2014年10月05日

オカマ先生の恋愛レッスン(その6)

 キミヤの家の近くの公園には、小さなカフェテラスがある。平日の午前十時、人はまばらだ。薄い雲の向こうに太陽がのぞいて、テーブルの下に短い影を作っている。
「単刀直入に聞くけど、キミヤはなんで私と友達になろうとしたわけ?」
 キミヤはしおれた様子で、グレープフルーツジュースの氷をからんと鳴らした。
「友達になりたいな、って思ったから、友達になったの」
「もっと詳しく」
 私を上目遣いで見て、すぐ下を向く。
「引越しの時、女の子なのに荷物を軽々と持ち上げて、すごーい、って思って…… きっと脳みそも筋肉で出来てて話なんて合わないだろうけど、そういう子と食事してみるのも面白いかしら、なんて……」
「ところがその女は数学科出身だった」
「別の意味で脳みそが筋肉だった。とても頭の良い子だった」
「頭なんて良くないよ」
 もし頭が良いなら、自分が何に腹を立てているのか、もっと明確に出来るはずだ。
 キミヤは私の方を真っ直ぐ見て、優しく微笑む。
「マルちゃんはこの間の夜、なんで怒ったの?」
「『カムフラージュ結婚』って知ってる?」
 キミヤの顔色がサッと変わった。
「そんなひどいこと考えてたの?」
「世間をあざむくために結婚相手を探していて、『夫婦の営み』が可能かどうか試してみたのかと」
「そんなの絶対にない! だいたいあたし、『オカマ先生』で売ってるのよ! ゲイだってことは誰にも隠してないし、世間体を取り繕う必要も全くない。結婚なんてしたらかえって『オカマは演技だったのか』って後ろ指さされちゃうんだから」
「じゃあなんで、結婚しようなんて言い出したのか」
「それは……」
 キミヤは再びしょぼくれる。
「結婚したいな、って思ったから、そう言ったのよ……」
 一羽の鳩が目の前を歩いてゆく。後ろから降りて来た鳩がちょっかいを出し、一羽目はバサバサと飛び立った。
「あたしね、ノンケって言って分かる? 異性愛者の男の子しか好きになれないの。同級生とか、同僚とか」
「それって上手くいくの」
 キミヤは大きく首を振る。
「狂いそうになるくらい思い焦がれて、それでお終い。迷惑かけたくないから、告白もしたことない。ゲイの子と付き合った経験はあるけど、長く続かなかった」
 いよいよ私とセックスした意味が分からない。
「ゲイさえも男と認めない鉄壁のセンサーが、あの夜、誤作動を起こした」
 それとも、性行為と恋愛には関係が無いのか。特に男の人は。
「誤作動というなら、ずっと起こしっぱなしだわ。引越しの日からずっと」
 キミヤは急に私をキッとにらんだ。
「マルちゃん、自分がどれくらい格好良いか、分かってる?」
「えー 自分になんて興味ないから知らない。認知のベクトルは常に外側へ向かっている」
「でしょうねぇ。でもモテたでしょう、女の子に」
「中学、高校の頃は誰かしら腕にぶら下がってた。私をめぐって決闘事件が起きたり」
「女は怖いわ……」
「単なる男の身代わりだよ。大学入ったら彼氏作って見向きもしない。今はみんな二人三人子どもがいるお母さんだよ」
 身代わり。そうか、私は身代わりなんだ。誰にとっても。
「あたしは『オカマ』というジャンルの少数派だけど、マルちゃんもかなり変わってると思うのよね」
 そう言ってキミヤは紙を取り出し何か書き始めた。
「ちょっとした思考実験をやってみましょう。セックスアピールの全く無い人間を考えてみて」
「私みたいな?」
「そうじゃなくて、もっとゼロなの。男性としての特徴も女性としての特徴も一切持ち合わせてない、つるんとした人形のイメージよ」
 キミヤは殺人事件の現場のような、曖昧な人の形を描いた。
「このツルツル人間、恋愛の習慣はあって、適当な相手とペアを組むの。二百人いたら、百組のカップルが出来るわけ」
 紙に人の形を書き足してゆく。
「生殖器だけは男女の区別があることにしてちょうだい。でもそれは隠れている。恋愛する時には性差を一切知ることが出来ないから、
 男と男 男と女 女と男 女と女
 というカップルが同じ割合になっちゃうの。全部で百組なら、二十五組ずつね」
「繁殖出来るのは」
「人間と同じ。男と女だけ。百組のうちの五十組。もし一組の男女が平均二人の子どもを作るとすれば」
「次世代で個体数は半分になる」
「ツルツル人間はあっという間に絶滅しちゃうわ」
 キミヤのやりたいことが何となく分かってきた。
「次に、完璧なセックスアピールとそれを受け取る能力のある…… エロエロ人間を考えてみましょ」
「その名前はどうかと」
「他に思い付かなかったのよっ 男は男の特徴を持ち、女は女の特徴を持つの。男は女の特徴に対して恋をし、女は男の特徴に対して恋をする。例外はないわ」
 キミヤは少年漫画みたいな男と、少女漫画みたいな女を描いた。妙に上手い。
 私が後を続けた。
「磁石のSとNみたいに男女は単純に惹かれ合って、全てのカップルは『男と女』になる。もしそれぞれが平均二人の子どもを作るとすれば、次世代になっても個体数は変化しない」
「人間は基本的にエロエロ人間なのよね」
「なんか反論出来ない……」
 キミヤはちょっと上を向いて、得意そうにニヤッとした。
「とにかく、ツルツル人間よりエロエロ人間の方が繁殖の効率が良いでしょう。だから人間は、年頃になると男らしさや女らしさを強調するようになるわけ。もう本能に埋め込まれているの。それが下手な種は滅んじゃったから」
 みんな競っておしゃれを始めた中学時代を思い出す。自分だけが取り残されてゆく違和感。
「で、ここからが本題。一番単純なモデルとしてエロエロ人間を考えたけど、自然は大量に同じものを作るのが苦手なの。時々、規格外の人間が生まれてくる。女の特徴を持つ男、男の特徴を持つ女、男の特徴に対して恋する男、女の特徴に対して恋する女。ツルツル人間もいるかもしれない」
「四角い消しゴムを作る工場で、五角形の消しゴムが混ざるように」
「五角形に罪はないわ」
「もちろん」
「でも少数派として生きにくい生を送ることになる」
 キミヤが無言になった。キミヤが乗り越えてきた、三十三年間の重み。
「今、言いたいのはその愚痴じゃないの。マルちゃんは『男の特徴を持つ女』で、あたしは『男の特徴に対して恋する男』でしょう? 『男の特徴』をMとかに置き換えちゃえば……」
 キミヤの顔がだんだん赤くなってゆく。
「ねえ、ずいぶん長い話だけど、私を口説こうとしてる?」
 キミヤは両手を頬に当て、ぶんぶん頭を振った。
「一生懸命考えて来たのよぅ〜」
 いくら鈍感とはいえ、キミヤが私に恋愛感情に近いものを抱いていることくらい分かる。問題はそれが「永続的なものかどうか」なのだ。一時の気の迷いではないのか。思春期の恋のように。
「正直言って、マルちゃんはツルツル人間の一種なんじゃないかと思うのよ。男になろうとも、女になろうともしていない。男にも女にも興味がない。男っぽいのは、偶然でしょう」
「うん。髪は洗いやすいから短くしてるだけ。服は選びやすいようシンプルに。顔は生まれつき」
「少数派どうし、肩寄せ合って生きましょう」
 キミヤは私の手を握り、真っ直ぐ目をのぞき込んでくる。長いまつげが鳥の羽ばたきみたいに美しく上下した。
「マルちゃん、あたし本気でマルちゃんと結婚したいの」
 私はその手を払いのけた。キミヤは勘違いしている。私はツルツル人間じゃない。男に恋をして、女になろうとしている。変化してしまったら、キミヤは離れていくのに。自分では止められないのだ。
「私たちの未来に、そんな綺麗なものがあると思えない」
 呆然とするキミヤから視線をそらしてはっきり言った。
「もう会うのやめよう」
 次の瞬間のキミヤの叫び声は、都市伝説になりかねない、凄まじいものだった。
「い〜〜や〜〜っ」
 犬の散歩をさせているおじさん。マラソン中のお兄さん。腰が直角に曲がっているおばあさん。カフェテラスのお姉さん。公園にいる全ての人が、こちらを見ていた。
「マルちゃんの意地悪っ 甘い言葉であたしを夢中にさせたくせにっ」
「甘い言葉……?」
 ごく普通の会話しかしていないと思うのだが。
「悪い。記憶にございません」
「あんなにドキドキさせておいて、責任取ってよぉぉ」
 ゲリラ豪雨のようにボタボタ涙と鼻水をたらす。
「あたしはっ マルちゃんと結婚するのぉ〜っ」
 数理論理学まで修めておいて、結局は泣き落としかよ! 数学の勉強が全然役に立ってないじゃないか、オカマ先生……

 あたしはすごく弱くて感情的な人間で

 本の一節が思い浮かぶ。キミヤは今、論理どころじゃないんだ。必死なんだ。泣き声以外、何の武器も持たない子どもみたいになって、私に挑んでいる。
 胸が苦しかった。当たり前だ。キミヤが苦しければ私も苦しい。もうとっくにシンクロしている。
「いいよ」
「えっ」
 涙と鼻水でびちゃびちゃの顔がこちらに向いた。
「結婚してくれるの……?」
「仕方ない」
「仕方ないって何よ!」
 自分がこんなに男に甘いとは知らなかった。いや、男ではなく、キミヤに甘いんだ。
 母性本能なんて言葉は、言い訳に過ぎない。

 そんなこんなで、冒頭の一文にたどり着くのです(覚えてる?)
 軽率、無分別とそしられて当然だと思う。しかし私にとって、恋愛やセックスや結婚は、全て想定外だったのだ。それらにどれほどの重みがあるのか、まるで分かっていなかった。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:53| 【中編小説】オカマ先生の恋愛レッスン | 更新情報をチェックする