2014年10月05日

オカマ先生の恋愛レッスン(その11)

「しばらく別々に暮らしたいんだけど」
 キミヤは私の顔をじっと見つめ、何も言わない。
「向こうの部屋の物も処分したいし……」
 逃げ場を確保したくて、前に住んでいたアパートを引き払わずにいた。
「ここから通えばいいじゃない」
 問い詰めるような響き。
「二人でいることに疲れた」
 キミヤの身体がびくっと震える。言い方がキツ過ぎたか。
「長いこと独りで暮らしていたからさ、他人に合わせるのがしんどいんだ。もともと協調性のある人間じゃないし」
「帰ってくる?」
 キミヤの瞳に涙が溜まって、光った。すぐ帰ってくるよ、と嘘をついた方が、お互いにとって良いはずだ。それがどうしても出来ない。
「……分からない」
「そう」
 泣いて騒がれるかと思ったが、キミヤは静かだった。ただ電池が切れたように動かない。話しかけた時にやっていたワイシャツのボタン付けも放り出して、無表情で一点を見ている。
「針を無くさないように」
 うなずきはするが、裁縫道具をしまう気配はない。
「昼飯どうしようか。オムライスを作るとか言ってたよね」
「お昼は一緒に食べてくれるの?」
「うん」
 出て行くのはその後だ。
「ごめんなさい。ちょっと料理は無理そう」
 キミヤの作ったものを食べる最後のチャンスだったかもしれないのに。別居の話は食後にすれば良かった。
「じゃあ、外に食べに行こうか」
 魂の抜けたキミヤを引きずって、近所にあるイタリア料理の店に入った。気のいい夫婦がやっている明るい店だ。
「私はナスとトマトのスパゲティにしようかなー」
 キミヤが死人の顔でうつむいているので、必要以上に大声を出してしまう。
「キミヤは?」
 メニューをめくって指差したのは、彩り野菜のペペロンチーノだった。
 注文を済ませると、パンの入ったかごが運ばれてきた。自家製グリッシーニもある。菜箸みたいに細長く、歯ざわりはカリッとしてスナック菓子のようだ。私はこの店でその美味しさを知った。
 キミヤも家で作ってくれないかな。
 自分の思い付きの勝手さに苦笑する。
「キミヤはグリッシーニ食べる?」
「……一本だけ残しておいて」
 普段かしましい人間が低い声で話すと、迫力がある。ついオドオドしてしまって、私が悪いんじゃない、と心の中で繰り返す。私が悪いんじゃない。きっと。たぶん。おそらく。
 キミヤは丸いパンを半分ちぎって食べた。残りは皿に置いて手をつけない。
「そのパン、食べないならください」
 キミヤは軽く微笑んで、渡してくれた。
 私がスパゲティを食べている間、キミヤは身じろぎ一つせず、真っ直ぐこちらに視線を向けていた。
「私、売られる牛みたいだね」
「どうして?」
「最後の食事をしているところを、飼い主がじっと見ている」
「そのたとえはおかしいわ。捨てられるのはあたしだもの」
「捨てる訳じゃない」
「同じよ」
 キミヤはうつむいて震えている。ふと、ペペロンチーノが全く減っていないのに気付いた。
「食べないの?」
「食欲ないみたい」
「もらっていい?」
 キミヤは目を丸くして、クスクス笑い出した。
「どうぞ」
 ズッキーニの緑と、パプリカの赤と黄色が美しい。まだ冷え切ってはいない。危ないところだった。フォークにスパゲティをからませる。
「あたしね、これまでの人生でずーっと、片思いばかりしてきたの」
 フォークを動かすのをやめて、キミヤの方を向いた。
「だから片思いには慣れてる。でもね、マルちゃんと一緒にいると、不思議な感じがするの」
 そう言うとキミヤは両手の人差し指をぴんと伸ばした。
「この上にグリッシーニを載せて」
 人差し指を土台にした橋のようになる。
「右手と左手を近付けていくから、よく見ていてね」
 右手が少し動くと、次は左手が動く。右手と左手が交互に中央に寄ってゆき、グリッシーニの真ん中で、二本の人差し指はくっついた。
「片方だけが一方的に近付くことは出来ないの。相手が近付くからあたしも近付く。あたしが近付くから相手も近付く」
 キミヤよ。また説得する気だな。
「この感じ、覚えがあるでしょう?」
 あるに決まってるじゃないか。そうじゃなきゃセックスしない。結婚しない。こんなに泣きそうになってない。
 私は顔をそらした。
「あたしたち、両思いなんじゃないかって」
 鼻をすする音がする。
「自惚れてたのね。ごめんなさい」
 私はキミヤの指の上にあるグリッシーニを奪ってボリボリ食べた。ペペロンチーノの残りも口いっぱいに頬張る。
「ごちそうさま」
「マルちゃん、ほとんど二人分食べちゃったわね……」
「さすがに満腹で苦しい」
「こんな時に食欲がなくならないなんて、やっぱり恋しているのはあたしだけ……」
「キミヤはバカなのかっ」
 にらみつけると、きょとんとしている。荒っぽく伝票をつかみ、会計を済ませて店を出た。
「さっきの、どういう意味?」
「キミヤさんはバカですか?」
「そのままじゃない!」
「そのままだよ!」
 キミヤはぴたりと足を止め、私と向き合った。
「マルちゃんの前だと、確かにバカになっちゃうかも」
「いつもはバカじゃないというのか」
「失礼ねっ あたし本当は、すごくクールなんだからっ」
「クール」
 こんなにキミヤに似合わない単語があるだろうか。
「片思いしている人の結婚式で、オネエ言葉で笑い取りながらスピーチ出来るのよ!」
「それがどうした」
「大変なんだからっ な、泣かないように、するのが……」
 キミヤは私の首に抱きついた。血の気がさっと引く。胸がくっついたら、私たちの関係は終わってしまう。キミヤはそんなのお構いなしに、わーっと泣き始めた。
「食べ物の味がしないの」
「え?」
「パンがスポンジみたいだった。スパゲティがゴムみたいだった。マルちゃんがいないと、あたし餓死しちゃう」
 ぎゅうっと身体を押し付けてくる。
「エッチは諦める。子どももいらない。離婚したっていい。でもとにかく一緒にいて……」
 キミヤにかかっている恋の魔法は、いつ解けてしまうのか。怖くて立っていられない。
「離れて」
「離れないっ」
 キミヤはますます腕に力をこめる。私は涙声で懇願した。
「お願いだから離れて。おっぱいがあることがバレたら、私は嫌われてしまう」
 キミヤは急に冷静になって言った。
「マルちゃんはバカなの?」
「失礼な」
「胸なんて大して無いじゃないの! それにあたしたち、もうそんな仲じゃないでしょう? あたしは男でも女でもなく、マルちゃんが好きなのよ」
 私は試すようにそっと、キミヤの腰を抱き寄せた。
「マルちゃんと美味しくご飯が食べたい。マルちゃんともっとおしゃべりしたい……」

 解法を見つけたよ、キミヤ。
 キミヤはそのうち、私に性欲を向けなくなるかもしれない。また狂おしく男を思うようになる可能性だって、十分にある。
 もしそうなっても、私たちには料理と数学が残るじゃないか。刹那と永遠。しんしんと降り積もる二人だけの時間。
 キミヤの魅力を理解出来ないバカな男たちに、負けるはずがないのだ。

「妊娠したら、髷を結おうかな」
「な、何ゆえ?」
「大銀杏だよ。力士なら女の記号にならない」
「ごめんなさい。あたし、和風の男は論外だわ」
「デブがダメなんじゃなく?」
「人間の横幅なんて、観測点からの距離次第じゃない。太って見えたら少し遠ざかればいいのよ。でも侍は大きくても小さくても侍でしょ」
「キミヤらしいなぁ」
「あたしはね、オスカル様みたいな騎士がタイプなの」
「あれ女だから」
 騎士の読み方はもちろん「ナイト」だ。
「妊娠ってことは」
「うん」
「エッチしてくれるの?」
「家に帰ったらね」
 ごめんと言う代わりに、キミヤの背中を撫でる。
「ずっと、こうやってマルちゃんに抱きしめてもらいたかった」
 変な男だ。私と同じくらいに。
「さあマルちゃん、仲直りのキスをして!」
 キミヤは身体を離して目をつむった。私を手練れの王子様か何かと勘違いしているようだが、やり方が全然分からない。
 今さらのファーストキス。私たちはもう夫婦なのに、順番ムチャクチャだ。
「まだ?」
「まあ待て」
 涙のあとを指でぬぐうと、キミヤは幸せそうに微笑んだ。

 さて問題です。
 私はどの段階で目をつむればいいのでしょう?

 えーい、目を開けたままやってしまえ。キミヤの憎たらしいほど整った顔が眼前に迫り、私はハッとして目をつむる。
 くちびるは、男も女も、同じ形をしていた。

(終わり)
posted by 柳屋文芸堂 at 21:46| 【中編小説】オカマ先生の恋愛レッスン | 更新情報をチェックする