2014年03月26日

殻/羽根

   殻

 今、付き合っている男は、アマチュアのボディービルダーだ。トラックの運転手をしながら、仕事の合間にジムへ通っている。筋肉を売り物にしてモデルをしている俺に比べると、量的にも、バランス的にも、少し物足りない体型をしている。けれど肉体労働に磨かれた実用的な肉体は、理屈抜きに美しい。俺はたまに考える。この人は、見世物でしかない俺の体を、軽蔑しているのではないか、と。
 そんな思惑に気付いているのかどうか。俺が裸になると、その人はポカッと口を開けて、
「綺麗なものだな」
 とまじまじながめ続ける。たまに写真も撮られる。
「休憩時間に見るんだ」
 と言い訳を添えて。モデルの仕事でもきわどいポーズを取らされることはあるが、完全なポルノは断るようにしている。本当に好きな人にしか、この姿は見せない。
 携帯電話のカメラがカシャリと軽い音を立てるたび、俺は覚悟を決める。この人が俺の写真を無断で配る日が来ても、平気でいられるように。

 前に付き合っていた男は、白くブヨブヨと太った、醜い体をしていた。自分にも相手にもマッチョさを求めていたはずなのに、ついうっかり、好きになってしまったのだ。筋肉で守られていない軟弱な体のまま、何にもおびえず尊大に生きているその男が、俺よりずっと強いような気がして。
「怖くないのか?」
「何が?」
「体を鍛えずにいるのが」
 そいつはちょっと不思議そうな顔をして、それからフッと嘲りの笑みを浮かべた。
「体を強くしたからって何になるんだ? 原始時代じゃないんだから。攻撃も防御も僕はもっと効果的にやるよ。現代に合ったやり方でね」
 わざと明かりを点けて、俺の肉体をこうこうと照らす。
「確かにまあ、見栄えは良いけど」
 単にそれだけじゃないかと、俺をもてあそぶ手つきが語っている。
「体を鍛えることに、他人は関係ないんだ」
 素直にあえぎながら、それでもどうにか伝えられないかと、言葉を探す。
「肉体の中にある、自分が、心が、崩れていってしまう、気がする」
「お前は弱いからな」
 ブヨブヨの体に支配されるのは、屈辱だった。体力だけを考えれば、一方的な暴行はもちろん、殺すことだって可能なのに。自分が様々な力で守られているのを、その男はよく知っていた。法律。良心。世間体。そしてそれらとは比べものにならないほど強力な、俺の純情な恋心。見透かされ、見下され、思うがままにされると、俺は安心し、興奮した。その特別な感覚を、手放したくなかった。それがなければ生きていけない気がした。本当の意味で、理解してくれた訳でもないのに。
 俺の体に飽きたのか、重たい心に嫌気が差したのか、連絡を取ってもだんだん会ってくれなくなった。最後には着信拒否されるようになり、思いあまってその男の職場に直接電話した。すがりつくように握った受話器が、汗でぬるぬるする。遠い、遠い、向こう側。愛しい人の、懐かしい気配。
「捨てな……」
「病院行けよ」
 冷たい、イラ立った声がそう告げて、すぐ切れた。
 
 壊れたまま、ぼんやり暮らしている時に、今付き合っている男に声をかけられた。同じジムに通っていて、俺は知らなかったけれど、向こうはずっと憧れていたらしい。
「落ち込んでいるみたいだったからさ。下心は……ちょっとしかなかったぞ。チャーンス! と思わなかったと言えば、ウソになるが……」
 下心があろうと、傷心につけ込もうと、俺は構わないのに。あくまでピンチを救う「兄貴」でいたいらしかった。
 初めて体を許してからひと月後くらいに、一緒に住もうと言われた。
「今より大きな部屋を借り直して、簡単なトレーニングなら家でやれるようにする。二人の仕事に都合の良い立地を考えて……」
「マメだね」
「俺は『生活』にロマンを感じるんだ」
「ふ、ふうん……?」
「楽しみだなぁ。二人の新生活」
 ほおを少し赤らめて、目をキラキラ輝かせている。性行為が目的という訳でもないらしい。俺にはよく分からない感覚だったので、黙って指示通り動いた。計画がきちんとしていた上に、その男の勤め先が名の知れた企業だったため、何の問題もなく俺たちは同棲を始めた。
 引っ越しの日、近所に菓子折りを配って歩いた。
「隣の奥さん、驚いてたね」
「そりゃ、筋肉ムキムキの大男が二人、突然ドアの向こうにいたらなぁ」
「あいさつも変だったよ」
「『男二人、慎ましく暮らしていく所存です』 どこがいけないんだ」
「唐突にそんな宣言されてもさ。困ったと思うな」
「向こうの答えもおかしかったぞ」
「『どうぞ盛大にやってください』」
「何を盛大にやるんだか……」
 段ボールだらけの部屋の中、ベッドだけが使用可能になっている。真っ白いシーツが妙に生々しい。ぐいと引きずり込まれて、俺より少しだけ細い腕に抱き締められた。
「お前さ、薬飲んでるだろ?」
「うん。違法なのじゃないけど」
「それでもあんまり体に良くはないよな」
「……うん」
「モデルとしてやっていくには仕方ないのかもしれないけど…… 少しずつ、減らして欲しいんだ」
「なぜ?」
「なぜって、当たり前だろ? こ、恋人どうし、なんだから」
 腕の力が強くなる。なぜ? 筋肉が衰え、醜くなり、ボロボロの体のまま捨てられる自分を想像する。もう行く場所も、帰る場所も、ないのに。
「仕事を奪うつもりはないんだ。でも体はやっぱり大事じゃないか。金なら心配ないし…… うーん、金のためじゃないか、モデルは。しかしなぁ……」
 シゴト。オカネ。何のことだろう。俺の肉体の意味を、この人も、理解してくれないのかもしれない。同じボディービルダーなのに。
「このマンション、壁は厚いだろうか?」
「そ、そりゃ」
 何か勘違いした様子で照れている。
「ここは安全だろうか」
「ん?」
「ここにいれば、誰にも叱られずに済むだろうか」
「あ…… あーっ、また泣いてる! 薬のことはもう言わないから、ほら、許してくれ……」
 クスリ。それも、違う。この人もきっと、違う。でも今、あたたかいから、優しいから、それだけでいい。俺は甘える子どもみたいに、無防備に涙を流し続ける。
 もう誰も、俺を、責め立てませんように。
posted by 柳屋文芸堂 at 22:55| 【短編小説】殻/羽根 | 更新情報をチェックする