2014年10月11日

邯鄲(その32)

「今晩は漬け丼にして。味噌漬けと粕漬けはしばらく持つから」
 店で作ってきた煮物とおひたしも渡す。
「メグちゃんありがとう〜 これで何日かラク出来るよ」
 咲は駅まで見送ると言い、三人で家を出た。橋の上のバス停に行き、時刻表を見る。
「次のバスまで一時間。みんな家の車を使うから本数減っちゃってさ。タクシー呼ぶ?」
「歩いていく」
 途中、ネギ畑にいたタツヤくんのお母さんにあいさつした。咲が何気なく言う。
「お父さんってさ、お母さんとお見合いする前に、三年間もストーカーしてたんだって」
 思わず足が止まる。初耳だった。
「何というか、何につけても根気のある人だねぇ」
「その頃、ストーカーなんて言葉も無かったじゃん? 後でそれが犯罪だって知って、ぶっ倒れそうになったって」
「お母さんは警察に行かなかったの?」
 咲はあごを上げて冷ややかに笑う。
「本読んでて全然気づかなかったってさ」
「あの人らしいねぇ」
「警戒感なさ過ぎ」
 日が傾き、町の表面が赤く染まり始める。
「佐山のばーちゃんも知ってたし、有名だったみたいだよ」
「そりゃこんな狭い町で三年間も同じ女の人を追っかけてたら、噂になるよね」
「花や鳥みたいに、綺麗なものはいくら見ていても良いと思ってたって」
「お父さん、可愛い!」
「そうなのよ〜 メグちゃんは分かってくれると思ってた〜」
 咲とメグは手をつないで笑い合う。
「そんな惚れに惚れ抜かれた人と添い遂げられて、お母さん、本当に幸せだったね」
 メグが咲の目をまっすぐ見て言うと、咲はぼたぼた涙を落とした。
「私、百パーセントお母さんが好きだった訳じゃないの。苦手なところも色々あったの。でも」
 お母さんが死んじゃって寂しいよー 寂しいよー カラスが逃げ出す大声で泣き叫んだ。五十のおばさんの泣き方ではなかった。
posted by 柳屋文芸堂 at 23:20| 【中編小説】邯鄲 | 更新情報をチェックする