2014年10月05日

オカマ先生の恋愛レッスン(その10)

「マルちゃん」
 背中にくっついて寝ていたキミヤが話しかけてきた。そんなことは今までなかったので、少し身構える。
「何?」
「初めてエッチした時、痛かった?」
「痛かったよ」
「どれくらい?」
「焼きごてを押し付けられたようだったね」
 絶句している。キミヤを責めるつもりはなく、その時感じたことを素直に表現しただけだ。
「どうして痛いって言わなかったの?」
「キミヤが最後まで出来なかったら困るから」
 首筋にキミヤの息がかかって、肌がざわざわする。手足を動かしてごまかした。
「あたし、ずっと考えてたの。もし普通の男だったら、あの時どうしていたんだろうって」
 普通の男? 普通の男だったら、あんな展開になるはずがない。起こり得ない「もし」を考えても仕方がないのに。
「あたしはきっと『よく頑張ったね』って言って、マルちゃんを抱きしめなくちゃいけなかったんだわ。どう? 間違ってる?」
「そういうのに正解も間違いもないと思うけど」
 キミヤは答えを欲しがっている。
「マルちゃんの身体を傷付けたんだ、と思ったら、気が動転しちゃったの。だからって、すごく痛い思いをして我慢していた女の子に『お嫁に行けない』なんて脅すようなこと言うなんて、最低よね」
 キミヤは私の腕を撫でながら言った。
「エッチするの、怖くなっちゃった?」
「別に」
 身体の痛みなんて全然怖くない。
「次はもっといたわるから」
 次? そんなものあるのだろうか。
「ゲイは女の気持ちが分かるって言う人いるけど、あれは嘘ね。マルちゃんの気持ち、ちっとも分からないもの」
「私も女の気持ちなんて分からない」
 自分の気持ちは知っている。偽りようもなく知っている。
「ごめんね。あたしが優しくて格好良くて素敵な男の人じゃなくて。ごめんね」
 キミヤは優しくて格好良くて素敵な男の人だよ。忘れられないくらいに。気が狂いそうなくらいに。
「マルちゃん、泣いてるの……?」

 どう考えても限界だった。私たちはたぶん愛し合っている。けれども動かしがたいパラドックスがつっかえて、恋愛の歯車が回らないのだ。

 ゲイは男を愛する。
 ゲイが私を愛する。
 私は女である。

 おそらく問題は時間に関わっている。「ゲイは男を愛する」と「私は女である」は変えがたい、普遍的な事実だ。けれども「ゲイが私を愛する」は限定的な出来事で、存続期間の予測は一時間から百年まで幅がある。
 半減期くらい教えてください。
 統計資料が必要だ。真性の同性愛者が異性を愛した場合、それがどれくらい続くのか。真性の異性愛者が同性を愛した場合を含めても良い。必要なサンプルは千ほどか。
 そんな資料、ある訳がない。そもそも平均を取ってもキミヤの気持ちがその通りになるとは限らないのだ。
 病める時も
 健やかなる時も
 永遠の愛を誓えと言えば、キミヤは喜んでするだろう。だが、そんなのは無意味だ。
 例えばみかんに、
「永遠に輝かしいみかんでいることを誓います」
 と宣誓させても、ひと月も置いておけばカビだらけになってしまう。みかん本人にどうにか出来ることじゃない。
 諸行無常
 そんなの当たり前じゃねーか! と叫んでちゃぶ台をひっくり返したかった。明るい部屋で素っ裸になって、
「これでも愛せるのか!」
 とキミヤを責め立てたかった。
 失いたくない。キミヤを失いたくない。すっかり女々しくなった私を、嫌いになってくれればいいのに。
posted by 柳屋文芸堂 at 21:47| 【中編小説】オカマ先生の恋愛レッスン | 更新情報をチェックする