2014年10月05日

オカマ先生の恋愛レッスン(その5)

 キミヤと私は同い年で、三十三歳。全然違う生き方をしているのに、学校や職場で出会ったどんな人間よりも話が合った。二人とも他人を気にせず、自分がやりたいことを何より大切にして暮らしている。その気ままな調子が楽で良い。
 気が付くと、キミヤの家で時折食事をするのが習慣になっていた。

 手土産を持っていきたいと思いつつ、いつも手ぶらだった。ありとあらゆるものにこだわりがありそうなキミヤに、何をあげたら良いのかちっとも分からない。しかしこう恵んでもらってばかりでは野良犬のようだ。
 私はキミヤの家へ行く前に、デパートに寄ることにした。地下の食品売り場をウロウロする。何か美味いものを見つけなければ。
 お酒と輸入食品のコーナーで、ワインの試飲を勧められた。小さなプラスチックのコップでくいっとやって、その商品の価格を見る。キミヤの料理へのお礼にしては安過ぎだ。
「バルサミコ酢みたいなワインってないですかね?」
「バルサミコ酢、ですか」
 若い店員は明らかに動揺していた。店内を見回して、目立つ場所に置いてある黒いビンを持って来た。
「こちらはどうでしょう。イタリアの赤ワインです。円高還元でお値打ち価格になっておりまして……」
「値段はどうでもいいんだ」
「えー、えーっと、イタリアで『赤ワインの王様』と言われている銘酒なんです」
「へー」
「お料理に使うこともあるんですよ」
「あー、それはいいね。プレゼント用に包装して、何かつまみも見繕って」
「ではワインと同じピエモンテ州の珍しいチーズを……」
「カビてなきゃ何でも良いです」

 私がワインとチーズを差し出すと、キミヤはキャーッと奇声をあげた。
「バローロじゃないの! 高かったでしょう?」
「ワインの値段はどれくらいなら高いのか安いのか知らない。口に合うと良いんだけど」
「マルちゃんがくれたものなら何でも美味しいわ! それに、このワインで煮込んだ牛肉の料理がとても有名でね、あたしも一度しか食べたことがないけど…… あ〜 でも料理に使っちゃうのはもったいないわ。飲みましょう! あら、このチーズ、初めてよ」
 喜んでくれたようで何よりだった。

「今日のメインはね、鶏肉のソテーにオカマ風ソースをかけたの」
「何それ」
「本当にあるのよ、そういうソースが。娼婦風とか炭焼き職人風とか、イタリア料理の名前は面白いわね」
 いったいどんな味なのかと不安だったが、単にざく切りにした生のトマトとバジルがかかっているだけだった。
「さっぱりしてて美味しい。名前のつけ方間違ってる」
「イタリアのオカマはクールなのかしら…… マルちゃんのバローロ、開けるわね。魚じゃなく肉にして正解だったわ」
 細身の、背の高いワイングラスに、赤黒い液体が注がれる。キミヤは思いのほか大胆に、それをごくりと飲んだ。
「あ〜っ ちゃんとしたワインの味がする〜っ いつも一人だから、こういう高いワインは買えないの。飲み切れないともったいないじゃない? 料理用のを飲むと、ブドウジュースみたいで悲しい気持ちになるわ」
「じゃあ、また買って来るよ」
「そんな悪いわよ。気にしないで。マルちゃんがうちに来てくれるだけで、あたしは嬉しいんだから」
 キミヤが用意してくれた料理と、チーズとワインで二人ともすっかり満腹になった。残ったら料理に使うはずだったバローロは、空になっていた。
 私はテーブルから離れてリビングの床に座る。
「本棚見ても良い?」
「マルちゃんに見られたら困るものは隠してあるから大丈夫よ」
「わざわざ申告しなくても」
 ゲーデルの不完全性定理についての薄い本があったので、パラパラとめくった。ドラえもんの道具から説明が始まっているので、中高生向けに書かれた解説本なのだろう。言葉遊びのようなパラドックスの話が続く。

 正直者のインディアンが言った。
「私は嘘つきです」
 もしインディアンが正直者なら、インディアンは嘘つきということになる。
 もしインディアンが嘘つきなら、インディアンは嘘つきではないことになる。

「不完全性定理の本を選ぶなんて、マルちゃんは意外とロマンチストね」
 気が付くとキミヤが隣に座っていた。
「こういうの、あんまり得意じゃなかったな」
「マルちゃんの卒業研究は何?」
「数値解析。紙とエンピツで解けない問題を、コンピュータを使ってゴリゴリ解いてくやつ」
「あたしは数理論理学。黒板が記号だらけになって頭がこんがらがるの」
「じゃあ不完全性定理も範囲内だ」
「テーマには選ばなかったけどね。数学の論理にほころびがあるって知って、すごくホッとしたのを覚えてる」
「どこかが欠けてないと逃げられない」
「不完全性定理。不確定性原理。未完成交響曲」
 キミヤの頭が軽く肩に触れていて、女の子みたいな甘い香りがした。競い合うように私に腕をからませた、同級生たちを思い出す。
「私、大学時代が一番幸せだったんだ。毎日何時間でも数学に没頭出来たから」
 女の子たちは私のことなんて忘れて、男の子に夢中だった。独りは自由で清々しかった。強がりではなく、本当に。
「大学の四年間だけ、私は自分の国にいた気がする」
「今は違うの?」
「職場に数学の話をする人なんていないからね。だからキミヤを知った時、亡命先で祖国の人間に出会ったような気持ちになったよ」
 しばらく黙ったまま不完全性定理の本を読んでいた。キミヤは肩に頭を寄せてじっとしている。寝てしまったのだろうか、と顔をのぞき込むと、一瞬だけ目が合った。
「マルちゃん」
「ん?」
「あくまで仮定の話として聞いてね」
「うん」
 キミヤの声はどんどん小さくなって、最後は耳を近付けないと聞こえなかった。
「あたしがマルちゃんとエッチしたい、って言ったらどうする?」
「私が相手で勃つんだろうか」
 答えがない。キミヤの方を見ると、下を向いてかすかに震えている。
 そうか。勃ったからそんなことを言い出したのか。不思議なこともあるものだ。私は三秒ほど考えてみる。
「部屋を真っ暗にしてバックでやれば出来るかもしれない。とりあえずトイレ行ってくる」
 私は急いでブラウスを一度脱ぎ、ブラジャーを外した。頭の先から足の先まで、女の記号が無いか点検する。子どもの頃は百パーセント男と間違えられた。今でも名刺を渡して「えっ」と驚かれることがあるから、ずいぶん男性的なのだろう。
 しかしさすがに裸になると、輪郭に丸みがある。小さいが一応、胸もある。
 私の身体はキミヤの本能をどこまでだませるのだろうか。もし上手くいかなくても、笑って許してあげよう。
 服を整えてリビングに戻ると、キミヤは小さな箱を握って体育座りしていた。
「電気消すね」
 真っ暗になるかと思ったのに、街の灯がカーテン越しに入ってきて、窓全体が薄ぼんやり光っている。シルエットになったまま、私はキミヤに背中を向けてブラウスを脱ぎ捨てた。
「どうぞ」
「本当にいいの?」
「まあ、出来るところまでやってみたら」
 キミヤは私の背中に抱きついて、髪の毛をこすりつけた。形を確かめるように肩から二の腕までを手で撫でる。深呼吸みたいなため息が聞こえた。
「マルちゃん、マルちゃん」
「何?」
「呼びたかったから呼んだだけ」
 ずっと髪の毛でコショコショやっているので、犬にじゃれられているような、おかしな気分だった。
 背中のくぼみに頬をくっつけて、キミヤは動かなくなる。何もせずにそのまま寝てしまうのではないか、と思ったら、すっと身体が離れた。服を脱いでいく音がする。私も四つんばいになり、ズボンとショーツを脱がされた。
 あ。まずい。
 女性器は何をどうしようと女性器である。そこ、そんなに触らなくていいから、と言おうにも声が出ない。キミヤの細い指が私の身体の奥の方に沈んでゆく。水っぽいいやらしい音がした後、指ではない硬いものが当たる感触があった。
 萎えなかったんだ。そりゃ、めでたい。
 私は目をつむって歯を食いしばった。

「ねえ、マルちゃん、生理だったの?」
 ブラウスを着て振り向くと 、キミヤの貧相な身体が目の前にあった。暗闇に目が慣れて、あらかたのものははっきり見える。
「ゴムに血が付いてるんだけど」
「へー 処女って本当に出血するんだ」
 一拍おいて、キミヤは向こう三軒両隣に絶対聞こえる大声で叫んだ。
「マルちゃん、処女だったの?」
「そうだよ。血に触りたくないなら私が片付けようか」
「い、いいっ」
 キミヤはティッシュを使ったり手を洗いに行ったりひとしきりバタバタして、戻ってきた。私ももう服を着ていたので電気を点ける。まぶしい。
「なんで処女だって言わなかったのよ!」
「ごめん。血が付いちゃったのは申し訳なかった」
「そうじゃなくて! あたしなんかとしちゃダメじゃないの」
「なんで?」
「女の子にとって『初めて』は大事なんでしょ? 大好きな人と素敵な場所で、とか」
「もう女の子って歳じゃないし」
「歳の問題じゃないわよ!」
 キミヤは何故か、愛娘を汚された母親のようにいきり立っていた。
「でもさ、男も女も好きじゃないんだから、当然の帰結として、処女なのは予想出来たと思うんだけど」
「だってマルちゃんはモテるでしょ……」
「誰に。私とやりたがる男はいない。女とは私がやりたくない」
 きっとこのままセックスせずに死ぬのだろう、と思っていた。それは構わない。私の人生にとって重要なことではないから。けれど冥土の土産に、一度くらいやってみても良いかな、と思ったのだ。
 その相手がキミヤなのは、全然嫌じゃなかった。
「処女じゃないせいで、マルちゃんがお嫁に行けなくなったらどうしよう」
「いつの時代の話だよ! だいたい結婚するつもりもないし」
 勝手に落ち込んで頭を抱えていたキミヤが、パッとこちらを向いた。
「あたしと結婚しない?」
「はあ?」
 その時、天啓のように「偽装結婚」という言葉が浮かんだ。どうして今まで気が付かなかったのか。結婚詐欺の目的が、お金だけではないことに。みるみる心が醒めてゆく。
「帰る」
「マルちゃん……?」

 帰宅後、ネットでゲイの人たちのことを調べてみて、自分の無知を思い知った。
 最初、ゲイと女はねじれの位置にある直線のように、決して交わらないと考えていた。私とキミヤは特殊な例だと。しかしゲイが女と親しくなるのは、決して珍しいことではないらしい。
 まずは友達。これは女どうしみたいなもので、ノリや話題が合うのだろう。
 まだ自分をゲイだと認められない若い頃、無理に女と付き合う話も多く見つかった。女の子がその時どんな思いをしたのか、ゲイ側の文章を読んでも分からない。
 社会的にゲイであることを隠すため「カムフラージュ結婚」をする場合もある。これは途中でゲイであることがバレて離婚騒動が起きたりする。
 相手がゲイだということを納得して結婚する女性もいる。どんな種類の愛情なのか、苦しくないのか、これも知ることは出来なかった。
 パソコンに向かっている間、メール着信のメロディが何度も鳴った。キミヤに決まっている。考えがまとまるまで見ないつもりだ。
 どこかのブログにあった、
「ゲイは女にモテる」
 という言葉が私の心を刺した。確かに私はキミヤに惹かれている。人間関係において、私はまるっきりおぼこ娘だ。何故あんなに美味しい料理をタダで食べさせてくれるのか、裏側にある欲望なんて見もしなかった。
 気付けばすっかり餌付けされている。
 またメール着信のメロディ。
 キミヤの好意的な言葉や態度や優しさを、素直に、真正直に受け止めてしまっていた。ギリギリ我慢出来る結婚相手として、私をターゲットにしただけかもしれないのに。
 どれだけ男っぽいと言われても、私は女だ。どうしようもなく女だ。
 男も女も愛せるバイセクシュアルの人もいるという。でもネットの情報をざっと見た感じでは、それほど多くない。ゲイは男を愛する。男が女を、女が男を愛するのと同じように。
 またメール。
 いい加減うんざりして来たので開けることにした。

 マルちゃん、なんで怒って帰っちゃったの?
 あたしが「お嫁に行けない」とか言ったから?
 あたしが変なこと言い出さなければ、こんなことにならなかったのに。ごめんなさい。
 すごくドキドキしてたの。頭に血が上ってフワフワして、気が付いたら、心にある言葉を口に出してた。
 もう会わないなんて言わないよね?

 短いメールが十通以上来ている。一個一個開けていくのが面倒臭い。ウザいぞ、キミヤ。用件はまとめてくれ。

 マルちゃんがもう、うちに来てくれなくなったらどうしよう。
 あたし、取り返しのつかないことをしちゃった。
 何をしたら許してくれる?
 マルちゃん、電話して。
 マルちゃんの声が聞きたい。
 マルちゃん
 マルちゃん
 マルちゃん
 ……

 最後の方はその繰り返し。カップ麺の宣伝かよ!
 イライラしながら、ふと、今キミヤは泣いているな、と思った。携帯を握りしめたままベッドに突っ伏して。実際に声を出して私を呼んでいるかもしれない。
 いったいどんなつもりがあって、キミヤは私に近付いたのだろう。
 実はバリバリの異性愛者で、オネエ言葉で女を油断させてヤリまくっている。
 さすがにそれはうがち過ぎだ。得られるものが労力に見合わない。それに私はキミヤが真性の同性愛者であることを知っている。どこかで聞いたんだっけか……
 そうだ。「オカマ先生の数学レッスン」に書いてあったんだ。

「男ならば(p)、女を愛する(q)」
 この命題が間違っていることを証明するには、pだけどqじゃない例を一つ示せば良いの。
 そう、目の前にいるわね(笑)
 あたしは男だけど、女は愛さない。あたしが好きになるのは男だけ。
 ちょっと男の子たち、おびえないでよ! 年下と年上には全然興味ないの。あたしの好みはすっごくノーマルなんだから。

 ノーマル…… 今日一日でノーマルが何なのか、まるで分からなくなった。
 またメール着信。
「落ち着け!」
 と一言だけ返して、電源を切った。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:54| 【中編小説】オカマ先生の恋愛レッスン | 更新情報をチェックする