2014年10月05日

オカマ先生の恋愛レッスン(その8)

 結婚式も指輪もなく、ただ婚姻届を市役所に出した。驚くほどあっけない。荷物を少しずつ移し、居候のような形でキミヤの家に住み始めた。
 家具屋からダブルベッドが届いた夜に、避妊するかどうかで大喧嘩になった。
「だってマルちゃん、余裕のある年齢じゃないでしょう? 子どもがなかなか出来なくて不妊治療することになったら、大変なのはマルちゃんじゃないの」
「不妊治療なんてするつもりない。面倒臭い」
 キミヤが子ども好きなのは知っている。だからこそムカムカした。
「子ども製造機の機嫌を損ねたら、いつまで経っても赤ん坊は出て来ないよ」
 暗闇の中で、すっと息を呑む音がした。叫ばれるかと覚悟したが、重苦しい無言の後に聞こえた声は、低くかすれていた。
「あたしを、どれくらいひどい人間だと思ってるの……?」
「明日早いんだ。寝る」
 私はキミヤに背を向け、ベッドの一番端に寄った。どうしてキミヤは、私の人生を平気で変えようとするのだろう。どうして私は、キミヤを傷付けずにそれを断れないのだろう。
 本当のことを言うと、私も子どもが欲しかった。キミヤを喜ばせたかったし、何より頭でも心でもなく身体が、それを望んでいた。私の子宮は恐ろしく単純であるらしかった。
 期待で下着が濡れている。
 妊娠する私。出産する私。授乳する私。そんな姿を見ても、キミヤの気持ちは変わらないのか。これ以上の女性の記号はないのに。
 やはり私たちの関係には無理がある。

 仲直りは特にしなかった。仕事をしながら家の中を整えるのに忙しく、日常を送っているうちに喧嘩のことはうやむやになった。
 キミヤはそれから私を一切誘わない。寝る時には、私も必ずキミヤに背を向ける。
 ある夜、キミヤは布団の中をそっと移動して、背中に張り付いてきた。何も言わず、小さな動物が棲み慣れた巣で身を丸めるように。すぐにスウスウと寝息が聞こえ始める。
 あたたかい。泣きたくなるほど。今すぐキミヤを抱きしめたい。
 もちろん私は振り向いたりしなかった。

 キミヤは料理も美味いし、家事もきちんとやる。整理整頓はそれほど得意ではないようだが、物を積み上げておくのは自分の部屋だけだ。二人で使う場所を散らかしたりしない。同居人としては最高だった。
 しかし一緒に暮らしてみて初めて分かったこともある。キミヤの作る和風の煮物が、妙に塩辛いのだ。味覚が合わない訳ではなく、本人も箸をつけない。
「あたしの母がね、ヨーロッパへの憧れが強い人で、子どもの頃から洋食で育ったの。だからどうしても和風の味付けが決まらなくて」
 私が肉じゃがを作ってみせると、
「こんなに上品な味なの!」
 と叫んでパクパク食べた。
「日本人と結婚したんだから、醤油とみりんの使い方くらい覚えてくださいよ、マダム」
「全くですわね、ムッシュー」
 キミヤは目を細めて私を見た。
「マルちゃんは料理も上手なのね」
「平凡なものしか作れないよ。『オカマ風』とか『木こり風』みたいなのは私の辞書に無いから」
「オカマ風はオカマに任せておけばいいのよ」
 笑っていても、それが心の底からの笑いでないことに、二人とも気付いていた。胸の中心が、いつもカラカラに乾いている。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:50| 【中編小説】オカマ先生の恋愛レッスン | 更新情報をチェックする