」
「ボクより君を幸せに出来る人がいるはずだ、みたいな?」
「男ってどうしてそうやって弱腰になるんだろ」
 咲とメグは何故かこちらを見る。
「僕は違うでしょ!」
「一日春子さんを見なかったら、オレもう体がうまく動かなくて、春子さんも一緒にいたいって言ってくれて……」
「愛し合ってんじゃん」
「お父さんは何をそんなに悔やんでいるの?」
 メグは首を傾げる。僕は父親が変えたがっている過去が何なのか、考えていた。
 死だ。母の死。
「お父さん、よく聞いて。僕は昔、お母さんに『無理にでも女の人と結婚した方が良いか』って相談したことがあるんだ」
 咲とメグがぱっと振り向いた。僕は続ける。
「『結婚すれば必ず幸せになるというものでもないから、無理にしなくても良い』って言われたよ。『私は運良くお父さんみたいな人と出会えたけど、みんなが当たりを引ける訳じゃない。結婚するかどうかじゃなく、会えるかどうかなんだ』って」
「アイスかよ」
 咲のツッコミは無視する。
「お母さんは幸福だったよ。お父さんが言うように、光っていた気がするくらいに。そりゃ病気になっちゃったのは残念だけど、歳取って体のどこかが壊れるのは仕方ないじゃないか。花びらだって茶色くなったりするでしょ」
「金持ちと結婚して油っこい食事ばかりしてたら、別の病気になってたかもよ?」
 咲は頬づえついて言う。父はズボンに爪を立てたまま黙り込む。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:23| 【中編小説】邯鄲 | 更新情報をチェックする